東明王
1金蛙が生まれる
始祖東明聖王,姓高氏,諱朱蒙。先是,扶餘王解夫婁老無子,祭山川求嗣。其所御馬至鯤淵,見大石,相對流涙。王怪之,使人轉其石,有小兒,金色蛙形。王喜曰:「此乃天賚我令胤乎!」乃收而養之。名曰金蛙。及其長,立
始祖東明聖王は姓が高氏、諱は朱蒙である。
これより先、扶余王の解夫婁は老いるまで子がなく、山川に祭りを行って跡継ぎを求めた。その乗る馬が鯤淵に至り、大きな石を見て向かい合って涙を流した。王は怪しんで人にその石を転がさせると、幼い子がいて、金色で蛙の形をしていた。王は喜んで言った。「これこそ天がわたしに立派な子を賜ったのだ。」そこで引き取って養い、名を金蛙とした。成長すると、立てて
夾注 2
一云鄒牟;一云衆解。
鄒牟ともいい、衆解ともいう。
蛙,一作蝸。
蛙は蝸とも書く。
2柳花が卵を生む
爲太子。後其相阿蘭弗曰:「日者,天降我曰:『將使吾子孫立國於此,汝其避之。東海之濱有地,號曰迦葉原,土壤膏腴宜五穀,可都也』」。阿蘭弗遂勸王,移都於彼,國號東扶餘。其舊都有人,不知所從來,自稱天帝子解慕漱,來都焉。及解夫婁薨,金蛙嗣位。於是時,得女子於太白山南優渤水,問之,曰:「我是河伯之女,名柳花。與諸弟出遊時,有一男子,自言天帝子解慕漱,誘我於熊心山下鴨邊室中,私之。即往不返,父母責我無媒而從人,遂謫居優渤水。金蛙異之,幽閉於室中。爲日所炤,引身避之,日影又逐而炤之。因而有孕,生一卵,大如五升許。王棄之與犬豕,皆不食。又棄之路中,牛馬避之。後棄之野,鳥覆翼之。王欲剖之,不能破,遂還其母。其母以物裹之,置於暖處,有一男兒,破殼而出,骨表英奇。
太子とした。
後にその相の阿蘭弗が言った。「先日、天がわたしに降って言いました。『まさにわが子孫にここで国を立てさせよう。お前はここを避けよ。東海の浜に地があり、迦葉原という。土が肥えて五穀に適しているので、都とするのがよい。』」阿蘭弗はついに王に勧め、そちらに都を移し、国号を東扶余とした。
その旧都に人がいて、どこから来たのかわからないが、自ら天帝の子である解慕漱と称して来て都とした。解夫婁が薨じると、金蛙が位を継いだ。
このとき、太白山の南の優渤水で女を得て尋ねると、こう言った。「わたしは河伯の娘で、名は柳花です。妹たちと出て遊んでいたとき、一人の男がいて、自ら天帝の子の解慕漱といい、わたしを熊心山の下、鴨緑江のほとりの室に誘って通じ、そのまま行って帰りませんでした。父母はわたしが仲立ちもなく人に従ったといって責め、ついに優渤水に流して住まわせました。」
金蛙はこれを不思議に思い、室の中に閉じこめた。日の光が射したので身を引いて避けると、日の影がまた追って射した。これによって身ごもり、卵一つを生んだが、大きさは五升ばかりであった。王はこれを捨てて犬や豚に与えたが、どれも食べなかった。また道の中に捨てたが、牛も馬も避けた。後に野に捨てると、鳥が翼で覆った。王は割ろうとしたが破ることができず、ついにその母に返した。その母が物で包んで暖かい所に置くと、一人の男の子が殻を破って出てきたが、骨柄も姿も優れて並はずれていた。
3朱蒙が魚と鼈の橋を渡る
年甫七歲,嶷然異常,自作弓矢,射之,百發百中。扶餘俗語,善射爲朱蒙,故以名云。金蛙有七子,常與朱蒙遊戯,其伎能皆不及朱蒙。其長子帶素言於王曰:「朱蒙非人所生,其為人也勇,若不早圖,恐有後患,請除之。」王不聽,使之養馬。朱蒙知其駿者,而減食令瘦,駑者,善養令肥。王以肥者自乘,瘦者給朱蒙。後,獵于野,以朱蒙善射,與其矢小而朱蒙殪獸甚多。王子及諸臣又謀殺之。朱蒙母陰知之,告曰:「國人將害汝。以汝才略,何往而不可?與其遲留而受辱,不若遠適以有為。」朱蒙乃與鳥伊烏伊、摩離、陜父等三人為友,行至淹淲水,欲渡無梁,恐爲追兵所迫,告水曰:「我是天帝子,河伯外甥。今日逃走,追者垂及如何?」於是,魚鼈浮出成橋,朱蒙得渡,魚鼈乃解,追騎不得渡。
