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長寿王長壽王

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 43 · 漢字 1,676字 · 朗読 6.7分

三国史記(三国時代の正史) 高句麗本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1長寿王が即位する

長壽王,諱巨連,開土王之元子也。體貌魁傑,志氣豪邁。開土王十八年,立為太子。二十二年,王薨,卽位。

長寿王は諱を巨連といい、広開土王の長子である。体も容貌も大きくすぐれ、志も気も豪快であった。広開土王の十八年に立てられて太子となり、二十二年に王が亡くなると即位した。

夾注 1

一作璉。

璉とも書く。

2元年 — 晋に表を奉る

元年,遣長史高翼,入晉奉表,獻赭白馬。安帝封王高句麗王楽浪郡公

元年、長史の高翼を遣わして晋に入り、表を奉り、赭白の馬を献じた。安帝は王を封じて高句麗王・楽浪郡公とした。

3二年 — 蛇川の原で白い獐を得る

二年,秋八月,異鳥集王宮。冬十月,王畋于蛇川之原,獲白獐。十二月,王都,雪五尺。

二年秋八月、珍しい鳥が王宮に集まった。冬十月、王は蛇川の原で狩りをし、白い獐を得た。十二月、王都に雪が五尺降った。

4七年 — 国の東に大水が出る

七年,夏五月,國東大水,王遣使存問。

七年夏五月、国の東に大水が出たので、王は使いを遣わして見舞った。

5十二年 — 新羅の使いを厚くねぎらう

十二年,春二月,新羅遣使修聘,王勞慰之特厚。秋九月,大有年,王宴群臣於宮。

十二年春二月、新羅が使いを遣わして聘問したので、王はこれをねぎらうことを特に厚くした。秋九月、大いに豊年となったので、王は宮で群臣に宴を開いた。

6十三年 — 魏に朝貢する

十三年,遣使如魏貢。

十三年、使いを魏に遣わして朝貢した。

7十五年 — 平壌に都を移す

十五年,移都平壤。

十五年、平壌に都を移した。

8二十三年 — 魏が王を册封する

二十三年,夏六月,王遣使入魏朝貢,且請國諱。世祖嘉其誠款,使錄帝系及諱以與之。遣員外散騎侍郞李敖,拜王為都督遼海諸軍事征東將軍領護東夷中郞將遼東郡開國公高句麗王。秋,王遣使入魏謝恩。魏人數伐燕,燕日危蹙。燕王馮弘曰:「若事急,且東依高句麗,以圖後擧。」密遣尚書陽伊,請迎於我。

二十三年夏六月、王は使いを遣わして魏に入って朝貢し、あわせて国の諱を尋ねた。世祖はその誠意を嘉し、帝の系譜と諱を記して与えさせた。そして員外散騎侍郎の李敖を遣わし、王を都督遼海諸軍事・征東将軍・領護東夷中郎将・遼東郡開国公・高句麗王とした。

秋、王は使いを遣わして魏に入り、恩を謝した。

魏人がたびたび燕を伐ったので、燕は日ごとに危うく縮まった。燕王の馮弘は言った。「もし事が急になれば、まずは東に高句麗を頼り、のちの挙を図ろう。」そしてひそかに尚書の陽伊を遣わし、高句麗に迎えてくれるよう請うた。

9二十四年 — 燕王を迎え入れる

二十四年,燕王遣使入貢于魏,請送侍子。魏主不許,將擧兵討之,遣使來告諭。夏四月,魏攻燕白狼城,克之。王遣將葛盧、孟光,將衆數萬,隨陽伊至和龍,迎燕王。葛盧、孟光入城,命軍脫弊褐,取燕武庫精仗,以給之,大掠城中。五月,燕王率龍城見戶東徙,焚宮殿,火一旬不滅。令婦人被甲居中,陽伊等勒精兵居外,葛盧、孟光帥騎殿後,方軌而進,前後八十餘里。魏主聞之,遣散騎常侍封撥來,令送燕王。王遣使入魏奉表,稱當與馮弘,俱奉王化。魏主以王違詔,議擊之,將發隴右騎卒,劉絜、樂平、王丕等諫之,乃止。

二十四年、燕王は使いを遣わして魏に貢し、侍子を送ることを請うた。魏の主はこれを許さず、兵を挙げて討とうとして、使いを遣わして高句麗に告げ諭した。

夏四月、魏が燕の白狼城を攻めてこれに勝った。王は将の葛盧と孟光を遣わし、衆数万を率いて陽伊に従って和龍に至り、燕王を迎えさせた。葛盧と孟光は城に入り、軍に命じて破れた褐を脱がせ、燕の武庫の精良な武具を取って与え、城中を大いに掠めた。

