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多婁王

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 20 · 漢字 497字 · 朗読 2.0分

三国史記(三国時代の正史) 百済本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1多婁王が即位する

多婁王,溫祚王之元子。器宇寬厚,有威望。溫祚王在位第二十八年,立為太子,至四十六年,王薨,繼位。

多婁王は温祚王の長子である。器量が広くて厚く、威厳と人望があった。温祚王の在位二十八年に立てられて太子となり、四十六年に至って王が亡くなると位を継いだ。

2二年 — 南壇で天地を祭る

二年,春正月,王謁始祖東明廟。二月,王祀天地於南壇。

二年、春正月に、王は始祖東明の廟に参拝した。二月に、王は南壇で天地を祭った。

3三年 — 屹于が靺鞨を破る

三年,冬十月,東部屹于,與靺鞨戰於馬首山西,克之,殺獲甚衆。王喜,賞屹于馬十匹、租五百石。

三年、冬十月に、東部の屹于が靺鞨と馬首山の西で戦ってこれを破り、討ち取った者と捕らえた者がきわめて多かった。王は喜んで、屹于に馬十匹と租五百石を賞として与えた。

4四年 — 昆優が靺鞨を大いに破る

四年,秋八月,高木城昆優,與靺鞨戰,大克,斬首二百餘級。九月,王田於橫岳下,連中雙鹿,衆人歎美之。

四年、秋八月に、高木城の昆優が靺鞨と戦って大いに破り、二百余りの首を斬った。九月に、王が横岳の下で狩りをし、二頭の鹿を続けて射当てたので、人々は感嘆して称えた。

5六年 — 南の州郡にはじめて水田を作る

六年,春正月,立元子己婁為太子。大赦。二月,下令國南州郡,始作稻田。

六年、春正月に、長子の己婁を立てて太子とし、大赦を行った。二月に、国の南の州郡に令を下して、はじめて水田を作らせた。

6七年 — 馬首城が落ちる

七年,春二月,右輔解婁卒,年九十歲。以東部屹于為右輔。夏四月,東方有赤氣。秋九月,靺鞨攻陷馬首城,放火,燒百姓廬屋。冬十月,又襲甁山柵。

七年、春二月に、右輔の解婁が亡くなった。年は九十であった。東部の屹于を右輔とした。夏四月に、東の方に赤い気があった。秋九月に、靺鞨が馬首城を攻め落とし、火を放って民の小屋を焼いた。冬十月に、また甁山の柵を襲った。

7十年 — 屹于を左輔とする

十年,冬十月,右輔屹于為左輔,北部眞會為右輔。十一月,地震聲如雷。

十年、冬十月に、右輔の屹于を左輔とし、北部の眞會を右輔とした。十一月に、地が震えてその音が雷のようであった。

8十一年 — 私に酒を醸すことを禁じる

十一年,秋,穀不成,禁百姓私釀酒。冬十月,王巡撫東西兩部,貧不能自存者,給穀人二石。

十一年、秋に、穀物が実らなかったので、民が私に酒を醸すことを禁じた。冬十月に、王は東部と西部の二部を巡って慰め、貧しくて自ら暮らしていけない者には一人につき穀物二石を与えた。

9二十一年 — 屹于が亡くなる

二十一年,春二月,宮中太槐樹自枯。三月,左輔屹于卒,王哭之哀。

二十一年、春二月に、宮中の大きな槐の木がおのずから枯れた。三月に、左輔の屹于が亡くなり、王は哀しんで哭した。

10二十八年 — 囚人を調べる

二十八年,春夏旱。慮囚,赦死罪。秋八月,靺鞨侵北鄙。

二十八年、春と夏に旱があった。囚人を調べ、死罪を赦した。秋八月に、靺鞨が北の辺りを侵した。

11二十九年 — 牛谷城を築く

二十九年,春二月,王命東部,築牛谷城,以備靺鞨。

二十九年、春二月に、王は東部に命じて牛谷城を築かせ、靺鞨に備えさせた。

12三十六年 — 新羅に会見を請う

三十六年,冬十月,王拓地至娘子谷城。仍遣使新羅請會,不從。

三十六年、冬十月に、王は地を広げて娘子谷城に至った。そのまま使者を新羅に遣わして会見を請うたが、従わなかった。

13三十七年 — 狗壤城を攻める

三十七年,秋八月王遣兵攻新羅蛙山城,不克,冬十月,移兵攻狗壤城。新羅發騎兵二千,逆擊走之。

三十七年、秋八月に、王は兵を遣わして新羅の蛙山城を攻めたが勝てず、冬十月に、兵を移して狗壤城を攻めた。新羅は騎兵二千を出して迎え撃ち、これを退けた。

14三十九年 — 蛙山城を取って失う

三十九年,攻取蛙山城,留二百人,守之,尋為新羅所敗。

三十九年に、蛙山城を攻め取り、二百人を残して守らせたが、やがて新羅に敗られた。

15四十三年 — 新羅を侵す

四十三年,遣兵侵新羅。

四十三年に、兵を遣わして新羅を侵した。

16四十六年 — 日食がある

四十六年,夏五月戊午晦,日有食之。

四十六年、夏五月の戊午の晦に、日食があった。

17四十七年 — 新羅を侵す

四十七年,秋八月,遣將侵新羅。

四十七年、秋八月に、将を遣わして新羅を侵した。

18四十八年 — 蛙山城を取る

四十八年,冬十月,又攻蛙山城,拔之。

四十八年、冬十月に、また蛙山城を攻めてこれを取った。

19四十九年 — 蛙山城を新羅が取り返す

四十九年,秋九月,蛙山城為新羅所復。

四十九年、秋九月に、蛙山城を新羅が取り返した。

20五十年 — 多婁王が亡くなる

五十年,秋九月,王薨。

五十年、秋九月に、王が亡くなった。