いにしえの文 › 徒然草(所在なきままに書きつけた草) › 全一巻

61〜80段61~80단

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 徒然草 · 吉田兼好 · 元弘元年〜2年(1331年頃)成立 · 段落 20 · 漢字 4,111字 · 朗読 10.3分

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 全一巻 「つれづれなるままに、一日中硯に向かって、心に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてどなく書きつけていきますと」 — この一文で始まる243編の短い文章。兼好法師が世を背いた後、無常と人のあり方、花と月、古い法度と当世の風俗を行き来しながら書いた。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」(137段)のように長く引かれる箇所が随所にあり、鼎をかぶった法師や出雲の獅子の像の話のように笑いを誘う断章も混じる。方丈記とともに日本の随筆の二本の柱に数えられる。

1御産のときに甑を落とすこと

御産の時、甑落す事は、定まれることにはあらず。御胞衣滯る時の呪なり。滯らせ給はねばこの事なし。下ざまより事おこりて、させる本説なし。大原の里の甑をめすなり。ふるき寳藏の繪に、賤しき人の子産みたる所に、甑おとしたるを書きたり。

御産のときに甑を落とすことは、定まった作法ではありません。御胞衣が滞るときの呪いです。滞らせられなければ、このことはしません。

下々から起こったことで、これといった典拠もありません。大原の里の甑を召し取るのです。古い宝蔵の絵に、賤しい人が子を産んだ所で甑を落としているのが描かれています。

2延政門院の幼いころの御歌

延政門院幼くおはしましける時、院へ參る人に、御ことづてとて申させ給ひける御歌、 ふたつ文字牛の角文字直な文字ゆがみもじとぞ君はおぼゆる こひしく思ひまゐらせ給ふとなり。

延政門院が幼くていらっしゃったとき、院へ参る人に、御ことづてとして申させられた御歌。

ふたつ文字牛の角文字すぐな文字ゆがみもじとぞ君はおぼゆる

恋しくお思い申しあげていらっしゃるという意味です。

3後七日の阿闍梨が武者を集めること

後七日の阿闍梨、武者を集むる事、いつとかや盜人に逢ひにけるより、宿直人とてかくこと〴〵しくなりにけり。一とせの相は、この修中に有樣にこそ見ゆなれば、兵を用ひむこと穩かならぬ事なり。

