141〜160段141~160단
1尭蓮上人——都の人と東国の人
悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかや、雙なき武者なり。故郷の人の來りて物がたりすとて、「吾妻人こそいひつることは頼まるれ。都の人は言受けのみよくて、實なし。」といひしを、聖、「それはさこそ思すらめども、おのれは都に久しく住みて、馴れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて心やはらかに情あるゆゑに、人のいふほどの事、けやけく辭びがたく、よろづえ言ひはなたず、心弱くことうけしつ。僞せむとは思はねど、乏しくかなはぬ人のみあれば、おのづから本意通らぬこと多かるべし。吾妻人は我がかたなれど、げには心の色なく、情おくれ、偏にすくよかなるものなれば、初めより否といひて止みぬ。賑ひ豐かなれば、人には頼まるゝぞかし。」とことわられ侍りしこそ、この聖、聲うちゆがみあら〳〵しくて、聖教のこまやかなる理、いと辨へずもやと思ひしに、この一言の後、心憎くなりて、多かる中に、寺をも住持せらるゝは、かく和ぎたるところありて、その益もあるにこそと覺え侍りし。
悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦の何某とかいう、並ぶものもない武者でした。
故郷の人が来て話をするというので、「東人こそ、言ったことは頼みにできる。都の人は言受けばかりがよくて、実がない」と言いました。
上人は、「あなたはそうお思いになるでしょうが、自分は都に久しく住んで、馴れて見ておりますに、人の心が劣っているとは思いません。おおむね心が柔らかく情があるために、人が言うほどのことをきっぱりと辞しがたく、何事も言い放つことができずに、心弱く言受けしてしまうのです。偽ろうと思うのではありませんが、乏しくて思うようにならない人ばかりですから、おのずと本意の通らないことが多いのでしょう。東人は自分の故郷ですが、まことに心の色がなく、情が劣って、ひたすら無愛想なものですから、初めから否と言ってやめてしまいます。賑わい豊かですから、人には頼みにされるのですよ」と、理を分けて言われました。
この上人は、声が少し歪んで荒々しく、聖教の細やかな理はあまり弁えてもいないのかと思っておりましたが、この一言の後、奥ゆかしく思われました。多くの人の中で寺をも住持されるのも、このように和らいだところがあって、その益もあるのだろうと思われました。
2子があってこそ、あわれを知る
心なしと見ゆる者も、よき一言はいふ者なり。ある荒夷の恐ろしげなるが、傍にあひて、「御子はおはすや。」と問ひしに、「一人も持ち侍らず。」と答へしかば、「さては物のあはれは知り給はじ。情なき御心にぞものし給ふらむと、いと恐ろし。子故にこそ、萬の哀れは思ひ知らるれ。」といひたりし、さもありぬべき事なり。恩愛の道ならでは、かゝるものの心に慈悲ありなむや。孝養の心なき者も、子持ちてこそ親の志は思ひ知るなれ。世をすてたる人のよろづにするすみなるが、なべてほだし多かる人の、よろづに諂ひ、望み深きを見て、無下に思ひくたすは、僻事なり。その人の心になりて思へば、まことにかなしからむ親のため妻子のためには、恥をも忘れ、盜みをもしつべき事なり。されば盜人を縛め、僻事をのみ罪せむよりは、世の人の飢ゑず寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人恆の産なき時は恆の心なし。人窮りて盜みす。世治らずして凍餒の苦しみあらば、科のもの絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはむこと、不便のわざなり。さていかゞして人を惠むべきとならば、上の奢り費すところを止め、民を撫で、農を勸めば、下に利あらむこと疑ひあるべからず。衣食世の常なる上に、ひがごとせむ人をぞ、まことの盜人とはいふべき。
心なしと見える者も、よい一言は言うものです。
ある荒夷で恐ろしげな者が、傍らにいて、「お子はおいでですか」と問いましたので、「一人も持っておりません」と答えますと、「それでは物のあわれはお分かりにならないでしょう。情のない御心でいらっしゃるのだろうと、たいそう恐ろしく思われます。子があってこそ、万のあわれは思い知られるのです」と言いました。もっともなことです。
恩愛の道でなくては、このような者の心に慈悲があるでしょうか。孝養の心のない者も、子を持ってこそ親の志を思い知るのです。
