金庾信 上金庾信上
1金庾信は王京の人である
金庾信,王京人也。
金庾信は王京の人である。
2十二世の祖首露
十二世祖首露,不知何許人也。以後漢建武十八年壬寅,登龜峯,望駕洛九村,遂至其地開國,號曰加耶,後改為金官國。其子孫相承,至九世孫仇充,或云仇次休,於庾信為曾祖。羅人自謂少昊金天氏之後,故姓金。庾信碑亦云:「軒轅之裔,少昊之胤。」則南加耶始祖首露與新羅,同姓也。
十二世の祖である首露は、どのような人かわからない。後漢の建武十八年壬寅に亀峰に登り、駕洛の九つの村を望み、ついにその地に至って国を開き、名を加耶といったが、後に改めて金官国とした。その子孫が相継いで九世の孫の仇充(仇次休ともいう)に至り、庾信にとっては曽祖父である。
新羅の人は自ら少昊金天氏の後裔であるといったので、姓を金とした。庾信の碑にもまた「軒轅の裔、少昊の胤」とあるから、南加耶の始祖首露も新羅と同じ姓である。
3祖父の武力
祖武力,為新州道行軍摠管,嘗領兵獲百濟王及其將四人,斬首一萬餘級。
祖父の武力は新州道行軍摠管となり、かつて兵を率いて百済の王とその将四人を捕らえ、一万余りの首を斬った。
4父の舒玄と庾信の誕生
父舒玄,官至蘇判大梁州都督安撫大梁州諸軍事。按庾信碑云:「考蘇判金逍衍。」不知舒玄或更名耶,或逍衍是字耶,疑故兩存之。初,舒玄路見葛文王立宗之子肅訖宗之女萬明,心悅而目挑之,不待媒妁而合。舒玄為萬弩郡太守,將與俱行,肅訖宗始知女子與玄野合,疾之囚於別第,使人守之。忽雷震屋門,守者驚亂,萬明從竇而出,遂與舒玄赴萬弩郡。舒玄庚辰之夜,夢熒惑鎭二星降於己,萬明亦以辛丑之夜,夢見童子衣金甲,乘雲入堂中,尋而有娠,二十月而生庾信,是眞平王建福十七年,隋文帝開皇十五年乙卯也。及欲定名,謂夫人曰:「吾以庚辰夜吉夢,得此兒,宜以為名,然禮不以日月為名。今庚與庾字相似,辰與信聲相近,況古之賢人有名庾信,盍以命之。」遂名庾信焉。
父の舒玄は官が蘇判・大梁州都督・安撫大梁州諸軍事に至った。考えてみると庾信の碑には「父は蘇判金逍衍」とある。舒玄が名を改めたのか、逍衍が字なのかわからず、疑わしいので両方を残しておく。
はじめ舒玄は道で葛文王立宗の子である肅訖宗の娘万明を見、心に喜んで目で誘い、媒を待たずに結ばれた。舒玄が万弩郡の太守となって共に行こうとしたとき、肅訖宗ははじめて娘が玄と野合したことを知り、これを憎んで別の家に閉じ込め、人を遣わして守らせた。たちまち雷が家の門を打ち、守る者が驚き乱れるうちに、万明は穴から抜け出て、ついに舒玄とともに万弩郡へ赴いた。
舒玄は庚辰の夜の夢に熒惑と鎮の二星が自分に降るのを見、万明もまた辛丑の夜の夢に童子が金の甲を着て雲に乗って堂の中に入るのを見た。やがて身ごもり、二十か月で庾信を生んだ。これは真平王の建福十七年、隋の文帝の開皇十五年乙卯である。
名を定めようとするとき、夫人に言った。「私は庚辰の夜の吉夢によってこの子を得たのだから、それをもって名とするのがよい。しかし礼では日や月をもって名としないという。いま庚と庾とは字が互いに似ており、辰と信とは声が互いに近い。まして昔の賢人に庾信という者があるのだから、それをもって名づけてはどうだろう。」こうして庾信と名づけた。
夾注 1
萬弩郡,今之鎭州,初以庾信胎,藏之高山,至今謂之胎靈山。
万弩郡は今の鎮州である。はじめ庾信の胎を高い山に埋めたので、今に至るまでこれを胎霊山という。
