いにしえの文 › 世説新語(世に語られた新しい話)

簡傲世説新語 簡傲第二十四

世説新語(世に語られた新しい話) 世說新語 · 劉義慶 編 · 劉孝標 注 · 南朝・宋(5世紀)· 梁の劉孝標の注 · 段落 17 · 漢字 1,346字 · 朗読 5.4分

世説新語(世に語られた新しい話) 「日は遠いです。人が日のそばから来たという話を聞いたことがありませんから、それで分かります」 — 幼い子が父の膝で言った答えである。翌日もう一度問われると「日は近いです。目を上げれば日は見えますが、長安は見えません」と答えた。後漢の末から東晋まで二百余年、人びとが交わした言葉と身ぶりだけを三十六の類に分けて集めた。徳行・言語・政事・文学から始まり、奢り・怒り・妬み・仇まで下るので、称えるべきものと責めるべきものを同じ重さに置いたことになる。竹林の七人が現れ、王羲之が婿に選ばれ、雪の降る夜に舟を漕いで友の家の前まで行き、興が尽きたと言って帰る。一片はおおむね三、四行、長くても一頁を越えない。劉孝標が百余種の書を引いて付けた注は、それらの書がほとんど失われた今、かえって本文より長く残った。

1ただ阮籍だけが席で足を投げ出し口笛を吹いて歌い飲みほうけて平然としていた

晉文王功德盛大,坐席嚴敬,擬於王者。唯阮籍在坐,箕踞嘯歌,酣放自若。

晋の文王は功も徳も盛んで大きく、座席は厳かで敬い慎み、王たる者になぞらえられた。

ただ阮籍だけが席で足を投げ出し、口笛を吹いて歌い、飲みほうけて平然としていた。

夾注 1

漢晉春秋曰:「文王進爵為王,司徒何曾與朝臣皆盡禮,唯王祥長揖不拜。」

『漢晋春秋』に言う。「文王が爵を進めて王となると、司徒の何曾と朝廷の臣はみな礼を尽くしたが、ただ王祥だけは長く揖して拝さなかった」

2ただ公栄にだけは酒をやらなくてもよい

王戎弱冠詣阮籍,時劉公榮在坐。阮謂王曰:「偶有二斗美酒,當與君共飲。彼公榮者,無預焉。」二人交觴酬酢,公榮遂不得一桮。而言語談戲,三人無異。或有問之者,阮答曰:「勝公榮者,不得不與飲酒;不如公榮者,不可不與飲酒;唯公榮,可不與飲酒。」

王戎が二十歳そこそこで阮籍を訪ねたとき、劉公栄が席にいた。

阮籍は王戎に言った。「ちょうど二斗の美酒があるので、ぜひ君と一緒に飲もう。あの公栄という者は、これに与らない」

二人が杯をやり取りして、公栄はついに一杯も得られなかった。しかし語り、話し、戯れることでは、三人に違いはなかった。

ある人がこれを問うと、阮籍は答えた。「公栄より勝る者とは、飲まずにいられない。公栄に及ばない者とも、飲まずにいられない。ただ公栄にだけは、酒をやらなくてもよい」

夾注 1

晉陽秋曰:「戎年十五,隨父渾在郎舍,阮籍見而說焉。每適渾俄頃,輒在戎室久之。乃謂渾:『濬沖清尚,非卿倫也。』戎嘗詣籍共飲,而劉昶在坐不與焉。昶無恨色。既而戎問籍曰:『彼為誰也?』曰:『劉公榮也。』濬沖曰:『勝公榮,故與酒;不如公榮,不可不與酒;唯公榮者,可不與酒。』」竹林七賢論曰:「初,籍與戎父渾俱為尚書郎,每造渾,坐未安,輒曰:『與卿語,不如與阿戎語。』就戎,必日夕而返。籍長戎二十歲,相得如時輩。劉公榮通士,性尤好酒。籍與戎酬酢終日,而公榮不蒙一桮,三人各自得也。戎為物論所先,皆此類。」