世を捨てた人が何事にも身軽であるからといって、おおかた絆の多い人が何事にも諂い、望みの深いのを見て、むやみに思い腐すのは、僻事です。その人の心になって思えば、まことにいとおしいであろう親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盗みもしてしまうことでしょう。
ですから、盗人を縛め、僻事ばかりを罪するよりは、世の人が飢えず寒くないように世を治めたいものです。
人は恒の産がないときには恒の心がありません。人は窮まって盗みをします。世が治まらず、凍え飢える苦しみがあれば、罪ある者が絶えるはずもありません。人を苦しめ、法を犯させて、それを罰するというのは、気の毒なしわざです。
それでは、どのようにして人を恵むべきかといえば、上の奢り費やすところをやめ、民を撫で、農を勧めれば、下に利があるであろうことは疑いありません。
衣食が世の常の人並みである上で僻事をする人こそ、まことの盗人というべきです。
3臨終の様子を飾って語ること
人の終焉の有樣のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、たゞ、「靜かにして亂れず。」といはば心にくかるべきを、愚かなる人は、怪しく異なる相を語りつけ、いひし言も擧止も、おのれが好む方に譽めなすこそ、その人の日ごろの本意にもあらずやと覺ゆれ。この大事は、權化の人も定むべからず、博學の士もはかるべからず、おのれ違ふ所なくば、人の見聞くにはよるべからず。
人の終焉の有様が見事であったことなどを人が語るのを聞きますと、ただ「静かにして乱れなかった」と言えば奥ゆかしいでしょうに、愚かな人は怪しく異様な相を語りつけ、言った言葉も挙止も、自分の好む方に誉めなしてしまいます。それはその人の日ごろの本意とも違うのではないかと思われます。
この大事は、権化の人も定めることができず、博学の士も量ることができません。自分に違うところがなければ、人の見聞きによるものではありません。
4栂尾の上人が聞いた阿字
栂尾の上人道を過ぎたまひけるに、河にて馬洗ふ男、「あし〳〵。」といひければ、上人たちとまりて、「あなたふとや。宿執開發の人かな。阿字々々と唱ふるぞや。いかなる人の御馬ぞ。あまりにたふとく覺ゆるは。」と尋ね給ひければ、「府生殿の御馬に候。」と答へけり。「こはめでたきことかな。阿字本不生にこそあなれ。うれしき結縁をもしつるかな。」とて、感涙を拭はれけるとぞ。
栂尾の上人が道をお通りになったとき、河で馬を洗っていた男が「あし、あし」と言いました。
上人は立ち止まって、「ああ、尊いことよ。宿執開発の人であるな。阿字、阿字と唱えているのだ。どのような人の御馬か。あまりにも尊く思われるのは」とお尋ねになりました。「府生殿の御馬でございます」と答えました。
「これは何と見事なことか。阿字本不生であるのだな。嬉しい結縁をもしたことよ」とおっしゃって、感涙を拭われたということです。
5落馬の相があると言った重躬
御隨身秦重躬、北面の下野入道信願を、「落馬の相ある人なり。よく〳〵愼み給へ。」といひけるを、いとまことしからず思ひけるに、信願馬より落ちて死ににけり。長じぬる一言、神の如しと人おもへり。さて、「いかなる相ぞ。」と人の問ひければ、「極めて桃尻にて、沛艾の馬を好みしかば、この相をおほせ侍りき。いつかは申し誤りたる。」とぞいひける。
御随身の秦重躬が、北面の下野入道信願を、「落馬の相がある人だ。よくよくお慎みなさい」と言いましたのを、まったくまことらしくないと思っておりましたところ、信願は馬から落ちて死んでしまいました。
長じた一言は神のようだと、人は思いました。
そこで「どのような相か」と人が問いましたので、「極めて桃尻であるのに、沛艾の馬を好んでいましたから、この相を申したのです。いつ申し誤ったことがありましょうか」と言いました。
6明雲座主が尋ねた兵仗の難
明雲座主、相者に逢ひ給ひて、「己若し兵仗の難やある。」と尋ねたまひければ、相人、「實にその相おはします。」と申す。「いかなる相ぞ。」と尋ね給ひければ、「傷害の恐れおはしますまじき御身にて、假にもかく思しよりて尋ね給ふ。これ既にそのあやぶみの兆なり。」と申しけり。はたして矢にあたりてうせ給ひにけり。
明雲座主が相者にお会いになって、「自分にもし兵仗の難があるだろうか」とお尋ねになりましたので、相人は「まことにその相がおありです」と申します。
