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勿稽子

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 1 · 漢字 247字 · 朗読 1.0分

三国史記(三国時代の正史) 列伝 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1勿稽子

勿稽子,奈解尼師今時人也。家世平微,為人倜儻,少有壯志。時八浦上國同謀伐阿羅國,阿羅使來,請救。尼師今使王孫捺音,率近郡及六部軍往救,遂敗八國兵。是役也,勿稽子有大功,以見憎於王孫,故不記其功。或謂勿稽子曰:「子之功莫大,而不見錄,怨乎?」曰:「何怨之有?」或曰:「盍聞之於王?」勿稽子曰:「矜功求名,志士所不為也。但當勵志,以待後時而已。」後三年,骨浦、柒浦、古史浦三國人,來攻竭火城,王率兵出救,大敗三國之師,勿稽子斬獲數十餘級,及其論功,又無所得。乃語其婦曰:「嘗聞為臣之道,見危則致命,臨難則忘身,前日浦上竭火之役,可謂危且難矣,而不能以致命忘身,聞於人,將何面目以出市朝乎?」遂被髮携琴,入師彘山,不返。

勿稽子は奈解尼師今のときの人である。家は代々平凡で低かったが、人柄がこだわりなく、若くして壮んな志があった。

そのとき八つの浦上の国がともに謀って阿羅国を討ったので、阿羅の使いが来て救いを請うた。尼師今は王孫の捺音に、近い郡と六部の軍を率いて行って救わせ、ついに八国の兵を破った。

この戦で勿稽子には大きな功があったが、王孫に憎まれたので、その功は記されなかった。

ある者が勿稽子に言った。「あなたの功はこの上なく大きいのに記されない。恨めしくはないか。」

言った。「何の恨みがあろうか。」

ある者が言った。「どうして王に申し上げないのか。」

勿稽子は言った。「功を誇り名を求めるのは、志ある士のしないことだ。ただ志を励まして、後の時を待つだけだ。」

後に三年たって、骨浦・柒浦・古史浦の三国の人が竭火城を攻めに来たので、王は兵を率いて出て救い、三国の軍を大いに破った。勿稽子は数十余を斬ったり捕らえたりしたが、功を論ずるにあたって、また得るものがなかった。

そこでその妻に言った。「かつて聞いたが、臣たる道は、危ういのを見れば命を捧げ、難に臨めば身を忘れるという。先日の浦上と竭火の戦は、危うくまた難しかったといえるのに、命を捧げ身を忘れたと人に聞かれることができなかった。これからどんな顔で市や朝廷に出られようか。」

ついに髪を解き琴を携えて、師彘山に入り、帰らなかった。