101〜120段101~120단
1宣命を取らずに堂上した内弁
ある人、任大臣の節會の内辨を勤められけるに、内記のもちたる宣命を取らずして堂上せられにけり。きはまりなき失禮なれども、たちかへり取るべきにもあらず、思ひ煩はれけるに、六位の外記康綱、衣被の女房をかたらひて、かの宣命をもたせて、しのびやかに奉らせけり。いみじかりけり。
ある方が、任大臣の節会の内弁をお勤めになったとき、内記が持っていた宣命を取らずに堂上なさってしまいました。
この上ない失礼ですが、引き返して取るわけにもいかず、困り果てておられたところ、六位の外記康綱が、衣被の女房を語らって、その宣命を持たせ、忍びやかに差し上げさせました。見事なことでした。
2追儺の儀と、老いた衛士の又五郎
尹大納言光忠入道、追儺の上卿を務められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ、「又五郎をのこを師とするより外の才覺候はじ。」とぞ宣ひける。かの又五郎は老いたる衞士の、よく公事に馴れたる者にてぞありける。近衞殿〈未詳〉著陣したまひける時、膝突をわすれて、外記をめされければ、火たきて候ひけるが、「まづ膝突をめさるべくや候らむ。」と、忍びやかにつぶやきける、いとをかしかりけり。
尹大納言光忠入道が追儺の上卿をお勤めになったとき、洞院右大臣殿に次第をお尋ね申されましたところ、「又五郎という男を師とするよりほかに、才覚はございますまい」とおっしゃいました。
あの又五郎は、老いた衛士で、よく公事に慣れた者でした。
近衛殿が著陣なさったとき、膝突を忘れて外記をお召しになりましたので、火を焚いて控えていた者が、「まず膝突をお召しになるべきではございませんか」と、忍びやかに呟いたのは、たいそう面白いことでした。
3唐瓶子——謎々でからかったこと
大覺寺殿にて、近習の人ども、謎々をつくりて解かれけるところへ、醫師忠守〈丹波忠守〉參りたりけるに、侍從大納言公明卿、「我が朝のものとも見えぬ忠守かな。」となぞ〳〵にせられたりけるを、唐瓶子と解きて笑ひあはれければ、腹立ちてまかでにけり。
大覚寺殿で、近習の人々が謎々を作って解いているところへ、医師の忠守が参りました。
侍従大納言公明卿が、「我が朝の者とも見えない忠守だな」と謎々になさいましたのを、「唐瓶子」と解いて笑い合いましたので、腹を立てて退出してしまいました。
4荒れた宿へ訪ねて行った人
荒れたる宿の人目なきに、女の憚る事あるころにて、つれ〴〵と籠り居たるを、ある人とぶらひ給はむとて、夕月夜のおぼつかなき程に、忍びて尋ねおはしたるに、犬のこと〴〵しく咎むれば、げす女のいでて、「いづくよりぞ。」といふに、やがて案内せさせて入りたまひぬ。心ぼそげなるありさま、いかで過すらむと、いと心ぐるし。あやしき板敷に、しばし立ち給へるを、もてしづめたるけはひの若やかなるして、「こなたへ。」といふ人あれば、たてあけ所せげなる遣戸よりぞ入りたまひぬる。内のさまはいたくすさまじからず、心にくく、灯はかなたにほのかなれど、ものの綺羅など見えて、俄にしもあらぬにほひ、いとなつかしう住みなしたり。「門よくさしてよ。雨もぞふる、御車は門の下に、御供の人は其處々々に。」といへば、「今宵ぞやすきいは寢べかめる。」とうちさゝめくも、忍びたれど、ほどなければほの聞ゆ。さてこの程の事ども、こまやかに聞え給ふに、夜ぶかき鷄も鳴きぬ。來しかた行くすゑかけて、まめやかなる御物語に、この度は鷄も花やかなる聲にうちしきれば、明け離るゝにやと聞きたまへど、夜深く急ぐべきところのさまにもあらねば、すこしたゆみ給へるに、隙白くなれば、忘れ難きことなどいひて、立ち出でたまふに、梢も庭もめづらしく青みわたりたる卯月ばかりのあけぼの、艷にをかしかりしをおぼし出でて、桂の木の大きなるがかくるゝまで、今も見おくり給ふとぞ。
荒れた宿に人目もないころ、女が憚ることのある時分で、つれづれと籠っておりました。ある方がお見舞いになろうとして、夕月夜のおぼつかないころに、忍んで尋ねておいでになりました。
犬がことごとしく咎めますと、下女が出てきて、「どちらからでございますか」と言います。すぐに案内させてお入りになりました。
