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祿眞

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 3 · 漢字 672字 · 朗読 2.7分

三国史記(三国時代の正史) 列傳 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1祿眞が忠恭を訪ねる

祿眞,姓與字,未詳。父秀奉一吉飡。祿眞二十三歲始仕,屢經內外官,至憲德大王十年戊戌,為執事侍郞。十四年,國王無嗣子,以母弟秀宗,為儲貳,入月池宮。時,忠恭角干為上大等,坐政事堂,注擬內外官,退公感疾,召國醫診脈,曰:「病在心臟,須服龍齒湯。」遂告暇三七日,杜門不見賓客。於是,祿眞造而請見,門者拒焉。祿眞日曰:「下官非不知相公移疾謝客,須獻一言於左右,以開鬱悒之慮,故此來耳,若不見,則不敢退也。」門者再三復之,於是,引見。祿眞進曰:「伏聞寶體不調,得非早朝晚罷,蒙犯風露,以傷榮衛之和,失支體之安乎?」曰:「未至是也,但昏昏嘿嘿,精神不快耳。」祿眞曰:「然則公之病,不須藥石,不須針砭,可以至言高論,一攻而破之也,公將聞之乎?」曰:「吾子不我遐遺,惠然光臨,願聽玉音,洗我胸臆。

祿眞は姓と字が詳らかでない。父は一吉飡の秀奉である。祿眞は二十三歳で初めて仕え、たびたび内外の官を経て、憲徳大王十年戊戌に至って執事侍郎となった。

十四年、国王に嗣ぐ子がなかったので、同母弟の秀宗を儲君として月池宮に入らせた。そのころ忠恭角干が上大等となり、政事堂に座って内外の官を選び擬していたが、公務から退いて病を得たので、国の医者を召して脈を診させると、医者が言った。「病は心臓にあります。ぜひ龍歯湯をお服みください。」

そして二十一日の暇を告げ、門を閉じて賓客に会わなかった。

そこへ祿眞が訪れて目通りを請うたが、門番が拒んだ。祿眞が言った。「下官は相公が病を理由に客を謝しておられることを知らないわけではない。ぜひ御前に一言を申し上げて鬱いだお心を開いていただきたく、それでこうして来たまでである。もしお会いできなければ、敢えて退かない。」

門番が二度三度取り次いだので、そこで引き入れて会った。

祿眞が進み出て言った。「伏して伺いますに、御体が調わぬとのこと。早く朝して遅く退き、風や露を冒されて栄衛の和を損ない、手足の安らぎを失われたのではありませんか。」

言った。「そこまでには至っていない。ただ、ぼんやりと黙りがちで、精神が快くないだけだ。」

祿眞が言った。「それならば公のご病気は、薬も石も要らず、針も砭も要りません。至極の言葉と高い議論をもって、一度に撃ち破ることができます。公はお聞きになりますか。」

言った。「おまえが私を遠く見捨てず、恵み深く光臨してくれたのだ。願わくは玉のような言葉を聞いて、我が胸の内を洗いたい。」

2宰相は大工のようなもの

」祿眞曰:「彼梓人之為室也,材大者為梁柱,小者為椽榱,偃者植者各安所施,然後,大廈成焉。古者,賢宰相之為政也,又何異焉?才巨者,置之高位,小者授之薄任。內則六官、百執事,外則方伯、連率、郡守、縣令,朝無闕位,位無非人,上下定矣,賢不肖分矣,然後,王政成焉。今則不然,徇私而滅公,為人而擇官,愛之則雖不材,擬送於雲霄,憎之則雖有能,圖陷於溝壑。取捨混其心,是非亂其志,則不獨國事溷濁,而為之者,亦勞且病矣。若其當官淸白,蒞事恪恭,杜貨賂之門,遠請託之累,黜陟只以幽明,予奪不以愛憎,如衡焉,不可枉以輕重,如繩焉,不可欺以曲直。如是,則刑政允穆,國家和平,雖曰開孫弘之閤,置曹參之酒,與朋友故舊,談笑自樂可也。

祿眞が言った。「かの大工が家を建てるとき、材の大きなものは梁や柱とし、小さなものは垂木とし、横たわるものも立てるものもそれぞれ用いるべき所に安んじて、そうしてのちに大きな家が成ります。昔の賢い宰相が政を行うのも、また何が異なりましょうか。

才の大きな者は高い位に置き、小さな者には軽い任を授けます。内には六官と百の執事、外には方伯・連率・郡守・県令があって、朝廷に欠けた位がなく、位に適わぬ人がなく、上下が定まり賢と不肖が分かれて、そうしてのちに王の政が成ります。

いまはそうではなく、私に従って公を滅ぼし、人に合わせて官を選びます。愛すれば材でなくとも雲の上に送ろうとし、憎めば能があっても溝や谷に陥れようと図ります。取ると捨てるがその心を混ぜ、是と非がその志を乱すのですから、国の事が濁るばかりでなく、それを行う者もまた労し、かつ病みます。

もし官に当たっては清白に、事に臨んでは恪しく恭しく、賄賂の門を閉ざし請託のわずらいを遠ざけ、退けると昇らせるとをただ幽と明によって決め、与えると奪うとを愛憎によらず、秤のように軽重で枉げられず、墨縄のように曲直で欺かれないようになさいませ。このようであれば、刑と政はまことに睦まじく、国家は和平で、たとえ公孫弘の閤を開き曹参の酒を置いて、友や旧知と談笑し自ら楽しまれても構いますまい。

3忠恭が朝に出る

又何必區區於服餌之間,徒自費日廢事為哉?」角干,於是,謝遣醫官,命駕朝王室。王曰:「謂卿剋日服藥,何以來朝?」答曰:「臣聞祿眞之言,同於藥石,豈止飲龍齒湯而已哉?」因為王一一陳之。王曰:「寡人為君,卿為相,而有人直言如此,何喜如焉?不可使儲君不知,宜往月池宮。」儲君聞之,入賀曰:「嘗聞君明則臣直,此亦國家之美事也。」後,熊川州都督憲昌反叛,王擧兵討之,祿眞從事有功,王授位大阿飡,辭不受。

また、どうして必ずしも細々と薬を服むことにかかずらい、いたずらに日を費やし事を廃されましょうか。」

角干はそこで医官に謝して帰らせ、車を命じて王室に朝した。

王が言った。「卿は日を定めて薬を服むと言っていたのに、どうして朝しに来たのか。」

答えた。「臣は祿眞の言葉を聞きましたが、薬や石と同じでした。どうして龍歯湯を飲むどころでありましょうか。」そして王のために一つ一つこれを述べた。

王が言った。「寡人が君となり卿が相となって、このように直言する人があるとは、これほどの喜びがあろうか。儲君に知らせないわけにはいかない。月池宮に行くがよい。」

儲君はこれを聞いて入って祝い、言った。「かつて聞くところでは、君が明らかであれば臣は直いといいます。これもまた国家の美しい事です。」

後に熊川州都督の憲昌が叛いたので、王は兵を挙げてこれを討ったが、祿眞は事に従って功があり、王は大阿飡の位を授けたが、辞して受けなかった。