五月、燕王は龍城に残る戸を率いて東に移り、宮殿を焼いたが、火は十日たっても消えなかった。婦人に甲を着せて中に置き、陽伊らが精兵を率いて外に居り、葛盧と孟光が騎兵を率いて後ろを受け持ち、車を並べて進んだので、前後は八十余里に及んだ。

魏の主はこれを聞き、散騎常侍の封撥を遣わして、燕王を送るよう命じた。王は使いを遣わして魏に入って表を奉り、馮弘とともに王の教化を奉ずるつもりだと称した。魏の主は王が詔に違ったとして、これを撃つことを議り、隴右の騎卒を出そうとしたが、劉絜・楽平王丕らが諫めたので、やめた。

10二十五年 — 魏に朝貢する

二十五年,春二月,遣使入魏朝貢。

二十五年春二月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

11二十六年 — 馮弘を殺す

二十六年,春三月,初,燕王弘至遼東。王遣使勞之曰:「龍城王馮君,爰適野次,士馬勞乎!」弘慙怒,稱制讓之。王處之平郭,尋徙北豊。弘素侮我,政刑賞罰,猶如其國。王乃奪其侍人,取其太子王仁為質。弘怨之,遣使如宋,上表求迎。宋太祖遣使者王白駒等迎之,幷令我資送。王不欲使弘南來,遣將孫漱、高仇等,殺弘于北豊,幷其子孫十餘人。白駒等帥所領七千餘人,掩討漱、仇,殺仇,生擒漱。王以白駒等專殺,遣使執送之。太祖以遠國,不欲違其意,下白駒等獄,已而原之。

二十六年春三月。はじめ燕王の弘が遼東に至ると、王は使いを遣わしてねぎらって言った。「龍城王馮君が、こうして野に出て宿られるとは、兵も馬もお疲れでしょう。」

弘は恥じ怒り、帝の制をもって彼を責めた。王は彼を平郭に置き、やがて北豊に移した。弘はもとより高句麗を侮り、政と刑と賞罰を、なお自分の国でのように行った。そこで王はその侍人を奪い、その太子の王仁を取って質とした。

弘はこれを怨み、使いを宋に遣わして表を上り、迎えてくれるよう求めた。宋の太祖は使者の王白駒らを遣わして迎えさせ、あわせて高句麗に送りの費えを出すよう命じた。王は弘を南に行かせたくなかったので、将の孫漱と高仇らを遣わし、弘を北豊で殺し、その子孫十余人もあわせて殺した。

白駒らは率いていた七千余人で漱と仇を不意に討ち、仇を殺し、漱を生け捕りにした。王は白駒らが勝手に殺したとして、使いを遣わして捕らえ送った。太祖は遠い国のことであり、その意に違いたくなかったので、白駒らを獄に下したが、やがて赦した。

12二十七年 — 魏に朝貢する

二十七年,冬十一月,遣使入魏朝貢。十二月,遣使入魏朝貢。

二十七年冬十一月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。十二月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

