いにしえの文 › 三国遺事(三国時代の遺聞集) › 感通 第7

仙桃聖母が仏事を喜ぶ仙桃聖母隨喜佛事

三国遺事(三国時代の遺聞集) 三國遺事 · 一然(イリョン) · 1281年(高麗・忠烈王7年) · 段落 3 · 漢字 590字 · 朗読 2.4分

三国遺事(三国時代の遺聞集) 感通 第7 高麗の僧・一然が編んだ三国時代の説話集。正史が捨てた話を集めている。檀君神話を載せる最も古い書物である。

1神母が夢に来て金を与える

仙桃聖母随喜佛事真平王朝有比丘尼名智惠多賢行.住安興寺擬新修佛殿而力未也.夢一女仙風儀婥約珠翠餙鬟来慰曰.“我是仙桃山神母也.喜汝欲修佛殿願施金十斤以助之.冝取金於予座下糚㸃主尊三像,壁上繪五十三佛·六類聖衆及諸天神·五岳神君〔羅時五岳謂,東吐含山,南智異山,西雞龍,北太伯,中父岳亦云公山也.〕每春秋二季之十日叢㑹善男善女,廣爲一切含霊設占察法㑹以爲恒規.〔夲朝屈弗池龍託夢於帝請於霊鷲山長開藥師道塲□平海途,其事亦同.〕惠乃驚覺,卛徒徃神祠座下堀得黄金一百六十两,克就乃功,皆依神母所諭.其事唯存而法事廢矣.

仙桃聖母が仏事を喜ぶ。

真平王の朝に智恵という比丘尼がいて、賢い行いが多かった。

安興寺に住んで仏殿を新しく修めようとしたが、力が及ばなかった。

夢に一人の女仙がいて、姿かたちが美しく、珠と翠で髻を飾って来て慰めた。

「わたしは仙桃山の神母である。お前が仏殿を修めようとしているのが嬉しいので、金十斤を施して助けたい。

わたしの座の下から金を取って主尊の三像を飾り、壁には五十三仏と六類の聖衆、諸々の天神と五岳の神君を〔新羅の時の五岳は、東は吐含山、南は智異山、西は鶏龍山、北は太伯山、中は父岳で、公山ともいう。〕描きなさい。

毎年、春と秋の二季の十日の間、善男善女を集め、広くすべての命あるもののために占察法会を開くことを常の規としなさい。」〔本朝の屈弗池の龍が帝の夢に現れて、霊鷲山に長く薬師道場を開いて海の道を平らかにしてくれるよう請うたが、その事もこれと同じである。〕

智恵はそこで驚いて目を覚まし、仲間を率いて神祠の座の下に行って掘ると、黄金百六十両を得た。

ついにその事を成し遂げたが、すべて神母が告げたとおりであった。

その事だけは残ったが、法会は廃れてしまった。

夾注 2

羅時五岳謂, 東吐含山, 南智異山, 西雞龍, 北太伯, 中父岳亦云公山也.

新羅の時の五岳は、東は吐含山、南は智異山、西は鶏龍山、北は太伯山、中は父岳で、公山ともいう。

夲朝屈弗池龍託夢於帝請於霊鷲山長開藥師道塲□平海途, 其事亦同.

本朝の屈弗池の龍が帝の夢に現れて、霊鷲山に長く薬師道場を開いて海の道を平らかにしてくれるよう請うたが、その事もこれと同じである。

2鳶が止まった所を家とせよ

神母夲中國帝室之女.名娑蘇,早得神仙之術歸止海東乆而不還.父皇寄書繫足云.“随鳶所止爲家.”蘇得書放鳶飛到此山而止.遂来宅爲地仙.故名西鳶山.神母久㩀兹山鎮祐邦國霊異甚多,有國已来常爲三祀之一,秩在群望之上.第五十四景明王好使鷹,甞登此放鷹而失之.禱於神母曰,“若得鷹當封爵.”俄而鷹飛来止机上,因封爵大王焉.其始到辰韓也生聖子爲東國始君,盖赫居·閼英二聖之所自也.故稱雞龍·雞林·白馬等雞属西故也.甞使諸天仙織羅緋染作朝衣贈其夫,國人因此始知神驗.

神母はもともと中国の帝室の娘である。

名は娑蘇で、早くから神仙の術を得て海東に来て留まり、長く帰らなかった。

父の皇帝が鳶の足に書を結んで寄せ、「鳶が止まる所に従って家とせよ」と言った。

娑蘇は書を受けて鳶を放つと、飛んでこの山に至って止まった。ついに来て家とし、地の仙となった。それゆえ西鳶山と名づける。

神母は長くこの山に拠って国を鎮め助けたので、神霊で不思議な事がきわめて多かった。国が興って以来、常に三つの祀りの一つとなり、序列は諸々の山川の祀りの上にあった。

第五十四代景明王は鷹を使うことを好み、かつてこの山に登って鷹を放って失った。

神母に祈って「もし鷹を得られたら、必ず官爵を封じましょう」と言った。

やがて鷹が飛んで来て机の上に止まったので、これによって神母を大王に封じた。

初めて辰韓に至って聖なる子を生み、東の国の初代の君とさせたのだから、おおむね赫居世と閼英の二人の聖がここから出たのである。

それゆえ鶏龍・鶏林・白馬などと呼ぶ。鶏は西に属するからである。

かつて諸々の天の仙に羅を織らせ、緋に染めて朝服を作ってその夫に贈ったので、国の人々はこれによって初めて神の験を知った。

3宋の祠館にもその像があった

又國史史臣曰.軾政和中甞奉使人宋,詣佑神舘有一堂設女仙像.舘伴學士王黼曰,“此是貴國之神,公知之乎.”遂言曰,“古有中國帝室之女泛海抵辰韓,生子爲海東始祖,女爲地仙長在仙桃山,此其像也.又大宋國使王襄到我朝祭東神聖母女,有娠賢肇邦之句.”今能施金奉佛爲含生開香火作津梁,豈徒學長生而囿於溟濛者哉.讃曰.来宅西鳶㡬十霜.招呼帝子織霓裳,長生未必無生異,故謁金仙作玊皇.

また『国史』の史臣が言った。

「金富軾が政和年間にかつて使いとして宋に行き、佑神館に参ると、一つの堂に女仙の像が安置されていた。

館を預かる学士の王黼が言った。「これは貴国の神ですが、公はご存じですか。」

続けて言った。「昔、中国の帝室の娘が海を渡って辰韓に至り、子を生んで海東の始祖となり、娘は地の仙となって長く仙桃山にいる。これがその像です。」

また大宋の使いの王襄がわが朝に来て東神聖母を祭ったとき、「賢を孕んで邦を肇めた」という句があった。」

いま金を施して仏を奉じ、命あるもののために香火を開き、渡しや橋を作ったのだから、どうしてただ長く生きる法だけを学んで、おぼろなものに囲われた者であろうか。

讃えて言う。

西鳶山に来て住んで幾十年であろうか 天の子らを呼んで虹の裳を織らせた。 長生は必ずしも無生と異なるものではないので それゆえ仏を拝して玉皇となった。