心細げな有様で、どのように過ごしているのだろうと、たいそう気の毒です。粗末な板敷にしばらく立っておられますと、落ち着いた気配の若々しい声で「こちらへ」と言う人がありましたので、立て開けのしにくい遣戸からお入りになりました。
内の様子はそれほど荒涼としてはおらず、奥ゆかしいのです。灯火は向こうの方でほのかですが、調度の綺羅なども見えて、急に焚いたのではない匂いが、たいそう懐かしく住みなしてあります。
「門をよく閉ざしなさい。雨が降るといけない。お車は門の下に、御供の人はそこそこに」と言いますと、「今宵は安らかに寝られそうだ」と囁き合うのも、忍んではいますが、狭い家ですからほのかに聞こえます。
そうしてこのころのことどもを細やかに申しあげておられるうちに、夜深い鶏も鳴きました。来し方行く末にかけて、誠実なお話をなさっていますと、今度は鶏が華やかな声でしきりに鳴きますので、明け離れるのかとお聞きになりますが、夜深く急ぐべき所の様子でもありませんので、少しくつろいでおられるうちに、戸の隙間が白んできました。
忘れがたいことなどをおっしゃって出ておいでになりますと、梢も庭も目新しく青みわたった四月ごろの曙が、艶で趣のあったことをお思い出しになって、桂の大きな木に隠れるまで、今も見送っておられるということです。
5有明の月の下、廊の二人
北の家かげに消え殘りたる雪の、いたう凍りたるに、さし寄せたる車の轅も、霜いたくきらめきて、有明の月さやかなれども、隈なくはあらぬに、人ばなれなる御堂の廊に、なみ〳〵にはあらずと見ゆる男、女と長押に尻かけて、物語するさまこそ、何事にかあらむ、盡きすまじけれ。かぶし、かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬ匂ひの、さとかをりたるこそをかしけれ。けはひなど、はつれ〳〵聞えたるもゆかし。
北の家陰に消え残った雪がひどく凍りつき、寄せてある車の轅も霜でたいそう煌めいています。有明の月は清らかですが、隈なくというほどではありません。そのなか、人離れした御堂の廊で、並々ならぬと見える男が、女と長押に腰かけて話をしている様子は、何事なのでしょうか、尽きることもなさそうです。
頭の恰好や顔立ちなどがたいそうよく見えて、何とも言えない匂いがさっと薫るのが趣深いことです。気配などが途切れ途切れに聞こえるのも、心惹かれます。
6証空上人の尊い諍論
高野の證空上人京へ上りけるに、細道にて馬に乘りたる女の行きあひたりけるが、口引きける男あしく引きて、聖の馬を堀へ落してけり。聖、いと腹あしく咎めて、「こは希有の狼藉かな。四部の弟子はよな、比丘よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞は劣り、優婆塞より優婆夷は劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀に蹴入れさする、未曾有の惡行なり。」といはれければ、口引きの男、「いかに仰せらるゝやらむ、えこそ聞き知らね。」といふに、上人なほいきまきて、「何といふぞ。非修非學の男。」とあらゝかに言ひて、きはまりなき放言しつと思ひける氣色にて、馬引きかへして遁げられにけり。たふとかりける諍論なるべし。
高野の証空上人が京へ上られるとき、細道で馬に乗った女と行き合いましたが、口を引いていた男が下手に引いて、上人の馬を堀へ落としてしまいました。
上人はたいそう腹を立ててお咎めになり、「これは希有の狼藉である。四部の弟子というものはな、比丘よりは比丘尼が劣り、比丘尼より優婆塞が劣り、優婆塞より優婆夷が劣る。このような優婆夷などの身で、比丘を堀に蹴入れさせるとは、未曾有の悪行である」と言われました。
口を引いていた男が、「何とおっしゃるのやら、聞き分けることができません」と言いますと、上人はなおもいきり立って、「何と言うか、非修非学の男め」と荒々しく言い、この上ない放言をしてしまったと思われた様子で、馬を引き返して逃げてしまわれました。
尊い諍論であったことでしょう。
7女が物を言いかけたときの返事