『晋陽秋』に言う。「戎は年十五のとき、父の渾に従って郎舎にいたが、阮籍は見て喜んだ。渾のところへ行くたびにわずかの間で、すぐに戎の部屋に長くいた。そこで渾に言った。『濬沖は清らかで高く、卿の仲間ではない』。戎がかつて籍を訪ねてともに飲んだとき、劉昶が席にいたが仲間に入れなかった。昶は恨む顔色がなかった。やがて戎が籍に問うて『あの方は誰ですか』と言うと、『劉公栄だ』と言った。濬沖は『公栄より勝れば、だから酒をやる。公栄に及ばなければ、酒をやらずにいられない。ただ公栄という者だけは、酒をやらなくてもよい』と言った」。『竹林七賢論』に言う。「初め、籍は戎の父の渾とともに尚書郎であったが、渾のところへ行くたびに、座が落ち着かないうちに、すぐに『卿と語るのは、阿戎と語るのに及ばない』と言った。戎のところへ行けば、必ず日が暮れてから帰った。籍は戎より二十歳上であったが、互いに得ることは同じ年輩のようであった。劉公栄は通達した士で、性としてとりわけ酒を好んだ。籍は戎と一日中杯をやり取りしたが、公栄は一杯も受けられず、それでも三人はそれぞれにおのずから満ち足りていた。戎が世の評に先立てられたのは、みなこういう類である」

3何を聞いて来て何を見て去るのか

鍾士季精有才理,先不識嵇康。鍾要于時賢雋之士,俱往尋康。康方大樹下鍛,向子期為佐鼓排。康揚槌不輟,傍若無人,移時不交一言。鍾起去,康曰:「何所聞而來?何所見而去?」鍾曰:「聞所聞而來,見所見而去。」

鍾士季は精しく才と理を備えていたが、以前は嵇康を知らなかった。

鍾会はこのころの賢くすぐれた士を誘い、ともに嵇康を訪ねて行った。

嵇康はちょうど大きな木の下で鉄を打っており、向子期が手伝って鞴を押していた。

嵇康は槌を挙げることをやめず、傍らに人がいないかのようで、時が移るまで一言も交わさなかった。

鍾会が立ち去ろうとすると、嵇康は言った。「何を聞いて来て、何を見て去るのか」

鍾会は言った。「聞いたことを聞いて来て、見たことを見て去る」

夾注 1

文士傳曰:「康性絕巧,能鍛鐵。家有盛柳樹,乃激水以圜之,夏天甚清涼,恆居其下傲戲,乃身自鍛。家雖貧,有人說鍛者,康不受直。唯親舊以雞酒往與共飲噉,清言而已。」魏氏春秋曰:「鍾會為大將軍兄弟所暱,聞康名而造焉。會名公子,以才能貴幸,乘肥衣輕,賓從如雲。康方箕踞而鍛,會至不為之禮,會深銜之。後因呂安事,而遂譖康焉。」

『文士伝』に言う。「康は性がきわめて巧みで、鉄を打つことができた。家に茂った柳の木があったので、水を引いてこれを囲んだが、夏の日にはなはだ清らかに涼しく、いつもその下にいて傲然と遊び、そこで自ら鉄を打った。家は貧しかったが、ある人が鍛え物を頼んでも、康は代金を受け取らなかった。ただ親しい者や古い知り合いが鶏と酒を持って行って、ともに飲み食いし、清らかに語るだけであった」。『魏氏春秋』に言う。「鍾会は大将軍の兄弟に親しまれていたが、康の名を聞いて彼を訪ねた。会は名ある公子で、才と能によって貴ばれ寵せられ、肥えた馬に乗り軽やかな衣を着て、賓客も従者も雲のようであった。康はちょうど足を投げ出して鉄を打っており、会が着いても彼のために礼をしなかったので、会は深くこれを恨みに含んだ。のちに呂安の事に因って、ついに康を讒した」

4門の上に鳳の字を書いて去った

嵇康與呂安善,每一相思,千里命駕。安後來,值康不在,喜出戶延之,不入。題門上作「鳳」字而去。喜不覺,猶以為欣,故作「鳳」字,凡鳥也。

嵇康は呂安と親しく、ひとたび互いに思えば千里でも車を命じた。

呂安があとで来たとき、ちょうど嵇康がいなかった。

嵇喜が戸を出て彼を迎えたが、入らなかった。

門の上に「鳳」の字を書いて去った。

嵇喜は気づかずなお喜んでいたが、わざと「鳳」の字を書いたのは「凡鳥」、つまり並の鳥という意味であった。

夾注 3

晉陽秋曰:「安字中悌,東平人,冀州刺史招之第二子。志量開曠,有拔俗風氣。」干寶晉紀曰:「初,安之交康也,其相思則率爾命駕。」

『晋陽秋』に言う。「安は字は中悌、東平の人で、冀州刺史の招の第二子である。志も度量も開け広く、俗を抜け出た風格と気があった」。干宝の『晋紀』に言う。「初め、安が康と交わるとき、互いに思えば思いのままに車を命じた」

