魚山の仏の影魚山佛影
1私が直に行って見た
魚山佛影古記云,“萬魚寺者古之慈成山也,又阿耶斯山,〔當作摩耶斯.此云魚也.〕傍有呵囉國.昔天夘下于海邊作人御國,即首露王.當此時境内有玉池,池有毒龍焉.万魚山有五羅刹女徃來交通.故時降電雨歴四年五糓不成.王呪禁不能,稽首請佛說法然後羅刹女受五戒而無後害.故東海魚龍遂化爲滿洞之石,各有鍾磬之聲.”〔已上古記.〕又按,大定十二年庚子即明宗十一年也始創萬魚寺.棟梁宝林状奏,“所稱山中竒異之迹與北天笁訶羅國佛影事符同者有三.一山之側近地梁州界玉池亦毒龍所蟄是也.二有時自江邊雲氣始出來到山頂,雲中有音樂之聲是也.三影之西北有盤石常𧵤水不絶,云是佛浣濯袈裟之地是也.”已上皆寳林之說,今親来瞻禮亦乃彰彰可敬信者有二.洞中之石凢三分之二皆有金玉之聲是一也,逺瞻即現近瞻不見或見覔等是一也.北天之文具録於後.
魚山の仏の影。
『古記』にこう述べる。
「万魚寺は昔の慈成山であり、また阿耶斯山ともいう。〔当然「摩耶斯」と書くべきである。これは魚を指す言葉である。〕傍らに呵囉国があった。
昔、天の卵が海辺に降りて人となり国を治めたが、すなわち首露王である。
この時、境の内に玉池があり、池には毒龍がいた。万魚山には五人の羅刹女がいて、行き来して交わった。それゆえ時おり雷と雨が降り、四年を過ぎても五穀が実らなかった。
王は呪で防ごうとしたができず、頭を下げて仏に法を説いてくださるよう請うた。その後にようやく羅刹女が五戒を受けて、後の災いがなくなった。
それゆえ東海の魚と龍が、ついに谷に満ちる石に変わったが、それぞれが鐘と磬の音を出す。」〔ここまでが『古記』である。〕
また調べると、大定十二年庚子はすなわち明宗十一年であるが、この年に初めて万魚寺を建てた。
棟梁の宝林が文を上げて申し上げた。「いわゆる山中の奇しい跡が、北天竺の呵囉国の仏の影のことと合うものが三つあります。一つは山の傍らの近い地、梁州の境の玉池にもまた毒龍が潜んでいることであり、二つは時おり川辺から雲の気が起こって山の頂に至るが、その雲の中に音楽の音があることであり、三つは影の西北に平らな岩があって常に水がたまり絶えないので、ここが仏が袈裟を洗った所だということです。」
ここまではすべて宝林の言葉である。
いま私がみずから来て仰ぎ礼拝してみると、やはりはっきりして、慎んで信じるに足るものが二つある。
谷の石のおおよそ三分の二がみな鉄と玉の音を出すのが一つであり、遠くから眺めればすぐに現れ、近くで見れば見えず、見えたり見えなかったりするのが一つである。
北天竺の文は後に取りそろえて記す。
夾注 2
當作摩耶斯. 此云魚也.
当然「摩耶斯」と書くべきである。これは魚を指す言葉である。
已上古記.
ここまでが『古記』である。
2『観仏三昧経』が伝える仏の影
可凾觀佛三昧経苐七卷云.佛到耶乹訶羅國古仙山薝葍花林毒龍之側,青蓮花泉北羅刹穴中阿那斯山南.尒時彼穴有五羅刹,化作女龍與毒龍通,龍復降雹,羅刹亂行飢饉疾疫已歴四年.王驚懼禱祀神祗,於事無益.時有梵志聦明多智白言大王,“伽毗羅淨飯王子今者成道号釈迦文.”王聞是語心大歡喜向佛作禮曰,“云何今日佛日已㒷,不到此國.”尒時如來勑諸比丘得六神通者随從佛後,受那乹訶羅王弗婆浮提請.尒時世尊頂放光明,化作一萬諸大化佛徃至彼國.尒時龍王及羅刹女五體投地求佛受戒.佛即爲說三歸五戒,龍王聞已長跪合掌,勸請世尊常住此間,“佛若不在,我有惡心無由得成阿耨菩提.”時梵天王復来禮佛請,“婆伽婆爲未来世諸衆生,故莫獨偏爲此一小龍.”百千梵王皆作是請.時龍王出七寳䑓奉上,如来佛告龍王,“不湏此䑓,汝今但以羅刹石窟持以施我,”龍歡喜.〔云云.〕尒時如来安慰龍王,“我受汝請坐汝窟中経千五百歳.”佛湧身入石.猶如明鏡人見靣像,諸龍皆現,佛在石内映現於外.尒時諸龍合掌歡喜不出其地常見佛日.尒時世尊結伽趺坐在石壁内,衆生見時逺望即現近則不現.諸天供養佛影,影亦說法.又云,“佛蹵嵓石之上即便成金玉之聲.”