女の物いひかけたる返り事、とりあへずよき程にする男は、有りがたきものぞとて、龜山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の參らるゝ毎に、「時鳥や聞き給へる。」と問ひて試みられけるに、某の大納言とかやは、「數ならぬ身はえ聞き候はず。」と答へられけり。堀河内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらむ。」とおほせられけるを、「これは難なし。數ならぬ身むつかし。」など定めあはれけり。總て男をば、女に笑はれぬ樣におほしたつべしとぞ、淨土寺の前關白殿は、幼くて安喜門院のよく教へまゐらせさせ給ひける故に、御詞などのよきぞと人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿は、「怪しの下女の見奉るも、いと恥しく心づかひせらるゝ。」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣紋も冠もいかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。かく人に恥ぢらるゝ女、いかばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがめり。人我の相ふかく、貪欲甚だしく、物の理を知らず、たゞ迷ひの方に心も早くうつり、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時はいはず、用意あるかと見れば、又あさましき事まで問はずがたりにいひ出す。深くたばかり飾れる事は、男の智慧にも優りたるかと思へば、その事あとより顯はるゝを知らず。質朴ならずして拙きものは女なり。その心に隨ひてよく思はれむことは、心うかるべし。されば何かは女の恥かしからむ。もし賢女あらば、それも物うとく、すさまじかりなむ。たゞ迷ひをあるじとしてかれに隨ふ時、やさしくもおもしろくも覺ゆべきことなり。
女が物を言いかけたときの返事を、とっさによいほどにする男は、ありがたいものだといって、亀山院の御時、戯れ好きの女房たちが、若い男たちの参られるたびに、「時鳥をお聞きになりましたか」と問うて試みられました。
何某の大納言とかいう人は、「数ならぬ身は、聞くことができません」とお答えになりました。堀河内大臣殿は、「岩倉で聞きましたでしょうか」とおっしゃいました。
「こちらは難がない。数ならぬ身というのは厄介だ」などと評し合われました。
おおよそ男は、女に笑われないように育てるべきだと申します。浄土寺の前関白殿は、幼いころに安喜門院がよくお教え申しあげられたために、お言葉などがよいのだと、人がおっしゃったとか。
山階左大臣殿は、「取るに足りない下女が見申しあげるのでも、たいそう恥ずかしく、気を使わずにはいられない」とおっしゃっていました。
女のいない世であったなら、衣紋も冠もどうあろうと、繕う人もいないでしょう。このように人に恥じられる女とは、どれほど立派なものかと思いますと、女の性はみな歪んでいます。人我の相が深く、貪欲が甚だしく、物の理を知りません。ただ惑いの方へ心も早く移り、言葉は巧みで、差し支えのないことでも問われたときには言いません。用心があるのかと見れば、また、あさましいことまで問われもしないのに言い出します。深く企み飾ることは男の知恵にもまさるかと思えば、そのことが後から露顕するのを知りません。質朴でなく拙いものが女です。
その心に従ってよく思われようとするのは、情けないことでしょう。ですから、何が女に対して恥ずかしいことがあるでしょうか。もし賢女があるとしたら、それもまた疎ましく、興ざめでしょう。
ただ惑いを主として、それに従うときにこそ、優しくも面白くも思われることなのです。
8寸陰を惜しむ人がいない
寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人の爲にいはば、一錢輕しと雖も、これを累ぬれば貧しき人を富める人となす。されば商人の一錢を惜しむ心切なり。刹那覺えずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期忽ちに到る。されば道人は、遠く日月を惜しむべからず、只今の一念空しく過ぐることを惜しむべし。もし人來りて、わが命明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらむに、今日の暮るゝ間、何事をか頼み、何事をか營まむ。我等が生ける今日の日、何ぞその時節に異ならむ。一日の中に、飮食、便利、睡眠、言語、行歩、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その餘りの暇、いくばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事をいひ、無益の事を思惟して、時を移すのみならず、日を消し月をわたりて、一生をおくる、最も愚かなり。謝靈運は法華の筆受なりしかども、心常に風雲の思ひを觀ぜしかば、惠遠白蓮の交はりをゆるさざりき。しばらくもこれなき時は死人におなじ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まむ人は止み、修せむ人は修せよとなり。
寸陰を惜しむ人がいません。これはよく知っているからでしょうか、愚かだからでしょうか。
愚かで怠る人のために言うならば、一銭は軽いといっても、これを重ねれば貧しい人を富める人とします。ですから、商人が一銭を惜しむ心は切実です。
刹那は感じられないといっても、これが運び去ってやまなければ、命を終える時が忽ち到来します。
ですから道を修める人は、遠く日月を惜しむのではなく、ただ今の一念が空しく過ぎることを惜しむべきです。
もし人が来て、自分の命が明日は必ず失われると告げ知らせたなら、今日の暮れるまでのあいだ、何を頼み、何を営むでしょうか。我々の生きている今日という日が、どうしてその時と異なるでしょうか。
一日のうちに、飲食、便利、睡眠、言語、行歩と、やむを得ずして多くの時を失います。その余りのわずかな暇に、無益のことをなし、無益のことを言い、無益のことを思惟して時を移すばかりか、日を消し月を渡って一生を送るのは、最も愚かなことです。
謝霊運は法華の筆受でしたが、心が常に風雲の思いを描いていましたので、恵遠は白蓮の交わりを許しませんでした。
しばらくでもこの心のないときは、死人と同じです。光陰を何のために惜しむのかといえば、内に思慮なく、外に世事なくして、止む人は止み、修する人は修せよということです。
9木登りの名人の戒め
高名の木のぼりといひし男、人を掟てて、高き木にのぼせて梢をきらせしに、いと危く見えしほどはいふこともなくて、おるゝ時に、軒だけばかりになりて、「あやまちすな。心しておりよ。」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るゝ〈ママ〉ともおりなむ。如何にかくいふぞ。」と申し侍りしかば、「その事に候。目くるめき枝危きほどは、おのれがおそれ侍れば申さず。あやまちは安き所になりて、必ず仕ることに候。」といふ。あやしき下臈なれども、聖人のいましめにかなへり。鞠もかたき所を蹴出して後、やすくおもへば、必ずおつと侍るやらむ。
高名の木登りといった男が、人に命じて高い木に登らせ、梢を切らせましたが、たいそう危うく見えるあいだは何も言わず、降りるときに軒の高さほどになって、「あやまちをするな。心して降りよ」と声をかけました。
「これほどになれば、飛び降りても降りられるでしょう。どうしてこのように言うのですか」と申しましたところ、「そのことでございます。目がくらみ、枝が危ういあいだは、自分が恐れておりますから申しません。あやまちは、安らかな所になって必ずいたすものでございます」と言います。
取るに足りない下臈ですが、聖人の戒めにかなっています。
鞠も、難しい所を蹴り出したのちに、やすいと思えば必ず落とすということでしょうか。
10双六の上手の打ち方
