41〜60段41~60단
1賀茂の競馬——木の股で眠る法師
五月五日賀茂の競馬を見侍りしに、車の前に雜人たち隔てて見えざりしかば、各おりて埒の際によりたれど、殊に人多く立ちこみて、分け入りぬべき様もなし。かゝる折に、向ひなる楝の木に、法師の登りて、木の股についゐて物見るあり。取りつきながら、いたう眠りて、堕ちぬべき時に目を覺す事度々なり。これを見る人嘲りあさみて、「世のしれものかな。かく危き枝の上にて安き心ありて眠るらむよ。」といふに、わが心にふと思ひし儘に、「我等が生死の到來唯今にもやあらむ。これを忘れて物見て日を暮す、愚かなる事は猶まさりたるものを。」といひたれば、前なる人ども、「誠に然こそ候ひけれ。尤も愚かに候。」といひて、皆後を見返りて、「こゝへいらせ給へ。」とて、所をさりて呼び入れはべりにき。かほどの理、誰かは思ひよらざらむなれども、折からの思ひかけぬ心地して、胸にあたりけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて物に感ずる事なきにあらず。
五月五日、賀茂の競馬を見ましたとき、車の前に雑人たちが隔たって見えませんでしたので、それぞれ降りて埒のそばに寄ったのですが、とりわけ人が多く立ち込んで、分け入れそうな様子もありません。
そのとき、向かいの楝の木に法師が登って、木の股に腰かけて見物しているのがありました。しがみつきながらひどく眠り込んで、落ちそうになると目を覚ますことが、たびたびでした。
これを見る人が嘲り呆れて、「世の愚か者だな。あんな危うい枝の上で、安心して眠っているとは」と言いますので、自分の心にふと思ったままに、「我々の生死の到来も、ただ今であるかもしれません。それを忘れて見物して日を暮らしているのですから、愚かなことはむしろこちらがまさっているのに」と言いましたところ、前にいた人たちが「まことにそのとおりでございます。もっとも愚かでございます」と言って、みな後ろを振り返り、「こちらへお入りください」と言って、場所を譲って招き入れてくれました。
これほどの理は、誰が思いつかないことがあるでしょうか。けれども、折が折でしたので思いがけない心地がして、胸に当たったのでしょうか。人は木や石ではありませんから、時によって物に感じることがないわけではありません。
2鬼の顔になって死んだ僧都
唐橋の中將といふ人の子に、行雅僧都とて、教相の人の師する僧ありけり。氣のあがる病ありて、年のやう〳〵たくるほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さま〴〵につくろひけれど、煩はしくなりて、目眉額なども腫れまどひて、うち覆ひければ、物も見えず、二の舞の面の樣に見えけるが、たゞ恐ろしく鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額の程鼻になりなどして、後は、坊の内の人にも見えず籠り居て、年久しくありて、猶煩はしくなりて死ににけり。かゝる病もある事にこそありけれ。
唐橋の中将という人の子に、行雅僧都といって、教相を人に教えていた僧がありました。気が上る病があって、年が次第に行くころ、鼻の中が塞がって息も出がたくなりました。
さまざまに手当てをしましたが、かえって重くなって、目も眉も額なども腫れふさがって覆われてしまい、物も見えず、二の舞の面のように見えました。ただ恐ろしく鬼の顔になって、目は頭の方に付き、額のあたりが鼻になったりしました。
後には、坊の内の人にも見せず籠っていて、年久しくあってさらに重くなり、死んでしまいました。このような病もあることだったのです。
3春の暮れがた、ある家の若者
春の暮つかた、のどやかに艷なる空に、賤しからぬ家の、奧深く木立ものふりて、庭に散りしをれたる花見過しがたきを、さし入りて見れば、南面の格子を皆下して、さびしげなるに、東にむきて妻戸のよきほどに開きたる、御簾のやぶれより見れば、かたち清げなる男の、年二十ばかりにて、うちとけたれど、心にくくのどやかなる樣して、机の上に書をくりひろげて見居たり。いかなる人なりけむ、たづね聞かまほし。
春の暮れがた、のどやかで艶な空のもと、卑しからぬ家が奥深く、木立も古びていました。庭に散りしおれた花が見過ごしがたくて入って見ますと、南向きの格子はみな下ろされて寂しげなのに、東に向いた妻戸がよいほどに開いていました。