晉百官名曰:「嵇喜字公穆,歷揚州刺史,康兄也。阮籍遭喪,往弔之。籍能為青白眼,見凡俗之士,以白眼對之。及喜往,籍不哭,見其白眼,喜不懌而退。康聞之,乃齎酒挾琴而造之,遂相與善。」干寶晉紀曰:「安嘗從康,或遇其行,康兄喜拭席而待之,弗顧,獨坐車中。康母就設酒食,求康兒共與戲。良久則去,其輕貴如此。」

『晋百官名』に言う。「嵇喜は字は公穆、揚州刺史を歴任した、康の兄である。阮籍が喪に遭ったとき、行ってこれを弔った。籍は青い眼と白い眼をすることができ、並の俗な士を見ると白い眼でこれに対した。喜が行くと、籍は哭かずその白い眼を見せたので、喜は面白くなく退いた。康はこれを聞いて、酒を携え琴を抱えて彼を訪ね、ついに互いに親しくなった」。干宝の『晋紀』に言う。「安はかつて康を訪ねたが、ときに彼が出かけているのに出会うと、康の兄の喜が席を拭いて待っていても顧みず、一人で車の中に座っていた。康の母が出てきて酒や食事を設け、康の子を呼んでともに遊んだ。長いことしてから去ったが、その貴い者を軽く見るさまはこのようであった」

許慎說文曰:「鳳,神鳥也。從鳥,凡聲。」

許慎の『説文』に言う。「鳳は神なる鳥である。鳥に従い、凡が声である」

5東呉には柄の長い瓢があるというが卿は種を手に入れて来たか

陸士衡初入洛,咨張公所宜詣;劉道真是其一。陸既往,劉尚在哀制中。性嗜酒,禮畢,初無他言,唯問:「東吳有長柄壺盧,卿得種來不?」陸兄弟殊失望,乃悔往。

陸士衡が初めて洛陽に入ったとき、張公に訪ねるべき人を伺ったが、劉道真はその一人であった。

陸士衡が行ってみると、劉道真はまだ喪の期間にあった。

性として酒を嗜んでいたので、礼を終えると初めは他の話もなく、ただこう問うた。「東呉には柄の長い瓢があるというが、卿は種を手に入れて来たか」

陸氏の兄弟はすっかり望みを失って、行ったことを悔いた。

6鵲の子を手に入れて帰り降りてきてあやしながらも傍らに人がいないかのようであった

王平子出為荊州,王太尉及時賢送者傾路。時庭中有大樹,上有鵲巢。平子脫衣巾,徑上樹取鵲子。涼衣拘閡樹枝,便復脫去。得鵲子還,下弄,神色自若,傍若無人。

王平子が出て荊州となったとき、王太尉やそのころの賢者で見送る者が道に溢れた。

そのとき庭の中に大きな木があり、その上に鵲の巣があった。

平子は衣と頭巾を脱いでまっすぐ木に登り、鵲の子を取ったが、薄い衣が木の枝に引っかかると、すぐにまたそれも脱ぎ捨てた。

鵲の子を手に入れて帰り、降りてきてあやしていたが、気持ちも顔色も平然として、傍らに人がいないかのようであった。

夾注 2

晉陽秋曰:「惠帝時,太尉王夷甫言於選者,以弟澄為荊州刺史,從弟敦為青州刺史。澄、敦俱詣太尉辭。太尉謂曰:『今王室將卑,故使弟等居齊、楚之地,外可以建霸業,內足以匡帝室,所望於二弟也!』」

『晋陽秋』に言う。「恵帝のとき、太尉の王夷甫が選任する者に言って、弟の澄を荊州刺史とし、従弟の敦を青州刺史とした。澄と敦はともに太尉を訪ねて暇を告げた。太尉は言った。『今、王室はまさに卑しくなろうとしている。だから弟たちを斉と楚の地に置くのだ。外には覇の業を建てることができ、内には帝室を匡すに足る。二人の弟に望むところである』」