5十五歳で花郎となる
公年十五歲為花郞,時人洽然服從,號龍華香徒。
公は十五歳で花郎となり、当時の人は満ち足りて従い、龍華香徒と呼んだ。
6中嶽の石窟で老人に出会う
眞平王建福三十三年辛未,公年十七歲,見高句麗、百濟、靺鞨侵軼國疆,慷慨有平寇賊之志,獨行入中嶽石崛,齋戒告天盟誓曰:「敵國無道,為豺虎,以擾我封埸,略無寧歲。僕是一介微臣,不量材力,志淸禍亂。惟天降監,假手於我。」居四日,忽有一老人,被褐而來曰:「此處,多毒蟲猛獸,可畏之地,貴少年爰來獨處,何也。」答曰:「長者從何許來,尊名可得聞乎?」老人曰:「吾無所住,行止隨緣,名則難勝也。」公聞之,知非常人,再拜進曰:「僕新羅人也,見國之讐,痛心疾首,故來此,冀有所遇耳。伏乞長者憫我精誠,授之方術。」老人默然無言。公涕淚懇請不倦,至于六七。老人乃言曰:「子幼而有幷三國之心,不亦壯乎。」乃授以秘法曰:「愼勿妄傳,若用之不義,反受其殃。」言訖而辭,行二里許,追而望之,不見,唯山上有光,爛然若五色焉。
真平王の建福三十三年辛未、公は十七歳であった。高句麗・百済・靺鞨が国の境を侵すのを見て憤り立ち、寇賊を平らげる志を抱いた。ひとり中嶽の石窟に入り、斎戒して天に告げ、誓って言った。
「敵国は道がなく、豺や虎となって我が封土を騒がせ、安らかな年がほとんどありません。わたくしは一介の微臣で、才も力もはかりませんが、禍乱を清める志があります。ただ天が見下ろしてくださり、わたくしに手を貸してくださいますように。」
四日いると、たちまち一人の老人が粗い布の衣を着て来て言った。「ここは毒虫や猛獣が多く、恐ろしい地である。貴い少年がここに来てひとりでいるのは、どうしたことか。」
答えて言った。「長者はどこから来られたのですか。尊いお名前を伺えましょうか。」
老人が言った。「わたしには住む所がなく、行くも止まるも縁に任せている。名は難勝である。」
公はこれを聞いて並の人ではないと知り、二度拝して進み出て言った。「わたくしは新羅の人です。国の仇を見て心を痛め頭を悩ませておりますので、ここに来て出会いがあることを願うばかりです。伏してお願いします、長者はわたくしの誠を憐れんで方術をお授けください。」
老人は黙って何も言わなかった。公は涙を流して懇ろに請い、倦むことなく六、七度に及んだ。老人はそこで言った。「おまえは幼いのに三国を併せる心があるとは、なんと壮んなことではないか。」
そして秘法を授けて言った。「慎んでみだりに伝えてはならない。もしこれを不義に用いれば、かえってその災いを受けるであろう。」言い終わって別れた。二里ほど行ったところで追って見やると、姿は見えず、ただ山の上に光があって、五色のように輝いていた。
7咽薄山で宝剣に霊が降る
建福三十四年,隣賊轉迫,公愈激壯心,獨携寶劒,入咽薄山深壑之中,燒香告天,祈祝若在中嶽,誓辭仍禱。天官垂光,降靈於寶劒。三日夜,虛、角二星,光芒赫然下垂,劒若動搖然。
建福三十四年、隣国の賊がいよいよ迫ってきたので、公はますます壮んな心を激しくし、ひとり宝剣を携えて咽薄山の深い谷の中に入り、香を焚いて天に告げ、中嶽にいたときと同じように祈り、誓いの言葉をもって祈った。天官が光を垂れ、宝剣に霊を降した。三日の夜、虚と角の二星の光がはっきりと下に垂れ、剣が動くようであった。
8娘臂城でひとり敵陣に躍り込む
