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仇首王

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 12 · 漢字 353字 · 朗読 1.4分

三国史記(三国時代の正史) 百済本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1仇首王が即位する

仇首王,肖古王之長子,身長七尺,威儀秀異。肖古在位四十九年薨,卽位。

仇首王は肖古王の長子である。身の丈は七尺、威厳ある挙措が秀でて人と異なっていた。肖古が位にあって四十九年に亡くなると、即位した。

夾注 1

或云貴須。

貴須ともいう。

2三年 — 沙道城の下で靺鞨を破る

三年,秋八月,靺鞨來圍赤峴城,城主固拒,賊退歸。王帥勁騎八百,追之,戰沙道城下,破之,殺獲甚衆。

三年、秋八月に、靺鞨が赤峴城を囲みに来たが、城主が固く防いだので賊は退いて帰った。王は強い騎兵八百を率いて追い、沙道城の下で戦ってこれを破り、討ち取った者と捕らえた者がきわめて多かった。

3四年 — 沙道城の傍らに二つの柵を置く

四年,春二月,設二柵於沙道城側,東西相去十里,分赤峴城卒,戍之。

四年、春二月に、沙道城の傍らに二つの柵を設けたが、東西に十里離れていた。赤峴城の兵を分けてこれを守らせた。

4五年 — 獐山城を囲む

五年,王遣兵圍新羅獐山城,羅王親帥兵,擊之,我軍敗績。

五年に、王が兵を遣わして新羅の獐山城を囲むと、新羅の王が自ら兵を率いてこれを撃ったので、百済の軍は敗れた。

5七年 — 西門で火が出る

七年,冬十月,王城西門火。靺鞨寇北邊,遣兵拒之。

七年、冬十月に、王城の西門で火が出た。靺鞨が北の辺りを掠めたので、兵を遣わしてこれを防いだ。

6八年 — 漢水の西で大いに閲兵する

八年,夏五月,國東大水,山崩四十餘所。六月戊辰晦,日有食之。秋八月,大閱於漢水之西。

八年、夏五月に、国の東で大水が出て、山が四十余か所崩れた。六月の戊辰の晦に、日食があった。秋八月に、漢水の西で大いに閲兵した。

7九年 — 牛頭鎮を掠める

九年,春二月,命有司修隄防。三月,下令勸農事。夏六月,王都雨魚。冬十月,遣兵入新羅牛頭鎭,抄掠民戶。羅將忠萱領兵五千,逆戰於熊谷,大敗,單騎而遁。十一月,庚申晦,日有食之。

九年、春二月に、担当の役所に命じて堤防を修めさせた。三月に、令を下して農事を勧めた。夏六月に、王都に魚の雨が降った。

冬十月に、兵を遣わして新羅の牛頭鎮に入り、民戸を掠めた。新羅の将の忠萱が兵五千を率いて熊谷で迎え戦ったが、大いに敗れ、ただ一騎で逃げた。十一月の庚申の晦に、日食があった。

8十一年 — 烽山の下で敗れる

十一年,秋七月,新羅一吉飡連珍來侵,我軍逆戰於烽山下,不克。冬十月,太<白晝見。

十一年、秋七月に、新羅の一吉飡の連珍が侵しに来たので、百済の軍が烽山の下で迎え戦ったが勝てなかった。冬十月に、太白が昼に見えた。

9十四年 — 東明の廟に雨を祈る

十四年,春三月,雨雹。夏四月,大旱,王祈東明廟,乃雨。

十四年、春三月に、雹が降った。夏四月に、大きな旱があり、王が東明の廟に祈ると、やがて雨が降った。

10十六年 — 牛谷の境で大いに敗れる

十六年,冬十月,王田於寒泉。十一月,大疫。靺鞨入牛谷界,奪掠人物。王遣精兵三百,拒之。賊伏兵夾擊,我軍大敗。

十六年、冬十月に、王が寒泉で狩りをした。十一月に、大きな疫病が流行った。靺鞨が牛谷の境に入って人と物を奪い掠めたので、王は精兵三百を遣わしてこれを防いだ。賊は兵を伏せて挟み撃ちにしたので、百済の軍は大いに敗れた。

11十八年 — 雹が降る

十八年,夏四月,雨雹,大如栗,鳥雀中者死。

十八年、夏四月に、雹が降ったが、栗の実ほど大きく、鳥や雀は当たると死んだ。

12二十一年 — 仇首王が亡くなる

二十一年,王薨。

二十一年に、王が亡くなった。