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密友・紐由密友、紐由

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 2 · 漢字 383字 · 朗読 1.5分

三国史記(三国時代の正史) 列傳 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1密友が王を救う

密友、紐由者,並高句麗人也。東川王二十年,魏幽州刺史毌丘儉,將兵來侵,陷丸都城。王出奔,將軍王頎追之。王欲奔南沃沮,至于竹嶺,軍士奔散殆盡。唯東部密友,獨在側,謂王曰:「今追兵甚迫,勢不可脫。臣請決死而禦之,王可遁矣。」遂募死士,與之赴敵力戰,王僅得脫而去,依山谷,聚散卒自衛。謂曰:「若有能取密友者,厚賞之。」下部劉屋句前對曰:「臣試往焉。」遂於戰地,見密友伏地,乃負而至,王枕之以股,久而乃蘇。王間行轉輾,至南沃沮,魏軍追不止。王計窮勢屈,不知所為。東部人紐由進曰:「勢甚危迫,不可徒死。臣有愚計,請以飲食,往犒魏軍,因伺隙,刺殺彼將,若臣計得成,則王可奮擊決勝。」王曰:「諾。」紐由入魏軍,詐降曰:「寡君獲罪於大國,逃至海濱,措躬無地矣。

密友と紐由はいずれも高句麗の人である。

東川王二十年、魏の幽州刺史の毌丘倹が兵を率いて侵し来り、丸都城を落とした。王が逃れ出ると、将軍の王頎が追った。王は南沃沮に逃れようとして竹嶺に至ったが、兵は散り失せてほとんど尽きた。

ただ東部の密友だけがひとり傍らにあって、王に言った。「いま追う兵がはなはだ迫っており、勢いとして脱れることはできません。臣が死を決してこれを防ぎますから、王はお逃れください。」

そして死を期す兵を募り、ともに敵に向かって力戦したので、王はかろうじて脱れ去り、山谷に拠って散った兵を集め自ら守った。そして言った。「もし密友を連れてこられる者があれば、厚く賞しよう。」

下部の劉屋句が前に進み出て答えた。「臣が試みに行ってまいりましょう。」そして戦場で密友が地に伏しているのを見つけ、背負って来た。王が股を枕にさせると、しばらくして息を吹き返した。

王は間道を伝って転々とし、南沃沮に至ったが、魏の軍は追うことをやめなかった。王は計が窮まり勢いが屈して、どうしてよいかわからなかった。

東部の人の紐由が進み出て言った。「勢いははなはだ危うく迫っていますから、いたずらに死ぬわけにはまいりません。臣に愚かな計があります。飲食を持って行って魏の軍を犒い、その隙をうかがってあちらの将を刺し殺すことをお許しください。もし臣の計が成れば、王は奮い撃って勝ちを決せられましょう。」

王が言った。「よし。」

紐由は魏の軍に入り、偽り降って言った。「我が君は大国に罪を得て、海辺に逃れ、身を措く所もありません。

2紐由が魏の将を刺す

將以請降於陣前,歸死司寇,先遣小臣,致不腆之物,為從者羞。」魏將聞之,將受其降,紐由隱刀食器,進前拔刀,刺魏將胸,與之俱死,魏軍遂亂。王分軍為三道,急擊之,魏軍擾亂,不能陳,遂自樂浪而退。王復國論功,以密友、紐由,為第一。賜密友巨谷、靑木谷,賜屋句鴨綠豆訥河原,以為食邑,追贈紐由為九使者。又以其子多優為大使者。

まさに陣の前に降りを請い、司寇に死を委ねようとして、まず小臣を遣わし、粗末な物を差し上げてお従いの方々の膳に供えさせるのです。」

魏の将はこれを聞き、その降りを受けようとした。紐由は食器に刀を隠しておき、前に進み出て刀を抜き、魏の将の胸を刺し、ともに死んだので、魏の軍はついに乱れた。

王は軍を三つの道に分けて急いで撃ったので、魏の軍は擾れ乱れて陣を組むことができず、ついに楽浪の方から退いた。

王は国を取り戻して功を論じ、密友と紐由を第一とした。密友に巨谷と青木谷を、屋句に鴨緑と豆訥河原を賜って食邑とし、紐由には九使者を追贈し、またその子の多優を大使者とした。