鄧粲晉紀曰:「澄放蕩不拘,時謂之達。」

鄧粲の『晋紀』に言う。「澄は放蕩で拘らなかったので、当時はこれを達と言った」

7あの人は礼法の人だ

高坐道人於丞相坐,恆偃臥其側。見卞令,肅然改容云:「彼是禮法人。」

高坐道人は丞相の席で、いつもその傍らに寝そべっていた。

卞令を見ると、厳かに顔色を改めて言った。「あの人は礼法の人だ」

夾注 1

高坐傳曰:「王公曾詣和上,和上解帶偃伏,悟言神解。見尚書令卞望之,便斂衿飾容。時歎皆得其所。」

『高坐伝』に言う。「王公がかつて和上を訪ねると、和上は帯を解いて寝そべっていたが、言葉を悟って神で解した。尚書令の卞望之を見ると、すぐに襟を整えて姿を飾った。当時はみなその所を得たと感嘆した」

8あなたに狂った司馬がいなければ私は何によってお会いできましょう

桓宣武作徐州,時謝奕為晉陵。先粗經虛懷,而乃無異常。及桓還荊州,將西之間,意氣甚篤,奕弗之疑。唯謝虎子婦王悟其旨。每曰:「桓荊州用意殊異,必與晉陵俱西矣!」俄而引奕為司馬。奕既上,猶推布衣交。在溫坐,岸幘嘯詠,無異常日。宣武每曰:「我方外司馬。」遂因酒,轉無朝夕禮。桓舍入內,奕輒復隨去。後至奕醉,溫往主許避之。主曰:「君無狂司馬,我何由得相見?」

桓宣武が徐州となったとき、謝奕が晋陵であった。

それ以前はおおまかに心を開いて会ったことがあるだけで、特に常と異なるところはなかった。

桓温が荊州に帰り、西へ行こうとするころ、心も気も非常に篤かったが、謝奕はこれを疑わなかった。

ただ謝虎子の妻の王氏だけがその意を悟って、いつも言った。「桓荊州の心の用い方はかなり変わっている。きっと晋陵とともに西へ行くだろう」

やがて謝奕を引いて司馬とした。

謝奕は上っていってからも、なお布衣のころの交わりで押し通した。

温の席では頭巾を岸のように後ろへ押し上げ、口笛を吹き詠んで、常の日と違わなかった。

宣武はいつも言った。「わが方外の司馬だ」

ついに酒のせいで、いっそう朝夕の礼がなくなった。

桓氏が放っておいて奥に入ると、謝奕はすぐにまた付いて行った。

のちに謝奕が酔うに至ると、温は奥方のところへ行って彼を避けた。

奥方は言った。「あなたに狂った司馬がいなければ、私は何によってお会いできましょう」

夾注 2

中興書曰:「奕自吏部郎,出為晉陵太守。」

『中興書』に言う。「奕は吏部郎から出て晋陵の太守となった」

虎子,謝據小字,奕弟也。其妻王氏,已見。

虎子は謝据の幼い名で、奕の弟である。その妻の王氏は、すでに見える。

9新しく出てきた家柄はしっかりしているが礼がない

謝萬在兄前,欲起索便器。于時阮思曠在坐曰:「新出門戶,篤而無禮。」

謝万が兄の前で、立ち上がって便器を探そうとした。

このとき阮思曠が席にいて言った。「新しく出てきた家柄は、しっかりしているが礼がない」

10人は君侯を愚かだと言うが君侯はまことにおのずから愚かだ

謝中郎是王藍田女壻,嘗箸白綸巾,肩輿徑至揚州聽事見王,直言曰:「人言君侯癡,君侯信自癡。」藍田曰:「非無此論,但晚令耳。」

謝中郎は王藍田の娘の婿である。

かつて白い綸の頭巾をかぶり、輿でまっすぐ揚州の庁舎に着いて王氏に会い、ずばりと言った。「人は君侯を愚かだと言うが、君侯はまことにおのずから愚かだ」

藍田は言った。「そういう論がないわけではないが、ただ名を成すのが遅いだけだ」

夾注 2

謝氏譜曰:「萬取太原王述女,名荃。」

『謝氏譜』に言う。「万は太原の王述の娘を娶り、名は荃である」

述別傳曰:「述少真獨退靜,人未嘗知,故有晚令之言。」

『述別伝』に言う。「述は若いころ真率で一人退いて静かだったので、人がまだ知らなかった。だから名を成すのが遅いという言葉があった」

11生をまだ知らないのにどうして死を知りましょう

王子猷作桓車騎騎兵參軍,桓問曰:「卿何署?」答曰:「不知何署,時見牽馬來,似是馬曹。」桓又問:「官有幾馬?」答曰:「不問馬,何由知其數?」又問:「馬比死多少?」答曰:「未知生,焉知死?」

