いにしえの文 › 徒然草(所在なきままに書きつけた草) › 全一巻

121〜140段121~140단

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 徒然草 · 吉田兼好 · 元弘元年〜2年(1331年頃)成立 · 段落 20 · 漢字 7,131字 · 朗読 17.8分

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 全一巻 「つれづれなるままに、一日中硯に向かって、心に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてどなく書きつけていきますと」 — この一文で始まる243編の短い文章。兼好法師が世を背いた後、無常と人のあり方、花と月、古い法度と当世の風俗を行き来しながら書いた。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」(137段)のように長く引かれる箇所が随所にあり、鼎をかぶった法師や出雲の獅子の像の話のように笑いを誘う断章も混じる。方丈記とともに日本の随筆の二本の柱に数えられる。

1養い飼うものは馬と牛——鳥獣を籠に入れるな

養ひ飼ふものには馬、牛。繋ぎ苦しむるこそ痛ましけれど、なくて叶はぬ物なれば、如何はせむ。犬は守り防ぐつとめ、人にも優りたれば、必ずあるべし。されど家毎にあるものなれば、ことさらに求め飼はずともありなむ。その外の鳥獸、すべて用なきものなり。走る獸は檻にこめ、鎖をさされ、飛ぶ鳥は翼を切り、籠に入れられて、雲を戀ひ野山を思ふ愁へやむ時なし。その思ひ我が身にあたりて忍び難くば、心あらむ人これを樂しまむや。生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀紂が心なり。王子猷が鳥を愛せし、林に樂しぶを見て逍遥の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。凡そ珍しき鳥、怪しき獸、國に養はずとこそ文にも侍るなれ。

養い飼うものには馬と牛があります。繋いで苦しめるのは痛ましいことですが、なくては叶わないものですから、どうしようもありません。

犬は守り防ぐ務めが人にもまさっていますから、必ずあるべきです。けれども家ごとにいるものですから、ことさらに求めて飼わなくてもよいでしょう。

そのほかの鳥獣は、すべて用のないものです。走る獣は檻に込められ、鎖を差され、飛ぶ鳥は翼を切られ、籠に入れられて、雲を恋い、野山を思う愁いのやむときがありません。その思いが我が身に当たって忍びがたいものであるなら、心ある人がこれを楽しむでしょうか。

生あるものを苦しめて目を喜ばせるのは、桀や紂の心です。王子猷が鳥を愛したのは、林で楽しむのを見て逍遥の友としたのです。捕らえて苦しめたのではありません。

おおよそ、珍しい鳥や怪しい獣は国で養わないと、書物にもございますとか。

2人の才能——文・武・医、そして食

人の才能は、文明らかにして、聖の教へを知れるを第一とす。次には手かく事、旨とする事はなくとも、これを習ふべし。學問に便りあらむ爲なり。次に醫術を習ふべし。身を養ひ人を助け、忠孝のつとめも、醫にあらずばあるべからず。次に弓射、馬に乘る事、六藝に出せり。必ずこれを窺ふべし。文武醫の道、まことに缺けてはあるべからず。これを學ばむをば、いたづらなる人といふべからず。次に、食は人の天なり。よく味ひをとゝのへ知れる人、大きなる徳とすべし。次に細工、よろづの要多し。この外の事ども、多能は君子のはづるところなり。詩歌にたくみに、絲竹に妙なるは、幽玄の道、君臣これを重くすとはいへども、今の世には、これをもちて世を治むること、漸く愚かなるに似たり。金はすぐれたれども、鐵の益多きに如かざるがごとし。

人の才能は、文に明らかで聖の教えを知っていることを第一とします。

次に、文字を書くことは、主とすることはなくとも、これを習うべきです。学問の便りとなるためです。

次に医術を習うべきです。身を養い人を助けることであり、忠孝の務めも医術なくしてはできません。

次に、弓を射ること、馬に乗ることは、六芸に挙げられています。必ずこれを窺うべきです。文・武・医の道は、まことに欠けてはなりません。これを学ぶ者を、いたずらな人とは言えません。

次に、食は人の天です。よく味を調え知っている人は、大きな徳とすべきです。

次に細工は、さまざまの用が多いものです。

このほかのことについては、多能は君子の恥じるところです。詩歌に巧みで、糸竹に妙であるのは幽玄の道であり、君臣これを重んじるとはいいますが、今の世にはこれをもって世を治めることが、次第に愚かなことに似てきました。金は優れていますが、鉄の益の多いのに及ばないようなものです。

3食う物、着る物、居る所

無益の事をなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事する人ともいふべし。國の爲君の爲に、止む事を得ずしてなすべき事多し。その餘りの暇、いくばくならず思ふべし。人の身に止む事を得ずして營む所、第一に食ひ物、第二に著る物、第三に居る所なり。人間の大事、この三つには過ぎず。飢ゑず、寒からず、風雨に冒されずして、しづかに過すを樂しみとす。但し人皆病あり。病に冒されぬれば、その愁へ忍び難し。醫療を忘るべからず。藥を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ缺けざるを富めりとす。この四つの外を求め營むを驕とす。四つの事儉約ならば、誰の人か足らずとせむ。