御簾の破れから覗きますと、顔の清らかな男が、年は二十ばかりで、くつろいだ姿ながら奥ゆかしくのどやかな様子で、机の上に書物を広げて見ておりました。
どのような人であったのでしょうか、尋ねて聞きたいものでした。
4竹の編戸から出た若者——山里の御仏事
怪しの竹の編戸の内より、いと若き男の、月影に色合定かならねど、つやゝかなる狩衣に濃き指貫、いとゆゑづきたるさまにて、さゝやかなる童一人を具して、遙かなる田の中の細道を、稻葉の露にそぼち〈原文・頭注「そほぢ」〉つゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かむかた知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹きやみて、山の際に總門のあるうちに入りぬ。榻にたてたる車の見ゆるも、都よりは目とまる心地して、下人に問へば、「しか〴〵の宮のおはします頃にて、御佛事などさぶらふにや。」といふ。御堂の方に法師ども參りたり。夜寒の風にさそはれくる空薫物の匂ひも、身にしむ心地す。寢殿より御堂の廊にかよふ女房の、追風用意など、人目なき山里ともいはず心づかひしたり。心のまゝにしげれる秋の野らは、おきあまる露にうづもれて、蟲の音かごとがましく、遣水の音のどやかなり。都の空よりは、雲のゆききも早き心地して、月の晴れ曇ること定めがたし。
粗末な竹の編戸の内から、たいそう若い男が出てきました。月影ですから色合いは定かではありませんが、艶やかな狩衣に濃い指貫を着て、まことに由ありげな様子でした。
小さな童一人を連れて、はるかな田の中の細道を、稲葉の露に濡れながら分けて行きます。笛を何とも言えず美しく吹き流していくのを、しみじみと聞き分ける人もいないだろうと思い、行く先を知りたくなって、見送りながら付いて行きますと、笛を吹きやめて、山際の総門の内に入って行きました。
榻に立ててある車が見えるのも、都よりは目に留まる心地がして、下人に尋ねますと、「これこれの宮がおいでになるころですので、御仏事などがございますのでしょう」と言います。御堂の方へ法師たちが参っています。
夜寒の風に誘われてくる空薫物の匂いも、身にしむ心地がします。寝殿から御堂の廊へ通う女房が、追風用意など、人目のない山里だからといって手を抜かず、心を使っています。
心のままに茂った秋の野は、置きあまる露に埋もれて、虫の音が何かを恨むようであり、遣水の音はのどやかです。都の空よりは雲の行き来も早い心地がして、月の晴れ曇りも定めがたいのです。
5榎の僧正、切杭の僧正、堀池の僧正
公世の二位の兄に、良覺僧正と聞えしは極めて腹惡しき人なりけり。坊の傍に大きなる榎ありければ、人、「榎の僧正」とぞいひける。この名然るべからずとて、かの木を切られにけり。その根のありければ、「切杭の僧正」といひけり。愈腹立ちて、切杭を掘りすてたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池の僧正」とぞいひける。
公世の二位の兄で、良覚僧正と申した方は、極めて腹の悪い人でした。
坊の傍らに大きな榎がありましたので、人は「榎の僧正」と呼びました。この名はよろしくないといって、その木を切られました。その根が残っていましたので、「切杭の僧正」と言いました。いよいよ腹を立てて切杭を掘り捨てたところ、その跡が大きな堀になっていましたので、「堀池の僧正」と呼びました。
6強盗法印という名
柳原の邊に、強盜〈原文「がうたう」〉法印と號する僧ありけり。度々強盜にあひたる故に、この名をつけにけるとぞ。
柳原の辺りに、「強盗法印」と号する僧がありました。たびたび強盗に遭ったために、この名を付けたのだということです。
7嚔のたびに呪いを唱えた老いた尼
ある人清水へまゐりけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「嚔嚔」といひもて行きたれば、「尼御前何事をかくは宣ふぞ。」と問ひけれども、答へもせず、猶いひ止まざりけるを、度々とはれて、うち腹だちて、「やゝ、嚔ひたる時、かく呪はねば死ぬるなりと申せば、養ひ君の、比叡の山に兒にておはしますが、たゞ今もや嚔ひ給はむと思へば、かく申すぞかし。」といひけり。あり難き志なりけむかし。
