いにしえの文 › 徒然草(所在なきままに書きつけた草) › 全一巻

81〜100段81~100단

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 徒然草 · 吉田兼好 · 元弘元年〜2年(1331年頃)成立 · 段落 20 · 漢字 4,406字 · 朗読 11.0分

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 全一巻 「つれづれなるままに、一日中硯に向かって、心に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてどなく書きつけていきますと」 — この一文で始まる243編の短い文章。兼好法師が世を背いた後、無常と人のあり方、花と月、古い法度と当世の風俗を行き来しながら書いた。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」(137段)のように長く引かれる箇所が随所にあり、鼎をかぶった法師や出雲の獅子の像の話のように笑いを誘う断章も混じる。方丈記とともに日本の随筆の二本の柱に数えられる。

1屏風や障子の書が拙いと、主人が拙く思われる

屏風障子などの繪も文字も、かたくななる筆樣して書きたるが、見にくきよりも、宿の主人の拙く覺ゆるなり。大かた持てる調度にても、心おとりせらるゝ事はありぬべし。さのみよき物を持つべしとにもあらず、損ぜざらむためとて、品なく見にくきさまに爲なし、珍しからむとて、用なき事どもしそへ、煩はしく好みなせるをいふなり。古めかしきやうにて、いたくこと〴〵しからず、費もなくて、物がらのよきがよきなり。

屏風や障子などの絵も文字も、頑なな筆づかいで書いてあるのは、見苦しいということよりも、宿の主人が拙く思われるところにあります。

おおよそ、持っている調度によっても、人の心が劣って見えることはあるものです。そうかといって、よい物ばかりを持つべきだというのでもありません。傷まないようにといって品なく見苦しい様子に仕立て、珍しく見せようとして用のないものを付け加え、煩わしく凝って見せるのを言うのです。

古めかしい風で、ひどく仰々しくもなく、費えもかからず、物柄のよいものがよいのです。

2不具なままに置くのがよい

「羅の表紙は、疾く損ずるが侘しき。」と人のいひしに、頓阿が、「羅は上下はづれ、螺鈿の軸は、貝落ちて後こそいみじけれ。」と申し侍りしこそ、心勝りて覺えしか。一部とある草紙などの、同じ樣にもあらぬを、醜しといへど、弘融僧都が、「物を必ず一具に整へむとするは拙き者のする事なり。不具なるこそよけれ。」といひしも、いみじく覺えしなり。總て何も皆事整ほりたるはあしき事なり。爲殘したるを、さてうちおきたるは、面白く、生き延ぶる事なり。「内裏造らるゝにも、必ず造りはてぬ所を殘す事なり。」と、ある人申し侍りしなり。先賢の作れる内外の文にも、章段の闕けたる事のみこそ侍れ。

「羅の表紙は、早く傷むのが侘しい」とある人が言いましたところ、頓阿が「羅は上下がほつれ、螺鈿の軸は貝が落ちてのちこそ立派である」と申しましたのは、心まさって思われました。

一部そろいという草紙などが、同じようでないのを見苦しいと言いますが、弘融僧都が「物を必ず一具に整えようとするのは、拙い者のすることである。不具であるのこそよい」と言ったのも、立派に思われたのです。

総じて、何でもみな事が整っているのは悪いことです。し残したのを、そのまま打ち置いたのは、面白く、生き延びることです。「内裏をお造りになるときも、必ず造り果てない所を残すものである」と、ある人が申しておりました。先賢の作った内外の書物にも、章段の欠けていることばかりがございます。

3満ちれば欠け、盛りであれば衰える

竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はむに、何の滯りかおはせむなれども、「珍しげなし。一の上にてやみなむ。」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿、この事を甘心し給ひて、相國の望みおはせざりけり。亢龍の悔いありとかやいふ事侍るなり。滿ちては缺け、物盛りにしては衰ふ。萬の事さきの詰りたるは、破れに近き道なり。

竹林院入道左大臣殿が、太政大臣にお上りになるのに、何の差し支えがおありでしょうか。けれども「珍しくもない。一の上でやめておこう」とおっしゃって、出家なさいました。