無益のことをして時を移すのを、愚かな人とも、僻事をする人とも言うべきです。

国のため君のために、やむを得ずしなければならないことが多くあります。その余りの暇がどれほどもないことを思うべきです。

人の身にやむを得ず営むところは、第一に食う物、第二に着る物、第三に居る所です。人の世の大事は、この三つに過ぎません。飢えず、寒からず、風雨に冒されずして、静かに過ごすのを楽しみとします。

ただし、人はみな病があります。病に冒されれば、その愁いは忍びがたいものです。医療を忘れてはなりません。

薬を加えて、この四つのことを求め得られないのを貧しいとします。この四つが欠けないのを富めりとします。この四つのほかを求め営むのを驕りとします。

四つのことが倹約であれば、どの人が足りないとするでしょうか。

4是法法師——ただ念仏して過ごす

是法法師は、淨土宗に恥ぢずと雖も、學匠をたてず、たゞ明暮念佛して、やすらかに世を過すありさま、いとあらまほし。

是法法師は、浄土宗に恥じない人でしたが、学匠を立てず、ただ明け暮れ念仏して、安らかに世を過ごす有様が、たいそう好ましいことです。

5唐の狗に似た導師

人に後れて、四十九日の佛事に、ある聖を請じ侍りしに、説法いみじくして皆人涙を流しけり。導師かへりて後、聽聞の人ども、「いつよりも殊に今日は尊くおぼえ侍りつる。」と感じあへりし返り事に、ある者の曰く、「何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなむ上は。」といひたりしに、あはれもさめてをかしかりけり。さる導師のほめやうやはあるべき。また人に酒勸むるとて、「おのれまづたべて人に強ひ奉らむとするは、劒にて人を斬らむとするに似たる事なり。二方は刃つきたるものなれば、もたぐる時、まづ我が頚を斬るゆゑに、人をばえ斬らぬなり。おのれまづ醉ひて臥しなば、人はよも召さじ。」と申しき。劒にて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき。

人に後れて、四十九日の仏事にある聖をお招きしましたところ、説法が見事で、みな涙を流しました。

導師が帰ったのち、聴聞の人々が「いつよりも、ことに今日は尊く思われました」と感じ合っていましたその返事に、ある者が「何とおっしゃっても、あれほど唐の狗に似ておられる上は」と言いましたので、あわれも醒めておかしかったのです。

そのような導師の誉め方がありましょうか。

また、人に酒を勧めるといって、「自分がまず飲んで人に強いて差し上げようとするのは、剣で人を斬ろうとするのに似たことです。両方に刃が付いたものですから、持ち上げるとき、まず自分の首を斬るので、人を斬ることができないのです。自分がまず酔って臥してしまえば、人はよもや召しますまい」と申しました。剣で斬ってみたことでもあったのでしょうか。たいそうおかしなことでした。

6博奕の負けが極まったとき

「博奕の負け極まりて、殘りなくうち入れむとせむに、逢ひては打つべからず。立ち歸りつゞけて勝つべき時の至れると知るべし。その時を知るを、よき博奕といふなり。」と、あるもの申しき。

「博奕の負けが極まって、残らず打ち入れようとするときには、向かい合って打ってはならない。立ち返って続けて勝つべき時が至ったのだと知るべきである。その時を知るのを、よい博奕というのである」と、ある者が申しました。

7改めて益のないことは改めない

改めて益なきことは、改めぬをよしとするなり。

改めて益のないことは、改めないのをよしとするものです。

8雅房大納言と犬の足

雅房大納言は、才賢く善き人にて、大將にもなさばやと思しける頃、院の近習なる人、「只今淺ましき事を見侍りつ。」と申されければ、「何事ぞ。」と問はせ給ひけるに、「雅房卿鷹に飼はむとて、生きたる犬の足を切り侍りつるを、中垣の穴より見侍りつ。」と申されけるに、うとましく、にくくおぼしめして、日ごろの御氣色もたがひ、昇進もしたまはざりけり。さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足はあとなき事なり。虚言は不便なれども、かゝる事を聞かせ給ひて、にくませ給ひける君の御心は、いと尊きことなり。大かた生けるものを殺し、痛め、鬭はしめて遊び樂しまむ人は、畜生殘害の類なり。萬の鳥獸、小さき蟲までも、心をとめてありさまを見るに、子をおもひ親をなつかしくし、夫婦を伴ひ、妬み、怒り、慾おほく、身を愛し、命を惜しめる事、偏に愚癡なるゆゑに、人よりも勝りて甚だし。かれに苦しみを與へ、命を奪はむ事、いかでか痛ましからざらむ。すべて一切の有情を見て慈悲の心なからむは、人倫にあらず。