ある人が清水へ参りますとき、老いた尼が連れ立って行きましたが、道すがら「くさめ、くさめ」と言いながら行きますので、「尼御前は何事をそのようにおっしゃるのですか」と尋ねましたが、答えもせず、なお言いやめませんでした。
たびたび尋ねられて、腹を立てて、「いえ、嚔をしたとき、こう呪いを唱えなければ死ぬのだと申しますので、私のお育てした若君が比叡の山に児としていらっしゃるのですが、ただ今にも嚔をなさるのではないかと思いますので、こう申しているのですよ」と言いました。
ありがたい志であったのでしょう。
8光親卿の衝重の返し方
光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、御前へ召されて、供御をいだされて食はせられけり。もの食ひ散らしたる衝重を、御簾の中へさし入れてまかり出でにけり。女房、「あな汚な。誰に取れとてか。」など申しあはれければ、「有職のふるまひ、やんごとなき事なり。」とかへす〴〵感ぜさせ給ひけるとぞ。
光親卿が、院の最勝講の奉行としてお仕えしていたとき、御前に召されて、供御を出されて召し上がらせられました。食べ散らした衝重を、御簾の中へ差し入れて退出しました。
女房たちが「まあ、汚いこと。誰に片づけよというのでしょう」などと言い合いましたので、院は「有職のふるまいであって、まことに立派なことだ」と、返す返す感心されたということです。
9老いてから道を行じようと待ってはならない
老來りて始めて道を行ぜむと待つ事勿れ。古き墳多くはこれ少年の人なり。はからざるに病をうけて、忽ちにこの世を去らむとする時にこそ、はじめて過ぎぬる方のあやまれる事は知らるれ。あやまりといふは他の事にあらず、速かにすべき事をゆるくし、ゆるくすべきことを急ぎて過ぎにしことのくやしきなり。その時悔ゆとも甲斐あらむや。人はたゞ無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、つかの間も忘るまじきなり。さらばなどか此の世の濁りもうすく、佛道を勤むる心もまめやかならざらむ。昔ありける聖は、人のきたりて自他の要事をいふとき、答へていはく、「今火急の事ありて、既に朝夕にせまれり。」とて、耳をふたぎて念佛して、終に往生を遂げたりと、禪林の十因にはべり。心戒といひける聖は、餘りにこの世のかりそめなることを思ひて、靜かについゐける事だになく、常はうづくまりてのみぞありける。
老いが来てから初めて道を行じようと待ってはなりません。古い墳の多くは、若い人のものです。
思いがけず病を受けて、たちまちこの世を去ろうとするときになって、初めて過ぎ去った日々の誤りが知られるのです。誤りというのは他のことではありません。速やかにすべきことを緩くし、緩くすべきことを急いで過ごしてきたことが悔やまれるのです。そのとき悔いても、甲斐があるでしょうか。
人はただ、無常がこの身に迫っていることを心にしっかりと掛けて、束の間も忘れてはならないのです。そうすれば、どうしてこの世の濁りも薄くならず、仏道を勤める心も誠実にならないことがあるでしょうか。
昔いたという聖は、人が来て自他の大切な用事を言うとき、答えて「今、火急のことがあって、すでに朝夕に迫っている」と言って、耳を塞いで念仏し、ついに往生を遂げたと、『禅林の十因』にございます。
心戒といった聖は、あまりにこの世が仮初めであることを思って、静かに座っていることさえなく、常はうずくまってばかりいました。
10応長のころの鬼騒ぎ
應長のころ、伊勢の國より、女の鬼になりたるを率て上りたりといふ事ありて、その頃二十日ばかり、日ごとに京白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。「昨日は西園寺に參りたりし、今日は院へまゐるべし。たゞ今はそこ〳〵に。」など云ひあへり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言といふ人もなし。上下たゞ鬼の事のみいひやまず。その頃東山より、安居院の邊へまかり侍りしに、四條より上ざまの人、みな北をさして走る。「一條室町に鬼あり。」とのゝしりあへり、今出川の邊より見やれば、院の御棧敷のあたり、更に通り得べうもあらず立ちこみたり。はやく跡なき事にはあらざんめりとて、人をやりて見するに、大方あへるものなし。暮るゝまでかく立ちさわぎて、はては鬭諍おこりて、あさましきことどもありけり。そのころおしなべて、二日三日人のわづらふこと侍りしをぞ、「かの鬼の虚言は、この兆を示すなりけり。」といふ人も侍りし。