建福五十一年,己丑秋八月,王遣伊飡任末里,波珍飡龍春、白龍,蘇判大因、舒玄等,率兵攻高句麗娘臂城。麗人出兵逆擊之,吾人失利,死者衆多,衆心折衄,無復鬪心。庾信時為中幢幢主,進於父前,脫胄而告曰:「我兵敗北,吾平生以忠孝自期,臨戰不可不勇。盖聞:『振領而裘正,提綱而網張』,吾其為綱領乎。」迺跨馬拔劒跳坑,出入賊陣,斬將軍,提其首而來。我軍見之,乘勝奮擊,斬殺五千餘級,生擒一千人。城中兇懼無敢抗,皆出降。
建福五十一年己丑の秋八月、王は伊飡の任末里、波珍飡の龍春・白龍、蘇判の大因・舒玄らを遣わし、兵を率いて高句麗の娘臂城を攻めさせた。高句麗の人が兵を出して迎え撃ったので、新羅の人は不利となり、死んだ者が多く、人々の心は折れて再び戦う気がなかった。
庾信はそのとき中幢の幢主であったが、父の前に進み出て兜を脱いで申し上げた。「我が兵は敗れました。わたくしは生涯を忠と孝で自ら期しておりますから、戦いに臨んで勇ましくないわけにはまいりません。聞くところでは『襟を振れば皮衣が正しくなり、綱を提げれば網が張られる』といいます。わたくしがその綱と襟になりましょう。」
そして馬にまたがり剣を抜いて堀を跳び越え、敵陣を出入りして将軍を斬り、その首を提げて帰ってきた。我が軍はこれを見て勝ちに乗じて奮い立ち、五千余りの首を斬り殺し、千人を生け捕りにした。城中は恐れおののいて敢えて抗する者がなく、みな出て降った。
9春秋と指を噛んで誓う
善德大王十一年壬寅,百濟敗大梁州,春秋公女子古陁炤娘,從夫品釋死焉。春秋恨之,欲請高句麗兵,以報百濟之怨,王許之。將行,謂庾信曰:「吾與公同體,為國股肱。今我若入彼見害,則公其無心乎。」庾信曰:「公若往而不還,則僕之馬跡,必踐於麗、濟兩王之庭。苟不如此,將何面目以見國人乎。」春秋感悅,與公互噬手指,歃血以盟曰:「吾計日六旬乃還,若過此不來,則無再見之期矣。」遂相別。後庾信為押梁州軍主。春秋與訓信沙干,聘高句麗,行至代買縣,縣人豆斯支沙干,贈靑布三百步。旣入彼境,麗王遣太大對盧盖金館之,燕饗有加。或告麗王曰:「新羅使者,非庸人也。今來,殆欲觀我形勢也,王其圖之,俾無後患。」王欲橫問,因其難對而辱之。
善徳大王十一年壬寅、百済が大梁州を破り、春秋公の娘の古陁炤娘が夫の品釈に従って死んだ。春秋はこれを恨み、高句麗に兵を請うて百済への怨みを報いようとしたので、王は許した。
出発しようとするとき、庾信に言った。「私と公とは一つの体であり、国の手足である。いま私がもしあちらに入って害に遭ったなら、公は心に何も思わぬであろうか。」
庾信が言った。「公がもし行って帰らなければ、わたくしの馬の跡はきっと高句麗と百済の二王の庭を踏むでしょう。もしそうしなければ、どんな顔をして国の人に会えましょうか。」
春秋は感じ入って喜び、公と互いに指を噛み、血をすすって誓った。「私は日を数えて六十日で帰ろう。もしこれを過ぎて来なければ、再び会う時はないであろう。」そうして互いに別れた。
後に庾信は押梁州の軍主となった。
春秋は訓信沙干とともに高句麗へ聘問に行き、代買県に至ると、県の人の豆斯支沙干が青い布三百歩を贈った。すでにあちらの境に入ると、高句麗王は太大対盧の盖金を遣わして客館に泊まらせ、宴をいっそう盛んに設けた。