雙六の上手といひし人に、その術を問ひ侍りしかば、「勝たむとうつべからず、負けじとうつべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手をつかはずして、一目なりとも遲く負くべき手につくべし。」といふ。道を知れるをしへ、身を修め國を保たむ道もまたしかなり。
双六の上手といった人に、その術を尋ねましたところ、「勝とうとして打ってはならない。負けまいとして打つべきである。どの手が早く負けることになるかと考えて、その手を使わず、一目でも遅く負ける手に就くべきである」と言います。
道を知っている教えですから、身を修め、国を保つ道もまた同じです。
11囲碁や双六で明かし暮らすこと
「圍棊雙六このみてあかし暮す人は、四重五逆にもまされる惡事とぞ思ふ。」とある聖の申ししこと、耳にとゞまりて、いみじくおぼえ侍る。
「囲碁や双六を好んで明かし暮らす人は、四重五逆にもまさる悪事だと思う」と、ある聖が申したことが耳に留まって、立派に思われます。
12諸縁を放下すべき時
明日は遠國へ赴くべしと聞かむ人に、心しづかになすべからむわざをば、人いひかけてむや。俄の大事をも營み、切に歎くこともある人は、他の事を聞き入れず、人のうれへよろこびをも問はず。問はずとてなどやと恨むる人もなし。されば年もやう〳〵たけ、病にもまつはれ、況んや世をも遁れたらむ人、亦これに同じかるべし。人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の默し難きに從ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は雜事の小節にさへられて、空しく暮れなむ。日暮れ道遠し、吾が生既に蹉跎たり、諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ、禮儀をも思はじ。この心を持たざらむ人は、もの狂ひともいへ、現なし、情なしとも思へ、譏るとも苦しまじ、譽むとも聞きいれじ。
明日は遠国へ赴くはずだと聞くような人に、心静かにすべき用事を、人が言いかけるでしょうか。
急な大事を営み、切に嘆くこともある人は、他のことを聞き入れず、人の憂いや喜びも尋ねません。尋ねないからといって、どうしてだと恨む人もありません。
ですから、年も次第にたけ、病にも纏わられ、まして世を遁れたような人も、またこれと同じであるはずです。
人の世の儀式のうち、どれが去りがたくないものでしょうか。世俗の黙しがたいことに従って、これを必ずせねばならぬとするなら、願いも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は雑事の小節に遮られて、空しく暮れてしまうでしょう。
日は暮れ、道は遠いのです。我が生はすでに蹉跎としています。諸縁を放下すべき時です。信も守りますまい、礼儀も思いますまい。
この心を持たない人は、物狂いだと言うならば言いなさい、現なし、情なしと思うならば思いなさい。譏られても苦しみますまい、誉められても聞き入れますまい。
13四十を越えた人が色めいたことを口にすること
四十にも餘りぬる人の、色めきたる方、自ら忍びてあらむは如何はせむ、言にうち出でて、男女のこと、人の上をもいひ戲るゝこそ、似げなく見ぐるしけれ。大かた聞きにくく見ぐるしき事、老人の若き人にまじはりて興あらむと物いひ居たる、數ならぬ身にて、世のおぼえある人を隔てなきさまにいひたる、貧しきところに酒宴このみ、客人に饗應せむときらめきたる。
四十にも余った人が、色めいた方面を自分一人で忍んでいるのはどうしようもないとしても、言葉に出して、男女のことや人の身の上をも言って戯れるのは、似つかわしくなく見苦しいことです。
おおよそ聞きづらく見苦しいことといえば、老人が若い人に交じって興があろうと物を言っていること、数ならぬ身で世のおぼえのある人を隔てのない間柄のように言うこと、貧しい所で酒宴を好み、客人に饗応しようと派手に構えることです。
14牛飼いの斎王丸を咎めたこと
