いにしえの文 › 徒然草(所在なきままに書きつけた草) › 全一巻

第161〜180段161~180단

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 徒然草 · 吉田兼好 · 元弘元年〜2年(1331年頃)成立 · 段落 20 · 漢字 4,774字 · 朗読 11.9分

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 全一巻 「つれづれなるままに、一日中硯に向かって、心に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてどなく書きつけていきますと」 — この一文で始まる243編の短い文章。兼好法師が世を背いた後、無常と人のあり方、花と月、古い法度と当世の風俗を行き来しながら書いた。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」(137段)のように長く引かれる箇所が随所にあり、鼎をかぶった法師や出雲の獅子の像の話のように笑いを誘う断章も混じる。方丈記とともに日本の随筆の二本の柱に数えられる。

1花の盛りは立春から七十五日

花の盛りは、冬至より百五十日とも、時正の後七日ともいへど、立春より七十五日、おほやう違はず。

花の盛りは、冬至から百五十日とも、春分の後七日とも言いますが、立春から七十五日と見れば、おおよそ間違いありません。

2遍昭寺の承仕法師が雁を殺す

遍昭寺の承仕法師、池の鳥を日ごろ飼ひつけて、堂の内まで餌をまきて、戸ひとつをあけたれば、數も知らず入りこもりける後、おのれも入りて、立て篭めて捕へつつ殺しけるよそほひ、おどろ〳〵しく聞えけるを、草刈る童聞きて人に告げければ、村の男ども、おこりて入りて見るに、大鴈どもふためきあへる中に、法師まじりて、うち伏せねぢ殺しければ、この法師を捕へて、所より使廳へ出したりけり。殺すところの鳥を頚にかけさせて、禁獄せられけり。基俊大納言別當の時になむ侍りける。

遍昭寺の承仕(じょうじ)法師が、池の鳥を日ごろ飼いならして餌づけし、お堂の中にまで餌をまいて戸を一つ開けておきました。数えきれないほど入り込んだ後で、自分も中に入り、戸を閉め切って捕らえては殺しました。その物音がただならぬものに聞こえました。

草を刈っていた童がそれを聞いて人に知らせたので、村の男たちが押しかけて入って見ると、大きな雁どもが羽ばたき騒ぐ中に法師が混じって、押し伏せ、ねじ殺していました。

この法師を捕らえ、土地の役所から使庁(しちょう)へ引き渡しました。殺した鳥を首に掛けさせて、牢に入れられました。基俊大納言が別当であったころのことでした。

3太衝の「太」の字に点を打つか

太衝の太の字、點打つ打たずといふこと、陰陽のともがら相論のことありけり。もりちか入道申し侍りしは、「吉平が自筆の占文の裏に書かれたる御記、近衞關白殿にあり。點うちたるを書きたり。」と申しき。

太衝(たいしょう)の「太」の字に点を打つか打たないかということで、陰陽道の人々の間に議論がありました。

もりちか入道が申しましたのは、「吉平(よしひら)自筆の占文の裏に書かれた御記が、近衛関白殿にあります。点を打ったかたちで書かれています」ということでした。

4会えば必ず無益な話をする

世の人相逢ふ時、しばらくも默止することなし、必ず言葉あり。そのことを聞くに、おほくは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために失多く得少し。これをかたる時、互の心に、無益のことなりといふことを知らず。

世の人が出会うとき、しばらくも黙っていることがなく、必ず言葉を交わします。その話を聞いてみると、多くは無益な話です。

世間の浮いた噂や人の是非は、自分にも他人にも失うものが多く、得るものは少ないのです。

これを語るとき、互いの心に、無益なことだということがわかっていません。

5自分の土地でないところに交じって住む姿

東の人の、都の人に交はり、都の人の、東に行きて身をたて、また本寺本山をはなれぬる顯密の僧、すべてわが俗にあらずして、人にまじはれる、見ぐるし。

東国の人が都の人に交わり、都の人が東国へ行って身を立て、また本寺本山を離れた顕密(けんみつ)の僧が、およそ自分の土地でないところで人に交じっているのは、見苦しいものです。

6春の日に雪の仏を造って

人間の營みあへる業を見るに、春の日に雪佛を造りて、その爲に金銀珠玉の飾りを營み、堂塔を建てむとするに似たり。その構へを待ちてよく安置してむや。人の命ありと見る程も、下より消ゆる事、雪の如くなるうちに、いとなみ待つこと甚だ多し。

人々が互いに営んでいる仕事を見ると、春の日に雪の仏を造って、そのために金銀珠玉の飾りを整え、堂塔を建てようとするのに似ています。その支度を待って、うまく安置できるでしょうか。