後七日の阿闍梨が武者を集めることは、いつでしたか盗人に遭ってから、宿直人といってこのように仰々しくなったのです。

一年の相は、この修法のあいだの有様に現れると言いますから、兵を用いることは穏やかでないことです。

4車の五緒

「車の五緒は必ず人によらず、ほどにつけて極むる官位に至りぬれば乘るものなり。」とぞ、ある人おほせられし。

「車の五緒は、必ずしも人によるものではなく、身分相応に極める官位に至れば乗るものである」と、ある方がおっしゃいました。

5このごろの冠は昔より高くなった

「このごろの冠は、昔よりは遙かに高くなりたるなり。」とぞ、ある人おほせられし。古代の冠桶を持ちたる人は、端をつぎて今は用ふるなり。

「このごろの冠は、昔よりはるかに高くなったものである」と、ある方がおっしゃいました。古い時代の冠桶を持っている人は、端を継ぎ足して今は用いています。

6鷹と花の枝——武勝の作法

岡本關白殿、盛りなる紅梅の枝に、鳥一雙をそへて、この枝につけて參らすべき由、御鷹飼下毛野武勝に仰せられたりけるに、「花に鳥つくる術知り候はず、一枝に二つつくることも存じ候はず。」と申しければ、膳部にたづねられ、人々に問はせ給ひて、また武勝に、「さらば汝が思はむやうにつけて參らせよ。」と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つをつけてまゐらせけり。武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるにつく。五葉などにも著く。枝の長さ七尺、あるひは六尺、かへし刀五分に切る、枝のなかばに鳥をつく。著くる枝踏まする枝あり。しゞら藤の割らぬにて二所つくべし。藤のさきは、火うち羽のたけに比べて切りて、牛の角のやうに撓むべし。初雪のあした、枝を肩にかけて、中門より振舞ひてまゐる。大砌の石を傳ひて、雪に跡をつけず、雨覆ひの毛を少しかなぐり散らして、二棟の御所の高欄によせかく。祿をいださるれば、肩にかけて拜して退く。初雪といへども、沓のはなの隱れぬほどの雪にはまゐらず。雨覆ひの毛を散らすことは、鷹は弱腰を取ることなれば、御鷹の取りたるよしなるべし。」と申しき。花に鳥つけずとは、いかなる故にかありけむ。長月ばかりに、梅のつくり枝に雉をつけて、「君がためにと折る花は時しもわかぬ。」といへること、伊勢物語に見えたり。作り花は苦しからぬにや。

岡本関白殿が、盛りの紅梅の枝に鳥一双を添えて、この枝に付けて差し上げるようにと、御鷹飼の下毛野武勝にお命じになりましたところ、「花に鳥を付ける作法は存じません。一枝に二つ付けることも存じません」と申しあげました。

膳部にお尋ねになり、人々にも問わせられたのち、また武勝に「それならば、お前の思うように付けて差し上げよ」とおっしゃいましたので、花もない梅の枝に一つを付けて差し上げました。

武勝が申しましたのは、こうです。「柴の枝、梅の枝の、つぼんだものと散ったものに付けます。五葉などにも付けます。枝の長さは七尺、あるいは六尺、返し刀を五分に切り、枝の半ばに鳥を付けます。付ける枝と踏ませる枝とがあります。しじら藤の割らないもので二か所を結ぶべきです。藤の先は、火打羽の丈に合わせて切り、牛の角のように撓めるべきです。

初雪の朝、枝を肩に掛けて、中門から作法どおりにふるまって参ります。大砌の石を伝って、雪に跡を付けず、雨覆いの毛を少し毟り散らして、二棟の御所の高欄に寄せ掛けます。禄を出されれば、肩に掛けて拝して退きます。

初雪といっても、沓の鼻が隠れないほどの雪では参りません。雨覆いの毛を散らすのは、鷹は弱腰を取るものですから、御鷹が取ったものであることを示すのでしょう」と申しました。

花に鳥を付けないというのは、どのような理由があったのでしょうか。九月ごろに、梅の作り枝に雉を付けて、「君がためにと折る花は時しもわかぬ」と言ったことが、『伊勢物語』に見えます。作り花ならば差し支えなかったのでしょうか。

7賀茂の岩本と橋本

賀茂の岩本、橋本は、業平、實方なり。人の常にいひ紛へ侍れば、一とせ參りたりしに、老いたる宮司の過ぎしを、呼びとゞめて尋ね侍りしに、「實方は御手洗に影のうつりける所と侍れば、橋本やなほ水の近ければと覺えはべる。吉水の和尚、 月をめで花をながめし古のやさしき人はこゝにあり原 と詠みたまひけるは、岩本の社とこそ承りおき侍れど、おのれらよりは、なか〳〵御存じなどもこそさぶらはめ。」と、いと忝しくいひたりしこそ、いみじく覺えしか。 今出川の院の近衞とて、集どもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前に、水にて書きて手向けられけり。誠にやんごとなき譽ありて、人の口にある歌おほし。作文詩序などいみじく書く人なり。

賀茂の岩本、橋本は、業平と実方です。人が常に言い紛らわしますので、ある年参りましたときに、通りかかった老いた宮司を呼び止めて尋ねました。

「実方は御手洗に影の映った所だと申しますので、橋本の方が、やはり水に近いからでしょうかと思われます。吉水の和尚が、

月をめで花をながめし古のやさしき人はここにあり原

とお詠みになったのは、岩本の社であると承っておりますが、私どもよりは、かえってよくご存じでいらっしゃいましょう」と、たいそう恐れ入って言いましたのは、立派に思われました。