雅房大納言は、才が賢くよい人でしたので、大将にもしようかとお思いになっていたころ、院の近習の人が、「ただ今、あさましいことを見ましてございます」と申されました。

「何事か」とお尋ねになりますと、「雅房卿が鷹に飼おうとして、生きた犬の足を切っておりましたのを、中垣の穴から見ましてございます」と申されました。すると、疎ましく憎くお思いになって、日ごろの御気色も変わり、昇進もなさいませんでした。

あれほどの人が鷹を持っておられたというのも意外ですが、犬の足のことは根も葉もないことです。嘘は気の毒なことですが、このようなことをお聞きになって憎まれた君の御心は、たいそう尊いことです。

おおよそ、生きているものを殺し、痛めつけ、闘わせて遊び楽しむ人は、畜生を残害する類です。

あらゆる鳥獣、小さな虫までも、心を留めてその有様を見ますと、子を思い、親を懐かしみ、夫婦が連れ添い、妬み、怒り、欲が多く、身を愛し、命を惜しむことが、ひとえに愚痴であるために、人よりもまさって甚だしいのです。

それらに苦しみを与え、命を奪うことが、どうして痛ましくないことがあるでしょうか。

すべて一切の有情を見て慈悲の心がないのであれば、人倫ではありません。

9顔回——人に労を施すまいという志

顔囘は、志人に勞を施さじとなり。すべて人を苦しめ、物を虐ぐる事、賎しき民の志をも奪ふべからず。又幼き子を賺し嚇し、言ひ辱しめて興ずることあり。大人しき人は、まことならねば事にもあらず思へど、幼き心には、身にしみて恐ろしく、恥しく、あさましき思ひ、誠に切なるべし。これを惱して興ずる事、慈悲の心にあらず。大人しき人の、喜び怒り哀れび樂しぶも、皆虚妄なれども、誰か實有の相に著せざる。身を破るよりも、心を痛ましむるは、人を害ふ事なほ甚だし。病を受くる事も、多くは心より受く。外より來る病は少なし。藥を飮みて汗を求むるには、驗なき事あれども、一旦恥ぢ恐るゝことあれば、かならず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲の額を書きて、白頭の人となりし例なきにあらず。

顔回は、志として人に労を施すまいとしたのです。おおよそ、人を苦しめ、物を虐げることは、賤しい民の志であっても奪ってはなりません。

また、幼い子を賺し脅かし、言って辱めて興じることがあります。大人は、まことではないから何ほどのこともないと思いますが、幼い心には身にしみて恐ろしく、恥ずかしく、あさましい思いが、まことに切実でしょう。これを悩ませて興じるのは、慈悲の心ではありません。

大人が喜び、怒り、哀れみ、楽しむのも、みな虚妄ですが、誰が実有の相に執着しないでいるでしょうか。

身を破るよりも、心を痛ませるのは、人を害うことではなお甚だしいのです。

病を受けることも、多くは心から受けます。外から来る病は少ないのです。薬を飲んで汗を求めるには効験のないことがありますが、ひとたび恥じ恐れることがあれば必ず汗を流しますから、心のしわざであると知るべきです。

凌雲閣の額を書いて白頭の人となった例も、ないわけではありません。

10争わず、我が身を後にせよ

物に爭はず、己を枉げて人に從ひ、我が身を後にして、人を先にするには如かず。萬のあそびにも、勝負を好む人は、勝ちて興あらむ爲なり。己が藝の勝りたる事をよろこぶ。されば負けて興なく覺ゆべきこと、また知られたり。我負けて人を歡ばしめむと思はば、さらに遊びの興なかるべし。人に本意なく思はせて、わが心を慰めむこと、徳に背けり。むつましき中に戲るゝも、人をはかり欺きて、おのれが智の勝りたることを興とす。これまた禮にあらず。さればはじめ興宴より起りて、長き恨みを結ぶ類おほし。これ皆あらそひを好む失なり。人に勝らむことを思はば、たゞ學問して、その智を人に勝らむと思ふべし。道を學ぶとならば、善に誇らず、ともがらに爭ふべからずといふ事を知るべきゆゑなり。大きなる職をも辭し、利をも捨つるは、たゞ學問の力なり。

物に争わず、自分を枉げて人に従い、我が身を後にして人を先にするに越したことはありません。

あらゆる遊びでも、勝負を好む人は、勝って興じようとするためです。自分の芸がまさっていることを喜ぶのです。ですから、負けて興がなく思われるであろうことも、また知られます。自分が負けて人を喜ばせようと思うならば、まったく遊びの興はないでしょう。

人に不本意に思わせて我が心を慰めようとするのは、徳に背いています。

睦まじい仲で戯れるのも、人を謀り欺いて、自分の知恵がまさっていることを興とします。これもまた礼ではありません。ですから、はじめは興宴から起こって、長い恨みを結ぶ類が多いのです。これはみな、争いを好む過ちです。