応長のころ、伊勢の国から、女が鬼になったのを連れて上ったということがあって、そのころ二十日ばかり、日ごとに京と白川の人が、鬼を見ようといって出てはさまよいました。「昨日は西園寺に参った、今日は院へ参るはずだ、ただ今はどこそこに」などと言い合っていました。
確かに見たという人もなく、嘘だという人もありません。身分の上下を問わず、ただ鬼のことばかり言いやみませんでした。
そのころ、東山から安居院の辺りへ参りましたところ、四条から上の方の人がみな北を指して走っていきます。「一条室町に鬼がいる」と叫び合っています。今出川の辺りから見やりますと、院の御桟敷のあたりは、まったく通り抜けられそうもないほど人が立ち込んでいました。
まるきり根も葉もないことではないようだといって、人を遣って見させましたが、出会った者は一人もありませんでした。暮れるまでこのように立ち騒いで、果てには闘諍が起こって、あさましいことどもがありました。
そのころ、おしなべて二日三日、人が病むことがございましたのを、「あの鬼の嘘は、この兆しを示したのだった」と言う人もございました。
11水車は宇治の人が作ってこそ
龜山殿の御池に、大井川の水をまかせられむとて、大井の土民に仰せて、水車を作らせられけり。多くの錢を賜ひて、數日に營み出してかけたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、徒らに立てりけり。さて宇治の里人を召してこしらへさせられければ、やすらかに結ひて參らせたりけるが、思ふやうにめぐりて、水を汲み入るゝ事めでたかりけり。萬にその道を知れるものは、やんごとなきものなり。
亀山殿の御池に大井川の水を引き入れようとして、大井の土民にお命じになり、水車をお作らせになりました。多くの銭を賜って、数日かかって作り上げて掛けたのですが、まったく回りませんでしたので、あれこれ直しましたが、ついに回らず、いたずらに立っているばかりでした。
そこで宇治の里人をお召しになって作らせられたところ、たやすく組み上げて差し上げたのですが、思うとおりに回って、水を汲み入れることが見事でした。
何事につけても、その道を知っている者は、尊いものです。
12石清水を拝まずに帰った法師
仁和寺に、ある法師、年よるまで石清水を拜まざりければ、心憂く覺えて、ある時思ひたちて、たゞ一人かちより詣でけり。極樂寺、高良などを拜みて、かばかりと心得て歸りにけり。さて傍の人に逢ひて、「年ごろ思ひつる事果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも參りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけむ、ゆかしかりしかど、神へまゐるこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。」とぞいひける。すこしの事にも先達はあらまほしきことなり。
仁和寺にある法師が、年を取るまで石清水を拝んだことがなかったので、情けなく思われて、あるとき思い立って、ただ一人、徒歩で参詣しました。極楽寺や高良などを拝んで、これだけのものと思い込んで帰ってしまいました。
そして、そばの人に会って、「長年思っていたことを果たしました。聞いていた以上に尊くていらっしゃいました。それにしても、参った人がみな山へ登っていたのは、何事があったのでしょうか、知りたくはありましたが、神に参るのが本意であると思って、山までは見ませんでした」と言いました。
少しのことにも、先達はあってほしいものです。
13足鼎をかぶった法師
