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史臣が言う史臣曰

隋書 東夷伝(隋書に記された東夷の記録) 隋書 東夷傳 · 魏徴ほか · 636年(唐・貞観10年) · 段落 1 · 漢字 388字 · 朗読 1.6分

隋書 東夷伝(隋書に記された東夷の記録) 全一巻 隋が見た東方の六か国 — 高麗・百済・新羅・靺鞨・流求・倭。隋の文帝が高句麗に送った璽書と、倭王が送った「日の出る処の天子、日の没する処の天子に」の国書が併せて収められている。薩水の大勝で終わった三度の遠征についての中国側の記録である。

1史臣が言う

史臣曰:廣谷大川異制,人生其間異俗,嗜欲不同,言語不通,聖人因時設教,所以達其志而通其俗也。九夷所居,與中夏懸隔,然天性柔順,無獷暴之風,雖緜邈山海,而易以道御。夏、殷之代,時或來王。暨箕子避地朝鮮,始有八條之禁,疎而不漏,簡而可久,化之所感,千載不絕。今遼東諸國,或衣服參冠冕之容,或飲食有俎豆之器,好尚經術,愛樂文史,遊學於京都者,往來繼路,或亡沒不歸。非先哲之遺風,其孰能致於斯也?故孔子曰:「言忠信,行篤敬,雖蠻貊之邦行矣。」誠哉斯言。其俗之可採者,豈徒楛矢之貢而已乎?自高祖撫有周餘,惠此中國,開皇之末,方事遼左,天時不利,師遂無功。二代承基,志包宇宙,頻踐三韓之域,屢發千鈞之弩。小國懼亡,敢同困獸,兵連不戢,四海騷然,遂以土崩,喪身滅國。兵志有之曰:「務廣德者昌,務廣地者亡。」然遼東之地,不列於郡縣久矣。諸國朝正奉貢,無闕於歲時,二代震而矜之,以為人莫若己,不能懷以文德,遽動干戈。內恃富強,外思廣地,以驕取怨,以怒興師。若此而不亡,自古未之聞也。然則四夷之戒,安可不深念哉!

史臣が言う。広い谷と大きな川は制度を異にし、その間に生まれた人は風俗を異にして、好み求めるものが同じでなく、言葉も通じない。そこで聖人は時に応じて教えを立て、その志を遂げさせ、その風俗に通じるようにしたのである。

九夷の住む所は中華と遥かに隔たっているが、天性が柔順で、荒々しく乱暴な風がない。山や海に遠く隔てられていても、道によって治めやすい。夏・殷の時代には、ときに来朝した。箕子が朝鮮に逃れてから、はじめて八条の禁法が置かれた。粗くても漏れず、簡略でも長く続き、その教化の及んだところは千年にわたって絶えなかった。

いま遼東の諸国は、衣服に冠や冕の姿をまじえるものもあり、飲食に俎や豆の器を用いるものもある。経学を好み尚び、文学と史学を愛し楽しみ、都に遊学する者は行き来して道に続き、あるいは死んでも帰らない。昔の賢人が残した風化でなければ、何がこうさせえただろうか。だから孔子は「言葉が忠信で、行いが篤敬であれば、蛮貊の国でも行われる」と言った。まことにこの言葉のとおりだ。その風俗の取るべきものは、どうして楛矢の貢ぎものだけであろうか。

高祖が周の残した基を手に収め、この中国に恵みを施してから、開皇の末にようやく遼東のことに取りかかったが、天の時が利あらず、軍はついに功がなかった。二代(煬帝)は基業を継ぎ、志は宇宙を包み、たびたび三韓の地を踏み、何度も千鈞の弩を放った。小国は滅びるのを恐れ、追いつめられた獣のようにあえて立ち向かい、戦いが続いて止まず、四海が騒がしくなり、ついに土が崩れるように崩れて、身を失い国を滅ぼした。

兵書に「徳を広めることに努める者は栄え、土地を広めることに努める者は滅びる」とある。遼東の地が郡県に入らなくなってから久しい。諸国は正朔を奉じて貢ぎものを納め、季節ごとに欠かすことがなかった。それなのに二代はこれを誇示し、他人は自分に及ばないと思って、文徳によって懐けることができず、ただちに干戈を動かした。内には富強を恃み、外には土地を広げることを思い、驕りによって怨みを買い、怒りによって軍を起こした。こうして滅びなかった者は、昔から聞いたことがない。であれば、四夷についての戒めを、どうして深く考えずにいられようか。