洞院左大臣殿は、このことを感心なさって、相国の望みをお持ちになりませんでした。

「亢竜に悔いあり」とかいうことがございます。満ちれば欠け、物は盛りであれば衰えます。万事、先の詰まったものは、破れに近い道なのです。

4法顕三蔵の心弱い気色

法顯三藏の天竺に渡りて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ、心弱き氣色を、人の國にて見え給ひけれ。」と人のいひしに、弘融僧都、「優に情ありける三藏かな。」といひたりしこそ、法師の樣にもあらず、心にくく覺えしか。

法顕三蔵が天竺に渡って、故郷の扇を見ては悲しみ、病に臥しては漢の食を願われたということを聞いて、「あれほどの人が、ひどく心弱い気色を、人の国でお見せになったものだ」とある人が言いましたところ、弘融僧都が「優しく情のあった三蔵だな」と言ったのこそ、法師らしくもなく、奥ゆかしく思われました。

5狂人の真似をすれば、すなわち狂人である

人の心すなほならねば、僞りなきにしもあらず、されど自ら正直の人などかなからむ。己すなほならねど、人の賢を見て羨むは世の常なり。いたりて愚かなる人は、たま〳〵賢なる人を見てこれを憎む。「大きなる利を得むが爲に少しきの利を受けず、僞り飾りて名を立てむとす。」と謗る。おのれが心に違へるによりて、この嘲りをなすにて知りぬ。この人は下愚の性うつるべからず、僞りて小利をも辭すべからず。假にも愚をまなぶべからず。狂人のまねとて大路を走らば、則ち狂人なり。惡人のまねとて人を殺さば、惡人なり。驥を學ぶは驥のたぐひ、舜を學ぶは舜の徒なり。僞りても賢をまなばむを賢といふべし。

人の心は素直ではありませんから、偽りがないわけでもありません。それでも、おのずと正直な人がどうしていないことがあるでしょうか。

自分が素直でなくても、人の賢さを見て羨むのは、世の常です。きわめて愚かな人は、たまたま賢い人を見ると、これを憎みます。「大きな利を得るために小さな利を受けず、偽り飾って名を立てようとしている」と謗るのです。

自分の心と違っているからこそ、この嘲りをするのだと知られます。この人は下愚の性で改まることがなく、偽ってでも小利を辞することができず、仮にも賢さを学ぶことができません。

狂人の真似だといって大路を走れば、すなわち狂人です。悪人の真似だといって人を殺せば、悪人です。驥を学ぶ者は驥の類であり、舜を学ぶ者は舜の徒です。

偽ってでも賢さを学ぼうとする者を、賢いと言うべきなのです。

6惟継中納言の見事な秀句

惟繼中納言は、風月の才に富める人なり。一生精進にて、讀經うちして、寺法師の圓伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺やかれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ今よりは法師とこそ申さめ。」といはれけり。いみじき秀句なりけり。

惟継中納言は、風月の才に富んだ人です。一生精進して読経などもし、寺法師の円伊僧正と同宿しておられましたが、文保に三井寺が焼けたとき、僧正に会って、「御坊を寺法師と申しあげてきましたが、寺がなくなりましたので、今からはただ法師と申しあげましょう」と言われました。見事な秀句でした。

7下部に酒を飲ませること

下部に酒のまする事は心すべき事なり。宇治に住みける男、京に具覺坊とてなまめきたる遁世の僧を、小舅なりければ、常に申し睦びけり。ある時迎へに馬を遣したりければ、「遥かなる程なり、口つきの男に、まづ一度せさせよ。」と酒を出したれば、さしうけさしうけよゝと飮みぬ。太刀うち佩きてかひ〴〵しげなれば、頼もしく覺えて、召し具して行くほどに、木幡の程にて、奈良法師の、兵士あまた具して逢ひたるに、この男立ち對ひて、「日暮れにたる山中に、怪しきぞ。とまり候へ。」といひて、太刀をひき拔きければ、人も皆太刀ぬき矢矧げなどしけるを、具覺坊手をすりて、「現心なく醉ひたるものに候ふ。枉げて許し給はらむ。」といひければ、おの〳〵嘲りて過ぎぬ。この男具覺坊にあひて、「御坊は口惜しき事し給ひつるものかな。おのれ醉ひたること侍らず。高名つかまつらむとするを、拔ける太刀空しくなし給ひつること。」と怒りて、ひたぎりに斬り落しつ。さて、「山賊あり。」とのゝしりければ、里人おこりて出であへば、「われこそ山賊よ。」といひて走りかゝりつゝ斬り廻りけるを、あまたして手負はせ、うち伏せてしばりけり。馬は血つきて宇治大路の家に走り入りたり。あさましくて、男ども數多走らかしたれば、具覺坊は梔原にによび伏したるを、求め出でて、舁きもて來つ。からき命生きたれど、腰きり損ぜられて、かたはになりにけり。

