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黒歯常之黑齒常之

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 1 · 漢字 266字 · 朗読 1.1分

三国史記(三国時代の正史) 列傳 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1黒歯常之

黑齒常之,百濟西部人,長七尺餘,驍毅有謀略,為百濟達率兼風達郡將,猶唐刺史云。蘇定方平百濟,常之以所部降。而定方囚老王,縱兵大掠。常之懼,與左右酋長十餘人遯去,嘯合逋亡,依任存山自固,不旬日,歸者三萬。定方勒兵攻之,不克。遂復二百餘城。龍朔中,高宗遣使招諭,乃詣劉仁軌降,入唐為左領軍員外將軍洋州刺史。累從征伐積功,授爵賞殊等。久之,為燕然道大摠管,與李多祚等,擊突厥破之。左監門衛中郞將寶璧,欲窮追邀功,詔與常之共討,寶璧獨進,為虜所覆,擧軍沒。寶璧下吏誅,常之坐無功。會,周興等誣其與鷹揚將軍趙懷節叛,捕繫詔獄,投繯死。常之御下有恩,所乘馬為士所箠,或請罪之。答曰:「何遽以私馬,鞭官兵乎?」前後賞賜分麾下,無留貲。及死,人皆哀其枉。

黒歯常之は百済の西部の人である。身の丈は七尺余り、猛々しく毅く謀略があり、百済の達率兼風達郡将となった。唐の刺史のようなものだという。

蘇定方が百済を平らげると、常之は率いる者とともに降った。ところが定方が老いた王を捕らえ、兵を放って大いに掠奪したので、常之は恐れ、左右の酋長十余人とともに逃れ去り、逃げ散った者を呼び集め、任存山に拠って自ら固めたところ、十日とたたずに帰する者が三万になった。定方は兵を率いてこれを攻めたが、勝てなかった。こうして二百余りの城を取り戻した。

龍朔年間、高宗が使いを遣わして招き諭したので、そこで劉仁軌のもとに赴いて降り、唐に入って左領軍員外将軍・洋州刺史となった。たびたび征伐に従って功を積み、爵と賞を格別の等級で授けられた。

久しくして燕然道大摠管となり、李多祚らとともに突厥を撃って破った。左監門衛中郎将の宝璧が、どこまでも追って功を求めようとしたので、詔して常之とともに討たせたが、宝璧がひとり進んで虜に覆され、軍を挙げて失われた。宝璧は獄吏に下されて誅され、常之は功がなかったことに坐した。

ちょうど周興らが、彼が鷹揚将軍の趙懐節とともに叛いたと誣告したので、捕らえられて詔獄につながれ、縄に首をかけて死んだ。

常之は下の者を御するに恩があった。乗っていた馬が兵に鞭打たれたとき、ある者がこれを罪に問うよう請うと、答えて言った。「どうして自分の馬ごときのために、官の兵を鞭打とうか。」前後に受けた賞は配下に分け与え、留めた財はなかった。死ぬと、人はみなその冤罪を哀しんだ。