これも仁和寺の法師、童の法師にならむとする名殘とて、各遊ぶことありけるに、醉ひて興に入るあまり、傍なる足鼎をとりて頭にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおしひらめて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、滿座興に入ること限りなし。しばし奏でて後、拔かむとするに、大かた拔かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせむと惑ひけり。とかくすれば、首のまはり缺けて血垂り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、うち割らむとすれど、たやすく割れず、響きて堪へがたかりければ、叶はで、すべき樣なくて、三足なる角の上に帷子をうちかけて、手をひき杖をつかせて、京なる醫師の許率て行きけるに、道すがら人の怪しみ見る事限りなし。醫師の許にさし入りて、むかひ居たりけむ有樣、さこそ異樣なりけめ。物をいふも、くゞもり聲に響きて聞えず。かゝる事は書にも見えず、傳へたる教へもなしといへば、また仁和寺へかへりて、親しきもの、老いたる母など、枕上により居て泣き悲しめども、聞くらむとも覺えず。かゝる程に、或者のいふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらむ、たゞ力をたてて引き給へ。」とて、藁の蒂をまはりにさし入れて、金を隔てて、首もちぎるばかり引きたるに、耳鼻かけうげながら、拔けにけり。からき命まうけて、久しく病み居たりけり。
これも仁和寺の法師ですが、童が法師になろうとする名残といって、それぞれ遊ぶことがありました。酔って興が過ぎたあまり、傍らにあった足鼎を取って頭にかぶったところ、つかえるようになるのを、鼻を押しつぶして顔を差し入れ、舞い出てきたので、満座の興ははてしないものでした。
しばらく舞ってのち、抜こうとしますと、まったく抜けません。酒宴は興が醒めて、どうしたものかと途方に暮れました。あれこれするうちに、首のまわりが擦り剥けて血が垂れ、ただ腫れに腫れあがって息も詰まりましたので、打ち割ろうとしましたが、たやすく割れず、響いて堪えがたいのでした。
どうにもならず、三本足の角の上に帷子を打ち掛けて、手を引き、杖をつかせて、京の医師のもとへ連れて行きましたが、道すがら人が怪しんで見ることは限りがありません。医師のもとに入って、向かい合って座っていた有様は、さぞ異様であったでしょう。物を言っても、こもった声が響いて聞こえません。
「このようなことは書物にも見えず、伝わっている教えもない」と言いますので、また仁和寺へ帰りました。親しい者や、老いた母などが枕元に寄り座って泣き悲しみますが、聞いているとも思われません。
そうするうちに、ある者が言うには、「たとえ耳や鼻が切れてなくなったとしても、命だけはどうして助からないことがありましょう。ただ力を入れてお引きなさい」ということで、藁の蒂をまわりに差し入れて、金物が当たらないようにし、首もちぎれるほどに引いたところ、耳と鼻が欠けて穴があいたまま、抜けました。
危うい命を拾って、長く病み伏せっていました。
14紅葉の下に埋めておいた破籠
御室にいみじき兒のありけるを、いかで誘ひ出して遊ばむとたくむ法師どもありて、能あるあそび法師どもなど語らひて、風流の破籠やうのもの、ねんごろに營み出でて、箱風情のものに認め入れて、雙の岡の便りよき所にうづみおきて、紅葉ちらしかけなど、思ひよらぬさまにして、御所へまゐりて、兒をそゝのかし出でにけり。うれしく思ひて、こゝかしこ遊びめぐりて、ありつる苔の筵に竝みゐて、「いたうこそ困じにたれ。あはれ紅葉を燒かむ人もがな。しるしあらむ僧たち、いのり試みられよ。」などいひしろひて、埋みつる木のもとに向きて、數珠おしすり、印こと〴〵しく結びいでなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つや〳〵物も見えず。所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされども無かりけり。埋みけるを人の見おきて、御所へ參りたる間に盜めるなりけり。法師ども言の葉なくて、聞きにくくいさかひ腹だちて歸りにけり。あまりに興あらむとすることは、必ずあいなきものなり。
御室(仁和寺)にたいそう美しい児がいたのを、何とかして誘い出して遊ぼうと企む法師たちがあって、芸のある遊び法師たちなどを語らい、風流な破籠のようなものを念入りに作り上げ、箱のようなものに詰め入れて、双の岡の都合のよい所に埋めておき、紅葉を散らし掛けなどして、思いもよらない様子にしておいて、御所へ参って、児を誘い出しました。
