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敏蔵寺敏藏寺
三国遺事(三国時代の遺聞集) 塔像 第4 高麗の僧・一然が編んだ三国時代の説話集。正史が捨てた話を集めている。檀君神話を載せる最も古い書物である。
1七日祈ると海から子が帰ってくる
禺金里貧女寳開有子名長春.從海賈而征,久無音耗.其母就敏藏寺〔寺乃敏藏角干捨家爲寺〕觀音前克祈七日,而長春忽至.問其由緖曰,“海中風飄舶壞同侣皆不免,予乗隻板歸泊吳涯.吳人収之俾耕于野.有異僧如郷里來,予慰勤勤𠦸我同行,前有深渠僧掖我跳之.昬昬間如聞郷音與哭泣之聲,見之乃已屆此矣.日晡時離吳至此纔戌初即天寳四年乙酉四月八日也.景徳王聞之,施田於寺又納財幤焉.
禺金里(ぐきんり)の貧しい女の宝開(ほうかい)に子があり、名は長春(ちょうしゅん)であった。
海の商人に従って出かけたが、長く音沙汰がなかった。
その母が敏蔵寺に赴き〔この寺は敏蔵角干が自分の家を差し出して寺としたものである。〕観音像の前で七日のあいだ切に祈ると、長春が突然やって来た。
どうしたことかと問うと、こう言った。
「海の中で風に流されて船が壊れ、仲間はみな逃れられませんでした。私は板一枚に乗って呉の岸に着きました。呉の人が引き取って、野で田を耕させました。
見慣れない僧が一人、まるで故郷から来たかのように来て、私を懇ろに慰め、私を連れて一緒に道に出ました。前に深い溝があったので、僧は私を脇に抱えて飛び越えました。
おぼろげなうちに故郷の言葉と泣く声が聞こえるように思って見ると、すでにここに至っていました。
日の暮れるころに呉を離れて、ここに至ったのがようやく宵の初めでした。」
すなわち天宝四年乙酉の四月八日のことである。
景徳王がこれを聞いて、寺に田を施し、また財と絹を納めた。
夾注 1
寺乃敏藏角干捨家爲寺
この寺は敏蔵角干が自分の家を差し出して寺としたものである。