年はわずか七つで並みはずれて優れ、自ら弓矢を作って射ると、百発百中であった。扶余の俗語で弓を上手に射る者を朱蒙というので、それで名づけたという。
金蛙には七人の子がいて、常に朱蒙とともに遊んだが、その技はみな朱蒙に及ばなかった。その長子の帯素が王に言った。「朱蒙は人の生んだ者ではなく、その人柄は勇ましい。もし早く図らなければ、後の患いがあるのが恐ろしい。除くことをお願いします。」王は聞き入れず、朱蒙に馬を飼わせた。
朱蒙はその中の駿馬を見分けて餌を減らして痩せさせ、鈍い馬はよく飼って肥えさせた。王は肥えたものを自ら乗り、痩せたものを朱蒙に与えた。後に野で狩りをしたとき、朱蒙は弓が上手だというので矢を少なく与えたが、朱蒙が倒した獣は非常に多かった。
王子と諸臣はまた殺すことを謀った。朱蒙の母はひそかにこれを知って告げた。「国の人がまさにお前を害しようとしている。お前の才と略をもってすれば、どこへ行ってもできないことはない。ためらってとどまって辱めを受けるより、遠くへ行って事をなすほうがよい。」
朱蒙はそこで烏伊・摩離・陜父ら三人と友となり、行って淹淲水に至ったが、渡ろうとしても橋がなく、追う兵に迫られるのを恐れて水に告げた。「わたしは天帝の子、河伯の外孫である。今日逃げるのに追う者がまさに及ばんとしている。どうすればよいか。」
そこで魚と鼈が浮かび出て橋となり、朱蒙は渡ることができた。魚と鼈はすぐに散ったので、追う騎兵は渡れなかった。
夾注 1
一名盖斯水,在今鴨綠東北。
一名を盖斯水といい、今の鴨緑江の東北にある。
4卒本に都して高句麗と号する
朱蒙行至毛屯谷,遇三人:其一人着麻衣,一人着衲衣,一人着水藻衣。朱蒙問曰:朱蒙問曰:「子等何許人也,何姓何名乎?」麻衣者曰:「名再思」,衲衣者曰:「名武骨」,水藻衣者曰:「名默居」,而不言姓。朱蒙賜再思姓克氏;武骨仲室氏;默居少室氏。乃告於衆曰:「我方承景命,欲啓元基,而適遇此三賢,豈非天賜乎?」遂揆其能,各任以事,與之倶至卒本川。觀其土壤肥美,山河險固,遂欲都焉。而未遑作宮室,但結廬於沸流水上,居之。國號高句麗,因以高爲氏。時,朱蒙年二十二歲,是漢孝元帝建昭二年,新羅始祖赫居世二十一年甲申歲也。
朱蒙は行って毛屯谷に至り、三人に出会った。一人は麻の衣を着、一人は継ぎ接ぎの衣を着、一人は水草の衣を着ていた。
朱蒙が尋ねた。「あなた方はどのような人か。姓は何で、名は何か。」麻の衣の者が言った。「名は再思です。」継ぎ接ぎの衣の者が言った。「名は武骨です。」水草の衣の者が言った。「名は默居です。」しかし姓は言わなかった。
朱蒙は再思に克氏、武骨に仲室氏、默居に少室氏の姓を賜った。そして衆に告げて言った。「わたしはまさに大いなる命を受けて元の基を開こうとしているが、ちょうどこの三人の賢者に出会った。どうして天の賜りものでないことがあろうか。」
ついにその能を量ってそれぞれに事を任せ、ともに卒本川に至った。その土が肥えて美しく、山と河が険しく堅いのを見て、ついにここに都そうとした。しかし宮室を作る暇がなかったので、ただ沸流水のほとりに庵を結んで住んだ。国号を高句麗とし、これによって高を姓とした。
そのとき朱蒙は二十二歳で、漢の孝元帝の建昭二年、新羅始祖赫居世の二十一年甲申の年である。
夾注 3
《魏書》云:「至普述水。」
『魏書』には「普述水に至った」とある。
《魏書》云:「至紇升骨城。」
『魏書』には「紇升骨城に至った」とある。