王子猷が桓車騎の騎兵参軍となった。

桓氏が問うた。「卿は何の役所か」

答えた。「何の役所かわかりません。ときどき馬を引いて来るのを見ますから、馬の役所のようです」

桓氏がまた問うた。「役所に馬は何頭いるのか」

答えた。「馬を問いませんでしたので、何によってその数を知りましょう」

また問うた。「馬は近ごろ何頭死んだのか」

答えた。「生をまだ知らないのに、どうして死を知りましょう」

夾注 3

中興書曰:「桓沖引徽之為參軍,蓬首散帶,不綜知其府事。」

『中興書』に言う。「桓沖が徽之を引いて参軍としたが、髪をよもぎのようにし帯を解き放って、その府の事を綜べ知ろうとしなかった」

論語曰:「廄焚,孔子退朝曰:『傷人乎?』不問馬。」注:「貴人賤畜,故不問也。」

『論語』に言う。「厩が焼けたとき、孔子は朝廷から退いて『人に怪我はなかったか』と言われ、馬を問われなかった」。注に「人を貴び畜を賤しむので、問われなかった」とある。

論語曰:「子路問死。孔子曰:『未知生,焉知死?』」馬融注曰:「死事難明,語之無益,故不答。」

『論語』に言う。「子路が死について問うと、孔子は『生をまだ知らないのに、どうして死を知ろうか』と言われた」。馬融の注に言う。「死の事は明らかにしがたく、語っても益がないので、答えられなかった」

12阿螭はそんなことをする人ではない

謝公嘗與謝萬共出西,過吳郡。阿萬欲相與共萃王恬許,太傅云:「恐伊不必酬汝,意不足爾!」萬猶苦要,太傅堅不回,萬乃獨往。坐少時,王便入門內,謝殊有欣色,以為厚待已。良久,乃沐頭散髮而出,亦不坐,仍據胡床,在中庭曬頭,神氣傲邁,了無相酬對意。謝於是乃還。未至船,逆呼太傅。安曰:「阿螭不作爾!」

謝公がかつて謝万とともに西へ出て、呉郡を通った。

阿万が互いにともに王恬のところへ集まろうとすると、太傅は言った。「あの人は必ずしもお前に応えてはくれないだろう。その気持ちを持つほどのことではない」

謝万はなお苦しく求めたが、太傅は固く意を変えなかったので、謝万はそこで一人で行った。

座ってしばらくすると王氏はすぐに門の内に入ったので、謝万はかなり喜ぶ顔色があり、自分を厚くもてなしてくれるのだと思った。

長いことしてから、頭を洗い髪をほどいて出てきたが、やはり座らず、そのまま胡床に腰をかけ、中庭で髪を乾かしながら、気も様子も傲り高ぶって、少しも応じ向かい合う気がなかった。

謝万はそこですぐに帰った。船に着く前から、先に太傅を呼んだ。

謝安は言った。「阿螭はそんなことをする人ではない」

夾注 2

恬已見。時為吳郡太守。

恬はすでに見える。そのとき呉郡の太守であった。

王恬,小字螭虎。

王恬は、幼い名は螭虎である。

13西山に朝が来てかなり爽やかな気がある

王子猷作桓車騎參軍。桓謂王曰:「卿在府久,比當相料理。」初不答,直高視,以手版拄頰云:「西山朝來,致有爽氣。」

王子猷が桓車騎の参軍となった。

桓氏は王氏に言った。「卿は府にいて久しいから、そろそろ君のことを取り計らってやらねばなるまい」

初めは答えず、ただ高く見上げ、手板で頬を支えて言った。「西山に朝が来て、かなり爽やかな気がありますね」

14諸君はみな強い兵卒だ

謝萬北征,常以嘯詠自高,未嘗撫慰眾士。謝公甚器愛萬,而審其必敗,乃俱行。從容謂萬曰:「汝為元帥,宜數喚諸將宴會,以說眾心。」萬從之。因召集諸將,都無所說,直以如意指四坐云:「諸君皆是勁卒。」諸將甚忿恨之。謝公欲深箸恩信,自隊主將帥以下,無不身造,厚相遜謝。及萬事敗,軍中因欲除之。復云:「當為隱士。」故幸而得免。