ある者が高句麗王に告げた。「新羅の使者は並の人ではありません。いま来たのは、おそらく我が形勢を見ようとするものです。王はこれをお図りになり、後の患いがないようにしてください。」王は答えにくいことを問い、それによって辱めようとした。
10亀と兎の話
謂曰:「麻木峴與竹嶺,本我國地,若不我還,則不得歸。」春秋對曰:「國家土地,非臣子所專,臣不敢聞命。」王怒囚之,欲戮未果。春秋以靑布三百步,密贈王之寵臣先道解。道解以饌具來,相飲酒酣,戱語曰:「子亦嘗聞龜兎之說乎。昔,東海龍女病心,醫言:『得兎肝合藥,則可療也。』然海中無兎,不奈之何。有一龜白龍王言:『吾能得之。』遂登陸見兎言:『海中有一島,淸泉白石,茂林佳菓,寒暑不能到,鷹隼不能侵。爾若得至,可以安居無患。』因負兎背上,游行二三里許。龜顧謂兎曰:『今龍女被病,須兎肝為藥,故不憚勞,負爾來耳。』兎曰:『噫,吾神明之後,能出五藏,洗而納之。日者小覺心煩,遂出肝心洗之,暫置巖石之底,聞爾甘言徑來,肝尚在彼,何不廻歸取肝,則汝得所求,吾雖無肝尚活,豈不兩相宜哉。
こう言った。「麻木峴と竹嶺はもともと我が国の地である。もし我に返さなければ、帰ることはできない。」
春秋は答えた。「国の土地は臣下の身で勝手にできるものではありません。臣は敢えて命を承ることができません。」
王は怒って閉じ込め、殺そうとしたが果たさなかった。春秋は青い布三百歩をひそかに王の寵臣である先道解に贈った。道解は食事を整えて来て、ともに酒を飲み、酒がたけなわになると戯れに言った。
「あなたも亀と兎の話を聞いたことがおありでしょう。昔、東海の龍王の娘が心を病み、医者が『兎の肝を得て薬に合わせれば治せる』と言いました。しかし海の中には兎がいないので、どうすることもできませんでした。
一匹の亀が龍王に申し上げて『わたしが得てまいりましょう』と言い、ついに陸に上がって兎を見て言いました。『海の中に一つの島があり、清い泉と白い石、茂った林とよい果実があって、寒さも暑さも及ばず、鷹も隼も侵せません。あなたがもし行き着くことができれば、安らかに住んで患いがないでしょう。』
そこで兎を背に負い、二、三里ほど泳いで行きました。亀は振り返って兎に言いました。『いま龍王の娘が病んでおり、どうしても兎の肝が薬に要るので、労を惜しまずあなたを負って来たのです。』
兎が言いました。『ああ、わたしは神明の末裔で、五臓を出して洗って入れることができます。先日少し心が煩わしかったので、肝と心を出して洗い、しばらく岩の下に置いておきました。あなたの甘い言葉を聞いてそのまま来たので、肝はまだあそこにあります。どうして帰って肝を取ってこないことがありましょう。そうすればあなたは求めるものを得、わたしは肝がなくてもなお生きられます。どうして双方ともに都合がよくないことがありましょう。』
11庾信が三千の勇士を選ぶ
』龜信之而還,纔上岸,兎脫入草中,請謂龜曰:『愚哉,汝也,豈有無肝而生者乎。』龜憫默而退。」春秋聞其言,喩其意。移書於王曰:「二嶺,本大國地。分令臣歸國,請吾王還之。謂予不信,有如皦日。」王迺悅焉。春秋入高句麗,過六旬未還。庾信揀得國內勇士三千人,相語曰:「吾聞見危致命,臨難忘身者,烈士之志也。夫一人致死當百人,百人致死當千人,千人致死當萬人,則可以橫行天下。今國之賢相,被他國之拘執,其可畏不犯難乎。」於是衆人曰:「雖出萬死一生之中,敢不從將軍之令乎。」遂請王以定行期。時,高句麗諜者浮屠德昌,使告於王。王前聞春秋盟辭,又聞諜者之言,不敢復留,厚禮而歸之。及出境,謂送者曰:「吾欲釋憾於百濟,故來請師。