一云:朱蒙至卒本扶餘,王無子,見朱蒙知非常人,以其女妻之,王薨,朱蒙嗣位。
一説に、朱蒙が卒本扶余に至ったところ、王に子がなく、朱蒙を見て並みの人でないと知ってその娘を妻として与え、王が薨じると朱蒙が位を継いだ、ともいう。
5松譲と技を比べる
四方聞之,來附者衆。其地連靺鞨部落,恐侵盜為害,遂攘斥之,靺鞨畏服,不敢犯焉。王見沸流水中,有菜葉逐流下,知有人在上流者。因以獵往尋,至沸流國。其國王松讓出見曰:「寡人僻在海隅,未嘗得見君子,今日邂逅相遇,不亦幸乎!然不識吾子自何而來。」答曰:「我是天帝子,來都於某所。」松讓曰:「我累世為王,地小不足容兩主,君立都日淺,為我附庸,可乎?」王忿其言,因與之鬪辯,亦相射以校藝,松讓不能抗。
四方でこれを聞き、来て付き従う者が多かった。その地は靺鞨の村落に連なっていて、侵しや盗みの害があるのを恐れ、ついに退けて追い払うと、靺鞨は畏れ服して、あえて犯さなかった。
王は沸流水の中に菜の葉が流れ下ってくるのを見て、上流に人がいることを知った。これによって狩りをしながら尋ね行き、沸流国に至った。その国の王の松譲が出て会って言った。「寡人は海の隅に偏って住み、かつて君子に会うことがなかった。今日思いがけず互いに出会ったのは、また幸いではないか。しかし、あなたがどこから来たのかはわからない。」
答えた。「わたしは天帝の子で、某所に来て都している。」
松譲が言った。「わたしは代々王となってきたが、地が狭くて二人の主を容れるには足りない。あなたが都を立てた日は浅い。わたしの属国となるのがよいのではないか。」
王はその言葉に怒り、これによって彼と争い論じ、また互いに弓を射て技を比べると、松譲は抗することができなかった。
6二年 — 多勿都を置く
二年,夏六月,松讓以國來降,以其地為多勿都,封松讓為主。麗語謂復舊土為「多勿」,故以名焉。
二年夏六月、松譲が国を挙げて来て降ったので、その地を多勿都とし、松譲を封じて主とした。高句麗の言葉で旧い土地を取り戻すことを「多勿」というので、それで名づけた。
7三年 — 城郭と宮室を造る
三年,春三月,黃龍見於鶻嶺。秋七月,慶雲見鶻嶺南南,其色靑赤。四年,夏四月,雲霧四起,人不辨色七日。秋七月,營作城郭宮室。
三年春三月、黄色い竜が鶻嶺に現れた。秋七月、めでたい雲が鶻嶺の南に現れたが、その色は青く赤かった。
四年夏四月、雲と霧が四方から起こり、七日間、人は色を見分けられなかった。秋七月、城郭と宮室を造った。
8六年 — 荇人国を伐つ
六年,秋八月,神雀集宮庭。冬十月,王命烏伊、扶芬奴,伐太白山東南荇人國,取其地,為城邑。
六年秋八月、霊しい雀が宮の庭に集まった。冬十月、王は烏伊と扶芬奴に命じて太白山の東南の荇人国を伐ち、その地を取って城邑とした。
9十一年 — 北沃沮を滅ぼす
十一年,秋九月,鸞集於王臺。冬十一月,王命扶尉猒伐北沃沮,滅之。以其地爲城邑。
十一年秋九月、鸞が王台に集まった。冬十一月、王は扶尉猒に命じて北沃沮を伐って滅ぼし、その地を城邑とした。
10十四年 — 東明王が世を去る
十四年,秋八月,王母柳花薨於東扶餘。其王金蛙以太后禮,葬之,遂立神廟。冬十月,遣使扶餘饋方物,以報其德。十九年,夏四月,王子類利自扶餘與其母逃歸。王喜之,立為太子。秋九月,王升遐,時年四十歲。葬龍山,號東明聖王。
十四年秋八月、王の母の柳花が東扶余で薨じた。その王の金蛙は太后の礼で葬り、ついで神廟を立てた。冬十月、使者を扶余に遣わしてその地の産物を贈り、その徳に報いた。
十九年夏四月、王子の類利が扶余からその母とともに逃げ帰ったので、王は喜んで立てて太子とした。
秋九月、王が世を去った。そのとき年は四十であった。竜山に葬り、東明聖王と号した。