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雑志 第3 — 地理 1雜志第三地理一

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 40 · 漢字 3,451字 · 朗読 13.8分

三国史記(三国時代の正史) 雑志 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1三国史記 巻第三十四

三國史記卷第三十四

三国史記 巻第三十四。

2王命により撰す

宣撰

王命により撰す。

3雑志第三 地理一

雜志第三地理一

雑志第三 地理一。

4新羅の領域と九州

新羅疆界,古傳記不同,杜佑通典云,其先本辰韓種,其國左百濟高麗二國東南,東濱大海,劉煦唐書云,東南俱限大海,宋祁新書云,東南日本,西百濟,北高麗,南濱海,賈耽四夷述曰,辰韓在馬韓東,東抵海,北與濊接,新羅崔致遠曰,馬韓則高麗,卞韓則百濟,辰韓則新羅也,此諸說可謂近似焉,若新舊唐書皆云,卞韓苗裔在樂浪之地新書又云,東距長人,長人者人長三丈,鋸牙鉤爪,搏人以食,新羅常屯弩士數千守之,此皆傳聞懸說,非實錄也,按兩漢志,樂浪郡距洛陽東北五千里,注曰,屬幽州,故朝鮮國也,則似與雞林地分隔絶,又相傳,東海絶島上有大人國,而人無見者,豈有弩士守之者,今按新羅始祖赫居世,前漢五鳳元年甲子開國,王都長三千七十五步,廣三千一十八步,三十五里,六部,國號曰徐耶伐,或云斯羅,或云斯盧,或云新羅,脫解王九年,始林有雞怪,更名雞林,因以爲國號,基臨王十年復號新羅,初赫居世二十一年,築宮城,號金城,婆娑王二十二年,於金城東南築城,號月城,或號在城,周一千二十三步,新月城北有滿月城,周一千八百三十八步,又新月城東有明活城,周一千九百六步,又新月城南有南山城,周二千八百四步,始祖已來處金城,至後世多處兩月城,始與高句麗百濟地錯犬牙,或相和親,或相寇鈔,後與大唐侵滅二邦,平其土地,遂置九州,本國界內置三州,王城東北當唐恩浦路曰尙州,王城南曰良州,西曰康州,於故百濟國界置三州,百濟故城北熊津口曰熊州,次西南曰全州,次南曰武州,於故高句麗南界置二州,從西第一曰漢州,次東曰朔州,又次東曰溟州,九州所管郡縣,無慮四百五十方言所謂鄕部曲等雜所,不復具錄,新羅地理之廣袤,斯爲極矣,及其衰也,政荒民散,疆土曰蹙,末王金傅以國歸我太祖,以其國爲慶州

新羅の領域については、古い伝記が一致しない。

杜佑の『通典』にいう、「その先は本と辰韓の種である。その国は百済・高句麗の二国の東南にあり、東は大海に臨む」と。劉煦の『唐書』にいう、「東南はいずれも大海に限られる」と。宋祁の『新唐書』にいう、「東南は日本、西は百済、北は高句麗、南は海に臨む」と。賈耽の『四夷述』にいう、「辰韓は馬韓の東にあり、東は海に至り、北は濊と接する」と。新羅の崔致遠はいう、「馬韓は高句麗、卞韓は百済、辰韓は新羅である」と。これらの諸説は近いといえよう。

『新唐書』と『旧唐書』はともにいう、「卞韓の後裔は楽浪の地にある」と。『新唐書』はまたいう、「東は長人に接する。長人とは身の丈三丈、鋸のような歯と鉤のような爪で人を捕らえて食らう。新羅は常に弩士数千を屯させてこれを守る」と。これらはみな伝え聞いた浮説であって、実録ではない。

按ずるに、両『漢書』の地理志には、楽浪郡は洛陽から東北へ五千里といい、注には幽州に属し、もとの朝鮮国であるという。それならば鶏林の地とは隔たり絶えているようである。また相伝えて、東海の離れ島の上に大人国があるというが、見た者はいない。どうして弩士がこれを守ることがあろうか。

今按ずるに、新羅の始祖赫居世は、前漢の五鳳元年甲子に国を開いた。王都は長さ三千七十五歩、広さ三千十八歩、三十五里、六部であった。国号を徐耶伐といい、あるいは斯羅、あるいは斯盧、あるいは新羅といった。脱解王九年、始林に鶏の怪異があったので名を鶏林と改め、これによって国号とした。基臨王十年に再び新羅と号した。