嬉しく思って、あちこち遊びめぐり、例の苔の筵に並んで座って、「たいそう疲れてしまった。ああ、紅葉を焚いてくれる人でもいればよいのに。霊験のありそうな僧たち、祈ってお試しなさい」などと言い合って、埋めた木のもとに向かって、数珠を押し擦り、印をことごとしく結び出しなどして、仰々しくふるまって木の葉を掻きのけましたが、まったく何も見えません。
場所を間違えたのかといって、掘らない所もないほど山を探しましたが、ありませんでした。埋めたのを人が見ておいて、御所へ参っているあいだに盗んだのでした。
法師たちは言葉もなくなって、聞き苦しく言い争い腹を立てて帰っていきました。
あまりに面白くしようとすることは、必ず興ざめなものになるのです。
15家の造りようは夏を旨とせよ
家のつくりやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き頃わろき住居は堪へがたきことなり。深き水は涼しげなし、淺くて流れたる、遙かに涼し。細かなるものを見るに、遣戸は蔀の間よりもあかし。天井の高きは、冬寒く、燈くらし。造作は用なき所をつくりたる、見るもおもしろく、よろづの用にも立ちてよし。」とぞ、人のさだめあひ侍りし。
家の造りようは、夏を旨とすべきです。冬はどのような所にも住めます。暑いころ、悪い住まいは堪えがたいものです。
深い水は涼しげがなく、浅くて流れている水の方がはるかに涼しいものです。細かな物を見るときは、遣戸の方が蔀の間よりも明るいのです。天井が高いと、冬は寒く、灯火も暗くなります。
「造作は、用のない所を造っておくのが、見るのも面白く、さまざまな用にも立ってよい」と、人々が論じ合っておりました。
16久しぶりに会った人が自分の話ばかり続けるとき
久しく隔たりて逢ひたる人の、わが方にありつる事、數々に殘りなく語り續くるこそあいなけれ。へだてなく馴れぬる人も、ほどへて見るは恥しからぬかは。次ざまの人は、あからさまに立ち出でても、興ありつることとて、息もつぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物がたりするは、人あまたあれど、一人に向きていふを、自ら人も聽くにこそあれ。よからぬ人は、誰ともなく數多の中にうち出でて、見る事のやうに語りなせば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。をかしき事をいひてもいたく興ぜぬと、興なき事をいひてもよく笑ふにぞ、品のほどはかられぬべき。人の見ざまのよしあし、才ある人はその事など定めあへるに、おのが身にひきかけていひ出でたる、いとわびし。
久しく隔たって会った人が、自分の方にあったことを数々残らず語り続けるのは、興ざめなことです。
隔てなく馴れ親しんだ人でも、時が経って会うときは、気恥ずかしくないことがあるでしょうか。身分の下の人は、ちょっと出かけただけでも、「面白いことがあった」といって、息もつかずに語って興じるものです。
よい人が話をするときは、人が大勢いても、一人に向かって言うのを、おのずと他の人も聞くというものです。よくない人は、誰にともなく大勢の中へ言い出して、目の前に見ていることのように語り立てるので、みな同じように笑いさざめき、たいそう騒がしいことです。
面白いことを言ってもひどく興じないのと、面白くないことを言ってもよく笑うのとで、その人の品のほどは量られるでしょう。
人の容姿のよしあしや、学識のある人が何かについて論じ合っているときに、自分の身に引きつけて言い出すのは、たいそう情けないことです。
17歌物語の歌が悪いのは
人のかたり出でたる歌物語の、歌のわろきこそ本意なけれ。すこしその道知らむ人は、いみじと思ひては語らじ。すべていとも知らぬ道の物がたりしたる、かたはらいたく聞きにくし。
人が語り出した歌物語で、肝心の歌が悪いのは、残念なことです。少しでもその道を知っている人なら、立派だと思って語ることはないでしょう。
およそ、少しも知らない道の話をするのは、傍らで気づまりで、聞きづらいものです。
18道心があれば住む所にはよらない、という言葉