下部に酒を飲ませることは、心すべきことです。

宇治に住んでいた男が、京に具覚坊という優雅な遁世の僧を、小舅でしたので、常に親しく行き来していました。あるとき迎えに馬を遣わしましたところ、「遠い道のりだ、口取りの男に、まず一献させよ」と酒を出しましたので、杯を受けては受けて、ぐいぐいと飲んでしまいました。

太刀を帯びて頼もしげでしたので、心強く思って連れて行きますと、木幡のあたりで、奈良法師が兵士を大勢連れているのに行き合いました。この男が立ち向かって、「日の暮れた山中に、怪しいぞ。止まれ」と言って太刀を引き抜きましたので、向こうもみな太刀を抜き、矢をつがえなどしました。

具覚坊が手を擦って、「正気もなく酔っている者でございます。枉げてお許しくださいませ」と言いましたので、それぞれ嘲って通り過ぎました。

この男が具覚坊に向かって、「御坊は残念なことをなさったものだ。自分は酔ってなどおりません。手柄を立てようとしたものを、抜いた太刀を無駄になさったこと」と怒って、いきなり斬り落としてしまいました。

そうして「山賊だ」と叫びましたので、里人が起こって出て来ますと、「我こそ山賊よ」と言って走りかかっては斬ってまわるのを、大勢で手負わせ、打ち伏せて縛りました。

馬は血が付いたまま宇治大路の家へ走り込みました。あさましいことで、男たちを大勢走らせましたところ、具覚坊は梔原に呻き伏していたのを、探し出して担いで来ました。危うい命は助かりましたが、腰を斬り損なわれて、かたわになってしまいました。

8小野道風が書いたという和漢朗詠集

あるもの小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人、「御相傳浮けることには侍らじなれども、四條大納言撰ばれたるものを、道風書かむこと、時代や違ひはべらむ、覺束なくこそ。」といひければ、「さ候へばこそ、世に有り難きものには侍りけれ。」とていよ〳〵秘藏しけり。

ある者が、小野道風の書いた和漢朗詠集だといって持っていましたのを、ある人が「御相伝が浮ついたことではございますまいが、四条大納言が撰ばれたものを道風が書くというのは、時代が違いはしませんか、おぼつかないことです」と言いましたところ、「そうであればこそ、世にありがたい物なのでございます」と言って、いよいよ秘蔵しました。

9猫またに驚いた法師

「奧山に、猫またと云ふものありて、人を食ふなる。」と人のいひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の經あがりて、猫またになりて、人とる事はあなるものを。」といふものありけるを、なに阿彌陀佛とかや連歌しける法師の、行願寺の邊にありけるが聞きて、「一人ありかむ身は心すべきことにこそ。」と思ひける頃しも、ある所にて、夜ふくるまで連歌して、たゞ一人かへりけるに、小川の端にて、音に聞きし猫またあやまたず足もとへふと寄り來て、やがて掻きつくまゝに、頚のほどを食はむとす。肝心もうせて、防がむとするに力もなく、足も立たず、小川へころび入りて、「助けよや、猫また、よやよや。」と叫べば、家々より松どもともして、走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。こはいかにとて、川の中より抱き起したれば、連歌の賭物とりて、扇小箱など懷に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有にして助かりたるさまにて、這ふ〳〵家に入りにけり。飼ひける犬の、暗けれど主を知りて、飛びつきたりけるとぞ。

「奥山に猫またというものがあって、人を食うそうだ」とある人が言いましたところ、「山でなくても、この辺りでも、猫が年を経て猫またになり、人を取ることがあるというのに」と言う者がありました。