今出川のおほい殿、嵯峨へおはしけるに、有栖川のわたりに、水の流れたる所にて、齋王丸御牛を追ひたりければ、足掻の水前板までさゝとかゝりけるを、爲則御車の後に候ひけるが、「希有の童かな。斯る所にて御牛をば追ふものか。」といひたりければ、おほい殿、御氣色あしくなりて、「おのれ車やらむこと、齋王丸に勝りてえ知らじ。希有の男なり。」とて御車に頭をうちあてられにけり。この高名の齋王丸は、太秦殿の男、料の御牛飼ぞかし。この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人は膝幸、一人は㹀槌、一人は胞腹、一人は乙牛とつけられけり。
今出川のおほい殿が嵯峨へおいでになったとき、有栖川のあたりの水の流れている所で、斎王丸が御牛を追いましたので、足掻きの水が前板までさっとかかりました。
為則が御車の後ろに控えていて、「希有な童だな。このような所で御牛を追うものか」と言いましたところ、おほい殿は御機嫌が悪くなって、「お前が車を遣ることを、斎王丸にまさって知っていようか。希有の男だ」とおっしゃって、御車に頭を打ち当てられてしまいました。
この高名な斎王丸は、太秦殿の下男で、料の御牛飼です。
この太秦殿に仕えていた女房の名は、一人は膝幸、一人は牸槌、一人は胞腹、一人は乙牛と付けられていました。
15ぼろぼろ二人が刺し違えて死ぬ
宿河原といふ所にて、ぼろ〳〵おほく集りて、九品の念佛を申しけるに、外より入りくるぼろ〳〵の、「もしこの中に、いろをし坊と申すぼろやおはします。」と尋ねければ、その中より、「いろをしこゝに候。かく宣ふは誰ぞ。」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。おのれが師なにがしと申す人、東國にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、うらみ申さばやとおもひて、尋ね申すなり。」といふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事はべりき。こゝにて對面したてまつらば、道場をけがし侍るべし。前の河原へまゐりあはむ。あなかしこ。わきざしたち、いづ方をも見つぎ給ふな。數多のわづらひにならば、佛事のさまたげに侍るべし。」といひ定めて、二人河原に出であひて、心ゆくばかりに貫きあひて、共に死にけり。ぼろ〳〵といふものは、昔はなかりけるにや。近き世に、梵論字、梵字、漢字などいひける者、そのはじめなりけるとかや。世を捨てたるに似て、我執ふかく、佛道を願ふに似て、鬭諍を事とす。放逸無慚のありさまなれども、死を輕くして少しもなづまざる方のいさぎよく覺えて、人の語りしまゝに書きつけ侍るなり。
宿河原という所で、ぼろぼろが多く集まって九品の念仏を申していましたが、外から入ってきたぼろぼろが、「もしや、この中にいろをし坊と申すぼろがおいでになりますか」と尋ねました。
その中から、「いろをしはここにおります。そうおっしゃるのはどなたですか」と答えますと、「しら梵字と申す者です。自分の師である何某と申す人が、東国でいろをしと申すぼろに殺されたと承りましたので、その人にお会い申して恨みを申したいと思い、尋ね申すのです」と言います。
いろをしは、「よくぞ尋ねておいでになった。そのことはございました。ここで対面申しあげれば、道場を汚すことになりましょう。前の河原へ参り合いましょう。くれぐれも、脇差の方々、どちらにも加勢なさいますな。大勢の煩いになれば、仏事の妨げになりましょう」と言い定めました。
二人は河原に出合って、心ゆくまで刺し貫き合って、ともに死にました。
ぼろぼろというものは、昔はなかったのでしょうか。近い世に、梵論字、梵字、漢字などといった者が、その始まりだったとか。
世を捨てたのに似て我執が深く、仏道を願うのに似て闘諍を事とします。放逸無慚の有様ですが、死を軽く見て少しもこだわらないところが潔く思われて、人が語ったままに書きつけておくのです。
16名はありのままに、やすく付けよ
寺院の號、さらぬ萬の物にも名をつくること、昔の人は少しも求めず、唯ありの侭に安くつけけるなり。この頃は、深く案じ、才覺を顯はさむとしたる樣に聞ゆる、いとむつかし。人の名も、目馴れぬ文字をつかむとする、益なき事なり。何事もめづらしき事をもとめ、異説を好むは、淺才の人の必ずあることなりとぞ。