人にまさろうと思うならば、ただ学問をして、その知恵が人にまさるようにと思うべきです。道を学ぶというならば、善を誇らず、仲間と争ってはならないということを知るようになるからです。

大きな職をも辞し、利をも捨てるのは、ただ学問の力です。

11己の分を知るのが智である

貧しきものは財をもて禮とし、老いたるものは力をもて禮とす。おのが分を知りて、及ばざる時は速かにやむを智といふべし。許さざらむは人のあやまりなり。分を知らずして強ひて勵むは、おのれがあやまりなり。貧しくして分を知らざれば盜み、力衰へて分を知らざれば病をうく。

貧しい者は財をもって礼とし、老いた者は力をもって礼とします。

自分の分を知って、及ばないときには速やかにやめるのを智というべきです。それを許さないのは人の過ちです。分を知らずに強いて励むのは、自分の過ちです。

貧しくて分を知らなければ盗み、力が衰えて分を知らなければ病を受けます。

12鳥羽の作り道

鳥羽の作り道は、鳥羽殿建てられて後の號にはあらず、昔よりの名なり。元良親王、元日の奏賀の聲はなはだ殊勝にして、大極殿より鳥羽の作り道まできこえけるよし、李部王の記に侍るとかや。

鳥羽の作り道は、鳥羽殿が建てられて後の呼び名ではなく、昔からの名です。

元良親王の元日の奏賀の声がたいそう殊勝で、大極殿から鳥羽の作り道まで聞こえたということが、『李部王記』にございますとか。

13寝殿の枕の向き

夜の御殿は東御枕なり。大かた東を枕として陽氣を受くべき故に、孔子も東首し給へり。寢殿のしつらひ、或は南枕、常のことなり。白河院は北首に御寢なりけり。「北は忌むことなり。又伊勢は南なり。太神宮の御方を御跡にせさせ給ふ事いかゞ。」と人申しけり。たゞし太神宮の遥拜は辰巳に向はせたまふ、南にはあらず。

夜の御殿は東枕です。おおよそ東を枕として陽気を受けるべきであるため、孔子も東首をなさいました。寝殿のしつらいは、あるいは南枕も常のことです。

白河院は北首でお休みになりました。「北は忌むことです。また伊勢は南にあります。太神宮の御方を御跡にされるのはいかがでしょうか」と人が申しました。

ただし、太神宮の遥拝は辰巳に向かわれるのであって、南ではありません。

14鏡を恐れた律師——我を知るということ

高倉院の法華堂の三昧僧何某の律師とかやいふ者、ある時鏡を取りて顔をつくづくと見て、我が貌の醜くあさましき事を、餘りに心憂く覺えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後長く鏡を恐れて、手にだに取らず、更に人に交はる事なし。御堂の勤め許りにあひて、籠り居たりと聞き傳へしこそ、あり難く覺えしか。かしこげなる人も人の上をのみ計りて、己をば知らざるなり。我を知らずして外を知るといふ理あるべからず。されば、己を知るを、物知れる人といふべし。貌醜けれども知らず、心の愚かなるをも知らず、藝の拙きをも知らず、身の數ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すをも知らず、死の近き事をも知らず、行ふ道の至らざるをも知らず、身の上の非をも知らねば、まして外の譏りを知らず。たゞし貌は鏡に見ゆ、年は數へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべき方のなければ、知らぬに似たりとぞいはまし。貌を改め齡を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞやがて退かざる。老いぬと知らば、何ぞ閑に身をやすくせざる。行ひ愚かなりと知らば、何ぞこれを思ふ事これにあらざる。すべて人に愛樂せられずして衆に交はるは恥なり。貌みにくく心おくれにして出で仕へ、無智にして大才に交はり、不堪の藝をもちて堪能の座に連なり、雪の頭を戴きて壯りなる人にならび、況んや及ばざることを望み、叶はぬことを憂へ、來らざる事を待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の與ふる恥にあらず、貪る心に引かれて、自ら身を恥しむるなり。貪ることのやまざるは、命を終ふる大事今こゝに來れりと、たしかに知らざればなり。

高倉院の法華堂の三昧僧、何某の律師とかいう者がありました。あるとき鏡を取って顔をつくづくと見て、自分の容貌が醜くあさましいことを、あまりに情けなく思って、鏡さえ疎ましい心地になりましたので、その後は長く鏡を恐れて手にも取らず、まったく人に交わることがありませんでした。御堂の勤めにだけ加わって籠っていたと伝え聞きましたのは、ありがたく思われました。

賢そうな人も、人の身の上ばかりを量って、自分を知らないのです。我を知らずして外を知るという理はありえません。ですから、自分を知るのを物を知る人というべきです。

容貌が醜くてもそれを知らず、心が愚かなのも知らず、芸の拙いのも知らず、身が数ならぬことも知らず、年の老いたのも知らず、病が冒していることも知らず、死の近いことも知らず、行う道の至らないことも知らず、我が身の非も知らないのですから、まして外の譏りを知るはずがありません。