はじめ赫居世二十一年に宮城を築いて金城と号した。婆娑王二十二年、金城の東南に城を築いて月城と号し、あるいは在城と号した。周は一千二十三歩である。新月城の北に満月城があり、周は一千八百三十八歩、また新月城の東に明活城があり、周は一千九百六歩、また新月城の南に南山城があり、周は二千八百四歩である。始祖以来は金城に居り、後世に至っては二つの月城に居ることが多かった。

はじめは高句麗・百済と土地が犬の歯のように入り組み、あるいは互いに和親し、あるいは互いに侵し掠めたが、後に唐とともに二国を侵し滅ぼし、その土地を平定して、ついに九州を置いた。

本国の境内に三州を置き、王城の東北、唐恩浦の路に当たるところを尚州といい、王城の南を良州、西を康州といった。もとの百済国の境に三州を置き、百済の故城の北、熊津の口を熊州といい、その次の西南を全州、その次の南を武州といった。もとの高句麗の南の境に二州を置き、西から第一を漢州といい、その次の東を朔州、またその次の東を溟州といった。

九州が管する郡と県はおよそ四百五十である。土地の言葉でいう郷・部曲などの雑所は、重ねて具に録さない。新羅の地理の広さはこれをもって極まった。その衰えるに至って政は荒れ民は散り、領土は日に日に縮まった。末王の金傅が国を高麗の太祖に帰したので、その国を慶州とした。

5尚州

尙州,沾解王時取沙伐國爲州,法興王十一年,梁晉通六年,初置軍主,爲上州,眞興王十八年,州廢,神文王七年,唐垂拱三年,復置,築城周一千一百九步,景德王十六年,改名尙州,今因之,領縣三,靑驍縣,本昔里火縣,景德王改名,今靑理縣,多仁縣,本達已縣或云多已,景德王改名,今因之,化昌縣,本知乃彌知縣,景德王改名,今未詳

尚州は、沾解王のとき沙伐国を取って州とした。法興王十一年、梁の普通六年にはじめて軍主を置いて上州とした。真興王十八年に州を廃し、神文王七年、唐の垂拱三年に再び置いて城を築き、周は一千一百九歩であった。景徳王十六年に名を尚州と改め、今もそれに因る。領する県は三つ。

青驍県は、もとの昔里火県で、景徳王が名を改めた。今の青理県である。多仁県は、もとの達已県(多已ともいう)で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。化昌県は、もとの知乃弥知県で、景徳王が名を改めた。今は詳らかでない。

6醴泉郡

醴泉郡,本水酒郡,景德王改名,今甫州,領縣四,永安縣,本下枝縣,景德王改名,今豐山縣,安仁縣,本蘭山縣,景德王改名,今未詳,嘉猷縣,本近一作巾品縣,景德王改名,今山陽縣,殷正縣,本赤牙縣,景德王改名,今殷豐縣

醴泉郡は、もとの水酒郡で、景徳王が名を改めた。今の甫州である。領する県は四つ。

永安県は、もとの下枝県で、景徳王が名を改めた。今の豊山県である。安仁県は、もとの蘭山県で、景徳王が名を改めた。今は詳らかでない。嘉猷県は、もとの近品県(巾品とも書く)で、景徳王が名を改めた。今の山陽県である。殷正県は、もとの赤牙県で、景徳王が名を改めた。今の殷豊県である。

7古昌郡

古昌郡,本古陁耶郡,景德王改名,今安東府,領縣三,直寧縣,本一直縣,景德王改名,今復故,日谿縣,本熱兮縣或云泥兮,景德王改名,今未詳,高丘縣,本仇火縣或云高近,景德王改名,今合屬義城府

古昌郡は、もとの古陁耶郡で、景徳王が名を改めた。今の安東府である。領する県は三つ。

直寧県は、もとの一直県で、景徳王が名を改めた。今は元の名に復した。日渓県は、もとの熱兮県(泥兮ともいう)で、景徳王が名を改めた。今は詳らかでない。高丘県は、もとの仇火県(高近ともいう)で、景徳王が名を改めた。今は義城府に合わせ属させた。