「道心あらば住む所にしもよらじ、家にあり人に交はるとも、後世を願はむに難かるべきかは。」といふは、更に後世知らぬ人なり。げにはこの世をはかなみ、必ず生死を出でむと思はむに、何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家を顧る營みの勇ましからむ。心は縁にひかれて移るものなれば、靜かならでは、道は行じがたし。その器昔の人に及ばず、山林に入りても、飢をたすけ、嵐を防ぐよすがなくては、あられぬわざなれば、おのづから世を貪る〈頭注脱字あり。補う。〉に似たる事も、便りに觸れば、などか無からむ、さればとて、「背けるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし。」なんどいはむは無下の事なり。さすがに一たび道に入りて、世をいとなむ人、たとひ望みありとも、勢ひある人の貪欲多きに似るべからず。紙の衾麻の衣、一鉢のまうけ、藜の羮、いくばくか人の費をなさむ。もとむる所はやすく、その心早く足りぬべし。形に恥づる所もあれば、さはいへど、惡にはうとく、善には近づくことのみぞ多き。人と生れたらむしるしには、いかにもして世を遁れむ事こそあらまほしけれ。偏に貪ることをつとめて、菩提に赴かざらむは、よろづの畜類にかはる所あるまじくや。
「道心があれば住む所にはよらない。家にいて人と交わっていても、後世を願うのに何の難しいことがあろうか」というのは、まったく後世を知らない人です。
まことにこの世をはかなみ、必ず生死を出ようと思うならば、何の興があって、朝夕に君に仕え、家を顧みる営みが勇ましくあるでしょうか。心は縁に引かれて移るものですから、静かでなくては道は行じがたいのです。
その器が昔の人に及ばず、山林に入っても、飢えを助け、嵐を防ぐよすががなくては暮らせない業ですから、おのずと世を貪るのに似たことも、折に触れてどうしてないでしょうか。だからといって、「背いた甲斐がない。それほどであれば、どうして捨てたのか」などと言うのは、言語道断のことです。
それでもやはり、一度道に入って世を遁れた人は、たとえ望みがあっても、勢いのある人の貪欲の多さに比べられるものではありません。紙の衾、麻の衣、一鉢の用意、藜の羮が、どれほど人の費えとなるでしょうか。求める所はたやすく、その心もすぐに足りるはずです。
また、姿に恥じるところもありますから、そうは言っても、悪には疎く、善に近づくことばかりが多いのです。
人と生まれた甲斐としては、どうにかして世を遁れることこそ願わしいのです。ひたすら貪ることにばかり努めて、菩提に赴かないのであれば、あらゆる畜類と変わるところがないではありませんか。
19大事を思い立った人は、そのまま捨てよ
大事を思ひたたむ人は、さり難き心にかゝらむ事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。しばしこの事果てて、おなじくば彼の事沙汰しおきて、しか〴〵の事人の嘲りやあらむ、行末難なく認め設けて、年ごろもあれば〈ママ〉こそあれ、その事待たむ程あらじ、物さわがしからぬやうになど思はむには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、事の盡くる限りもなく、思ひたつ日もあるべからず。おほやう人を見るに、少し心ある際は、皆このあらましにてぞ一期は過ぐめる。近き火などに逃ぐる人は、「しばし。」とやいふ。身を助けむとすれば、恥をも顧みず、財をも捨てて遁れ去るぞかし。命は人を待つものかは。無常の來ることは、水火の攻むるよりも速かに、遁れがたきものを、その時老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨てがたしとて捨てざらむや。
大事を思い立った人は、去りがたく心にかかることの本意を遂げないまま、そのまま捨ててしまうべきです。
「しばらくこのことが終わってから」「どうせなら、あのことも処理しておいて」「これこれのことは人の嘲りがありはしないか」「行く末に難がないように用意を調えて」「これまで過ごしてきたのだから、そのことを待つあいだもたいしたことはあるまい」「物騒がしくないようになってから」などと思っているうちには、去りがたいことばかりがいよいよ重なって、事の尽きる限りもなく、思い立つ日も来ないでしょう。