13三十八年 — 新羅が辺りの将を殺す

三十八年,新羅人襲殺邊將。王怒,將擧兵討之,羅王遣使謝罪,乃止。

三十八年、新羅の人が辺りの将を襲って殺した。王は怒り、兵を挙げて討とうとしたが、新羅王が使いを遣わして罪を謝したので、やめた。

14四十二年 — 新羅の北の境を侵す

四十二年,秋七月,遣兵侵新羅北邊。

四十二年秋七月、兵を遣わして新羅の北の境を侵した。

15四十三年 — 宋に朝貢する

四十三年,遣使入宋朝貢。

四十三年、使いを遣わして宋に入り、朝貢した。

16五十年 — 魏に朝貢する

五十年,春三月,遣使入魏朝貢。

五十年春三月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

17五十一年 — 宋が車騎大将軍とする

五十一年,宋世祖孝武皇帝策王為車騎大將軍開府儀同三司。

五十一年、宋の世祖孝武皇帝が王を策して車騎大将軍・開府儀同三司とした。

18五十三年 — 魏に朝貢する

五十三二年,春二月,遣使入魏朝貢。

五十三年春二月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

19五十四年 — 魏の婚姻の求めを退ける

五十四年,春三月,遣使入魏朝貢。魏文明太后,以顯祖六宮未備,敎王令薦其女。王奉表云:「女已出嫁。」求以弟女應之,許焉,乃遣安樂王眞、尚書李敷等,至境送幣。或勸王曰:「魏昔與燕婚姻,旣而伐之,由行人具知其夷險故也。殷鑑不遠,宜以方便辭之。」王遂上書,稱女死。魏疑其矯詐,又遣假散騎常侍程駿,切責之:「若女審死者,聽更選宗淑。」王云:「若天子恕其前愆,謹當奉詔。」會,顯祖崩,乃止。

五十四年春三月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

魏の文明太后は、顕祖の六宮が備わっていないとして、王にその娘を薦めるよう告げた。王は表を奉って「娘はすでに嫁ぎました」と言い、弟の娘をもってこれに応じたいと求めたので、許された。そこで安楽王の真と尚書の李敷らを遣わし、境まで至って幣を送った。

ある者が王に勧めて言った。「魏は昔、燕と婚姻を結びながら、やがてこれを伐ちました。使者がその険しさ平らさをすべて知ってしまったからです。殷の鑑は遠くありません。方便をもってお断りになるのがよろしい。」

王はついに書を上り、娘が死んだと称した。魏はその偽りを疑い、また仮散騎常侍の程駿を遣わして、厳しく責めた。「もし娘がまことに死んだのであれば、あらためて宗室の淑やかな者を選ぶことを聴き入れる。」

王は言った。「もし天子が先の過ちを赦してくださるなら、謹んで詔を奉じます。」ちょうど顕祖が崩じたので、この話はやんだ。

20五十五年 — 魏に朝貢する

五十五年,春二月,遣使入魏朝貢。

五十五年春二月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

21五十六年 — 新羅の悉直州城を取る

五十六年,春二月,王以靺鞨兵一萬,攻取新羅悉直州城。夏四月,遣使入魏朝貢。

五十六年春二月、王は靺鞨の兵一万で新羅の悉直州城を攻め取った。夏四月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

22五十七年 — 百済が南の辺りを侵す

五十七年,春二月,遣使入魏朝貢。秋八月,百濟兵侵入南鄙。

五十七年春二月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。秋八月、百済の兵が南の辺りに侵入した。

23五十八年 — 魏に朝貢する

五十八年,春二月,遣使入魏朝貢。

五十八年春二月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

24五十九年 — 民の奴久らが魏に降る

五十九年,秋九月,民奴久等奔降於魏,各賜田宅。是魏高祖延興元年也。

五十九年秋九月、民の奴久らが逃げて魏に降ったので、それぞれに田と宅を賜った。これが魏の高祖の延興元年である。

25六十年 — 貢ぎ物が前の倍になる

六十年,春二月,遣使入魏朝貢。秋七月,遣使入魏朝貢。自此已後,貢獻倍前,其報賜,亦稍加焉。

六十年春二月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。秋七月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。これより後は貢ぎ物が前の倍になり、その返しに賜るものもまた次第に加わった。

26六十一年 — 魏に朝貢する

六十一年,春二月,遣使入魏朝貢。秋八月,遣使入魏朝貢。

六十一年春二月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。秋八月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

27六十二年 — 魏と宋に朝貢する

六十二年,春三月,遣使入魏朝貢。秋七月,遣使入魏朝貢。遣使入宋朝貢。

六十二年春三月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。秋七月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。また使いを遣わして宋に入り、朝貢した。

28六十三年 — 漢城を陥れ蓋鹵王を殺す

六十三年,春二月,遣使入魏朝貢。秋八月,遣使入魏朝貢。九月,王帥兵三萬,侵百濟,陷王所都漢城,殺其王扶餘慶,虜男女八千而歸。

六十三年春二月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。秋八月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

九月、王は兵三万を率いて百済を侵し、王の都である漢城を陥れ、その王の扶余慶を殺し、男女八千を捕らえて帰った。

29六十四年 — 魏に三度朝貢する

六十四年,春二月,遣使入魏朝貢。秋七月,遣使入魏朝貢。九月,遣使入魏朝貢。

六十四年春二月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。秋七月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。九月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

30六十五年 — 魏に朝貢する

六十五年,春二月,遣使入魏朝貢。秋九月,遣使入魏朝貢。

六十五年春二月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。秋九月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