ただし容貌は鏡に見え、年は数えて知られます。我が身のことを知らないのではありませんが、どうしようもないのですから、知らないのと同じだと言うべきでしょう。

容貌を改め、齢を若くせよというのではありません。拙いと知るならば、どうしてすぐに退かないのでしょうか。老いたと知るならば、どうして閑かに身を安らかにしないのでしょうか。行いが愚かだと知るならば、どうしてこれを思い、心をここに向けないのでしょうか。

おおよそ、人に愛され楽しまれることなく衆に交わるのは恥です。容貌が醜く、心が劣っていながら出仕し、無智でありながら大才の人に交わり、堪えられない芸をもって堪能の人の座に連なり、雪の頭を戴いて盛りの人と並び、まして及ばないことを望み、叶わないことを憂え、来ないことを待ち、人を恐れ、人に媚びるのは、人が与える恥ではなく、貪る心に引かれて自ら身を恥ずかしめているのです。

貪ることがやまないのは、命を終える大事が今ここに来ていることを、確かに知らないからです。

15資季大納言入道の賭け

資季大納言入道とかや聞えける人、具氏宰相中將に逢ひて〈向かって〉、「わぬしの問はれむ程の事、何事なりとも答へ申さざらむや。」といはれければ、具氏、「いかゞ侍らむ。」と申されけるを、「さらば、あらがひ給へ。」といはれて、「はか〴〵しき事は、片端もまねび知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそゞろごとの中に、覺束なき事をこそ問ひ奉らめ。」と申されけり。「まして、こゝもとの淺きことは、何事なりともあきらめ申さむ。」といはれければ、近習の人々、女房なども、「興あるあらがひなり。おなじくは御前にて爭はるべし。負けたらむ人は供御をまうけらるべし。」と定めて、御前にて召し合せられたりけるに、具氏、「幼くより聞きならひ侍れど、その心知らぬこと侍り。馬のきつりやうきつにのをか、なかくぼれいりぐれんどうと申すことは、いかなる心にかはべらむ。承らむ。」と申されけるに、大納言入道はたとつまりて、「これは、そゞろごとなれば、云ふにも足らず。」といはれけるを、「もとより、深き道は知り侍らず。そゞろ言を尋ね奉らむと、定め申しつ。」と申されければ、大納言入道負けになりて、所課いかめしくせられたりけるとぞ。

資季大納言入道とか申しあげた方が、具氏宰相中将に向かって、「あなたがお尋ねになるほどのことなら、何事であっても答え申せないことがあろうか」と言われました。

具氏が「いかがでございましょうか」と申されましたので、「それならば、賭けをなさい」と言われました。具氏は「しっかりしたことは片端も学び知っておりませんので、お尋ね申すまでもありません。何ということもない雑言の中から、おぼつかないことをお尋ね申しましょう」と申されました。

「まして、そのあたりの浅いことならば、何事であっても明らかにして差し上げましょう」と言われましたので、近習の人々や女房なども、「面白い賭けです。同じことなら御前で争われるのがよい。負けた人は供御を用意されるべきだ」と定めて、御前で召し合わせられました。

具氏が「幼いころから聞き慣れておりますが、その意味を知らないことがございます。『うまのきつりやうきつにのをか、なかくぼれいりぐれんどう』と申すことは、どのような意味でございましょうか。承りたく存じます」と申されましたところ、大納言入道ははたと詰まって、「これは雑言ですから、言うにも足らぬこと」と言われました。

「もとより深い道は存じません。雑言をお尋ね申しあげようと、定め申しました」と申されましたので、大納言入道は負けになって、課せられたもてなしを厳めしくなさったということです。

16鹽という文字はどの偏か

醫師あつしげ、故法皇の御前に候ひて、供御の參りけるに、「今參り侍る供御のいろ〳〵を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申しはべらば、本草に御覽じあはせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ。」と申しける時しも、六條故内府まゐり給ひて、「有房ついでに物習ひ侍らむ。」とて、「まづ、しほといふ文字は、いづれの偏にか侍らむ。」と問はれたりけるに、「土偏に候。」と申したりければ、「才のほど既に現はれにたり。今はさばかりにて候へ、ゆかしきところなし。」と申されけるに、とよみになりて、罷り出でにけり。

医師のあつしげが、故法皇の御前に控えていたとき、供御が参りました。「ただ今参ります供御のいろいろを、文字も効能もお尋ね下されましたら、暗記のまま申しあげますので、『本草』に御覧じ合わせられてください。一つも申し誤ることはございません」と申しました。

ちょうどそのとき、六条の故内府がおいでになって、「有房もついでに物を習いましょう」とおっしゃって、「まず、しほという文字は、どの偏でございましょうか」とお尋ねになりました。

「土偏でございます」と申しましたので、「才のほどはもう現れました。今はそれくらいでけっこうです。これ以上知りたいところはありません」と申されました。どっと笑いが起こりましたので、退出してしまいました。