8聞韶郡

聞韶郡,本召文國,景德王改名,今義城府,領縣四,眞寶縣,本柒巴火縣,景德王改名,今甫城,比屋縣,本阿火屋縣一云幷屋,景德王改名,今因之,安賢縣,本阿尸兮縣一云阿乙兮,景德王改名,今安定縣,單密縣,本武冬彌知一云曷冬彌知,景德王改名,今因之

聞韶郡は、もとの召文国で、景徳王が名を改めた。今の義城府である。領する県は四つ。

真宝県は、もとの柒巴火県で、景徳王が名を改めた。今の甫城である。比屋県は、もとの阿火屋県(幷屋ともいう)で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。安賢県は、もとの阿尸兮県(阿乙兮ともいう)で、景徳王が名を改めた。今の安定県である。単密県は、もとの武冬弥知(曷冬弥知ともいう)で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。

9嵩善郡

嵩善郡,本一善郡,眞平王三十六年爲一善州,置軍主,神文王七年,州廢,景德王改名,今善州,領縣三,孝靈縣,本芼兮縣,景德王改名,今因之,尒同兮縣,今未詳,軍威縣,本奴同覓縣一云如豆覓,景德王改名,今因之

嵩善郡は、もとの一善郡である。真平王三十六年に一善州として軍主を置き、神文王七年に州を廃した。景徳王が名を改め、今の善州である。領する県は三つ。

孝霊県は、もとの芼兮県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。尒同兮県は、今は詳らかでない。軍威県は、もとの奴同覓県(如豆覓ともいう)で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。

10開寧郡

開寧郡,古甘文小國也,眞興王十八年,梁永定元年,置軍主,爲靑州,眞平王時,州廢,文武王元年,置甘文郡,景德王改名,今因之,領縣四,禦侮縣,本今勿縣一云陰達,景德王改名,今因之,金山縣,景德王改州縣名,及今並因之,知禮縣,本知品川縣,景德王改名,今因之,茂豐縣,本茂山縣,景德王改名,今因之

開寧郡は、古の甘文の小国である。真興王十八年、梁の永定元年に軍主を置いて青州とし、真平王のときに州を廃し、文武王元年に甘文郡を置いた。景徳王が名を改め、今もそのままである。領する県は四つ。

禦侮県は、もとの今勿県(陰達ともいう)で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。金山県は、景徳王が州と県の名を改め、今までそのままである。知礼県は、もとの知品川県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。茂豊県は、もとの茂山県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。

11永同郡

永同郡,本吉同郡,景德王改名,今因之,領縣二,陽山縣,本助比川縣,景德王改名,今因之,黃澗縣,本召羅縣,景德王改名,今因之

永同郡は、もとの吉同郡で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。領する県は二つ。

陽山県は、もとの助比川県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。黄澗県は、もとの召羅県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。

12管城郡

管城郡,本古尸山郡,景德王改名,今因之,領縣二,利山縣,本所利山縣,景德王改名,今因之,縣眞縣,本阿冬号縣,景德王改名,今安邑縣

管城郡は、もとの古尸山郡で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。領する県は二つ。

利山県は、もとの所利山県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。県真県は、もとの阿冬号県で、景徳王が名を改めた。今の安邑県である。

13三年郡

二年郡,本三年山郡,景德王改名,今保齡郡,領縣二,淸川縣,本薩買縣,景德王改名,今因之,耆山縣,本屈縣,景德王改名,今靑山縣

三年郡は、もとの三年山郡で、景徳王が名を改めた。今の保齢郡である。領する県は二つ。

清川県は、もとの薩買県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。耆山県は、もとの屈県で、景徳王が名を改めた。今の青山県である。

14古寧郡

古寧郡,本古寧加耶國,新羅取之,爲古冬攬郡一云古陵縣,景德王改名,今咸寧郡,領縣三,嘉善縣,本加害縣,景德王改名,今加恩縣,冠山縣,本冠縣一云冠文縣,景德王改名,今聞慶縣,虎溪縣,本虎側縣,景德王改名,今因之

古寧郡は、もとの古寧加耶国で、新羅がこれを取って古冬攬郡(古陵県ともいう)とした。景徳王が名を改め、今の咸寧郡である。領する県は三つ。

嘉善県は、もとの加害県で、景徳王が名を改めた。今の加恩県である。冠山県は、もとの冠県(冠文県ともいう)で、景徳王が名を改めた。今の聞慶県である。虎渓県は、もとの虎側県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。