今出川の院の近衛といって、歌集の数々に多く入っている人は、若いころ、常に百首の歌を詠んで、あの二つの社の御前に、水で書いて手向けられました。まことに尊い誉れがあって、人の口にのぼる歌が多いのです。作文や詩序なども見事に書く人です。

8大根を食べていた人を守った二人の兵

筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根を萬にいみじき藥とて、朝ごとに二つづゝ燒きて食ひける事、年久しくなりぬ。ある時、館のうちに人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ來りて圍み攻めけるに、館の内につはもの二人出できて、命を惜しまず戰ひて、皆追ひかへしてけり。いと不思議におぼえて、「日頃こゝにものし給ふとも、見ぬ人々のかく戰ひしたまふは、いかなる人ぞ。」と問ひければ、「年來たのみて、あさな〳〵めしつる土大根らに候。」といひて失せにけり。深く信を致しぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。

筑紫に、何がしの押領使などという者がありましたが、土大根を万病によく効く薬だといって、朝ごとに二つずつ焼いて食べることが、年久しくなっていました。

あるとき、館の内に人もいない隙を狙って、敵が襲い来て囲み攻めましたところ、館の内から兵が二人出てきて、命を惜しまず戦い、みな追い返してしまいました。

たいそう不思議に思われて、「日ごろここにおいでになったとしても、見たこともない方々がこのように戦ってくださったのは、どのような人ですか」と尋ねましたところ、「年来頼りにして、朝ごとに召し上がった土大根どもでございます」と言って消えてしまいました。

深く信を致せば、このような徳もあるのでした。

9書写の上人が聞いた豆と豆殻の言葉

書寫の上人は、法華讀誦の功積りて、六根淨にかなへる人なりけり。旅の假屋に立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煑ける音の、つぶ〳〵と鳴るを聞きたまひければ、「疎からぬ己等しも、うらめしく我をば煑て、辛き目を見するものかな。」といひけり。焚かるゝ豆がらのはら〳〵と鳴る音は、「わが心よりする事かは。燒かるゝはいかばかり堪へがたけれども、力なきことなり。かくな恨み給ひそ。」とぞ聞えける。

書写の上人は、法華読誦の功が積もって、六根浄にかなった人でした。旅の仮屋に立ち入られたとき、豆の殻を焚いて豆を煮る音がつぶつぶと鳴るのをお聞きになりますと、「疎くもない己たちが、恨めしくも我を煮て、つらい目を見せるものだな」と言うのでした。

焚かれる豆殻のはらはらと鳴る音は、「我が心からすることでしょうか。焼かれるのはどれほど堪えがたいことですが、力の及ばぬことです。そのように恨みなさいますな」と聞こえたということです。

10菊亭の大臣の琵琶の柱

玄應の清暑堂の御遊に、玄上は失せにしころ、菊亭の大臣、牧馬を彈じ給ひけるに、座につきてまづ柱をさぐられたりければ、ひとつ落ちにけり。御ふところに續飯をもち給ひたるにて付けられにければ、神供の參るほどに、よく干て事故なかりけり。いかなる意趣かありけむ、物見ける衣被〈原文ルビ「きぬかつぎ」〉の、よりて放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。

玄応のころ、清暑堂の御遊で、玄上が失われていた時分、菊亭の大臣が牧馬をお弾きになりましたが、座に着いてまず柱を探られたところ、一つ落ちていました。

御懐に続飯をお持ちでしたので、それで付けられましたところ、神供が参るあいだによく乾いて、事なきを得ました。

どのような意趣があったのでしょうか。見物していた衣被の女が近寄って外し、もとのように置いておいたのだということです。

11名を聞いて思い描く面影

名を聞くより、やがて面影はおしはからるゝ心地するを、見る時は、又かねて思ひつるまゝの顔したる人こそなけれ。昔物語を聞きても、この頃の人の家のそこ程にてぞありけむと覺え、人も今見る人の中に思ひよそへらるゝは、誰もかく覺ゆるにや。またいかなる折ぞ、たゞ今人のいふことも、目に見ゆるものも、わが心のうちも、かゝる事のいつぞやありしがと覺えて、いつとは思ひいでねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。