「どのような相か」とお尋ねになりますと、「傷害の恐れがおありになるはずのない御身でありながら、仮にもこのようにお思いよりになってお尋ねになる。これがすでにその危うさの兆しです」と申しました。
果たして、矢に当たってお亡くなりになりました。
7灸の跡が多ければ神事に穢れがあるという話
灸治あまた所になりぬれば神事に穢れありといふこと、近く人のいひ出せるなり、格式等にも見えずとぞ。
灸治の跡が多くの所になれば神事に穢れがあるということは、近い世に人が言い出したことで、格式などにも見えないということです。
8四十を過ぎたら三里に灸をせよ
四十以後の人、身に灸を加へて三里を燒かざれば上氣のことあり、必ず灸すべし。
四十以後の人は、身に灸を加えて三里を焼かなければ、上気することがありますから、必ず灸をするべきです。
9鹿茸を鼻に当てて嗅ぐな
鹿茸を鼻にあてて嗅ぐべからず、ちひさき蟲ありて、鼻より入りて腦をはむといへり。
鹿茸を鼻に当てて嗅いではなりません。小さな虫があって、鼻から入って脳を食むと言われています。
10拙いうちから人の中に入れ
能をつかむとする人、「よくせざらむ程は、なまじひに人に知られじ、内々よく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ。」と常にいふめれど、かくいふ人、一藝もならひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて、譏り笑はるゝにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず妄りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、ならびなき名をうることなり。天下の物の上手といへども、はじめは不堪のきこえもあり、無下の瑕瑾もありき。されどもその人、道の掟正しく、これを重くして放埒せざれば、世の博士にて、萬人の師となること、諸道かはるべからず。
芸を身につけようとする人が、「上手にできないうちは、なまじ人に知られまい。内々でよく習い得てから差し出たならば、たいそう奥ゆかしいだろう」と常に言うようです。けれども、このように言う人は、一芸も習い得ることがありません。
まだ堅固で不器用なうちから、上手の中に交じって、譏られ笑われても恥じず、つれなく過ごして励む人は、天性その骨がなくとも、道に行き詰まらず、みだりにもせずして年を送れば、堪能でありながら励まない人よりは、ついに上手の位に至り、徳も熟して人に認められ、並ぶものもない名を得ることになります。
天下の物の上手といっても、初めは不堪の評判もあり、ひどい瑕瑾もありました。けれどもその人が、道の掟を正しく守り、これを重んじて放埒でなかったので、世の博士となって万人の師となるのです。どの道も変わるところはありません。
11五十になるまで上手に至らない芸は捨てよ
ある人の曰く、年五十になるまで上手に至らざらむ藝をば捨つべきなり。勵み習ふべき行末もなし。老人のことをば人もえ笑はず、衆に交はりたるも、あひなく見苦し。大方萬のしわざは止めて、暇あるこそ目安くあらまほしけれ。世俗の事にたづさはりて、生涯を暮すは下愚の人なり。ゆかしく覺えむことは學び聞くとも、その趣を知りなば、覺束なからずして止むべし。もとより望む事なくしてやまむは、第一のことなり。
ある人が言うには、年が五十になるまで上手に至らない芸は捨てるべきである、ということです。励んで習う行く末もありません。老人のことは人も笑うこともできず、衆に交わっているのも、似合わず見苦しいものです。
おおよそ万のしわざはやめて、暇があることこそ、見た目にもよく望ましいのです。世俗のことに携わって生涯を暮らすのは、下愚の人です。
知りたく思うことは学んで聞くとしても、その趣を知ったならば、未練なくやめるべきです。もとより望むことなくしてやめるのは、第一のことです。
12尊く見えるものと、ただ老いたもの
西大寺靜然上人、腰かゞまり眉白く、誠に徳たけたる有樣にて、内裏へ參られたりけるを、西園寺内大臣殿、「あな尊との氣色や。」とて信仰の氣色ありければ、資朝卿これを見て、「年のよりたるに候。」と申されけり。後日に、尨犬の淺ましく老いさらぼひて毛はげたるをひかせて、「この氣色尊く見えて候。」とて内府へ參らせられたりけるとぞ。
西大寺の静然上人が、腰が曲がり眉が白く、まことに徳の熟した有様で内裏へ参られました。
西園寺内大臣殿が「ああ、尊い気色よ」とおっしゃって信仰の気色がありましたので、資朝卿がこれを見て、「年を取っているのでございます」と申されました。