15化寧郡

化寧郡,本答達匕郡一云沓達,景德王改名,今因之,領縣一,道安縣,本刀良縣,景德王改名,今中牟縣

化寧郡は、もとの答達匕郡(沓達ともいう)で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。領する県は一つ。

道安県は、もとの刀良県で、景徳王が名を改めた。今の中牟県である。

16良州

良州,文武王五年,麟德二年,割上州下州地,置歃良州,神文王七年,築城,周一千二百六十步,景德王改名良州,今梁州,領縣一,巘陽縣,本居知火縣,景德王改名,今因之

良州は、文武王五年、麟徳二年に上州と下州の地を割いて歃良州を置いた。神文王七年に城を築き、周は一千二百六十歩であった。景徳王が名を良州と改め、今の梁州である。領する県は一つ。

巘陽県は、もとの居知火県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。

17金海小京

金海小京,古金官國一云伽落國,一云伽耶,自始祖首露王至十世仇亥王,以梁中大通四年,新羅法興王十九年,率百姓來降,以其地爲金官郡,文武王二十年,永隆元年,爲小京,景德王改名金海京,今金州

金海小京は、古の金官国(伽落国ともいい、伽耶ともいう)である。始祖の首露王から十世の仇亥王に至り、梁の中大通四年、新羅の法興王十九年に民を率いて来降したので、その地を金官郡とした。文武王二十年、永隆元年に小京とし、景徳王が名を金海京と改めた。今の金州である。

18義安郡

義安郡,本屈自郡,景德王改名,今因之,領縣三,漆隄縣,本漆吐縣,景德王改名,今漆園縣,合浦縣,本骨浦縣,景德王改名,今因之,熊神縣,本熊只縣,景德王改名,今因之

義安郡は、もとの屈自郡で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。領する県は三つ。

漆堤県は、もとの漆吐県で、景徳王が名を改めた。今の漆園県である。合浦県は、もとの骨浦県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。熊神県は、もとの熊只県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。

19密城郡と火王郡

密城郡,本推火郡,景德王改名,今因之,領縣五,尙藥縣,本西火縣,景德王改名,今靈山縣,密津縣,本推浦縣一云竹山,景德王改名,今未詳,烏丘山縣,本烏也山縣一云仇道,一云烏禮山,景德王改名,今合屬淸道郡,荊山縣,本驚山縣,景德王改名,今合屬淸道郡,蘇山縣,本率已山縣,景德王改名,今合屬淸道郡火王郡,本比自火郡一云比斯伐,眞興王十六年置州,名下州,二十六年,州廢,景德王改名,今昌寧郡,領縣一,玄驍縣,本推良火縣一云三良火,景德王改名,今玄豐縣

密城郡は、もとの推火郡で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。領する県は五つ。

尚薬県は、もとの西火県で、景徳王が名を改めた。今の霊山県である。密津県は、もとの推浦県(竹山ともいう)で、景徳王が名を改めた。今は詳らかでない。烏丘山県は、もとの烏也山県(仇道ともいい、烏礼山ともいう)で、景徳王が名を改めた。今は清道郡に合わせ属させた。荊山県は、もとの驚山県で、景徳王が名を改めた。今は清道郡に合わせ属させた。蘇山県は、もとの率已山県で、景徳王が名を改めた。今は清道郡に合わせ属させた。

火王郡は、もとの比自火郡(比斯伐ともいう)である。真興王十六年に州を置いて下州といい、二十六年に州を廃した。景徳王が名を改め、今の昌寧郡である。領する県は一つ。玄驍県は、もとの推良火県(三良火ともいう)で、景徳王が名を改めた。今の玄豊県である。

20寿昌郡

壽昌郡壽一作嘉,本喟火郡,景德王改名,今壽城郡,領縣四,大丘縣,本達句火縣,景德王改名,今因之,八里縣,本八居里縣一云北耻長里,一云仁里,景德王改名,今八居縣,河濱縣,本多斯只縣一云沓只,景德王改名,今因之,花園縣,本舌火縣,景德王改名,今因之

寿昌郡(寿は嘉とも書く)は、もとの喟火郡で、景徳王が名を改めた。今の寿城郡である。領する県は四つ。

大丘県は、もとの達句火県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。八里県は、もとの八居里県(北耻長里ともいい、仁里ともいう)で、景徳王が名を改めた。今の八居県である。河濱県は、もとの多斯只県(沓只ともいう)で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。花園県は、もとの舌火県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。

