いにしえの文 › 竹取物語(竹取の翁の物語)

第四竹取物語 4

竹取物語(竹取の翁の物語) 竹取物語 · 作者未詳 · 9世紀末〜10世紀初めに成立 · 段落 9 · 漢字 3,054字 · 朗読 7.6分

竹取物語(竹取の翁の物語) 日本に残る最も古い物語。竹の中から出てきた子が育ち、五人の貴公子と帝の求婚を次々に退けて月へ帰る。五人に持ってこいと言ったものはどれも世にない品で — 天竺の石の鉢、蓬莱の玉の枝、火鼠の皮衣、龍の首の玉、燕の子安貝 — それぞれが偽り、こしらえて恥をかく。富士の山の頂から煙が立つ理由も、この物語の終わりに記されている。

車持皇子は心たばかりある人にて、公には、「筑紫の國に湯あみに罷らん。」とて、暇申して、かぐや姫の家には、「玉の枝とりになんまかる。」といはせて下り給ふに、仕うまつるべき人々、皆難波まで御おくりしけり。皇子「いと忍びて。」と宣はせて、人も數多率ておはしまさず、近う仕うまつる限して出で給ひぬ。御おくりの人々、見奉り送りて歸りぬ。「おはしましぬ。」と人には見え給ひて、三日許ありて漕ぎ歸り給ひぬ。かねて事皆仰せたりければ、その時一の工匠なりける内匠六人を召しとりて、容易く人よりくまじき家を作りて、構を三重にしこめて、工匠等を入れ給ひつゝ、皇子も同じ所に籠り給ひて、しらせ給ひつるかぎり十六そをかみにくどをあけて、玉の枝をつくり給ふ。かぐや姫のたまふやうに、違はずつくり出でつ。いとかしこくたばかりて、難波に密にもて出でぬ。「船に乘りて歸り來にけり。」と、殿に告げやりて、いといたく苦しげなるさまして居給へり。迎に人多く參りたり。玉の枝をば長櫃に入れて、物覆ひてもちて參る。いつか聞きけん、「車持皇子は、優曇華の花持ちて上り給へり。」とのゝしりけり。これをかぐや姫聞きて、「我はこの皇子にまけぬべし。」と、胸つぶれて思ひけり。かゝるほどに門を叩きて、「車持皇子おはしたり。」と告ぐ。「旅の御姿ながらおはしましたり。」といへば、逢ひ奉る。皇子のたまはく、「『命を捨てゝかの玉の枝持てきたり。』とて、かぐや姫に見せ奉り給へ。」といへば、翁もちて入りたり。この玉の枝に文をぞつけたりける。

車持皇子は心に策略のある人で、朝廷には「筑紫の国に湯あみにまいります。」と言って暇をいただき、かぐや姫の家には「玉の枝を取りにまいります。」と言わせてお下りになりますと、お仕えすべき人々が皆、難波までお送りしました。皇子は「たいそう人目を忍んで行くのだ。」とおっしゃって、人も多くは連れずに、近くお仕えする者だけを連れてお出かけになりました。お送りした人々は、お見送りして帰りました。「お出かけになった。」と人には見せておいて、三日ほどしてから漕いでお帰りになりました。

あらかじめ事はすべて仰せつけておありでしたので、そのとき一番の工匠であった内匠寮の工匠六人を召し寄せて、たやすく人が来られない家を作り、囲いを三重にして閉じこめ、工匠たちを入れておき、皇子も同じ所に籠もられて、治めておられる荘園十六か所にかまどを開いて、玉の枝をお作りになりました。かぐや姫の言ったとおりに、違わず作り出しました。

たいそう用意深くたくらんで、難波へ密かに持ち出しました。「船に乗って帰って来た。」と屋敷に告げさせておいて、ひどく苦しそうな様子をしてお座りになっていました。迎えに人が多く参りました。玉の枝は長櫃に入れ、覆いをかけて持って参ります。いつ聞いたのでしょう、「車持皇子は、優曇華(うどんげ)の花を持ってお上りになった。」と騒ぎ立てていました。

これをかぐや姫が聞いて、「わたしはこの皇子に負けてしまうのだ。」と、胸がつぶれる思いでいました。

こうしているうちに門を叩いて、「車持皇子がおいでになりました。」と告げます。「旅のお姿のままでおいでになりました。」と言いますので、お会いします。皇子がおっしゃいました。「『命を捨ててあの玉の枝を持って来た。』と言って、かぐや姫にお見せください。」と言いますので、翁が持って入りました。この玉の枝には文が結びつけてありました。