亀はこれを信じて帰り、やっと岸に上がると、兎は抜け出して草の中に入り、亀に言いました。『愚かなことだ、おまえは。どうして肝がなくて生きる者がいようか。』亀は気落ちして黙って退きました。」
春秋はその言葉を聞いて、その意を悟った。王に書を送って言った。「二つの嶺はもともと大国の地です。臣を国に帰らせてくだされば、我が王に請うてお返ししましょう。わたくしを信じられないのであれば、明るい日が照らしております。」王はそこで喜んだ。
春秋が高句麗に入って六十日を過ぎても帰らなかった。庾信は国内の勇士三千人を選び得て、互いに語った。「私が聞くに、危ういを見て命を致し、難に臨んで身を忘れるのが烈士の志である。そもそも一人が死を尽くせば百人に当たり、百人が死を尽くせば千人に当たり、千人が死を尽くせば万人に当たるのだから、天下を思うままに行くことができる。いま国の賢い宰相が他国に捕らえられているのに、それが恐ろしいといって難を冒さずにいられようか。」
そこで人々が言った。「万死に一生を得るような中に出るとしても、どうして将軍の命に従わないことがありましょうか。」ついに王に請うて出発の日を定めた。
そのとき高句麗の諜者である僧の徳昌が王に告げさせた。王は先に春秋の誓いの言葉を聞き、また諜者の言葉を聞いたので、敢えて再び留めることができず、厚く礼を尽くして帰らせた。
境を出ると、送る者に言った。「私は百済に恨みを晴らそうとして兵を請いに来たが、
12大王は許さなかった
大王不許之,而反求土地,此非臣所得專。嚮,與大王書者,圖逭死耳。」
大王はこれを許さず、かえって土地を求められた。これは臣下の身で勝手にできることではない。さきに大王に差し上げた書は、死を免れようとしたまでのことである。」
夾注 1
此與本言眞平王十一善德王十一年所書,一事而小異,以皆古記所傳,故兩存之。
これは本来、真平王十一年と善徳王十一年に記したものと同じ一つの事でありながら少し異なるが、いずれも『古記』の伝えるところであるから、両方を残しておく。
13上将軍となって七城を取る
庾信為押梁州軍主,十三年為蘇判。秋九月,王命為上將軍,使領兵伐百濟加兮城、省熱城、同火城等七城,大克之,因開加兮之津。
庾信は押梁州の軍主となり、十三年に蘇判となった。秋九月、王は命じて上将軍とし、兵を率いて百済の加兮城・省熱城・同火城など七つの城を討たせたところ、大いに勝ち、これによって加兮の津を開いた。
14家の前を過ぎて水だけを飲む
乙巳正月,歸未見王,封人急報:百濟大軍來,攻我買利浦城。王又拜庾信為上州將軍,令拒之。庾信聞命卽駕,不見妻子,逆擊百濟軍走之,斬首二千級。三月,還命王宮,未歸家,又急告:百濟兵出,屯于其國界,將大擧兵侵我。王復告庾信曰:「請公不憚勞遄行,及其未至備之。」庾信又不入家,練軍繕兵,向西行。于時,其家人皆出門外待來。庾信過門,不顧而行,至五十步許,駐馬,令取漿水於宅,啜之曰:「吾家之水,尚有舊味。」於是,軍衆皆云:「大將軍猶如此,我輩豈以離別骨肉為恨乎。」及至疆埸,百濟人望我兵衛,不敢迫,乃退。大王聞之甚喜,加爵賞。
乙巳の正月、帰ってまだ王に会わないうちに、境を守る者が急ぎ報せた。「百済の大軍が来て、我が買利浦城を攻めています。」王はまた庾信を上州将軍に任じてこれを拒ませた。庾信は命を聞くとすぐに車に乗り、妻子にも会わずに百済の軍を迎え撃って走らせ、二千の首を斬った。