21獐山郡

獐山郡,祗味王時,伐取押梁一作督小國,置郡,景德王改名,今章山郡,領縣三,解顔縣,本雉省火縣一云美里,景德王改名,今因之,餘粮縣,本麻珍一作彌良縣,景德王改名,今仇史部曲,慈仁縣,本奴斯火縣,景德王改名,今因之

獐山郡は、祇味王のとき押梁(押督とも書く)の小国を伐ち取って郡を置いた。景徳王が名を改め、今の章山郡である。領する県は三つ。

解顔県は、もとの雉省火県(美里ともいう)で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。余粮県は、もとの麻珍(弥良とも書く)県で、景徳王が名を改めた。今の仇史部曲である。慈仁県は、もとの奴斯火県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。

22臨皐郡

臨皐郡,本切也火郡,景德王改名,今永州,領縣五,長鎭縣,今竹長伊部曲,臨川縣,助賁王時,伐得骨火小國,置縣,景德王改名,今合屬永州,道同縣,本刀冬火縣,景德王改名,今合屬永州,新寧縣,本史丁火縣,景德王改名,今因之,黽白縣,本買熱次縣,景德王改名,今合屬新寧縣

臨皐郡は、もとの切也火郡で、景徳王が名を改めた。今の永州である。領する県は五つ。

長鎮県は、今の竹長伊部曲である。臨川県は、助賁王のとき骨火の小国を伐ち得て県を置き、景徳王が名を改めた。今は永州に合わせ属させた。道同県は、もとの刀冬火県で、景徳王が名を改めた。今は永州に合わせ属させた。新寧県は、もとの史丁火県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。黽白県は、もとの買熱次県で、景徳王が名を改めた。今は新寧県に合わせ属させた。

23東莱郡

東萊郡,本居漆山郡,景德王改名,今因之,領縣二,東平縣,本大甑縣,景德王改名,今因之,機張縣,本甲火良谷縣,景德王改名,今因之

東莱郡は、もとの居漆山郡で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。領する県は二つ。

東平県は、もとの大甑県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。機張県は、もとの甲火良谷県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。

24東安郡と臨関郡

東安郡,本生西良郡,景德王改名,今合屬慶州,領縣一,虞風縣,本于火縣,景德王改名,今合屬蔚州臨關郡,本毛火一作蚊化郡,聖德王築城以遮日本賊路,景德王改名,今合屬慶州,領縣二,東津縣,本栗浦縣,景德王改名,今合屬蔚州,河曲一作西縣,婆娑王時,取屈阿火村置縣,景德王改名,今蔚州

東安郡は、もとの生西良郡で、景徳王が名を改めた。今は慶州に合わせ属させた。領する県は一つ。虞風県は、もとの于火県で、景徳王が名を改めた。今は蔚州に合わせ属させた。

臨関郡は、もとの毛火郡(蚊化とも書く)で、聖徳王が城を築いて日本の賊の路を遮った。景徳王が名を改め、今は慶州に合わせ属させた。領する県は二つ。東津県は、もとの栗浦県で、景徳王が名を改めた。今は蔚州に合わせ属させた。河曲県(曲は西とも書く)は、婆娑王のとき屈阿火村を取って県を置き、景徳王が名を改めた。今の蔚州である。

25義昌郡

義昌郡,本退火郡,景德王改名,今興海郡,領縣六,安康縣,本比火縣,景德王改名,今因之,鬐立縣,本只沓縣,景德王改名,今長鬐縣,神光縣,本東仍音縣,景德王改名,今因之,臨汀縣,本斤烏支縣,景德王改名,今迎日縣,杞溪縣,本芼兮縣一云化雞,景德王改名,今因之,音汁火縣,婆娑王時,取音汁伐國置縣,今合屬安康縣驚

義昌郡は、もとの退火郡で、景徳王が名を改めた。今の興海郡である。領する県は六つ。

安康県は、もとの比火県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。鬐立県は、もとの只沓県で、景徳王が名を改めた。今の長鬐県である。神光県は、もとの東仍音県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。臨汀県は、もとの斤烏支県で、景徳王が名を改めた。今の迎日県である。杞渓県は、もとの芼兮県(化鶏ともいう)で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。音汁火県は、婆娑王のとき音汁伐国を取って県を置き、今は安康県に合わせ属させた。