人の命があると見える間にも、下から消えてゆくことは雪のようであるのに、営んで待つことが実に多いのです。

7自分の道を誇って人と争うな

一道に携はる人、あらぬ道の席に臨みて、「あはれ我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを。」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覺ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覺えば、「あな羨まし、などか習はざりけむ。」と言ひてありなむ。我が智を取り出でて人に爭ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙を噛み出す類なり。人としては善にほこらず、物と爭はざるを徳とす。他に勝る事のあるは大きなる失なり。品の高さにても、才藝のすぐれたるにても、先祖の譽にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干の科あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知るゆゑに、志常に滿たずして、つひに物に誇ることなし。

一つの道に携わる人が、自分の道でない席に臨んで、「ああ、自分の道であったなら、こうして他人事のように見てはいないだろうに」と言い、心にもそう思うことは、よくあることですが、世間では悪く思われます。

知らない道がうらやましく思われるなら、「ああうらやましい。どうして習っておかなかったのだろう」と言っておけばよいのです。

自分の知恵を取り出して人と争うのは、角のあるものが角を傾け、牙のあるものが牙をむき出すのと同じ類です。

人としては、善を誇らず、人と争わないことを徳とします。人より勝っているところがあるのは、大きな失です。

身分の高さでも、才芸の優れたことでも、先祖の誉れでも、人より勝っていると思っている人は、たとえ言葉に出して言わなくても、心の内にいくつもの咎があります。慎んでこれを忘れるべきです。

愚かにも見え、人にもそしられ、災いまで招くのは、ただこの慢心です。

一つの道に本当に長じた人は、自分でその非をはっきりと知っているので、志が常に満たされず、ついに何かを誇ることがありません。

8年老いた人の優れた才

年老いたる人の、一事すぐれたる才能ありて、「この人の後には、誰にか問はむ。」などいはるゝは、老の方人にて、生けるも徒らならず。さはあれど、それもすたれたる所のなきは、「一生この事にて暮れにけり。」と拙く見ゆ。「今はわすれにけり。」といひてありなむ。大方は知りたりとも、すゞろにいひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも辨へ知らず。」などいひたるは、なほ實に道のあるじとも覺えぬべし。まして知らぬこと、したり顔に、おとなしくもどきぬべくもあらぬ人のいひ聞かするを、「さもあらず。」と思ひながら聞き居たる、いとわびし。

年老いた人が一つ優れた才能を持っていて、「この人の後には誰に尋ねようか」などと言われるのは、老いの味方となるもので、生きていることも無駄ではありません。

そうはいっても、それも衰えたところがないと、「一生をこのことで暮れてしまったのだな」と拙く見えます。「今は忘れてしまいました」と言っておけばよいのです。

だいたいは知っていても、むやみに言い散らすのは、それほどの才ではないのかと聞こえ、自然に誤りも出てくるものです。「確かにわきまえ知ってはおりません」などと言うほうが、かえって本当にその道の主とも思われるでしょう。

まして知らないことを知った顔で、大人らしく反論もできないような人が言って聞かせるのを、「そうではないのだが」と思いながら聞いて座っているのは、まったくつらいことです。

9「何事の式」という言葉

「何事の式といふ事は、後嵯峨の御代迄はいはざりけるを、近き程よりいふ詞なり。」と、人の申し侍りしに、建禮門院の右京大夫、後鳥羽院の御位の後、また内裏住したることをいふに、「世の式も變りたる事はなきにも。」と書きたり。

「何事の式ということは、後嵯峨の御代までは言わなかったのを、近いころから言う言葉です」と、ある人が申しました。

ところが建礼門院の右京大夫が、後鳥羽院が御位にお就きになった後、再び内裏に住んだことを述べて、「世の式も変わったことはないけれど」と書いています。

10用もなく人の家へ行くこと

さしたる事なくて人の許行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果てなば疾く歸るべし。久しく居たる、いとむつかし。人と對ひたれば、詞多く、身もくたびれ、心も靜かならず、萬の事さはりて時を移す、互のため益なし。厭はしげにいはむもわろし、心づきなき事あらむをりは、なか〳〵その由をもいひてむ。おなじ心に向はまほしく思はむ人の、つれ〴〵にて、「今しばし、今日は心しづかに。」などいはむは、この限りにはあらざるべし。阮籍が青き眼、誰もあるべきことなり。その事となきに、人の來りて、のどかに物語して歸りぬる、いとよし。また文も、「久しく聞えさせねば。」などばかり言ひおこせたる、いと嬉し。

