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安藏王

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 8 · 漢字 253字 · 朗読 1.0分

三国史記(三国時代の正史) 高句麗本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1安藏王が即位する

安藏王,諱興安,文咨明王之長子。文咨在位七年,立為太子。二十八年,王薨,太子卽位。

安藏王は名を興安といい、文咨明王の長子である。文咨明王の在位七年に立てられて太子となり、二十八年に王が亡くなったので太子が即位した。

2二年 — 魏の兵が梁の使者を捕らえる

二年,春正月,遣使入梁朝貢。二月,梁高祖封王為寧東將軍都督營、平二州諸軍事高句麗王,遣使者江法盛,賜王衣冠劒佩,魏兵就海中執之,送洛陽。魏封王為安東將軍領護東夷校尉遼東郡開國公高句麗王。秋九月,入梁朝貢。

二年春正月、使者を遣わして梁に入り朝貢した。

二月、梁の高祖が王を封じて寧東将軍・都督営平二州諸軍事・高句麗王とし、使者の江法盛を遣わして王に衣冠と剣と佩玉を賜ったが、魏の兵が海の中でこれを捕らえ、洛陽へ送った。魏は王を封じて安東将軍・領護東夷校尉・遼東郡開国公・高句麗王とした。

秋九月、梁に入り朝貢した。

3三年 — 卒本で始祖の廟に祀る

三年,夏四月,王幸卒本,祀始祖廟。五月,王至自卒本,所經州邑貧乏者,賜穀三斛。

三年夏四月、王は卒本に行き、始祖の廟に祀った。五月、王が卒本から帰る途中、通り過ぎた州や邑の貧しい者に穀三斛を賜った。

4五年 — 倉を開いて救う

五年春,旱。秋八月,遣兵侵百濟。冬十月,饑,發倉賑救。十一月,遣使如魏,進良馬十匹。

五年春、旱であった。秋八月、兵を遣わして百済を侵した。冬十月、飢えたので倉を開いて賑わし救った。十一月、使者を魏に遣わし、良馬十匹を進めた。

5八年 — 梁に朝貢する

八年,春三月,遣使入梁朝貢。

八年春三月、使者を遣わして梁に入り朝貢した。

6九年 — 梁に朝貢する

九年,冬十一月,遣使如梁朝貢。

九年冬十一月、使者を遣わして梁に行き朝貢した。

7十一年 — 五谷で百済に勝つ

十一年,春三月,王畋於黄城之東。冬十月,王與百濟戰於五谷,克之,殺獲二千餘級。

十一年春三月、王は黄城の東で狩りをした。冬十月、王は百済と五谷で戦ってこれに勝ち、二千余級を殺し捕らえた。

8十三年 — 安藏王が亡くなる

十三年,夏五月,王薨,號爲安藏王。

十三年夏五月、王が亡くなった。安藏王と号した。

夾注 1

是梁中大通三年,魏普泰元年也。《梁書》云:「安藏王在位第八年,普通七年卒。」誤也。

このときが梁の中大通三年、魏の普泰元年である。『梁書』に「安藏王は在位第八年、普通七年に卒した」とあるのは誤りである。