26大城郡

大城郡,本仇刀城境內,率伊山城茄山縣一云驚山城烏刀山城等三城,今合屬淸道郡,約章縣,本惡支縣,景德王改名,今合屬慶州,東畿停,本毛只停,景德王改名,今合屬慶州

大城郡は、もとの仇刀城の境内の率伊山城と茄山県(驚山城ともいう)と烏刀山城など三つの城で、今は清道郡に合わせ属させた。約章県は、もとの悪支県で、景徳王が名を改めた。今は慶州に合わせ属させた。東畿停は、もとの毛只停で、景徳王が名を改めた。今は慶州に合わせ属させた。

27商城郡と諸停

商城郡,本西兄山郡,景德王改名,今合屬慶州,南畿停,本道品兮停,景德王改名,今合屬慶州,中畿停,本根乃停,景德王改名,今合屬慶州,西畿停,本豆良彌知停,景德王改名,今合屬慶州,北畿停,本雨谷停,景德王改名,今合屬慶州,莫耶停,本官阿良支停一云北阿良,景德王改名,今合屬慶州

商城郡は、もとの西兄山郡で、景徳王が名を改めた。今は慶州に合わせ属させた。

南畿停は、もとの道品兮停で、景徳王が名を改めた。今は慶州に合わせ属させた。中畿停は、もとの根乃停で、景徳王が名を改めた。今は慶州に合わせ属させた。西畿停は、もとの豆良弥知停で、景徳王が名を改めた。今は慶州に合わせ属させた。北畿停は、もとの雨谷停で、景徳王が名を改めた。今は慶州に合わせ属させた。莫耶停は、もとの官阿良支停(北阿良ともいう)で、景徳王が名を改めた。今は慶州に合わせ属させた。

28康州

康州,神文王五年,唐垂拱元年,分居陁州置菁州,景德王改名,今晉州,領縣二,嘉壽縣,本加主火縣,景德王改名,今因之,屈村縣,今未詳

康州は、神文王五年、唐の垂拱元年に居陁州を分けて菁州を置いた。景徳王が名を改め、今の晋州である。領する県は二つ。

嘉寿県は、もとの加主火県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。屈村県は、今は詳らかでない。

29南海郡

南海郡,神文王初置轉也山郡,海中島也,景德王改名,今因之,領縣二,蘭浦縣,本內浦縣,景德王改名,今因之,平山縣,本平西山縣一云西平,景德王改名,今因之

南海郡は、神文王がはじめ転也山郡を置いたもので、海中の島である。景徳王が名を改め、今もそのままである。領する県は二つ。

蘭浦県は、もとの内浦県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。平山県は、もとの平西山県(西平ともいう)で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。

30河東郡

河東郡,本韓多沙郡,景德王改名,今因之,領縣三,省良縣,今金良部曲,嶽陽縣,本小多沙縣,景德王改名,今因之,河邑縣,本浦村縣,景德王改名,今未詳

河東郡は、もとの韓多沙郡で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。領する県は三つ。

省良県は、今の金良部曲である。岳陽県は、もとの小多沙県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。河邑県は、もとの浦村県で、景徳王が名を改めた。今は詳らかでない。

31固城郡

固城郡,本古自郡,景德王改名,今因之,領縣三,蚊火良縣,今未詳,泗水縣,本史勿縣,景德王改名,今泗州,尙善縣,本一善縣,景德王改名,今永善縣

固城郡は、もとの古自郡で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。領する県は三つ。

蚊火良県は、今は詳らかでない。泗水県は、もとの史勿県で、景徳王が名を改めた。今の泗州である。尚善県は、もとの一善県で、景徳王が名を改めた。今の永善県である。

32咸安郡

咸安郡,法興王以大兵滅阿尸良國一云阿那加耶,以其地爲郡,景德王改名,今因之,領縣二,玄武縣,本召彡縣,景德王改名,今召彡部曲,宜寧縣,本獐含縣,景德王改名,今因之

咸安郡は、法興王が大軍で阿尸良国(阿那加耶ともいう)を滅ぼし、その地を郡としたものである。景徳王が名を改め、今もそのままである。領する県は二つ。

玄武県は、もとの召彡県で、景徳王が名を改めた。今の召彡部曲である。宜寧県は、もとの獐含県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。

33巨済郡

巨濟郡,文武王初置裳郡,海中島也,景德王改名,今因之,領縣三,鵝洲縣,本巨老縣,景德王改名,今因之,溟珍縣,本買珍伊縣,景德王改名,今因之,南垂縣,本松邊縣,景德王改名,今復故