三月、王宮に帰って命を報告し、まだ家に帰らないうちに、また急ぎ告げられた。「百済の兵が出て、その国の境に陣し、まさに大いに兵を挙げて我を侵そうとしています。」
王はまた庾信に告げた。「どうか公は労を厭わず急ぎ行き、彼らが至らぬうちに備えてほしい。」
庾信はまた家に入らず、軍を練り兵器を整えて西へ向かった。このとき、その家の者はみな門の外に出て帰りを待っていた。庾信は門を過ぎても振り返らずに行き、五十歩ほどのところで馬を止め、家から飲み水を取ってこさせて飲み、言った。「我が家の水は今も昔の味がする。」
そこで軍の者はみな言った。「大将軍すらこうであるのに、我らがどうして骨肉との別れを恨みに思おうか。」
境に至ると、百済の人は我が兵の備えを望み見て敢えて迫らず、そのまま退いた。大王はこれを聞いて大いに喜び、爵と賞を加えた。
15毗曇の乱と落ちた星
十六年丁未,是善德王末年,眞德王元年也。大臣毗曇、廉宗,謂女主不能善理,擧兵欲廢之,王自內禦之。毗曇等屯於明活城,王師營於月城,攻守十日不解。丙夜,大星落於月城。毗曇等謂士卒曰:「吾聞落星之下,必有流血。此殆女主敗衄之兆也。」士卒呼吼聲振天地。大王聞之,恐懼失次。庾信見王曰:「吉凶無常,惟人所召。故紂以赤雀亡,魯以獲麟衰,高宗以雉雊興,鄭公以龍鬪昌。故知德勝於妖,則星辰變異,不足畏也,請王勿憂。」乃造偶人抱火,載於風鳶而颺之,若上天然。翌日,使人傳言於路曰:「昨夜,落星還上。」使賊軍疑焉。又刑白馬,祭於落星之地,呪曰:「天道則陽剛,而陰柔;人道,則君尊而臣卑。苟或易之,卽為大亂。今,毗曇等以臣而謀君,自下而犯上。
十六年丁未は善徳王の末年であり、真徳王の元年である。大臣の毗曇と廉宗が、女の君主ではよく治めることができないといって兵を挙げ、廃そうとしたので、王は内から防いだ。毗曇らは明活城に陣し、王の軍は月城に陣営を構え、攻めと守りが十日たっても解けなかった。
真夜中に大きな星が月城に落ちた。毗曇らは兵に言った。「私が聞くに、星の落ちた下には必ず血が流れるという。これはおそらく女の君主が敗れる兆しである。」兵の叫ぶ声が天地を震わせた。
大王はこれを聞いて恐れ、どうしてよいかわからなくなった。庾信が王に会って言った。「吉凶は定まったものではなく、ただ人が招くところです。ですから紂は赤い雀によって亡び、魯は麒麟を得て衰え、高宗は雉が鳴いて興り、鄭公は龍が闘っても栄えました。これによって徳が妖しきものに勝てば、星の変異は恐れるに足りないとわかります。王はご心配なさいませんように。」
そこで人形を作って火を抱かせ、凧に載せて飛ばしたので、天に上るように見えた。翌日、人を遣わして道で言葉を広めさせた。「昨夜落ちた星が元に戻って上がった。」賊軍に疑いを起こさせたのである。
また白い馬を殺して星の落ちた地で祭り、祈って言った。「天の道は陽が剛く陰が柔らかく、人の道は君が尊く臣が卑しいものです。もしこれを取り替えれば、たちまち大きな乱となります。いま毗曇らは臣として君を謀り、下として上を犯しました。
16毗曇を斬る
此所謂亂臣賊子,人神所同疾,天地所不容。今,天若無意於此,而反見星怪於王城,此臣之所疑惑而不喩者也。惟天之威,從人之欲,善善惡惡,無作神羞。」於是,督諸將卒奮擊之,毗曇等敗走。追斬之,夷九族,連坐者三十人。