夾注 1

底本の字が乱れており、古くから解釈の分かれる箇所です。「十六そ」を荘園十六か所と見る解釈と、十六人と見る解釈に分かれます。――訳者

いたづらに身はなしつとも玉の枝を手をらでさらに歸らざらまし

むなしく この身を捨てようとも 玉の枝を 手で折らずには 帰るまいと思いました

これをもあはれと見て居るに、竹取の翁走り入りていはく、「この皇子に申し給ひし蓬莱の玉の枝を、一つの所もあやしき處なく、あやまたずもておはしませり。何をもちてか、とかく申すべきにあらず。旅の御姿ながら、我御家へも寄り給はずしておはしましたり。はやこの皇子にあひ仕うまつり給へ。」といふに、物もいはず頬杖をつきて、いみじく歎かしげに思ひたり。この皇子「今さら何かといふべからず。」といふまゝに、縁にはひのぼり給ひぬ。翁ことわりに思ふ。「この國に見えぬ玉の枝なり。この度はいかでかいなびまをさん。人ざまもよき人におはす。」などいひ居たり。かぐや姫のいふやう、「親ののたまふことを、ひたぶるにいなび申さんことのいとほしさに、得難きものを、かくあさましくもてくること」をねたく思ひ、翁は閨の内しつらひなどす。翁皇子に申すやう、「いかなる所にかこの木はさぶらひけん。怪しく麗しくめでたきものにも。」と申す。皇子答へての給はく、 「前一昨年の二月の十日頃に、難波より船に乘りて、海中にいでて、行かん方も知らず覺えしかど、『思ふこと成らでは、世の中に生きて何かせん。』と思ひしかば、たゞ空しき風に任せてありく。『命死なばいかゞはせん。生きてあらん限はかくありきて、蓬莱といふらん山に逢ふや。』と、浪にたゞよひ漕ぎありきて、我國の内を離れてありき廻りしに、或時は浪荒れつゝ海の底にも入りぬべく、或時は風につけて知らぬ國にふき寄せられて、鬼のやうなるものいで來て殺さんとしき。或時には來し方行末も知らず、海にまぎれんとしき。或時にはかて盡きて、草の根を食物としき。或時はいはん方なくむくつけなるもの來て、食ひかゝらんとしき。或時には海の貝をとりて、命をつぐ。旅の空に助くべき人もなき所に、いろ〳〵の病をして、行方すらも覺えず、船の行くに任せて、海に漂ひて、五百日といふ辰の時許に、海の中に遙に山見ゆ。舟のうちをなんせめて見る。海の上に漂へる山いと大きにてあり。其山の樣高くうるはし。『是や我覓むる山ならん。』と思へど、さすがに畏しく覺えて、山の圍を指し廻らして、二三日許見ありくに、天人の粧したる女、山の中より出で來て、銀の金鋺をもて水を汲みありく。これを見て船よりおりて、『この山の名を何とか申す。』と問ふに、女答へて曰く、『これは蓬莱の山なり。』と答ふ。是を聞くに嬉しき事限なし。この女に、『かく宣ふは誰ぞ。』と問ふ。『我名はほうかんるり。』といひて、ふと山の中に入りぬ。その山を見るに、更に登るべきやうなし。その山のそばつらを廻れば、世の中になき花の木どもたてり。金銀瑠璃色の水流れいでたり。それにはいろ〳〵の玉の橋わたせり。そのあたり照り輝く木どもたてり。その中にこのとりて持てまうできたりしは、いとわろかりしかども、『のたまひしに違はましかば。』とて、この花を折りてまうできたるなり。山は限なくおもしろし。世に譬ふべきにあらざりしかど、この枝を折りてしかば、さらに心もとなくて、船に乘りて追風ふきて、四百餘日になんまうで來にし。大願の力にや、難波より昨日なん都にまうで來つる。さらに潮にぬれたる衣をだに脱ぎかへなでなん、まうで來つる。」との給へば、翁聞きて、うち歎きてよめる、

これを見ても気の毒に思って座っていますと、竹取の翁が走り入って言いました。「この皇子に申し上げた蓬莱の玉の枝を、一か所も疑わしい所なく、間違いなく持っておいでになった。何をもってとやかく申すことがあろうか。旅のお姿のまま、ご自分の家にもお寄りにならずにおいでになったのだ。早くこの皇子をお迎えしてお仕えしなさい。」

それでも物も言わず頬杖をついて、ひどく嘆かわしそうな顔をしていました。この皇子は「今さら何を言うこともあるまい。」と言うなり、縁に這い上がってしまわれました。翁はそれが理であると思いました。「この国では見られない玉の枝である。今度こそどうして断れようか。人柄もよいお方である。」などと言って座っていました。

かぐや姫が言いました。「親のおっしゃることを一途にお断りするのが心苦しくて、手に入れにくい物を言ったのに、こんなに呆れるほど簡単に持って来るとは。」そのことを憎く思いましたが、翁は寝屋の中のしつらえなどをします。

