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孝恭王

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 16 · 漢字 537字 · 朗読 2.1分

三国史記(三国時代の正史) 新羅本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1孝恭王が即位する

孝恭王立。諱嶢,憲康王之庶子。母,金氏。大赦。增文武百官爵一級。

孝恭王が即位した。諱は嶢、憲康王の庶子である。母は金氏である。大赦を行った。文武百官の爵を一級上げた。

2二年 — 弓裔が松岳郡に都を置く

二年,春正月,尊母金氏爲義明王太后,以舒弗邯俊興爲上大等,阿飡繼康爲侍中。秋七月,弓裔取浿西道,及漢山州管內三十餘城。遂都於松岳郡。

二年春正月、母の金氏を尊んで義明王太后とし、舒弗邯の俊興を上大等とし、阿飡の継康を侍中とした。

秋七月、弓裔が浿西道と漢山州の管内の三十余城を取り、ついに松岳郡に都を置いた。

3三年 — 梁吉の兵が崩れる

三年,春三月,納伊飡乂謙之女爲妃。秋七月,北原賊帥梁吉,忌弓裔貳己,與國原等十餘城主,謀攻之。進軍於非惱城下。梁吉兵潰走。

三年春三月、伊飡の乂謙の娘を迎えて妃とした。

秋七月、北原の賊の頭である梁吉は、弓裔が自分に二心を抱くことを嫌い、国原など十余の城主とともに討つことを謀り、非悩城の下に軍を進めた。梁吉の兵は崩れて逃げた。

4四年 — 清吉と莘萱が弓裔に降る

四年,冬十月,國原、靑州、槐壤賊帥淸吉、莘萱等,擧城投於弓裔。

四年冬十月、国原・青州・槐壤の賊の頭である清吉・莘萱らが、城を挙げて弓裔に降った。

5五年 — 弓裔が王と称する

五年,弓裔稱王。秋八月,後百濟王甄萱,攻大耶城,不下。移軍錦城之南奪掠沿邊部落而歸。

五年、弓裔が王と称した。

秋八月、後百済王の甄萱が大耶城を攻めたが落とせず、軍を錦城の南に移し、沿岸の村落を奪い掠めて帰った。

6六年 — 孝宗を侍中とする

六年,春三月,降霜。以大阿飡孝宗爲侍中。

六年春三月、霜が降りた。大阿飡の孝宗を侍中とした。

7七年 — 弓裔が都を移そうとする

七年,弓裔欲移都,到鐵圓、斧壤,周覽山水。

七年、弓裔は都を移そうとして鉄円と斧壤に至り、山と水をあまねく見まわった。

8八年 — 弓裔が国号を摩震とする

八年,弓裔設百官,依新羅制。國號摩震,年號武泰元年。浿江道十餘州縣,降於弓裔。

八年、弓裔が百官を置いたが、新羅の制に拠った。国号を摩震とし、年号を武泰元年とした。浿江道の十余の州県が弓裔に降った。

夾注 1

所制官號,雖因羅制,多有異者。

定めた官の名は新羅の制に拠ったものの、違うものが多かった。

9九年 — 城を固く守れと命じる

九年,春二月,星隕如雨。夏四月,降霜。秋七月,弓裔移都於鐵圓。八月弓裔行兵,侵奪我邊邑,以至竹嶺東北。王聞疆埸日削,甚患。然,力不能禦命諸城主,愼勿出戰,堅壁固守。

九年春二月、星が雨のように降った。夏四月、霜が降りた。秋七月、弓裔が鉄円に都を移した。

八月、弓裔が兵を動かして新羅の辺りの邑を侵し奪い、竹嶺の東北にまで至った。王は国土が日ごとに削られると聞いて深く憂えたが、力で防ぐことができなかったので、諸城主に命じ、慎んで出て戦わず、城壁を堅くして固く守らせた。

10十年 — 金文蔚が冊命使となって帰る

十年,春正月,以波珍飡金成爲上大等。三月,前入唐及第金文蔚,官至工部員外郞沂王府諮議叅軍,充冊命使而還。自夏四月至五月,不雨。

十年春正月、波珍飡の金成を上大等とした。

三月、さきに唐に入って及第した金文蔚は、官が工部員外郎・沂王府諮議参軍に至っていたが、冊命使となって帰ってきた。

夏四月から五月まで雨が降らなかった。

11十一年 — 一善郡の南を甄萱に取られる

十一年,春夏無雨。一善郡以南十餘城,盡爲甄萱所取。

十一年、春と夏に雨が降らなかった。一善郡より南の十余の城はすべて甄萱に取られた。

12十二年 — 雹が降る

十二年,春二月,星孛于東。三月,隕霜。夏四月,雨雹。

十二年春二月、東に彗星が現れた。三月、霜が降りた。夏四月、雹が降った。

13十三年 — 弓裔が珍島郡を降す

十三年,夏六月,弓裔命將領兵舡,降珍島郡,又破皐夷島城。

十三年夏六月、弓裔が将に命じて兵船を率いさせ、珍島郡を降し、また皐夷島城を破った。

14十四年 — 甄萱が羅州城を囲む

十四年,甄萱躬率步騎三千,圍羅州城,經旬不解。弓裔發水軍,襲擊之,萱引軍而退。

十四年、甄萱が自ら歩兵と騎兵三千を率いて羅州城を囲み、十日を経ても解かなかった。弓裔が水軍を出して襲い撃つと、萱は軍を率いて退いた。

15十五年 — 弓裔が国号を泰封とする

十五年,春正月丙戌朔,日有食之。王嬖於賤妾,不恤政事。大臣殷影諫,不從,影執其妾,殺之。弓裔改國號泰封,年號水德萬歲。

十五年春正月丙戌の朔に日食があった。

王が身分の低い妾を寵愛して政事を顧みなかったので、大臣の殷影が諫めたが従わず、影はその妾を捕らえて殺した。

弓裔は国号を泰封に、年号を水徳万歳に改めた。

16十六年 — 孝恭王が亡くなる

十六年,夏四月,王薨。諡曰孝恭,葬于師子寺北。

十六年夏四月、王が薨じた。諡を孝恭といい、師子寺の北に葬った。