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古尒王

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 24 · 漢字 834字 · 朗読 3.3分

三国史記(三国時代の正史) 百済本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1古尒王が即位する

古尒王,蓋婁王之第二子也。仇首王在位二十一年薨,長子沙伴嗣位,而幼少不能為政,肖古王母弟古尒卽位。

古尒王は蓋婁王の第二子である。仇首王が位にあって二十一年に亡くなり、長子の沙伴が位を継いだが、幼くて政を執ることができなかったので、肖古王の同母弟の古尒が即位した。

2三年 — 自ら鹿四十頭を射る

三年,冬十月,王獵西海大島,手射四十鹿。

三年、冬十月に、王が西海の大きな島で狩りをし、自ら鹿四十頭を射た。

3五年 — 黄色い龍が門から飛び出る

五年,春正月,祭天地用鼓吹。二月,田於釜山,五旬乃返。夏四月,震王宮門柱,黃龍自其門飛出。

五年、春正月に、天地を祭って鼓と笛を用いた。二月に、釜山で狩りをし、五十日してようやく帰った。夏四月に、王宮の門の柱に雷が落ち、黄色い龍がその門から飛び出た。

4六年 — 五月にようやく雨が降る

六年,春正月,不雨,至夏五月,乃雨。

六年、春正月に雨が降らず、夏五月に至ってようやく雨が降った。

5七年 — 眞忠を左将とする

七年,遣兵侵新羅。夏四月,拜眞忠為左將,委以內外兵馬事。秋七月,大閱於石川。雙鴈起於川上,王射之,皆中。

七年に、兵を遣わして新羅を侵した。夏四月に、眞忠を左将に任じ、内外の兵馬の事を委ねた。秋七月に、石川で大いに閲兵した。二羽の雁が川の上に飛び立ったので、王が射てみな当てた。

6九年 — 南の沢に水田を開く

九年,春二月,命國人,開稻田於南澤。夏四月,以叔父質為右輔。質性忠毅,謀事無失。秋七月,出西門觀射。

九年、春二月に、国の人に命じて南の沢に水田を開かせた。夏四月に、叔父の質を右輔とした。質は性質が忠実で剛毅であり、事を謀って過ちがなかった。秋七月に、西門に出て弓射を見た。

7十年 — 大きな壇を設ける

十年,春正月,設大壇,祀天地山川。

十年、春正月に、大きな壇を設けて天地と山川を祭った。

8十三年 — 楽浪の辺りの民を襲う

十三年,夏大旱,無麥。秋八月,魏幽州刺史毌丘儉與樂浪太守劉茂、帶方太守王遵,伐高句麗,王乘虛,遣左將眞忠,襲取樂浪邊民,茂聞之怒,王恐見侵討,還其民口。

十三年、夏に大きな旱があって麦がなかった。

秋八月に、魏の幽州刺史の毌丘儉が楽浪太守の劉茂、帯方太守の王遵とともに高句麗を攻めたので、王はその隙に乗じて左将の眞忠を遣わし、楽浪の辺りの民を襲って取らせた。劉茂がこれを聞いて怒ったので、王は侵され討たれることを恐れ、その民を返した。