翁が皇子に申し上げました。「どのような所にこの木はございましたのでしょう。不思議に美しくすばらしい物でございます。」

皇子がお答えになりました。「さきおととしの二月の十日ごろに、難波から船に乗って海の中へ出て、行く方も分からないように思われましたが、『思うことが成らないでは、世の中に生きて何になろう。』と思いましたので、ただあてのない風に任せて漂いました。『命が死んだらどうしようもない。生きているかぎりはこうして歩き回って、蓬莱という山に出会えるだろうか。』と、波に漂い漕ぎ回って、わが国の内を離れて巡り歩きましたところ、あるときは波が荒れて海の底にも沈みそうになり、あるときは風に吹かれて知らない国へ吹き寄せられ、鬼のようなものが出て来て殺そうとしました。あるときは来た方も行く先も分からぬまま、海に沈んでしまいそうになりました。あるときは食糧が尽きて、草の根を食べ物としました。あるときは言いようもなく気味の悪いものが来て、食いつこうとしました。あるときは海の貝を取って、命をつなぎました。

旅の空の下、助けてくれる人もない所でさまざまな病を患い、行く方さえも分からなくなって、船の行くに任せて海を漂い、五百日という日の辰の刻ごろに、海の中に遥かに山が見えました。船の中からじっと見つめました。海の上に漂っている山はたいそう大きなものでした。その山の姿は高く美しいものでした。『これがわたしの探していた山であろうか。』と思いましたが、それでも恐ろしく思われて、山のまわりを指して巡り、二、三日ほど見て歩きますと、天人の装いをした女が山の中から出て来て、銀の鋺(かなまり)で水を汲んで歩いていました。

これを見て船から下りて、『この山の名を何と申しますか。』と尋ねますと、女は答えて『これは蓬莱の山です。』と答えました。これを聞いて、うれしいことは限りがありません。この女に『そうおっしゃるあなたは誰ですか。』と尋ねますと、『わたしの名はほうかんるりです。』と言って、ふいと山の中へ入ってしまいました。

その山を見ると、まるで登れそうなところがありません。その山のそばを巡りますと、世の中にない花の木々が立っていました。金・銀・瑠璃の色の水が流れ出ていました。そこにはさまざまな玉の橋が渡してありました。そのあたりに照り輝く木々が立っていました。その中から折って持って参りましたのは、たいそう見劣りのするものでしたが、『おっしゃったことと違ってはいけないから。』と思って、この花を折って参ったのです。山は限りなく美しいものでした。世に比べるものもありませんでしたが、この枝を折ってしまうと、かえって気がかりになって、船に乗ったところ追い風が吹いて、四百余日で帰って参りました。大願の力でしょうか、難波から昨日、都へ参り着きました。潮に濡れた衣さえ着替えもせずに、こうして参ったのです。」

翁はこれを聞いて、嘆いて詠みました。

呉竹のよゝのたけとり野山にもさやはわびしきふしをのみ見し

呉竹の節々 竹を取って生きてきたこの翁は 野にも山にも それほど悲しい節は 見たことがありません

これを皇子聞きて、「こゝらの日頃思ひわび侍りつる心は、今日なんおちゐぬる。」との給ひて、かへし、

これを皇子が聞いて、「このところ幾日も思い悩んでおりました心が、今日ようやく落ち着きました。」とおっしゃって、返しをしました。

わが袂けふかわければわびしさのちくさのかずも忘られぬべし

わたしの袂が 今日ようやく乾いたので 悲しさの 千種のその数も 忘れられてしまうでしょう

との給ふ。かゝるほどに、男ども六人連ねて庭にいできたり。一人の男、文挾に文をはさみてまをす。「作物所の寮のたくみ漢部内麿まをさく、『玉の木を作りて仕うまつりしこと、心を碎きて、千餘日に力を盡したること少からず。しかるに祿いまだ賜はらず。これを賜はり分ちて、けごに賜はせん。』」といひてさゝげたり。竹取の翁、「この工匠等が申すことは何事ぞ。」とかたぶきをり。皇子は我にもあらぬけしきにて、肝消えぬべき心ちして居給へり。これをかぐや姫聞きて、「この奉る文をとれ。」といひて見れば、文に申しけるやう、「皇子の君千餘日賤しき工匠等と諸共に、同じ所に隱れ居給ひて、かしこき玉の枝を作らせ給ひて、『官も賜はらん。』と仰せ給ひき。これをこの頃案ずるに、『御つかひとおはしますべき、かぐや姫の要じ給ふべきなりけり。』と承りて、この宮より賜はらんと申して給はるべきなり。」といふを聞きて、かぐや姫、暮るゝまゝに思ひわびつる心地ゑみ榮えて、翁を呼びとりていふやう、「誠に蓬莱の木かとこそ思ひつれ、かくあさましき虚事にてありければ、はや疾くかへし給へ。」といへば、翁こたふ、「さだかに造らせたるものと聞きつれば、かへさんこといと易し。」とうなづきをり。かぐや姫の心ゆきはてゝ、ありつる歌のかへし、