17花は盛りのときだけ見るものだろうか

花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を戀ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。歌の詞書にも、「花見に罷りけるにはやく散り過ぎにければ。」とも、「さはることありて罷らで。」なども書けるは、「花を見て。」といへるに劣れる事かは。花の散り月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし。」などはいふめる。萬の事も始め終りこそをかしけれ。男女の情も、偏に逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さをおもひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明し、遠き雲居を思ひやり、淺茅が宿に昔を忍ぶこそ、色好むとはいはめ。望月の隈なきを、千里の外まで眺めたるよりも、曉近くなりて待ちいでたるが、いと心ふかう、青みたる樣にて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。椎柴白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都こひしう覺ゆれ。すべて月花をばさのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしうをかしけれ。よき人は、偏にすける樣にも見えず、興ずる樣もなほざりなり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢより立ちより、あからめもせずまもりて、酒飮み、連歌して、はては大きなる枝心なく折り取りぬ。泉には手足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、萬の物、よそながら見る事なし。さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。「見ごといとおそし。そのほどは棧敷不用なり。」とて、奧なる屋にて、酒飮みもの食ひ、圍棊雙六など遊びて、棧敷には人をおきたれば、「わたり候。」といふときに、おの〳〵肝つぶる〈る〉やうに爭ひ走りあがりて、落ちぬべきまで、簾張りいでて、押しあひつゝ、一事も見洩らさじとまもりて、とありかゝりと物事にいひて、渡り過ぎぬれば、「又渡らむまで。」といひて降りぬ。唯物をのみ見むとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、眠りていとも見ず。若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後にさぶらふは、さまあしくも及びかゝらず、わりなく見むとする人もなし。何となく葵かけ渡してなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、其か彼かなどおもひよすれば、牛飼下部などの見知れるもあり。をかしくも、きら〳〵しくも、さま〴〵に行きかふ、見るもつれ〴〵ならず。暮るゝ程には、立て竝べつる車ども、所なく竝みゐつる人も、いづかたへか行きつらむ、程なく稀になりて、車どものらうがはしさも濟みぬれば、簾疊も取り拂ひ、目の前に寂しげになり行くこそ、世のためしも思ひ知られて哀れなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ、かの棧敷の前をこゝら行きかふ人の、見知れるが數多あるにて知りぬ、世の人數もさのみは多からぬにこそ。この人皆失せなむ後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、程なく待ちつけぬべし。大きなる器に水を入れて、細き孔をあけたらむに、滴る事少しと云ふとも、怠る間なく漏りゆかば、やがて盡きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人二人のみならむや。鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る數おほかる日はあれど、送らぬ日はなし。されば柩を鬻ぐもの、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日まで遁れ來にけるは、ありがたき不思議なり。暫しも世をのどかに思ひなむや。まゝ子立といふものを、雙六の石にてつくりて、立て竝べたる程は、取られむ事いづれの石とも知らねども、數へ當ててひとつを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、また〳〵かぞふれば、かれこれ間拔き行くほどに、いづれも、遁れざるに似たり。兵の軍にいづるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ身をも忘る。世をそむける草の庵には、しづかに水石をもてあそびて、これを他所に聞くと思へるは、いとはかなし。しづかなる山の奧、無常の敵きほひ來らざらむや。その死に臨めること、軍の陣に進めるにおなじ。

花は盛りのときだけ、月は隈のないときだけを見るものでしょうか。雨に向かって月を恋い、簾を垂れこめて春の行方を知らないのも、やはりしみじみとして情が深いものです。咲きそうなほどの梢、散りしおれた庭などこそ、見どころが多いのです。

歌の詞書にも、「花見に参りましたが、早く散り過ぎてしまったので」とも、「差し支えることがあって参らずに」などと書いてあるのは、「花を見て」と言ったのに劣ることでしょうか。

花が散り、月が傾くのを慕う習いはもっともなことですが、とりわけ頑なな人が、「この枝もあの枝も散ってしまった。今は見どころがない」などと言うようです。

万のことも、始めと終わりこそ趣があります。男女の情も、ひたすら逢い見ることだけを言うものでしょうか。逢わずに終わってしまった憂さを思い、仇な契りを嘆き、長い夜を独りで明かし、遠い雲居を思いやり、浅茅の宿で昔を偲ぶことこそ、色を好むと言えるでしょう。

望月の隈のないのを千里の外まで眺めるよりも、暁近くなって待ち出た月が、たいそう情け深く、青みを帯びた様子で、深い山の杉の梢に見える木の間の影、ひとしぐれした群雲に隠れるころが、またなくしみじみとします。椎柴や白樫などの濡れたような葉の上に煌めいているのこそ、身にしみて、心ある友もいればと、都が恋しく思われます。