これはいわゆる乱臣賊子であり、人も神もともに憎むところ、天地の容れないところです。いま天がもしこれに意がないままに、かえって王城に星の怪しみを現されたのであれば、これは臣が疑い惑って解しえないところです。どうか天の威によって人の願いに従い、善を善とし悪を悪として、神の恥をお作りになりませんように。」
そこで諸将と兵を督励して奮い立って攻めたので、毗曇らは敗れて走った。追って斬り、九族を滅ぼしたので、連座した者は三十人であった。
17丕寧子が死し、唐が兵を出す
冬十月,百濟兵來,圍茂山、甘勿、桐岑等三城,王遣庾信,率步騎一萬拒之。苦戰氣竭,庾信謂丕寧子曰:「今日之事急矣,非子,誰能激衆心乎。」丕寧子拜曰:「敢不惟命之從。」遂赴敵。子擧眞及家奴合節隨之,突劒戟,力戰死之。軍士望之,感勵爭進,大敗賊兵,斬首三千餘級。眞德王大和元年戊申,春秋以不得請於高句麗,遂入唐乞師。太宗皇帝曰:「聞爾國庾信之名,其為人也如何?」對曰:「庾信雖少有才智,若不籍天威,豈易除隣患。」帝曰:「誠君子之國也。」乃詔許,勑將軍蘇定方,以師二十萬,徂征百濟。時,庾信為押梁州軍主,若無意於軍事,飲酒作樂,屢經旬月。州人以庾信為庸將,譏謗之曰:「衆人安居日久,力有餘,可以一戰,而將軍慵惰,如之何?」庾信聞之,知民可用,告大王曰:「今觀民心,可以有事。
冬十月、百済の兵が来て茂山・甘勿・桐岑など三つの城を囲んだので、王は庾信を遣わし、歩兵と騎兵一万を率いてこれを拒ませた。苦しく戦って気力が尽きたとき、庾信は丕寧子に言った。「今日の事は急である。おまえでなければ、誰が人々の心を激しく奮い立たせられようか。」
丕寧子は拝して言った。「敢えて命に従わないことがありましょうか。」そして敵に向かった。子の挙真と家の奴の合節が従い、剣や戟をくぐって力の限り戦って死んだ。兵たちはこれを望み見て感じ励み、争って進み、賊兵を大いに破って三千余りの首を斬った。
真徳王の太和元年戊申、春秋は高句麗に請うことができなかったので、ついに唐に入って兵を乞うた。太宗皇帝が言った。「おまえの国の庾信の名を聞いているが、その人となりはどのようであるか。」
答えて言った。「庾信は少しばかり才と智がありますが、もし天の威に頼らなければ、どうして隣の患いを容易に除けましょうか。」
皇帝が言った。「まことに君子の国である。」そこで詔して許し、将軍の蘇定方に勅して兵二十万をもって行き、百済を討たせた。
そのとき庾信は押梁州の軍主となっていたが、軍の事に意がないかのように酒を飲み楽を奏して、幾月も過ごした。州の人は庾信を役に立たない将だとして謗って言った。「人々が安らかに暮らして久しく、力が余っているから一戦できるのに、将軍が怠けているとはどうしたことか。」
庾信はこれを聞いて民が用いるに足ると知り、大王に申し上げた。「いま民の心を見ますと、事を起こすことができます。
18大梁城の外で百済を大いに破る
請伐百濟,以報大梁州之役。」王曰:「以小觸大,危將奈何?」對曰:「兵之勝否,不在大小,顧其人心何如耳。故紂有億兆人,離心離德,不如周家十亂同心同德。今,吾人一意,可與同死生,彼百濟者不足畏也。」王乃許之。遂簡練州兵赴敵。至大梁城外,百濟逆拒之。佯北不勝,至玉門谷。百濟輕之,大率衆來,伏發擊其前後,大敗之,獲百濟將軍八人,斬獲一千級,於是,使告百濟將軍曰:「我軍主品釋及其妻金氏之骨,埋於爾國獄中。今,爾裨將八人,見捉於我匍匐,請命。我以狐豹首丘山之意,未忍殺之。今,爾送死二人之骨,易生八人,可乎。」百濟仲常佐平言於王曰:「羅人骸骨,留之無益,可以送之。若羅人失信,不還我八人,則曲在彼,直在我,何患之有?」乃掘品釋夫妻之骨,櫝而送之。