名を聞くと、すぐに面影が推し量られる心地がしますが、実際に見るときには、前もって思っていたとおりの顔をしている人はいないものです。

昔物語を聞いても、近ごろの人の家のあのあたりであったろうと思われ、人も今見る人の中に思いなぞらえられるのですが、誰もこのように思うのでしょうか。

また、どのような折でしょうか、ただ今人の言うことも、目に見えるものも、自分の心の内も、こうしたことがいつぞやあったと思われて、いつとは思い出せないけれども、確かにあったような心地がするのは、自分だけがこう思うのでしょうか。

12賤しげに見えるもの

賎しげなるもの。居たるあたりに調度の多き、硯に筆の多き、持佛堂に佛の多き、前栽に石草木のおほき、家のうちに子孫のおほき、人にあひて詞のおほき、願文に作善おほく書き載せたる。おほくて見苦しからぬは、文車の文、塵塚のちり。

賤しげに見えるもの。座っているあたりに調度の多いこと、硯に筆の多いこと、持仏堂に仏の多いこと、前栽に石や草木の多いこと、家の内に子孫の多いこと、人に会って言葉の多いこと、願文に作善を多く書き載せること。

多くても見苦しくないのは、文車の文と、塵塚の塵です。

13世に語り伝えることは、ほとんどが嘘である

世にかたり傳ふる事、誠は愛なきにや、多くは皆虚言なり。あるにも過ぎて、人はものをいひなすに、まして年月すぎ、境も隔たりぬれば、いひたき侭に語りなして、筆にも書き留めぬれば、やがて定りぬ。道々のものの上手のいみじき事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そゞろに神の如くにいへども、道知れる人は更に信も起さず。音にきくと見る時とは、何事も變るものなり。かつ顯はるゝも顧みず、口に任せていひちらすは、やがて浮きたることと聞ゆ。又我も實しからずは思ひながら、人のいひし侭に、鼻の程をごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げに〳〵しく、所々うちおぼめき、能く知らぬよしして、さりながら、つま〴〵合せて語る虚言は、恐ろしき事なり。わが爲面目あるやうに言はれぬる虚言は、人いたくあらがはず、皆人の興ずる虚言は、一人さもなかりし物といはむも詮なくて、聞き居たる程に、證人にさへなされて、いとゞ定りぬべし。とにもかくにも虚言多き世なり。唯常にある、珍しからぬ事の侭に心えたらむ、よろづ違ふべからず。下ざまの人のものがたりは、耳驚くことのみあり。よき人はあやしき事を語らず。かくはいへど、佛神の奇特、權者の傳記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは世俗の虚言を懇に信じたるも、をこがましく、「よもあらじ。」などいふも詮なければ、大方は眞しくあひしらひて、偏に信ぜず、また疑ひあざけるべからず。

世に語り伝えることは、まことは面白みがないからでしょうか、多くはみな嘘です。あるよりも大げさに人は物を言いなすうえに、まして年月が過ぎ、土地も隔たってしまえば、言いたい放題に語りなし、筆にも書き留めてしまえば、そのまま定まってしまいます。

それぞれの道の上手が立派だということなども、頑なな人でその道を知らない者は、むやみに神のように言いますが、その道を知る人はまったく信じようともしません。噂に聞くのと見るときとは、何事も違うものです。

すぐに露顕するのも顧みず、口に任せて言い散らすのは、たちまち浮ついたことと聞こえます。また、自分でもまことらしくないと思いながら、人の言ったままに鼻のあたりをうごめかして言うのは、その人の嘘ではありません。

もっともらしく、所々は曖昧にして、よく知らないふうを装いながら、それでいてつじつまを合わせて語る嘘は、恐ろしいことです。

自分にとって面目が立つように言われた嘘は、人もひどくは言い争わず、みなが興じている嘘は、一人だけそうではなかったと言っても詮ないので、聞いているうちに証人にまで仕立てられて、いよいよ定まってしまうのでしょう。