何阿弥陀仏とかいう連歌をする法師が、行願寺の辺りにいましたが、これを聞いて、「一人歩きする身は心すべきことだ」と思っていたころのことです。ある所で夜が更けるまで連歌をして、ただ一人帰るとき、小川のほとりで、噂に聞いた猫またが、あやまたず足もとへさっと寄って来て、すぐさま掻きつくままに、首のあたりを食おうとしました。

肝も心も失せて、防ごうにも力もなく、足も立たず、小川へ転げ込んで、「助けてくれ、猫まただ、おおい、おおい」と叫びますと、家々から松明をともして走り寄って見れば、このあたりで見知った僧です。

これはどうしたことかといって、川の中から抱き起こしますと、連歌の賭物に取って、扇や小箱などを懐に持っていたのも、水に入ってしまいました。

危うく助かった様子で、這う這う家に入っていきました。飼っていた犬が、暗くても主人を知って飛びついたのだということです。

10乙鶴丸の答え

大納言法印のめしつかひし乙鶴丸、やすら殿といふ者を知りて、常にゆき通ひしに、ある時いでて歸り來るを、法印、「いづこへ行きつるぞ。」と問ひしかば、「やすら殿の許まかりて候。」といふ。「そのやすら殿は、男か法師か。」とまた問はれて、袖かき合せて、「いかゞ候らむ。頭をば見候はず。」と答へ申しき。などか頭ばかりの見えざりけむ。

大納言法印が召し使っていた乙鶴丸が、やすら殿という者と知り合って、常に行き通っていましたが、あるとき出て帰って来るのを、法印が「どこへ行っていたのか」とお尋ねになりましたところ、「やすら殿のもとへ参っておりました」と言います。

「そのやすら殿は、男か法師か」とまたお尋ねになりますと、袖をかき合わせて、「いかがでございましょうか。頭は見ておりません」とお答え申しました。

どうして頭だけが見えなかったのでしょうか。

11赤舌日ということ

赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰なき事なり。昔の人これを忌まず。この頃何者のいひ出でて忌み始めけるにか、この日ある事末通らずといひて、その日いひたりしこと、爲たりし事叶はず、得たりし物は失ひ、企てたりし事成らずといふ、愚かなり。吉日を選びてなしたるわざの、末通らぬを數へて見むも、亦等しかるべし。その故は、無常變易の境、ありと見るものも存せず、始めあることも終りなし。志は遂げず、望みは絶えず。人の心不定なり、ものみな幻化なり。何事かしばらくも住する。この理を知らざるなり。吉日に惡をなすに必ず凶なり、惡日に善を行ふにかならず吉なりといへり。吉凶は人によりて日によらず。

赤舌日ということは、陰陽道では取り沙汰しないことです。昔の人はこれを忌みませんでした。近ごろ誰かが言い出して忌み始めたのでしょうか、この日にあることは末まで通らないといって、その日に言ったこと、したことは叶わず、得た物は失い、企てたことは成らないと言います。愚かなことです。

吉日を選んでしたことのうち、末の通らなかったものを数えてみても、また同じでしょう。

その理由は、無常変易の境では、あると見えるものも存せず、始めのあることにも終わりがないからです。志は遂げられず、望みは絶えません。人の心は定まらず、物はみな幻です。何事がしばらくでも留まるでしょうか。この理を知らないのです。

「吉日に悪をなせば必ず凶であり、悪日に善を行えば必ず吉である」と言われています。吉凶は人によるのであって、日によるのではありません。

12二つの矢を持ってはならない

ある人弓射る事を習ふに、もろ矢をたばさみて的に向ふ。師の曰く、「初心の人二つの矢を持つことなかれ。後の矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり、毎度たゞ得失なく、この一箭に定むべしと思へ。」といふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろそかにせむと思はむや。懈怠の心、みづから知らずといへども、師これを知る。このいましめ萬事にわたるべし。道を學する人、夕には朝あらむことを思ひ、朝には夕あらむことを思ひて、重ねて懇に修せむことを期せり。況んや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らむや。何ぞたゞ今の一念において、直ちにすることの甚だ難き。