巨済郡は、文武王がはじめ裳郡を置いたもので、海中の島である。景徳王が名を改め、今もそのままである。領する県は三つ。

鵝洲県は、もとの巨老県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。溟珍県は、もとの買珍伊県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。南垂県は、もとの松辺県で、景徳王が名を改めた。今は元の名に復した。

34闕城郡

闕城郡,本闕支郡,景德王改名,今江城縣,領縣二,丹邑縣,本赤村縣,景德王改名,今丹溪縣,山陰縣,本知品川縣,景德王改名,今因之

闕城郡は、もとの闕支郡で、景徳王が名を改めた。今の江城県である。領する県は二つ。

丹邑県は、もとの赤村県で、景徳王が名を改めた。今の丹渓県である。山陰県は、もとの知品川県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。

35天嶺郡

天嶺郡,本速含郡,景德王改名,今咸陽郡,領縣二,雲峰縣,本母山縣或云阿英城,或云阿莫城,景德王改名,今因之,利安縣,本馬利縣,景德王改名,今因之

天嶺郡は、もとの速含郡で、景徳王が名を改めた。今の咸陽郡である。領する県は二つ。

雲峰県は、もとの母山県(阿英城ともいい、阿莫城ともいう)で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。利安県は、もとの馬利県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。

36居昌郡

居昌郡,本居烈郡或云居陁,景德王改名,今因之,領縣二,餘善縣,本南內縣,景德王改名,今感陰縣,咸陰縣,本加召縣,景德王改名,今復故

居昌郡は、もとの居烈郡(居陁ともいう)で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。領する県は二つ。

余善県は、もとの南内県で、景徳王が名を改めた。今の感陰県である。咸陰県は、もとの加召県で、景徳王が名を改めた。今は元の名に復した。

37高霊郡

高靈郡,本大加耶國,自始祖伊珍阿豉王一云內珍朱智至道設智王凡十六世五百二十年,眞興大王侵滅之,以其地爲大加耶郡,景德王改名,今因之,領縣二,冶爐縣,本赤火縣,景德王改名,今因之,新復縣,本加尸兮縣,景德王改名,今未詳

高霊郡は、もとの大加耶国である。始祖の伊珍阿豉王(内珍朱智ともいう)から道設智王に至るまで、おおよそ十六世五百二十年であったが、真興大王が侵して滅ぼし、その地を大加耶郡とした。景徳王が名を改め、今もそのままである。領する県は二つ。

冶炉県は、もとの赤火県で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。新復県は、もとの加尸兮県で、景徳王が名を改めた。今は詳らかでない。

38江陽郡

江陽郡,本大良一作耶州郡,景德王改名,今陜州,領縣三,三岐縣,本三支縣一云麻杖,景德王改名,今因之,八谿縣,本草八兮縣,景德王改名,今草谿縣,宜桑縣,本辛尒縣一云朱烏村,一云泉州縣,景德王改名,今新繁縣

江陽郡は、もとの大良(耶とも書く)州郡で、景徳王が名を改めた。今の陜州である。領する県は三つ。

三岐県は、もとの三支県(麻杖ともいう)で、景徳王が名を改めた。今もそのままである。八渓県は、もとの草八兮県で、景徳王が名を改めた。今の草渓県である。宜桑県は、もとの辛尒県(朱烏村ともいい、泉州県ともいう)で、景徳王が名を改めた。今の新繁県である。

39星山郡

星山郡,本一利郡一云里山郡,景德王改名,今加利縣,領縣四,壽同縣,本斯同火縣,景德王改名,今未詳,谿子縣,本大木縣,景德王改名,今若木縣,新安縣,本本彼縣,景德王改名,今京山府,都山縣,本狄山縣,景德王改名,今未詳

星山郡は、もとの一利郡(里山郡ともいう)で、景徳王が名を改めた。今の加利県である。領する県は四つ。

寿同県は、もとの斯同火県で、景徳王が名を改めた。今は詳らかでない。渓子県は、もとの大木県で、景徳王が名を改めた。今の若木県である。新安県は、もとの本彼県で、景徳王が名を改めた。今の京山府である。都山県は、もとの狄山県で、景徳王が名を改めた。今は詳らかでない。

40三国史記 巻第三十四

三國史記卷第三十四

三国史記 巻第三十四。