仇首王
1仇首王が即位する
仇首王,肖古王之長子,身長七尺,威儀秀異。肖古在位四十九年薨,卽位。
仇首王は肖古王の長子である。身の丈は七尺、威厳ある挙措が秀でて人と異なっていた。肖古が位にあって四十九年に亡くなると、即位した。
夾注 1
或云貴須。
貴須ともいう。
2三年 — 沙道城の下で靺鞨を破る
三年,秋八月,靺鞨來圍赤峴城,城主固拒,賊退歸。王帥勁騎八百,追之,戰沙道城下,破之,殺獲甚衆。
三年、秋八月に、靺鞨が赤峴城を囲みに来たが、城主が固く防いだので賊は退いて帰った。王は強い騎兵八百を率いて追い、沙道城の下で戦ってこれを破り、討ち取った者と捕らえた者がきわめて多かった。
3四年 — 沙道城の傍らに二つの柵を置く
四年,春二月,設二柵於沙道城側,東西相去十里,分赤峴城卒,戍之。
四年、春二月に、沙道城の傍らに二つの柵を設けたが、東西に十里離れていた。赤峴城の兵を分けてこれを守らせた。
4五年 — 獐山城を囲む
五年,王遣兵圍新羅獐山城,羅王親帥兵,擊之,我軍敗績。
五年に、王が兵を遣わして新羅の獐山城を囲むと、新羅の王が自ら兵を率いてこれを撃ったので、百済の軍は敗れた。
5七年 — 西門で火が出る
七年,冬十月,王城西門火。靺鞨寇北邊,遣兵拒之。
七年、冬十月に、王城の西門で火が出た。靺鞨が北の辺りを掠めたので、兵を遣わしてこれを防いだ。
6八年 — 漢水の西で大いに閲兵する
八年,夏五月,國東大水,山崩四十餘所。六月戊辰晦,日有食之。秋八月,大閱於漢水之西。
八年、夏五月に、国の東で大水が出て、山が四十余か所崩れた。六月の戊辰の晦に、日食があった。秋八月に、漢水の西で大いに閲兵した。
7九年 — 牛頭鎮を掠める
九年,春二月,命有司修隄防。三月,下令勸農事。夏六月,王都雨魚。冬十月,遣兵入新羅牛頭鎭,抄掠民戶。羅將忠萱領兵五千,逆戰於熊谷,大敗,單騎而遁。十一月,庚申晦,日有食之。
九年、春二月に、担当の役所に命じて堤防を修めさせた。三月に、令を下して農事を勧めた。夏六月に、王都に魚の雨が降った。
冬十月に、兵を遣わして新羅の牛頭鎮に入り、民戸を掠めた。新羅の将の忠萱が兵五千を率いて熊谷で迎え戦ったが、大いに敗れ、ただ一騎で逃げた。十一月の庚申の晦に、日食があった。
8十一年 — 烽山の下で敗れる
十一年,秋七月,新羅一吉飡連珍來侵,我軍逆戰於烽山下,不克。冬十月,太<白晝見。
十一年、秋七月に、新羅の一吉飡の連珍が侵しに来たので、百済の軍が烽山の下で迎え戦ったが勝てなかった。冬十月に、太白が昼に見えた。
9十四年 — 東明の廟に雨を祈る
十四年,春三月,雨雹。夏四月,大旱,王祈東明廟,乃雨。
十四年、春三月に、雹が降った。夏四月に、大きな旱があり、王が東明の廟に祈ると、やがて雨が降った。
10十六年 — 牛谷の境で大いに敗れる
十六年,冬十月,王田於寒泉。十一月,大疫。靺鞨入牛谷界,奪掠人物。王遣精兵三百,拒之。賊伏兵夾擊,我軍大敗。
十六年、冬十月に、王が寒泉で狩りをした。十一月に、大きな疫病が流行った。靺鞨が牛谷の境に入って人と物を奪い掠めたので、王は精兵三百を遣わしてこれを防いだ。賊は兵を伏せて挟み撃ちにしたので、百済の軍は大いに敗れた。
11十八年 — 雹が降る
十八年,夏四月,雨雹,大如栗,鳥雀中者死。
十八年、夏四月に、雹が降ったが、栗の実ほど大きく、鳥や雀は当たると死んだ。
12二十一年 — 仇首王が亡くなる
二十一年,王薨。
二十一年に、王が亡くなった。