ある人が弓を射ることを習うのに、二本の矢を手挟んで的に向かいました。師が言うには、「初心の人は、二つの矢を持ってはならない。後の矢を頼みにして、初めの矢になおざりの心が生じる。毎度ただ当たる当たらぬを思わず、この一矢で決めようと思え」ということでした。

わずか二本の矢で、師の前で一本をおろそかにしようと思うでしょうか。けれども、怠けの心は自分では気づかなくても、師はこれを知っているのです。

この戒めは万事にわたるでしょう。道を学ぶ人は、夕べには朝があろうことを思い、朝には夕べがあろうことを思って、重ねて懇ろに修めようと期します。まして、一刹那のうちに怠けの心があることを知るでしょうか。

どうして、ただ今の一念において、直ちに行うことがこれほど難しいのでしょうか。

13牛を売ろうとした人——存命の喜び

「牛を賣る者あり、買ふ人、明日その價をやりて牛を取らむといふ。夜の間に牛死ぬ。買はむとする人に利あり、賣らむとする人に損あり。」と語る人あり。これを聞きて傍なるものの曰く、「牛の主まことに損ありといへども、又大なる利あり。その故は、生あるもの死の近き事を知らざること、牛既に然なり。人またおなじ。はからざるに牛は死し、計らざるに主は存せり。一日の命萬金よりもおもし。牛の價鵝毛よりも輕し。萬金を得て一錢を失はむ人、損ありといふべからず。」といふに、皆人嘲りて、「その理は牛の主に限るべからず。」といふ。また曰く、「されば、人死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び日々に樂しまざらむや。愚かなる人この樂しみを忘れて、いたづがはしく〈原文「いたつがはしく」〉外の樂しみをもとめ、この財を忘れて、危く他の財を貪るには、志滿つる事なし。いける間生を樂しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。人みな生を樂しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るゝなり。もしまた生死の相にあづからずといはば、實の理を得たりといふべし。」といふに、人いよ〳〵嘲る。

「牛を売る者がある。買う人が、明日その代価を渡して牛を取ろうと言った。夜のあいだに牛が死んだ。買おうとする人に利があり、売ろうとする人に損がある」と語る人がありました。

これを聞いて傍らの者が言うには、「牛の主にはまことに損があるといっても、また大きな利がある。その理由は、生あるものが死の近いことを知らないのは、牛がすでにそうである。人もまた同じである。思いがけず牛は死に、思いがけず主は生きている。一日の命は万金よりも重く、牛の値は鵞毛よりも軽い。万金を得て一銭を失う人を、損があるとは言えまい」ということでした。

みなが嘲って、「その理は牛の主に限ったことではあるまい」と言いました。

また言うには、「それならば、人が死を憎むのであれば、生を愛すべきである。存命の喜びを日々に楽しまないでいられようか。愚かな人はこの楽しみを忘れて、あくせくと外の楽しみを求め、この財を忘れて、危うく他人の財を貪るから、志の満ちるときがない。生きているあいだ生を楽しまずに、死に臨んで死を恐れるのであれば、この理はありえない。人がみな生を楽しまないのは、死を恐れないからである。死を恐れないのではなく、死の近いことを忘れているのである。もしまた、生死の相にあずからないと言うのであれば、まことの理を得たと言ってよい」と言いますと、人々はいよいよ嘲りました。

14勅書を持ちながら下馬した北面

常磐井相國出仕したまひけるに、敕書を持ちたる北面あひ奉りて、馬よりおりたりけるを、相國後に、「北面なにがしは、敕書を持ちながら下馬し侍りしものなり、かほどのもの、いかでか君に仕うまつり候ふべき。」と申されければ、北面を放たれにけり。敕書を馬の上ながら捧げて見せ奉るべし、おるべからずとぞ。

常磐井相国が出仕なさいましたとき、勅書を持った北面が行き合ってお目にかかり、馬から下りました。

相国が後になって、「北面の何某は、勅書を持ちながら下馬いたした者でございます。それほどの者が、どうして君にお仕え申せましょうか」と申されましたので、北面を解かれてしまいました。