これといった用もなく人の所へ行くのは、よくないことです。用があって行ったとしても、その用が済んだら早く帰るべきです。長く居るのは、とても煩わしいものです。

人と向かい合っていると言葉が多くなり、身も疲れ、心も静かでなく、万事が妨げられて時を過ごすので、互いのために益がありません。

嫌そうに言うのも悪いことです。気に入らないことがあるときは、むしろその理由を言ってしまうほうがよいでしょう。

同じ心で向かい合いたいと思う人が、退屈していて「もう少し、今日は心静かに」などと言うのは、この限りではないでしょう。阮籍(げんせき)の青い眼は、誰にもあってよいことです。

これといった用もないのに人が来て、のどかに話をして帰っていくのは、とてもよいものです。また手紙も、「長くお便りしませんので」などとだけ言ってよこしたのは、とても嬉しいものです。

11貝おおいと碁石弾き — 目の前を見よ

貝をおほふ人の、わが前なるをばおきて、よそを見渡して、人の袖の陰、膝の下まで目をくばる間に、前なるをば人に掩はれぬ。よく掩ふ人は、よそまでわりなく取るとは見えずして、近きばかりを掩ふやうなれど、多く掩ふなり。棊盤のすみに石を立てて彈くに、むかひなる石をまもりて彈くはあたらず。わが手もとをよく見て、こゝなるひじり目をすぐに彈けば、立てたる石必ずあたる。萬のこと外に向きて求むべからず、たゞここもとを正しくすべし。清獻公がことばに、「好事を行じて前程を問ふことなかれ。」といへり。世を保たむ道もかくや侍らむ。内を愼まず、輕くほしきまゝにしてみだりなれば、遠國必ずそむく時、始めて謀をもとむ。「風に當り濕に臥して、病を神靈に訴ふるは愚かなる人なり。」と醫書にいへるが如し。目の前なる人の愁へをやめ、惠みを施し、道を正しくせば、その化遠く流れむことを知らざるなり。禹の行きて三苗を征せしも、師をかへして徳を布くには如かざりき。

貝をおおう遊びをする人が、自分の前にあるものは置いて、よそを見渡し、人の袖の陰や膝の下まで目を配っている間に、自分の前のものを人におおわれてしまいます。

よくおおう人は、よそまで無理に取るようには見えず、近いものだけをおおうようでありながら、多くおおうのです。

碁盤の隅に石を立てて弾くとき、向かいの石ばかりを見て弾くと当たりません。自分の手もとをよく見て、ここにある目を真っすぐに弾けば、立てておいた石が必ず当たります。

万事、外に向かって求めるべきではなく、ただ自分の足もとを正しくすべきです。

清献公(せいけんこう)の言葉に「好事を行って前程を問うな」とあります。世を保つ道も、このようなものでしょう。

内を慎まず、軽々しく思うままにして乱れていると、遠国が必ず背くときになって、初めて計略を求めます。「風に当たり、湿ったところに寝ておいて、病を神霊に訴えるのは愚かな人である」と医書に言っているのと同じです。

目の前の人の憂いをやめさせ、恵みを施し、道を正しくすれば、その感化が遠くまで流れていくということを知らないのです。

禹(う)が出かけて三苗を討ったのも、軍を引き返して徳を広めるのには及びませんでした。

12若いときと老いた後

若き時は血氣内にあまり、心物に動きて、情欲おほし。身をあやぶめて碎け易きこと、珠を走らしむるに似たり。美麗を好みて寶を費し、これを捨てて苔の袂にやつれ、勇める心盛りにして物と爭ひ、心に恥ぢ羨み、好む所日々に定まらず、色に耽り情にめで、行ひを潔くして百年の身を誤り、命を失へたるためし願はしくして、身の全く久しからむことをば思はず。すけるかたに心ひきて、ながき世語りともなる。身をあやまつことは、若き時のしわざなり。老いぬる人は精神衰へ、淡くおろそかにして、感じ動くところなし。心おのづから靜かなれば、無益のわざをなさず、身を助けて愁へなく、人の煩ひなからむことを思ふ。老いて智の若き時にまされること、若くして貌の老いたるにまされるが如し。

若いときは血気が内に余り、心が物に動いて情欲が多いものです。身を危うくして砕けやすいことは、珠を転がすのに似ています。

美しいものを好んで財を費やし、それを捨てては苔の袂にやつれ、勇む心が盛んで人と争い、心に恥じ、羨み、好むところが日々定まりません。色に耽り情に溺れ、行いを潔くするといって百年の身を誤り、命を失った例を願わしく思って、身が全く長く保たれることを思いません。惹かれるほうへ心が引かれて、長く語り継がれる話にもなります。

