史臣は言う論
1史臣は言う
史臣曰:漢世西譯遐通,兼途累萬,跨頭痛之山,越繩度之險,生行死徑,身往魂歸。晉氏南移,河、隴敻隔,戎夷梗路,外域天斷。若夫大秦、天竺,迥出西溟,二漢銜役,特艱斯路,而商貨所資,或出交部,汎海陵波,因風遠至。又重峻參差,氏眾非一,殊名詭號,種別類殊,山琛水寶,由茲自出,通犀翠羽之珍,蛇珠火布之異,千名萬品,並世主之所虛心,故舟舶繼路,商使交屬。太祖以南琛不至,遠命師旅,泉浦之捷,威震滄溟,未名之寶,入充府實。夫四夷孔熾,患深自古,蠻、僰殊雜,種眾特繁,依深傍岨,充積畿甸,咫尺華氓,易興狡毒,略財據土,歲月滋深。自元嘉將半,寇慝彌廣,遂盤結數州,搖亂邦邑。於是命將出師,恣行誅討,自江漢以北,廬江以南,搜山盪谷,窮兵罄武,繫頸囚俘,蓋以數百萬計。至於孩年耋齒,執訊所遺,將卒申好殺之憤,干戈窮酸慘之用,雖云積怨,為報亦甚。張奐所云「流血于野,傷和致災。」斯固仁者之言矣。
史臣は言う。漢の時代には西域への通訳の道が遠くまで通じ、道のりは重なって数万里に及んだ。頭の痛む山を越え、綱を渡る険しい地を過ぎる、生きて行って死んで帰る道であり、体は往き、魂となって戻った。晋氏が南へ移ると、黄河と隴山がはるかに隔たり、戎夷が道を塞いで、外の地域は天と同じように断ち切られた。あの大秦や天竺といえば、西の海のかなたにはるかに聳え、前後の漢が使役をいとわずつとめながらも、この道をことに難儀とした。それでも商いの品や財貨の元は、あるいは交州のあたりから出て、海に浮かび波を越え、風に乗って遠くから至った。また幾重もの険しい山が入り乱れ、氏族の群れは一つではなく、異なる名と珍しい呼び名があって、種も類もまちまちである。山の珍宝と水の宝はここから自ずと生まれ、通犀や翡翠の羽の珍しさ、蛇珠や火布の奇異さは千種万品に及び、いずれも世の君主が心を虚しくして望むものであった。それゆえ船は道を連ね、商人と使者が次々と行き来した。太祖は南の珍宝が届かないことを理由に、遠く軍旅を命じた。泉浦の勝利に威は青海原を震わせ、名も知れぬ宝が入って府庫を満たした。
そもそも四夷の盛んなことは、古くから憂いが深い。蛮と僰は入り混じって種も群れもことに多く、深い地に寄り、険しい地を傍らにして、畿甸に満ちあふれている。すぐ目の前の中華の民に対して狡猾な害毒を起こしやすく、財を奪い土地を占めることが年月とともに深まった。元嘉の半ばごろから賊徒はいよいよ広がり、ついに数州にわたって根を張り結び、州や邑を揺り乱した。そこで将に命じて軍を出し、思うままに討伐を行わせたので、江漢より北、廬江より南で、山を捜し谷を掃き、兵を尽くし武を極め、首を縄でつないだ捕虜はおよそ数百万と数えられた。幼い子どもから歯の抜けた老人まで、尋問して残された者たちに至るまで、将も兵も殺すことを好む憤りを晴らし、干戈は酸鼻きわまる用に尽くされた。積もった怨みとはいえ、その報いもまた甚だしかった。張奐が言った「野に血を流せば、和の気を損なって災いを招く」という言葉は、まことに仁者の言である。