勅書は馬の上のままで捧げてお見せ申しあげるべきで、下りてはならないということです。

15箱の緒はどちらに付けるか

「箱のくりかたに緒を著くる事、いづ方につけ侍るべきぞ。」と、ある有職の人に尋ね申し侍りしかば、「軸につけ表紙につくること、兩説なれば、何れも難なし。文の箱は多くは右につく。手箱には軸につくるも常のことなり。」と仰せられき。

「箱のくりかたに緒を付けることは、どちらに付けるべきでしょうか」と、ある有職の人にお尋ね申しましたところ、「軸に付けるのと表紙に付けるのと、両説がありますので、どちらでも難はありません。文の箱は多くは右に付けます。手箱には軸に付けるのも常のことです」とおっしゃいました。

16めなもみという草

めなもみといふ草あり。蝮にさされたる人、かの草を揉みてつけぬれば、すなはち癒ゆとなむ。見知りておくべし。

めなもみという草があります。蝮に咬まれた人が、その草を揉んで付ければ、すぐに癒えるということです。見知っておくべきです。

17その物に付いて、その物を損なうもの

其の物につきて、その物を費し損ふもの、數を知らずあり。身に虱あり。家に鼠あり。國に賊あり。小人に財あり。君子に仁義あり。僧に法あり。

その物に付いて、その物を費やし損なうものが、数を知らぬほどあります。

身には虱があります。家には鼠があります。国には賊があります。小人には財があります。君子には仁義があります。僧には法があります。

18『一言芳談』で心にかなった言葉

たふとき聖のいひおきけることを書きつけて、一言芳談とかや名づけたる草紙を見侍りしに、心に會ひて覺えし事ども。 一爲やせまし、爲ずやあらましと思ふことは、おほやう爲ぬはよきなり。 一後世を思はむものは、糂汰瓶一つも持つまじきことなり。持經、本尊にいたるまで、よき物を持つ、よしなきことなり。 一遁世者は、なきに事かけぬやうをはからひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。 一上臈は下臈になり、智者は愚者になり、徳人は貧になり、能ある人は無能になるべきなり。 一佛道を願ふといふは、別のこと無し、暇ある身になりて、世のこと心にかけぬを、第一の道とす。 この外も、ありし事ども、覺えず。

尊い聖が言い置いたことを書きつけて、『一言芳談』とかいう名を付けた草紙を見ましたが、心にかなって思われたことども。

一つ。しようか、しないでおこうかと思うことは、おおよそしない方がよい。

一つ。後世を思う者は、糂汰瓶一つも持ってはならない。持経、本尊にいたるまで、よい物を持つのは、つまらぬことである。

一つ。遁世者は、無くても事の欠けないように計らって過ごすのが、最上のありようである。

一つ。上臈は下臈になり、智者は愚者になり、徳人は貧しくなり、能ある人は無能になるべきである。

一つ。仏道を願うというのは、別のことではない。暇のある身になって、世のことを心にかけないのを第一の道とする。

この他にもあったことどもは、覚えていません。

19堀河の相国と庁の唐櫃

堀河の相國は、美男のたのしき人にて、その事となく過差を好み給ひけり。御子基俊卿を大理になして、廳務を行はれけるに、廳屋の唐櫃見苦しとて、めでたく作り改めらるべきよし仰せられけるに、この唐櫃は、上古より傳はりて、そのはじめを知らず、數百年を經たり。累代の公物、古弊をもちて規模とす。たやすく改められ難きよし、故實の諸官等申しければ、その事やみにけり。

堀河の相国は、美男で富裕な人で、これということもなく過差を好まれました。

御子の基俊卿を大理になさって庁務を執り行わせられましたが、庁屋の唐櫃が見苦しいといって、立派に作り改めるようにとおっしゃいました。

ところがこの唐櫃は、上古から伝わってその始めも知られず、数百年を経たものです。累代の公物は、古び朽ちているのをこそ手本とするもので、たやすく改めがたい旨を、故実に通じた諸官たちが申しましたので、そのことは沙汰やみになりました。

20久我の相国が水を召す器

久我の相國は、殿上にて水を召しけるに、主殿司土器をたてまつりければ、「まがりを參らせよ。」とて、まがりしてぞめしける。

久我の相国は、殿上で水を召しあがるとき、主殿司が土器を差し上げましたので、「まがりを参らせよ」とおっしゃって、まがりで召しあがりました。