後日、尨犬のあさましく老いさらばえて毛の抜けたものを引かせて、「この気色は尊く見えてございます」といって内府へお進ぜられたということです。
13為兼大納言入道が引かれていくのを見て
爲兼大納言入道めしとられて、武士ども打ち圍みて、六波羅へ率て行きければ、資朝卿、一條わたりにてこれを見て、「あな羨し。世にあらむおもひで、かくこそ有らまほしけれ。」とぞいはれける。
為兼大納言入道が召し取られて、武士どもが打ち囲んで六波羅へ連れて行きました。
資朝卿が一条のあたりでこれを見て、「ああ、羨ましい。世にあった思い出は、このようでありたいものだ」と言われました。
14曲がり捻れたものを愛する心
この人、東寺の門に雨宿りせられたりけるに、かたは者ども集り居たるが、手も足もねぢゆがみうち反りて、いづくも不具に異樣なるを見て、「とり〴〵に類なきくせ者なり、最も愛するに足れり。」と思ひて、まもり給ひけるほどに、やがてその興つきて、見にくくいぶせく覺えければ、「たゞすなほに珍しからぬものには如かず。」と思ひて、歸りて後、「この間植木を好みて、異樣に曲折あるを求めて目を喜ばしめつるは、かのかたは者を愛するなりけり。」と、興なく覺えければ、鉢に栽ゑられける木ども、みなほり棄てられにけり。さもありぬべきことなり。
この人が東寺の門で雨宿りをされていたとき、体の不自由な人たちが集まっていました。手も足も捻れ歪み、反り返って、どこも不具で異様なのを見て、「とりどりに類のない癖者である。もっとも愛するに足る」と思って見つめておられました。
そのうちに、やがてその興が尽きて、見苦しく、気がふさぐように思われましたので、「ただ素直で珍しくないものに越したことはない」とお思いになりました。
帰ってから、「このあいだ植木を好んで、異様に曲がり捻れたものを求めて目を喜ばせていたのは、あの人たちを愛したのと同じであったのだ」と、興ざめに思われましたので、鉢に植えられていた木どもを、みな掘り捨てられてしまいました。
もっともなことです。
15時を待つな——死期は序を待たない
世に從はむ人は、まづ機嫌を知るべし。序惡しき事は、人の耳にも逆ひ、心にも違ひて、その事成らず、さやうの折節を心得べきなり。但し病をうけ、子うみ、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、ついであしとて止む事なし。生住〈しゃうぢゅう〉異滅の移り變るまことの大事は、たけき河の漲り流るゝが如し。しばしも滯らず、直ちに行ひゆくものなり。されば眞俗につけて、かならず果し遂げむとおもはむことは、機嫌をいふべからず。とかくの用意なく、足を踏みとゞむまじきなり。春暮れて後夏になり、夏果てて秋の來るにはあらず。春はやがて夏の氣を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は則ち寒くなり、十月は小春の天氣、草も青くなり、梅も莟みぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる氣下に設けたる故に、待ち取る序、甚だ早し。生老病死の移り來る事、又これに過ぎたり。四季はなほ定まれる序あり。死期は序を待たず。死は前よりしも來らず、かねて後に迫れり。人みな死ある事を知りて、待つ事しかも急ならざるに、覺えずして來る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の滿つるが如し。
世に従おうとする人は、まず機嫌を知るべきです。序の悪いことは人の耳にも逆らい、心にも違って、その事が成りません。そのような折節を心得るべきです。
ただし、病を受け、子を産み、死ぬことだけは機嫌を量らず、序が悪いといってやめることがありません。
生・住・異・滅と移り変わるまことの大事は、たけき河が漲り流れるようなものです。しばらくも滞らず、ただちに行き進んでいくものです。
ですから、真俗につけて、必ず果たし遂げようと思うことは、機嫌を言うべきではありません。とやかくの用意もなく、足を踏みとどめてはならないのです。
春が暮れてのちに夏になり、夏が果てて秋が来るのではありません。春はすぐに夏の気を催し、夏から既に秋は通い、秋はすなわち寒くなり、十月は小春の天気で、草も青くなり、梅も莟みます。
木の葉が落ちるのも、まず落ちて芽ぐむのではなく、下から萌し張るのに堪えられずして落ちるのです。迎える気が下に設けられているために、待ち取る序がたいそう早いのです。