31六十六年 — 百済の燕信が身を寄せて来る

六十六年,遣使入宋朝貢。百濟燕信來投。

六十六年、使いを遣わして宋に入り、朝貢した。百済の燕信が来て身を寄せた。

32六十七年 — 魏に朝貢する

六十七年,春三月,遣使入魏朝貢。秋九月,遣使入魏朝貢。

六十七年春三月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。秋九月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

33六十八年 — 魏が南斉と交わったことを責める

六十八年,夏四月,南齊太祖蕭道成,策王為驃騎大將軍。王遣使餘奴等,朝聘南齊,魏光州人,於海中得餘奴等,送闕。魏高祖詔責王曰:「道成親弑其君,竊號江左。朕方欲興滅國於舊邦,繼絶世於劉氏,而卿越境外交,遠通簒賊,豈是藩臣守節之義?今不以一過掩卿舊款,卽送還藩,其感恩思愆,祗承明憲,輯寧所部,動靜以聞。」

六十八年夏四月、南斉の太祖蕭道成が王を策して驃騎大将軍とした。王は使いの余奴らを遣わして南斉に朝聘させたが、魏の光州の人が海の中で余奴らを捕らえ、闕に送った。

魏の高祖は詔して王を責めた。「道成は自らその君を弑し、江左で号を盗んだ。朕はまさに滅びた国を旧邦に興し、絶えた世を劉氏に継がせようとしているのに、卿は境を越えて外と交わり、遠く篡奪の賊に通じている。どうしてこれが藩臣の節を守る義であろうか。いまは一度の過ちで卿の旧い誠意を覆うことはせず、ただちに藩に送り返す。恩に感じ過ちを思い、明らかな憲をつつしんで承り、治める所を和らげ安んじ、動静を報せよ。」

34六十九年 — 南斉に朝貢する

六十九年,遣使南齊朝貢。

六十九年、使いを遣わして南斉に朝貢した。

35七十二年 — 魏が高句麗の使いを第二に置く

七十二年,冬十月,遣使入魏朝貢。時,魏人謂我方强,置諸國使邸,齊使第一,我使者次之。

七十二年冬十月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。そのとき魏人は高句麗がまさに強いとして、諸国の使いの邸を置くにあたり、斉の使いを第一とし、高句麗の使者をその次とした。

36七十三年 — 魏に朝貢する

七十三年,夏五月,遣使入魏朝貢。冬十月,遣使入魏朝貢。

七十三年夏五月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。冬十月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

37七十四年 — 魏に朝貢する

七十四年,夏四月,遣使入魏朝貢。

七十四年夏四月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

38七十五年 — 魏に朝貢する

七十五年,夏五月,遣使入魏朝貢。

七十五年夏五月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

39七十六年 — 魏に三度朝貢する

七十六年,春二月,遣使入魏朝貢。夏四月,遣使入魏朝貢。秋閏八月,遣使入魏朝貢。

七十六年春二月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。夏四月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。秋の閏八月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

40七十七年 — 新羅の狐山城を陥れる

七十七年,春二月,遣使入魏朝貢。夏六月,遣使入魏朝貢。秋九月,遣兵侵新羅北邊,陷狐山城。冬十月,遣使入魏朝貢。

七十七年春二月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。夏六月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。秋九月、兵を遣わして新羅の北の境を侵し、狐山城を陥れた。冬十月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

41七十八年 — 魏に朝貢する

七十八年,秋七月,遣使入魏朝貢。九月,遣使入魏朝貢。

七十八年秋七月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。九月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

42七十九年 — 長寿王が亡くなる

七十九年,夏五月,遣使入魏朝貢。秋九月,遣使入魏朝貢。冬十二月,王薨。年九十八歲,號長壽王。魏孝文聞之,制素委貌、布深衣,擧哀於東郊。遣謁者僕射李安上,策贈車騎大將軍太傅遼東郡開國公高句麗王,諡曰康。

七十九年夏五月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。秋九月、使いを遣わして魏に入り、朝貢した。

冬十二月、王が亡くなった。年は九十八歳で、長寿王と号した。魏の孝文帝はこれを聞き、白い委貌の冠と布の深衣を仕立てて着け、東の郊で哀しみの礼を行った。そして謁者僕射の李安上を遣わし、車騎大将軍・太傅・遼東郡開国公・高句麗王を策して追贈し、諡を康とした。

43三国史記 巻第十八

三國史記卷第十八

三国史記 巻第十八。