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真興王眞興王

三国遺事(三国時代の遺聞集) 三國遺事 · 一然(イリョン) · 1281年(高麗・忠烈王7年) · 段落 2 · 漢字 137字 · 朗読 0.5分

三国遺事(三国時代の遺聞集) 紀異 第1 高麗の僧・一然が編んだ三国時代の説話集。正史が捨てた話を集めている。檀君神話を載せる最も古い書物である。

1太后が髪を剃って世を去る

真興王第二十四真興王即位時年十五歳太后攝政.太后乃法興王之女子,立宗葛文王之妃.終時削髮被法衣而逝.

真興王。

第二十四代真興王が位に就いたとき年は十五歳だったので、太后が摂政した。

太后はすなわち法興王の娘であり、立宗葛文王の妃である。

世を去るとき、髪を剃り法衣を着て逝った。

2天がまだ高句麗を厭わないのなら

承聖三年九月百濟兵來侵於珎城,掠取人男女三万九千馬八千匹而去.先是百濟欲與新羅合兵謀伐髙麗,真興曰“國之興亡在天,若天未猒髙麗則我何敢望焉.”乃以此言通高麗,高麗感其言與羅通好.而百濟㤪之故來爾.

承聖三年九月に百済の兵が珍城に攻め入り、男女三万九千人と馬八千匹を奪って行った。

これより先、百済は新羅と兵を合わせて高句麗を討とうと謀った。

真興王は言った。「国の興亡は天にある。もし天がまだ高句麗を厭わないのなら、わたしがどうしてあえて望めようか。」

そこでこの言葉を高句麗に通じると、高句麗はその言葉に感じて新羅と親しく交わった。

そこで百済が恨んで攻めてきたのである。