総じて、月や花をそのように目だけで見るものでしょうか。春は家を立ち去らずとも、月の夜は閨の内にいながらも思うことこそ、たいそう頼もしく趣のあることです。

よい人は、ひたすら好いているようにも見えず、興じる様子もなおざりです。片田舎の人こそ、色濃く何事も興じるのです。花のもとには、身をねじって寄り立ち、脇目もせず見つめて酒を飲み、連歌をして、果てには大きな枝を心なく折り取ってしまいます。泉には手足を差し浸し、雪には降り立って跡を付けなど、万のものを、よそながら見ることがありません。

そのような人が祭を見た様子は、たいそう珍妙でした。「見物はたいそう遅い。そのあいだは桟敷は不用だ」といって、奥の屋で酒を飲み物を食い、囲碁や双六などで遊んで、桟敷には人を置いておき、「お渡りです」と言うときに、それぞれ肝を潰すように争って走り上がって、落ちそうになるまで簾を張り出し、押し合いながら、一事も見漏らすまいと見つめて、ああだこうだと何事につけても言い、渡り過ぎてしまえば、「また渡るまで」と言って降りてしまいます。ただ物だけを見ようとするのでしょう。

都の人で重々しい方は、眠っていてたいして見ません。若く身分の低い者は、宮仕えに立ち居し、人の後ろに控える者は、見苦しく及びかかることもなく、無理に見ようとする人もありません。

何となく葵を掛けわたして優雅であるなか、明け離れないころに忍んで寄せる車どもが心惹かれ、あれかこれかなどと思いなぞらえてみれば、牛飼いや下部などで見知った者もあります。趣があるようにも、きらきらしくも、さまざまに行き交うのを見るのも、つれづれではありません。

暮れるころには、立て並べていた車どもも、所もなく並び座っていた人も、どこへ行ったのでしょうか、ほどなく稀になって、車どもの騒がしさも済んでしまえば、簾も畳も取り払って、目の前が寂しげになっていくのこそ、世のならいも思い知られてしみじみとします。

大路を見たのこそ、祭を見たというものです。あの桟敷の前をいくらも行き交う人のうちに、見知った者が多くあることで知られました。世の人の数も、それほど多くはないのです。

この人がみな亡くなった後に自分の身が死ぬと定まっていたとしても、ほどなくその時を待ち受けることになるでしょう。

大きな器に水を入れて細い孔を開けたなら、滴ることは少ないといっても、怠るまもなく漏れていけば、やがて尽きてしまうでしょう。

都の中に人が多いのですから、死なない日があるはずもありません。一日に一人二人だけでしょうか。鳥部野、舟岡、そのほかの野山にも、送る数の多い日はあっても、送らない日はありません。ですから柩を売る者は、作って置いておく暇もないのです。

若さにもよらず、強さにもよらず、思いがけず来るのが死期です。今日まで遁れて来たのは、ありがたい不思議です。しばらくでも世をのどかに思えるでしょうか。

まま子立というものを双六の石で作って立て並べたあいだは、取られるのがどの石とも知られませんが、数え当てて一つを取ってしまえば、その他は遁れたと見えます。けれども、また数えていけば、あれこれ間を抜いていくうちに、どれも遁れられないのと同じことになります。

兵が軍に出るのは、死の近いことを知って、家をも忘れ身をも忘れるのです。世を背いた草の庵で、静かに水石を玩んで、これをよその事として聞くと思っているのは、たいそうはかないことです。静かな山の奥にも、無常という敵が競い来ないことがあるでしょうか。その死に臨んでいることは、軍の陣に進んでいるのと同じです。

18祭の後の葵

祭過ぎぬれば、後の葵不用なりとて、ある人の、御簾なるを皆取らせられ侍りしが、色もなくおぼえ侍りしを、よき人のし給ふことなれば、さるべきにやと思ひしかど、周防の内侍が、 かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵の枯葉なりけり と詠めるも、母屋の御簾に葵のかゝりたる枯葉を詠めるよし、家の集に書けり。古き歌の詞書に、「枯れたる葵にさしてつかはしける。」ともはべり。枕草紙にも、「來しかた戀しきもの。かれたる葵。」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひよりたれ。鴨長明が四季物語にも、「玉だれに後の葵はとまりけり。」とぞ書ける。己と枯るゝだにこそあるを、名殘なくいかゞ取り捨つべき。御帳にかゝれる藥玉も、九月九日菊にとりかへらるゝといへば、菖蒲は菊の折までもあるべきにこそ。枇杷の皇太后宮かくれ給ひて後、ふるき御帳の内に、菖蒲藥玉などの枯れたるが侍りけるを見て、「をりならぬ根をなほぞかけつる。」と、辨の乳母のいへる返り事に、「あやめの草はありながら。」とも、江の侍從が詠みしぞかし。

祭が過ぎれば、後の葵は不用だといって、ある人が御簾にあるものをみな取らせられましたが、味気なく思われましたものを、よい人のなさることですから、そうあるべきなのかと思いました。