とにもかくにも、嘘の多い世です。ただ、常にある珍しくもないことと心得ていれば、何事も間違うことはないでしょう。

身分の低い人の話は、耳を驚かすことばかりです。よい人は怪しいことを語りません。

このように言いますが、仏神の奇特や権者の伝記までを、そう信じまいというわけでもありません。これは世俗の嘘を懇ろに信じるのも愚かしく、「よもやあるまい」などと言うのも詮ないことですから、大方はまことらしく受けとめて、ひたすら信じることもせず、また疑って嘲ってもならないのです。

14蟻のように集まって、何を営むのか

蟻の如くに集りて、東西にいそぎ南北に走る。貴きあり、賎しきあり、老いたるあり、若きあり、行く所あり、歸る家あり、夕にいねて朝に起く。營む所何事ぞや。生を貪り利を求めてやむ時なし。身を養ひて何事をか待つ、期するところたゞ老と死とにあり。その來る事速かにして、念々の間に留まらず。これを待つ間、何の樂しみかあらむ。惑へるものはこれを恐れず。名利に溺れて、先途の近きことを顧みねばなり。愚かなる人はまたこれをかなしぶ。常住ならむことを思ひて、變化の理を知らねばなり。

蟻のように集まって、東西に急ぎ、南北に走ります。貴い人があり、賤しい人があり、老いた人があり、若い人があります。行く所があり、帰る家があります。夕べに寝て朝に起きます。

営むところは何事でしょうか。生を貪り、利を求めて、やむときがありません。

身を養って何を待つのでしょうか。期するところは、ただ老いと死とにあるばかりです。その来ることは速やかで、念々のあいだも留まりません。これを待つあいだ、何の楽しみがあるでしょうか。

惑っている者は、これを恐れません。名利に溺れて、先途の近いことを顧みないからです。愚かな人は、またこれを悲しみます。常住であろうことを思って、変化の理を知らないからです。

15つれづれを侘びる人

つれ〴〵わぶる人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯一人あるのみこそよけれ。世に從へば、心外の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに隨ひて、さながら心にあらず。人に戲れ、物に爭ひ、一度はうらみ、一度はよろこぶ。そのこと定れることなし。分別妄りに起りて、得失やむ時なし。まどひの上に醉へり、醉の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。いまだ誠の道を知らずとも、縁を離れて身を閑にし、事に與らずして心を安くせむこそ、暫く樂しぶともいひつべけれ。「生活、人事、技能、學問等の諸縁をやめよ。」とこそ、摩訶止觀にもはべれ。

つれづれを侘びる人は、どのような心なのでしょうか。紛れる方もなく、ただ一人あるのこそよいのです。

世に従えば、心が外の塵に奪われて惑いやすく、人に交われば、言葉が他人の聞こえに従って、そのまま自分の心ではなくなります。人と戯れ、物を争い、一度は恨み、一度は喜びます。そのことは定まりがありません。分別がみだりに起こって、得失のやむときがありません。

惑いの上に酔い、酔いの中で夢を見ます。走って忙しく、呆けて忘れていることは、人がみなこのとおりです。

まだまことの道を知らなくとも、縁を離れて身を閑かにし、事に関わらずして心を安らかにすれば、しばらくは楽しむとも言えるでしょう。

「生活、人事、技能、学問などの諸縁をやめよ」と、『摩訶止観』にもございます。

16権勢ある家に出入りする聖法師

世のおぼえ花やかなるあたりに、嘆きも喜びもありて、人多く往きとぶらふ中に、聖法師の交りて、いひ入れ佇みたるこそ、さらずともと見ゆれ。さるべきゆゑありとも、法師は人にうとくてありなむ。

