いにしえの文 › 三国史記(三国時代の正史) › 列傳

斯多含

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 1 · 漢字 213字 · 朗読 0.9分

三国史記(三国時代の正史) 列傳 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1斯多含

斯多含,系出眞骨,奈密王七世孫也,父仇梨知級飡。本高門華胄,風標淸秀,志氣方正,時人請奉為花郞,不得已為之。其徒無慮一千人,盡得其歡心。眞興王命伊飡異斯夫,襲加羅國。時,斯多含年十五六,請從軍,王以幼少不許,其請勤而志確,遂命為貴幢裨將,其徒從之者亦衆。及抵其國界,請於元帥,領麾下兵,先入旃檀梁。其國人,不意兵猝至,驚動不能禦,大兵乘之,遂滅其國。洎師還,王策功,賜加羅人口三百,受已皆放,無一留者。又賜田,固辭,王强之,請賜閼川不毛之地而已。含始與武官郞,約為死友。及武官病卒,哭之慟甚,七日亦卒,時年十七歲。

斯多含は、系が真骨から出ていて、奈密王の七世の孫であり、父は級飡の仇梨知である。もともと高い門の輝かしい子孫で、風采は清く秀で、志と気は方正であったので、当時の人が請うて奉じ花郎としたが、やむをえずこれになった。その徒はおよそ千人であったが、みなその心を喜ばせた。

真興王が伊飡の異斯夫に命じて加羅国を襲わせた。そのとき斯多含は十五、六歳であったが、従軍を請うた。王は幼いといって許さなかったが、その請いが切でその志が確かであったので、ついに命じて貴幢裨将とした。その徒で従う者もまた多かった。

その国の境に至ると、元帥に請うて配下の兵を率い、先に旃檀梁に入った。その国の人は兵が急に至ろうとは思わず、驚き動いて防ぐことができず、大軍がこれに乗じて、ついにその国を滅ぼした。

師が帰ると、王は功を策して加羅の人三百を賜ったが、受けるとみな放って、一人も留めた者がなかった。また田を賜ったが固く辞し、王が強いたので、閼川の痩せた地を賜ることだけを請うた。

含ははじめ武官郎と死をともにする友となる約束をしていたが、武官が病んで亡くなると、哭すること甚だ慟ましく、七日して自らも亡くなった。そのとき年は十七であった。

夾注 2

一作加耶。

加羅は加耶とも書く。

旃檀梁,城門名。加羅語謂門為梁云。

旃檀梁は城門の名である。加羅の言葉で門を梁というとのことである。