どうか百済を討って、大梁州の戦いを報いさせてください。」
王が言った。「小をもって大に触れ、危うくなればどうするつもりか。」
答えて言った。「兵の勝ち負けは大小にあるのではなく、ただその人の心がどうであるかによります。ですから紂には億兆の人がありましたが、心が離れ徳が離れて、周家の十人が心を同じくし徳を同じくしたのに及びませんでした。いま我らの人は心を一つにし、ともに死生をともにできますから、あの百済は恐れるに足りません。」
王はそこで許した。
そして州の兵を選んで練り、敵に向かった。大梁城の外に至ると、百済が迎え拒んだ。わざと負けて勝てないふりをし、玉門谷に至った。百済はこれを軽んじて大いに兵を率いて来たので、伏せていた兵が起こってその前後を撃ち、大いに破り、百済の将軍八人を捕らえ、千の首を斬り獲た。
そこで百済の将軍に告げさせた。「我が軍主の品釈とその妻の金氏の骨が、おまえの国の獄の中に埋められている。いまおまえの裨将八人は我らに捕らえられて這いつくばり、命を乞うている。私は狐や豹が死ぬとき首を丘に向ける意をもって、これを殺すに忍びない。いまおまえが死んだ二人の骨を送って生きた八人と換えるのは、どうか。」
百済の仲常佐平が王に言った。「新羅の人の骸骨は留めておいても益がありませんから、送ってよいでしょう。もし新羅の人が信を失って我が八人を返さなければ、曲はあちらにあり、直は我にあります。何の心配がありましょうか。」そこで品釈夫妻の骨を掘り、櫃に納めて送った。
夾注 1
一作忠常。
百済の仲常は忠常とも書く。
19一葉が落ちても茂る林は損なわれない
庾信曰:「一葉落,茂林無所損,一塵集,大山無所增。」許八人生還。遂乘勝入百濟之境,攻拔嶽城等十二城,斬首二萬餘級,生獲九千人。論功,增秩伊飡,為上州行軍大摠管。又入賊境,屠進禮等九城,斬首九千餘級,虜得六百人。春秋入唐,請得兵二十萬來,見庾信曰:「死生有命,故得生還,復與公相見,何幸如焉。」庾信對曰:「下臣仗國威靈,再與百濟大戰,拔城二十,斬獲三萬餘人,又使品釋公及其夫人之骨,得反鄕里。此皆天幸所致也,吾何力焉。」
庾信が言った。「一葉が落ちても茂る林は損なわれるところがなく、一塵が集まっても大きな山は増えるところがない。」そして八人を生かして帰らせた。
そして勝ちに乗じて百済の境に入り、嶽城など十二の城を攻め取り、二万余りの首を斬り、九千人を生け捕りにした。功を論じて位を上げて伊飡とし、上州行軍大摠管とした。また賊の境に入り、進礼など九つの城を屠り、九千余りの首を斬り、六百人を捕虜とした。
春秋は唐に入って兵二十万を請い得て帰り、庾信に会って言った。「死生には命があるから、生きて帰ってまた公と相見ることができた。これほどの幸いがあろうか。」
庾信が答えた。「下臣は国の威と霊に頼って二度百済と大いに戦い、城二十を取り、三万余人を斬り獲え、また品釈公とその夫人の骨を故郷に帰らせることができました。これはみな天の幸いが致したところです。私に何の力がありましょうか。」