謝万が北を征つとき、いつも口笛を吹き詠んで自ら高ぶり、多くの兵士をいたわり慰めたことがなかった。

謝公は謝万をたいへん器として愛していたが、彼が必ず敗れることを見抜いて、そこでともに行った。

静かに謝万に言った。「お前は元帥になったのだから、諸将をたびたび呼んで宴を開き、兵たちの心を喜ばせるのがよい」

謝万はこれに従った。

そこで諸将を召し集めたが、まったく言うこともなく、ただ如意で四方の座を指して言った。「諸君はみな強い兵卒だ」

諸将はたいへんこれを怒り恨んだ。

謝公は深く恩と信を示そうとして、隊の長や将帥から下まで、身を運んで訪ねない者はなく、厚く低頭して礼を述べた。

謝万の事が敗れると、軍中ではそれを理由に彼を除こうとしたが、改めてこう言った。「隠士のためにするべきだ」

それで幸いに免れることができた。

夾注 1

萬敗事已見上。

万が敗れた事はすでに上に見える。

15嘉賓が死んでいなければ鼠のような奴らがこんなことをあえてしようか

王子敬兄弟見郗公,躡履問訊,甚脩外生禮。及嘉賓死,皆箸高屐,儀容輕慢。命坐,皆云:「有事,不暇坐。」既去,郗公慨然曰:「使嘉賓不死,鼠輩敢爾!」

王子敬の兄弟が郗公に会うときは、履を忍び足で踏んで挨拶し、はなはだ甥の礼を尽くした。

嘉賓が死ぬと、二人とも高い木履をはき、立ち居も様子も軽く傲慢であった。

座るよう命じると、二人とも言った。「用事がありますので、座る暇がありません」

去ってから、郗公は感慨して言った。「嘉賓が死んでいなければ、鼠のような奴らがこんなことをあえてしようか」

夾注 1

愔子超,有盛名,且獲寵於桓溫,故為超敬愔。

愔の子の超は盛んな名があり、しかも桓温に寵を得ていたので、超のために愔を敬ったのである。

16主人はまったく我慢できずすぐに左右の者に門を閉めて出させないよう命じた

王子猷嘗行過吳中,見一士大夫家,極有好竹。主已知子猷當往,乃灑埽施設,在聽事坐相待。王肩輿徑造竹下,諷嘯良久。主已失望,猶冀還當通,遂直欲出門。主人大不堪,便令左右閉門不聽出。王更以此賞主人,乃留坐,盡歡而去。

王子猷がかつて呉の地を通りかかったとき、ある士大夫の家にきわめてよい竹があるのを見た。

主人はすでに子猷が来るだろうと知っていたので、水を打って掃き、席を設け、庁舎に座って待っていた。

王氏は輿でまっすぐ竹の下に着き、詠み口笛を吹くことをしばらく続けた。

主人はすでに望みを失っていたが、それでも帰りには挨拶に来るだろうと望んだのに、王氏はついにまっすぐ門を出ようとした。

主人はまったく我慢できず、すぐに左右の者に門を閉めて出させないよう命じた。

王氏はいっそうこれで主人を賞し、そこで留まって座り、楽しみを尽くして帰った。

17主人に傲るのは礼ではなく貴さで人に驕るのは道ではない

王子敬自會稽經吳,聞顧辟疆有名園。先不識主人,徑往其家,值顧方集賓友酣燕。而王遊歷既畢,指麾好惡,傍若無人。顧勃然不堪曰:「傲主人,非禮也;以貴驕人,非道也。失此二者,不足齒人,傖耳!」便驅其左右出門。王獨在輿上回轉,顧望左右移時不至,然後令送箸門外,怡然不屑。

王子敬が会稽から呉の地を通ったとき、顧辟疆に名高い園があると聞いた。

以前から主人を知らなかったが、まっすぐその家に行ったところ、ちょうど顧氏が賓客や友を集めて心ゆくまで宴をしているところであった。

ところが王氏は歩き回って見終わると、よいところ悪いところを指さして、傍らに人がいないかのようであった。

顧氏はかっとなって我慢できず、言った。「主人に傲るのは礼ではない。貴さで人に驕るのは道ではない。この二つを失っては、人として数えるに足らない、田舎者にすぎない」

そしてすぐにその左右の者を追って門の外に出した。

王氏は一人輿の上で回り回って、左右の者を顧み望んだが、時が移るまで来ず、そのうえで門の外へ送らせたが、和やかにして気にもしなかった。

夾注 1

顧氏譜曰:「辟疆,吳郡人。歷郡功曹、平北參軍。」

『顧氏譜』に言う。「辟疆は呉郡の人である。郡の功曹、平北参軍を歴任した」