とおっしゃいました。こうしているうちに、男たちが六人連れ立って庭に出て来ました。一人の男が、文挟みに文を挟んで申し上げます。「作物所の寮の工匠、漢部内麿(あやべのうちまろ)が申し上げます。『玉の木を作ってお仕えしましたこと、心を砕き、千余日のあいだ力を尽くしましたことは少なくありません。それなのに褒美をまだいただいておりません。これをいただいて分け、弟子たちに与えたいと存じます。』」と言って、ささげました。

竹取の翁は「この工匠たちが申すことは何事か。」と首をかたむけていました。皇子は我を失ったような顔つきで、肝も消え入りそうな心地で座っておられました。

これをかぐや姫が聞いて、「この差し上げた文を取ってきなさい。」と言って見ますと、文に申してあることはこうでした。「皇子の君は千余日のあいだ、賤しい工匠たちと一緒に同じ所に隠れておられて、立派な玉の枝をお作らせになり、『官位も授けよう。』と仰せになりました。これをこのごろ考えてみますに、『お仕えすることになるはずの、かぐや姫がお求めになる物だったのだ。』と承りましたので、こちらのお屋敷からいただきたいと申し上げて、いただくのが当然でございます。」

これを聞いて、かぐや姫は、日が暮れるまで思い悩んでいた心地が笑みに晴れて、翁を呼び寄せて言いました。「本当に蓬莱の木かと思っていましたのに、こんなに呆れた偽りであったのですから、早く早くお返しください。」翁は答えました。「確かに作らせた物だと聞いたのだから、返すことはたいそう易しい。」とうなずいていました。かぐや姫は心がすっかり晴れて、先の歌の返しをしました。

まことかと聞きて見つればことの葉を飾れる玉の枝にぞありける

本当かと思って 聞いて見てみたら 言葉を飾りたてただけの 玉の枝でありました

といひて、玉の枝もかへしつ。竹取の翁さばかり語らひつるが、さすがに覺えて眠りをり。皇子はたつもはした居るもはしたにて居給へり。日の暮れぬればすべ出で給ひぬ。かのうれへせし工匠等をば、かぐや姫呼びすゑて、「嬉しき人どもなり。」といひて、祿いと多くとらせ給ふ。工匠等いみじく喜びて、「思ひつるやうにもあるかな。」といひて、かへる道にて、車持皇子血の流るゝまでちようぜさせ給ふ。祿得しかひもなく皆とり捨てさせ給ひてければ、逃げうせにけり。かくてこの皇子、「一生の恥これに過ぐるはあらじ。女をえずなりぬるのみにあらず、天の下の人の見思はんことの恥かしき事。」との給ひて、たゞ一所深き山へ入り給ひぬ。宮司候ふ人々、皆手を分ちて求め奉れども、御薨もやしたまひけん、え見つけ奉らずなりぬ。皇子の御供に隱し給はんとて、年頃見え給はざりけるなりけり。是をなんたまさかるとはいひ始めける。

と言って、玉の枝も返してしまいました。竹取の翁は、あれほど親しく語り合っていたのがさすがに気恥ずかしく思われて、寝たふりをしていました。皇子は立っているのも中途半端、座っているのも中途半端なまま、そのままおられました。日が暮れるとそっとお出になりました。

あの訴えをした工匠たちを、かぐや姫は呼び寄せて座らせ、「ありがたい人たちです。」と言って、褒美をたいそう多く取らせました。工匠たちはひどく喜んで、「思ったとおりになったものだ。」と言って帰る道で、車持皇子が血が流れるまで打ちたたかせました。褒美を得た甲斐もなく、すべて取り上げて捨てさせてしまわれましたので、逃げて姿を消しました。

こうしてこの皇子は、「一生の恥、これにまさるものはあるまい。女を得られなかったばかりでなく、天下の人が見て思うであろうことが恥ずかしい。」とおっしゃって、ただ一人深い山へお入りになりました。宮司やお仕えする人々が皆、手分けしてお探し申し上げましたが、お亡くなりにでもなったのでしょうか、とうとうお見つけ申し上げられなくなりました。皇子にお供する者たちから身を隠そうとして、何年もお姿を見せられなかったのです。これを「たまさかる」と言い始めたのです。

夾注 1

「たまさかる」は玉が遠ざかるという意味であり、同時に魂が離れるという意味です。――訳者