『観仏三昧経』第七巻にこう述べる。
仏が耶乾訶羅国の古仙山の薝蔔(たんぼく)の花の林の毒龍の傍ら、青蓮花泉の北の羅刹の窟の中、阿那斯山の南に至った。
そのときその窟に五人の羅刹がいて、雌の龍に身を変えて毒龍と交わった。龍はさらに雹を降らせ、羅刹が乱れ歩いたので、飢えと疫病がすでに四年を過ぎた。
王は驚き恐れて神々に祈ったが、事に益がなかった。
そのとき聡明で智慧の多い梵志がいて、大王に申し上げた。「迦毘羅の浄飯王の子が、いま道を成して釈迦文と申します。」
王はこの言葉を聞いて心が大いに喜び、仏に向かって礼を捧げて言った。「どうして今日、仏の日がすでに昇ったのに、この国には至られないのでしょうか。」
そのとき如来は六つの神通を得た比丘たちに命じて後に従わせ、耶乾訶羅王の弗婆浮提の請いを受け入れた。
そのとき世尊が頂から光を放って一万の大化身仏を作り、その国に至った。
そのとき龍王と羅刹女が全身を投げて拝み、仏に戒を受けることを求めた。仏はすぐに三帰と五戒を説くと、龍王は聞いて跪いて手を合わせ、世尊が常にここに留まられるよう勧めて請うた。「仏がおられなければ、私には悪い心があって、無上の菩提を成す道がありません。」
そのとき梵天王がまた来て仏に礼をして請うた。「世尊は来る世の衆生のためになさるべきで、ひとりこの一匹の小さな龍だけのために偏ってなさらないでください。」百千の梵王がみなこのように請うた。
そのとき龍王が七つの宝の台を出して捧げ上げると、如来は龍王に言った。「この台は用いる所がない。そなたはただ羅刹の石の窟を持って来て私に与えよ。」龍は喜んだ。
そのとき如来が龍王をなだめて言った。「私はそなたの請いを受けて、そなたの窟の中に座り、千五百年を過ごそう。」
仏が身を躍らせて石の中に入った。明るい鏡に人が自分の顔を見るように、すべての龍がみな現れ、仏は石の内にいながら外に映って現れた。
そのときすべての龍が手を合わせて喜び、その地を出なくても常に仏の日を見た。
そのとき世尊が石の壁の内に結跏趺坐して座ると、衆生が見る時に遠くから眺めればすぐに現れ、近くへ行けば現れなかった。
天たちが仏の影に供養すると、影もまた法を説いた。
またこう述べる。「仏が岩の上を踏むと、すぐに鉄と玉の音がした。」
3三つの書物をさらに比べる
高僧傳云,“惠逺聞天笁有佛影,昔爲龍所留之影,在北天笁月攴國那竭呵城南古仙人石室中〔云云.〕.”又法現西域傳云,“至那竭國界那竭城南半由旬有石室,博山西南靣佛留影.此中去十餘歩觀之,如佛真形光明炳著轉逺轉微.諸國王遣工摹寫,莫能髣髴.國人傳云,賢劫千佛皆當於此留影,影之西百歩許有佛在時剃髮剪爪之地〔云云.〕.”星凾西域記苐二卷云.昔如來在世之時此龍爲牧牛之士供王乳酪,進奏失冝旣獲譴嘖.心懷恚恨以金錢買花供養,授記窣堵婆,“願爲惡龍破國害王.”特趣石壁投身而死.遂居此窟爲大龍王適起惡心.如来鑑此變神通力而来至此,龍見佛毒心遂止受不殺戒因請,“如来常居此穴常受我供.”佛言,“吾将寂滅,爲汝留影.汝若毒忿常觀吾影毒心當止.”攝神獨入石室,逺望即現近則不現.又令石上蹵爲七寳〔云云.〕.已上皆経文大略如此.海東人名此山爲阿那斯,當作摩那斯.此飜爲魚,盖取彼北天事而稱之爾.
『高僧伝』に「慧遠が天竺に仏の影があると聞いたが、昔、龍のために残した影で、北天竺の月支国の那竭訶城の南の、昔の仙人の石室の中にある」とある。
また法顕の『西域伝』にこう述べる。
「那竭国の境に至ると、那竭城の南の半由旬に石室があり、広い山の西南の面に仏が影を残した。
この中で十歩ばかり離れて見ると仏の真の姿のようで、光が明らかに現れるが、遠ざかるほどに次第にかすんでいく。
諸国の王が画工を遣わして写し描かせたが、似せることさえできなかった。
その国の人が伝えるには、賢い劫の千の仏がみな必ずここに影を残すという。影の西の百歩ばかりに、仏が世におられた時に髪を剃り爪を切った所がある。」
『西域記』第二巻にこう述べる。
昔、如来が世におられた時、この龍は牛飼いで、王に乳と酪を献じた。献じる事に過ちがあって咎めを受けると、心に恨みを抱いて金の銭で花を買って供養し、塔に授記を祈った。
「願わくは悪い龍となって国を崩し、王を害させてください。」
そうしてすぐに石の壁に向かい、身を投げて死んだ。
ついにこの窟に住んで大龍王となり、まさに悪い心を起こそうとした。
如来がこれを見て神通力を使ってここに至ると、龍は仏を見て毒の心がついにやみ、不殺の戒を受けた。そして請うて「如来が常にこの窟におられ、常に私の供養を受けてください」と言った。
仏が言った。「私はまさに涅槃に入るので、そなたのために影を残そう。そなたが毒々しく怒ったら、常に私の影を見よ。毒の心は必ずやむであろう。」
神通を収めてひとり石室に入ると、遠くから眺めればすぐに現れ、近くへ行けば現れなかった。また石の上を踏んで七つの宝とならせた。
ここまですべて経文の大略はこのようである。
海東の人はこの山を阿那斯と名づけるが、当然摩那斯と書くべきである。これは訳すと魚となるので、おおよそあの北天竺のことを取って称したにすぎない。