けれども、周防の内侍が、

かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵の枯葉なりけり

と詠んだのも、母屋の御簾に掛かった葵の枯葉を詠んだのだと、その家の集に書いてあります。

古い歌の詞書にも、「枯れた葵に差して遣わした」ともございます。『枕草子』にも、「来し方恋しきもの。枯れたる葵」と書いてあるのこそ、たいそう懐かしく思い寄ったものです。鴨長明の『四季物語』にも、「玉だれに後の葵はとまりけり」と書いてあります。

おのずと枯れるのさえそのようであるのに、どうして名残もなく取り捨てられるでしょうか。

御帳に掛かった薬玉も、九月九日に菊に取り替えられるというのですから、菖蒲は菊の折までもあるべきなのです。

枇杷の皇太后宮がお亡くなりになった後、古い御帳の内に菖蒲や薬玉などの枯れたものがございましたのを見て、「折ならぬ根をなほぞかけつる」と弁の乳母が言った返事に、「あやめの草はありながら」とも、江の侍従が詠んだのです。

19家に置きたい木と草

家にありたき木は、松、櫻。松は五葉もよし。花は一重なるよし。八重櫻は奈良の都にのみありけるを、この頃ぞ世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の櫻、皆一重にてこそあれ。八重櫻は異樣のものなり。いとこちたくねぢけたり。植ゑずともありなむ。遲櫻またすさまじ。蟲のつきたるもむつかし。梅は白き、うす紅梅、一重なるが疾く咲きたるも、重なりたる紅梅の、匂ひめでたきも、みなをかし。「おそき梅は、櫻に咲きあひて、おぼえ劣り、けおされて、枝に萎みつきたる、心憂し。一重なるがまづ咲きて散りたるは、心疾くをかし。」とて、京極入道中納言は、なほ一重梅をなむ軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南むきに、今も二本はべるめり。柳またをかし。卯月ばかりの若楓、すべて萬の花紅葉にも優りてめでたきものなり。橘、桂、何れも木は物古り、大きなる、よし。草は山吹、藤、杜若、撫子。池には蓮。秋の草は荻、薄、桔梗、萩、女郎花、藤袴、紫菀、吾木香、刈萱、龍膽、菊、黄菊も、蔦、葛、朝顔、いづれもいと高からず、さゝやかなる垣に、しげからぬよし。この外世にまれなるおの、唐めきたる名の聞きにくく、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。大かた何も珍しくありがたきものは、よからぬ人のもて興ずるものなり。さやうの物なくてありなむ。

家に置きたい木は、松と桜です。松は五葉もよいものです。花は一重なのがよいのです。

八重桜は奈良の都にだけあったものを、近ごろは世に多くなったということです。吉野の花も、左近の桜も、みな一重です。八重桜は異様なものです。たいそうごつごつとして捻れています。植えなくてもよいでしょう。遅桜もまた興ざめです。虫が付いたものも煩わしいものです。

梅は、白いものと薄い紅梅の一重が早く咲いたのも、重なった紅梅の匂いの見事なのも、みな趣があります。「遅い梅は、桜と咲き合って見劣りし、気押されて枝に萎んで付いているのが、情けない。一重が先に咲いて散ったのが、心早く趣がある」といって、京極入道中納言は、やはり一重梅を軒近くに植えられました。京極の屋の南向きに、今も二本あるようです。

柳もまた趣があります。四月ごろの若楓は、すべての花や紅葉にもまさって見事なものです。

橘や桂は、どちらも木が古び、大きいものがよいのです。

草は山吹、藤、杜若、撫子。池には蓮。秋の草は荻、薄、桔梗、萩、女郎花、藤袴、紫菀、吾木香、刈萱、竜胆、菊、黄菊も、蔦、葛、朝顔。

どれもあまり高くなく、小さな垣に、茂りすぎないのがよいのです。

このほか、世に稀なもの、唐めいた名の聞きづらいもの、花も見慣れないものなどは、まったく懐かしくありません。おおよそ何でも、珍しく得がたいものは、よくない人がもてはやすものです。そのようなものはなくてよいのです。

20死んで財が残ること

身死して財殘ることは、智者のせざるところなり。よからぬもの蓄へおきたるも拙く、よきものは、心をとめけむとはかなし。こちたく多かる、まして口惜し。我こそ得めなどいふものどもありて、あとに爭ひたる、樣惡し。後には誰にと志すものあらば、生けらむ中にぞ讓るべき。朝夕なくて協はざらむ物こそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほしき。

身が死んで財が残ることは、智者のしないところです。

よくない物を蓄えておいたのも拙く、よい物は、心を留めていたのだろうと思われてはかないものです。ごつごつと多いのは、なおさら残念です。

「自分こそ得よう」などと言う者たちがあって、後に争うのは、見苦しいことです。後には誰にと志す物があるならば、生きているうちに譲るべきです。

朝夕なくては叶わない物こそあるでしょうが、そのほかは何も持たずにいるのが望ましいのです。