9十四年 — 眞忠を右輔とする

十四年,春正月,祭天地於南壇。二月,拜眞忠為右輔,眞勿為左將,委以兵馬事。

十四年、春正月に、南壇で天地を祭った。二月に、眞忠を右輔に、眞勿を左将に任じ、兵馬の事を委ねた。

10十五年 — 倉を開いて救う

十五年,春夏,旱。冬,民饑,發倉賑恤,又復一年租調。

十五年、春と夏に、旱があった。冬に、民が飢えたので、倉を開いて賑わし救い、また一年の租と調を免じた。

11十六年 — 太白が月を襲う

十六年,春正月甲午,太白襲月。

十六年、春正月の甲午に、太白が月を襲った。

12二十二年 — 槐谷の西で勝つ

二十二年,秋九月,出師侵新羅,與羅兵戰於槐谷西,敗之,殺其將翊宗。冬十月,遣兵攻新羅烽山城,不克。

二十二年、秋九月に、軍を出して新羅を侵し、新羅の兵と槐谷の西で戦ってこれを破り、その将の翊宗を殺した。冬十月に、兵を遣わして新羅の烽山城を攻めたが勝てなかった。

13二十四年 — 大きな旱がある

二十四年,春正月,大旱,樹木皆枯。

二十四年、春正月に、大きな旱があって木がみな枯れた。

14二十五年 — 靺鞨が良い馬を献じる

二十五年,春,靺鞨長羅渴獻良馬十匹,王優勞使者以還之。

二十五年、春に、靺鞨の長の羅渇が良い馬十匹を献じたので、王は使者を厚くねぎらって帰した。

15二十六年 — 宮の東に雲が起こる

二十六年,秋九月,靑紫雲起宮東,如樓閣。

二十六年、秋九月に、青と紫の雲が宮の東に起こり、楼閣のようであった。

16二十七年 — 六佐平と十六の品階を置く

二十七年,春正月,置內臣佐平,掌宣納事;內頭佐平,掌庫藏事;內法佐平,掌禮儀事;衛士佐平,掌宿衛兵事;朝廷佐平,掌刑獄事;兵官佐平,掌外兵馬事。又置達率、恩率、德率、扞率、奈率及將德、施德、固德、季德、對德、文督、武督、佐軍、振武、克虞。六佐平並一品,達率二品,恩率三品,德率四品,扞率五品,奈率六品,將德七品,施德八品,固德九品,季德十品,對德十一品,文督十二品,武督十三品,佐軍十四品,振武十五品,克虞十六品。二月,下令六品已上服紫,以銀花飾冠,十一品已上服緋,十六品已上服靑。三月,以王弟優壽為內臣佐平。

二十七年、春正月に、内臣佐平を置いて王命を宣べ取り次ぐ事を掌らせ、内頭佐平は倉の事を、内法佐平は礼儀の事を、衛士佐平は宿衛と兵の事を、朝廷佐平は刑罰と獄の事を、兵官佐平は外の兵馬の事を掌らせた。

また達率・恩率・德率・扞率・奈率と、將德・施德・固德・季德・對德・文督・武督・佐軍・振武・克虞を置いた。六佐平はいずれも一品、達率は二品、恩率は三品、德率は四品、扞率は五品、奈率は六品、將德は七品、施德は八品、固德は九品、季德は十品、對德は十一品、文督は十二品、武督は十三品、佐軍は十四品、振武は十五品、克虞は十六品である。

二月に、令を下して、六品以上は紫の衣を着て銀の花で冠を飾り、十一品以上は赤い衣を着て、十六品以上は青い衣を着させた。

三月に、王の弟の優壽を内臣佐平とした。

17二十八年 — 南堂に座って政を聴く

二十八年,春正月初吉,王服紫大袖袍、靑錦袴、金花飾烏羅冠、素皮帶、烏韋革履,坐南堂聽事。二月,拜眞可為內頭佐平;優豆為內法佐平;高壽為衛士佐平;昆奴為朝廷佐平;惟己為兵官佐平。三月,遣使新羅請和,不從。

二十八年、春正月の初めの日に、王は紫の大袖の袍と青い錦の袴を着け、金の花で飾った黒い羅の冠をかぶり、白い皮の帯を締め、黒い革の靴をはいて、南堂に座って政を聴いた。

二月に、眞可を内頭佐平に、優豆を内法佐平に、高壽を衛士佐平に、昆奴を朝廷佐平に、惟己を兵官佐平に任じた。

三月に、使者を新羅に遣わして和を請うたが、従わなかった。

18二十九年 — 財を受け取った者を終身禁錮にする

二十九年,春正月,下令:凡官人受財及盜者,三倍徵贓,禁錮終身。

二十九年、春正月に、令を下した。「およそ官人で財を受け取った者および盗んだ者は、三倍にして盗んだ物を償わせ、終身禁錮に処せよ。」

19三十三年 — 烽山城を攻める

三十三年,秋八月,遣兵,攻新羅烽山城。城主直宣率壯士二百人,出擊敗之。

三十三年、秋八月に、兵を遣わして新羅の烽山城を攻めた。城主の直宣が壮士二百人を率いて出撃し、これを破った。

20三十六年 — 箒星が紫宮に現れる

三十六年,秋九月,星孛于紫宮。

三十六年、秋九月に、箒星が紫宮に現れた。

21三十九年 — 新羅を侵す

三十九年,冬十一月,遣兵侵新羅。

三十九年、冬十一月に、兵を遣わして新羅を侵した。

22四十五年 — 槐谷城を囲む

四十五年,冬十月,出兵攻新羅,圍槐谷城。

四十五年、冬十月に、兵を出して新羅を攻め、槐谷城を囲んだ。

23五十年 — 新羅の辺境を侵す

五十年,秋九月,遣兵侵新羅邊境。

五十年、秋九月に、兵を遣わして新羅の辺境を侵した。

24五十三年 — 古尒王が亡くなる

五十三年,春正月,遣使新羅請和。冬十一月,王薨。

五十三年、春正月に、使者を新羅に遣わして和を請うた。冬十一月に、王が亡くなった。