寺院の号や、そのほか万の物に名を付けることを、昔の人は少しも求めず、ただありのままにやすく付けたものです。
近ごろは、深く考えて才覚を現そうとしたように聞こえますので、たいそう煩わしいことです。
人の名も、見慣れない文字を使おうとするのは、益のないことです。
何事につけても珍しいことを求め、異説を好むのは、浅才の人が必ずすることだということです。
17友として悪いもの七つ、よい友三つ
友とするに惡きもの七つあり。一には高くやんごとなき人、二には若き人、三には病なく身つよき人、四には酒をこのむ人、五には武く勇める人、六にはそらごとする人、七には慾ふかき人。善き友三つあり。一にはものくるゝ友、二には醫師、三には智惠ある友。
友とするのに悪いものが七つあります。一つには高く尊い人、二つには若い人、三つには病がなく身の強い人、四つには酒を好む人、五つには猛く勇んだ人、六つには嘘をつく人、七つには欲の深い人です。
よい友が三つあります。一つには物をくれる友、二つには医師、三つには知恵のある友です。
18鯉と雉——尊い魚と鳥
鯉のあつもの食ひたる日は、鬢そゝけずとなむ。膠にもつくるものなれば、粘りたる物にこそ。鯉ばかりこそ、御前にても切らるゝものなれば、やんごとなき魚なれ。鳥には雉さうなきものなり。雉松茸などは、御湯殿の上にかゝりたるも苦しからず。その外は心憂きことなり。中宮の御方の御湯殿の上のくろみ棚に、鴈の見えつるを、北山入道殿の御覽じて、歸らせたまひて、やがて御文にて、「かやうのもの、さながらその姿にて、御棚にゐて候ひしこと、見ならはず。さま惡しきことなり。はか〴〵しき人のさぶらはぬ故にこそ。」など申されたりけり。
鯉の羹を食べた日は、鬢がほつれないということです。膠にも作るものですから、粘るものなのでしょう。
鯉ばかりは御前でも切られるものですから、尊い魚です。鳥では雉が並ぶもののないものです。雉や松茸などは、御湯殿の上に掛かっていても差し支えありません。その他のものは、情けないことです。
中宮の御方の御湯殿の上の黒み棚に雁が見えたのを、北山入道殿が御覧になって、お帰りになってからすぐに御文で、「このようなものを、そのままの姿で御棚に置いてございましたことは、見慣れません。見苦しいことです。しっかりした人がお仕えしていないせいでしょう」などと申されました。
19鎌倉の鰹
鎌倉の海にかつをといふ魚は、かの境には雙なきものにて、この頃もてなすものなり。それも鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚おのれ等若かりし世までは、はか〴〵しき人の前へ出づること侍らざりき。頭は下部も食はず、切り捨て侍りしものなり。」と申しき。かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。
鎌倉の海に鰹という魚は、あの地方では並ぶものもないもので、近ごろもてはやされるものです。
それも、鎌倉の年寄が申しましたのは、「この魚は、自分たちの若かった世までは、しっかりした人の前へ出ることはございませんでした。頭は下部も食べず、切り捨てていたものでございます」ということでした。
このようなものも、世の末になれば、上の方々にまで入り込むことになるのです。
20唐の物は薬のほかはなくてもよい
唐の物は、藥の外はなくとも事かくまじ。書どもは、この國に多くひろまりぬれば、書きも寫してむ。もろこし船の、たやすからぬ道に、無用のものどものみ取り積みて、所狹く渡しもて來る、いと愚かなり。遠きものを寶とせずとも、また得がたき寶をたふとまずとも、書にも侍るとかや。
唐の物は、薬のほかはなくても事は欠かないでしょう。書物はこの国に多く広まっていますから、書き写せばよいのです。
唐船が、たやすくもない航路に、無用のものばかりを取り積んで、所狭しと渡し運んで来るのは、たいそう愚かなことです。
「遠い物を宝としない」とも、また「得がたい宝を尊ばない」とも、書物にもございますとか。