世のおぼえの華やかな家に、嘆きも喜びもあって、人が多く行き訪れる中に、聖法師が交じって、取り次ぎを頼んで佇んでいるのは、そこまでしなくともと見えます。

しかるべき理由があるとしても、法師は人に疎くしているのがよいでしょう。

17我が事でもない噂に詳しい人

世の中に、そのころ人のもてあつかひぐさに言ひあへること、いろふべきにはあらぬ人の、能く案内知りて、人にもかたり聞かせ、問ひ聞きたるこそうけられね。殊にかたほとりなる聖法師などぞ、世の人の上はわが如く尋ね聞き、如何でかばかりは知りけむと覺ゆるまでぞ言ひ散らすめる。

世の中でそのころ人が話の種として言い合っていることを、関わるべき立場でもない人がよく事情を知っていて、人にも語り聞かせ、問い聞いているのは、受け入れがたいことです。

ことに片田舎の聖法師などが、世の人の身の上を我が事のように尋ね聞いて、どうしてそこまで知ったのかと思われるほどに言い散らすようです。

18新しいことを言い広めて得意がる人

今樣の事どもの珍しきを、いひ廣めもてなすこそ、又うけられね。世に事ふりたるまで知らぬ人は心にくし。今更の人などのある時、こゝもとに言ひつけたる言種、物の名など心得たるどち、片端言ひかはし、目見合はせ笑ひなどして、心しらぬ人に心得ず思はすること、世なれずよからぬ人の必ずあることなり。

今風のことで珍しいものを、言い広めてもてはやすのも、また受け入れがたいことです。世に言い古されるまで知らずにいる人は、奥ゆかしいものです。

新参の人などがいるときに、自分たちの間で付けている言い種や物の名などを、心得た者どうしが片言で言い交わし、目を見合わせて笑いなどして、知らない人に訳が分からないと思わせることは、世慣れない、よくない人が必ずすることです。

19何事も立ち入った風を見せないのがよい

何事も入りたたぬさましたるぞよき。よき人は知りたる事とて、さのみ知りがほにやはいふ。片田舎よりさしいでたる人こそ、萬の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば世に恥しき方もあれど、自らもいみじと思へる氣色、かたくななり。よく辨へたる道には、必ず口おもく、問はぬかぎりは、言はぬこそいみじけれ。

何事も立ち入った風を見せないのがよいのです。よい人は、知っていることだからといって、そうむやみに知り顔に言うでしょうか。

片田舎から出てきた人こそ、あらゆる道に心得のあるような受け答えをするものです。それで人が恥ずかしく思うようなところもありますが、自分でも立派だと思っている様子は、頑なです。

よく弁えている道ほど、必ず口が重く、問われない限りは言わないことこそ、立派なのです。

20人はみな、我が身に疎いことばかりを好む

人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は兵の道をたて、夷は弓ひく術知らず、佛法知りたる氣色し、連歌し、管絃を嗜みあへり。されどおろかなる己が道より、なほ人に思ひあなづられぬべし。法師のみにもあらず、上達部、殿上人、上ざままで、おしなべて武を好む人多かり。百たび戰ひて百たび勝つとも、いまだ武勇の名を定めがたし。その故は運に乘じて敵をくだく時、勇者にあらずといふ人なし。兵盡き矢きはまりて、遂に敵に降らず、死を安くして後、はじめて名を顯はすべき道なり。生けらむほどは武に誇るべからず。人倫に遠く、禽獸に近きふるまひ、その家にあらずば、好みて益なきことなり。

人はみな、我が身に疎いことばかりを好みます。法師は兵の道を立て、夷は弓を引く術も知らずに仏法を知っている様子をして、連歌をし、管弦をたしなみ合っています。けれども、拙い自分の道よりも、かえって人に侮られることになるでしょう。

法師ばかりではありません。上達部、殿上人、上の方々まで、おしなべて武を好む人が多いのです。

百度戦って百度勝ったとしても、まだ武勇の名を定めることはできません。その理由は、運に乗じて敵を砕くときには、勇者でないと言う人はいないからです。兵が尽き矢が尽きても、ついに敵に降らず、死を安らかに受けてのち、初めて名を現すことのできる道なのです。生きているあいだは、武を誇るべきではありません。

人倫から遠く、禽獣に近いふるまいですから、その家の者でなければ、好んでも益のないことです。