生老病死の移り来ることは、またこれにまさります。四季にはなお定まった序があります。死期は序を待ちません。
死は前から来るのではなく、かねて後ろに迫っています。人はみな死のあることを知って、待つ心がそれほど急でもないのに、気づかぬうちに来るのです。
沖の干潟がはるかであっても、磯から潮が満ちてくるようなものです。
16大臣の大饗を他所で行うこと
大臣の大饗は、さるべき所をまをし受けて行ふ、常のことなり。宇治左大臣殿は、東三條殿にて行はる。内裏にてありけるを申されけるによりて、他所へ行幸ありけり。させる事のよせなけれども、女院の御所など借り申す故實なりとぞ。
大臣の大饗は、しかるべき所を申し受けて行うのが、常のことです。
宇治左大臣殿は、東三条殿で行われました。内裏になっていたものを申されましたので、他所へ行幸がありました。
これといった縁故がなくても、女院の御所などを借り申すのが故実であるということです。
17筆を取れば物を書く
筆をとれば物書かれ、樂器をとれば音をたてむと思ふ。杯をとれば酒を思ひ、賽をとれば攤うたむ事を思ふ。心は必ず事に觸れて來る。假にも不善のたはぶれをなすべからず。あからさまに聖教の一句を見れば、何となく前後の文も見ゆ。卒爾〈ママ〉にして多年の非を改むる事もあり。假に今この文をひろげざらましかば、この事を知らむや。これすなはち觸るゝ所の益なり。心更に起らずとも、佛前にありて數珠を取り經を取らば、怠るうちにも善業おのづから修せられ、散亂の心ながらも繩床に坐せば、おぼえずして禪定なるべし。事理もとより二つならず、外相若し背かざれば、内證かならず熟す。強ひて不信といふべからず。仰ぎてこれを尊むべし。
筆を取れば何か物が書かれ、楽器を取れば音を立てようと思います。杯を取れば酒を思い、賽を取れば攤を打つことを思います。
心は必ず事に触れて起こります。仮にも不善の戯れをしてはなりません。
何気なく聖教の一句を見れば、何となく前後の文も目に入ります。ふとして多年の非を改めることもあります。仮に今この文を広げなかったとしたら、このことを知ったでしょうか。これがすなわち触れることの益です。
心がまったく起こらなくとも、仏前にあって数珠を取り経を取れば、怠るうちにも善業がおのずと修せられ、散乱の心ながらも縄床に座れば、気づかぬうちに禅定となるでしょう。
事と理はもとより二つではありませんから、外相がもし背かなければ、内証は必ず熟します。強いて不信と言うべきではありません。仰いでこれを尊ぶべきです。
18杯の底を捨てる意味
「杯の底を捨つることはいかゞ心得たる。」とある人の尋ねさせ給ひしに、「凝當と申し侍れば、底に凝りたるを捨つるにや候らむ。」と申し侍りしかば、「さにはあらず、魚道なり。流れを殘して口のつきたる所をすゝぐなり。」とぞ仰せられし。
「杯の底を捨てることは、どのように心得ているか」と、ある方がお尋ねになりました。
「凝当と申しますので、底に凝ったものを捨てるのではございませんか」と申しましたところ、「そうではない。魚道というのだ。流れを残して、口の付いた所をすすぐのである」とおっしゃいました。
19みなむすびという結び
「みなむすびといふは、絲をむすびかさねたるが、蜷といふ貝に似たればいふ。」と或やんごとなき人、仰せられき。「にな」といふは誤りなり。
「みなむすびというのは、糸を結び重ねたものが、蜷という貝に似ているから言うのである」と、ある尊い方がおっしゃいました。「にな」と言うのは誤りです。
20額を「うつ」という言い方
「門に額かくるを、「うつ」といふはよからぬにや。勘解由小路二品禪門は、「額かくる」とのたまひき。見物の「棧敷うつ」もよからぬにや。「平張うつ」などは常の事なり。棧敷構ふるなどいふべし。「護摩たく」といふもわろし。「修する」「護摩する」などいふなり。「行法」も、「法」の字を清みていふ、わろし、濁りていふ。」と清閑寺僧正仰せられき。常にいふ事にかゝることのみ多し。
「門に額を掛けるのを『うつ』というのは、よくないのではないか。勘解由小路二品禅門は『額を掛ける』とおっしゃった。見物の『桟敷をうつ』もよくないのではないか。『平張をうつ』などは常のことである。桟敷は『構える』などと言うべきだ。『護摩をたく』というのも悪い。『修する』『護摩する』などと言うのである。『行法』も、『法』の字を清んで言うのは悪く、濁って言う」と、清閑寺僧正がおっしゃいました。
常に言うことに、こうしたことばかりが多いのです。