大方、人を見るに、少し心あるほどの人は、みなこの「いつかは」で一生を過ごすようです。
近くの火事などから逃げる人が、「しばらく待て」と言うでしょうか。身を助けようとすれば、恥をも顧みず、財をも捨てて逃れ去るものです。
命は人を待ってくれるでしょうか。無常の来ることは、水や火が攻めるよりも速く、遁れがたいものであるのに、そのとき、老いた親、幼い子、君の恩、人の情を、捨てがたいといって捨てないでいられるでしょうか。
20芋頭ばかり食べていた盛親僧都
眞乘院に、盛親僧都とてやんごとなき智者ありけり。芋頭といふものを好みて多く食ひけり。談義の座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝もとにおきつゝ、食ひながら書をも讀みけり。煩ふ事あるには、七日二七日など療治とて籠り居て、思ふやうによき芋頭をえらびて、ことに多く食ひて、萬の病をいやしけり。人に食はすることなし、たゞ一人のみぞ食ひける。極めて貧しかりけるに、師匠死にざまに錢二百貫と坊ひとつを讓りたりけるを、坊を百貫に賣りて、かれこれ三萬疋を芋頭の錢と定めて、京なる人に預けおきて、十貫づゝ取りよせて、芋頭を乏しからずめしけるほどに、また他用に用ふる事なくて、その錢皆になりにけり。「三百貫のものを貧しき身にまうけて、かく計らひける、誠にあり難き道心者なり。」とぞ人申しける。この僧都、ある法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。「とは何ものぞ。」と人の問ひければ、「さるものを我も知らず。もしあらましかば、この僧の顔に似てむ。」とぞいひける。この僧都、みめよく、力つよく、大食にて、能書、學匠、辯説人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を輕く思ひたる曲者にて、よろづ自由にして、大かた人に隨ふといふ事なし。出仕して饗膳などにつく時も、皆人の前すゑわたすを待たず、我が前にすゑぬれば、やがて獨りうち食ひて、歸りたければ、ひとりついたちて行きけり。斎・非時も人にひとしく定めて食はず、我が食ひたき時、夜中にも曉にも食ひて、ねぶたければ晝もかけ籠りて、いかなる大事あれども、人のいふこと聽き入れず。目覺めぬれば、幾夜もいねず。心をすまして嘯き歩きなど、世の常ならぬさまなれども、人にいとはれず、よろづ許されけり。徳のいたれりけるにや。
真乗院に、盛親僧都という尊い智者がありました。芋頭というものを好んで多く食べました。談義の座でも、大きな鉢にうずたかく盛って膝もとに置きながら、食べつつ書物も読みました。病むことがあるときは、七日、十四日などと療治といって籠り、思うままによい芋頭を選んで、とりわけ多く食べて、あらゆる病を癒しました。人に食べさせることはなく、ただ一人だけで食べていました。
極めて貧しかったのですが、師匠が死に際に銭二百貫と坊一つを譲りましたのを、坊を百貫に売って、あれこれ三万疋を芋頭の銭と定め、京にいる人に預けておいて、十貫ずつ取り寄せて、芋頭を乏しからず召し上がっているうちに、他の用に使うこともなく、その銭はみななくなってしまいました。
「三百貫のものを貧しい身に得ておいて、このように計らったのは、まことにありがたい道心者である」と人は申しました。
この僧都が、ある法師を見て「しろうるり」という名を付けました。「それは何者か」と人が尋ねますと、「そのようなものは自分も知らない。もしあるとしたら、この僧の顔に似ているだろう」と言いました。
この僧都は、見目がよく、力が強く、大食で、能書、学匠、弁舌が人に優れ、宗の法灯でしたから、寺中でも重く思われていました。けれども世を軽く思っている曲者で、何事も自由にふるまい、大方、人に従うということがありません。
出仕して饗膳などに着くときも、みなの前に膳が据え渡されるのを待たず、自分の前に据えられればすぐに一人で食べ、帰りたければ一人で立って行きました。斎も非時も人と同じに定めて食べず、自分の食べたいときには夜中にも暁にも食べ、眠たければ昼でも戸を閉ざして籠り、どのような大事があっても、人の言うことを聞き入れません。目が覚めれば、幾夜も寝ません。心を澄まして嘯きながら歩くなど、世の常でない様子でしたが、人に厭われず、何事も許されていました。
徳が至っていたからでしょうか。