身を誤るのは、若いときの仕業です。

老いた人は精神が衰え、淡く無頓着になって、感じ動くところがありません。心が自然に静かなので、無益なことをせず、身を助けて憂いがなく、人の煩いにならないようにと思います。

老いて知恵が若いときより勝っているのは、若くて容貌が老いた人より勝っているのと同じです。

13小野小町のこと

小野小町がこと、極めてさだかならず。衰へたるさまは、玉造といふ文に見えたり。この文清行が書けりといふ説あれど、高野大師の御作の目録に入れり。大師は承和のはじめにかくれ給へり。小町が盛りなる事、その後のことにや、なほおぼつかなし。

小野小町のことは、まったくはっきりしません。衰えた様子は『玉造(たまつくり)』という文に見えます。

この文は清行(きよゆき)が書いたという説がありますが、高野大師の御作の目録に入っています。大師は承和のはじめにお亡くなりになりました。小町の盛りであった時期はその後のことではないかと思われ、どうにも心もとないのです。

14小鷹によい犬

小鷹によき犬、大鷹に使ひぬれば、小鷹に惡くなるといふ。大に就き小を捨つる理まことにしかなり。人事多かる中に、道を樂しむより氣味深きはなし。これ實の大事なり。一たび道を聞きて、これに志さむ人、孰れの業かすたれざらむ、何事をか營まむ。愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らむや。

小鷹によい犬を大鷹に使うと、小鷹に悪くなると言います。大を取って小を捨てる理は、まことにそのとおりです。

人の事が多い中で、道を楽しむことより味わいの深いものはありません。これが本当の大事です。

一度道を聞いてこれに志す人なら、どの仕事を捨てられないことがあるでしょう、何を営むことがあるでしょう。愚かな人といっても、賢い犬の心に劣るでしょうか。

15世の中には納得できないことが多い — 酒

世には心得ぬ事の多きなり。友あるごとには、まづ酒をすゝめ、強ひ飮ませたるを興とする事、いかなる故とも心得ず。飮む人の顔、いと堪へ難げに眉をひそめ、人目をはかりて捨てむとし、遁げむとするを捕へて、引き留めて、すゞろに飮ませつれば、うるはしき人も忽ちに狂人となりてをこがましく、息災なる人も目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒れふす。祝ふべき日などはあさましかりぬべし。あくる日まであたまいたく、物食はずによび臥し、生を隔てたるやうにして、昨日のこと覺えず、公私の大事を缺きて煩ひとなる。人をしてかゝる目を見すること、慈悲もなく、禮儀にもそむけり。かく辛き目にあひたらむ人、ねたく口惜しと思はざらむや。他の國にかゝる習ひあなりと、これらになき人事にて傳へ聞きたらむは、あやしく不思議に覺えぬべし。人の上にて見たるだに、心うし。思ひ入りたるさまに心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひのゝしり、詞おほく、烏帽子ゆがみ、紐はづし、脛高くかゝげて、用意なきけしき、日頃の人とも覺えず。女は額髪はれらかに掻きやり、まばゆからず、顔うちさゝげてうち笑ひ、杯持てる手に取りつき、よからぬ人は、肴とりて口にさしあて、みづからも食ひたる、さまあし。聲の限り出して、おの〳〵謠ひ舞ひ、年老いたる法師召し出されて、黑く穢き身を肩ぬぎて、目もあてられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましく憎し。あるはまた我が身いみじき事ども、傍痛くいひ聞かせ、あるは醉ひ泣きし、下ざまの人はのりあひ諍ひて、淺ましく、恐ろしく、はぢがましく、心憂き事のみありて、はては許さぬ物どもおし取りて、縁より落ち、馬車より落ちてあやまちしつ。物にも乘らぬ際は、大路をよろぼひ行きて、築地、門の下などに向きて、えもいはぬ事ども爲ちらし、年老い袈裟かけたる法師の、小童の肩をおさへて、聞えぬ事どもいひつゝよろめきたる、いとかはゆし。かゝる事をしても、この世も後の世も、益あるべき業ならば如何はせむ。この世にては過ち多く、財を失ひ、病をまうく。百藥の長とはいへど、萬の病は酒よりこそ起れ。憂へを忘るといへど、醉ひたる人ぞ、過ぎにし憂さをも思ひ出でて泣くめる。後の世は、人の智惠を失ひ、善根を燒く事火の如くして、惡を増し、萬の戒を破りて、地獄に墮つべし。「酒をとりて人に飮ませたる人、五百生が間手なき者に生る。」とこそ、佛は説き給ふなれ。かく疎ましと思ふものなれど、おのづから捨て難き折もあるべし。月の夜、雪の朝、花のもとにても、心のどかに物語して、杯いだしたる、萬の興を添ふるわざなり。つれ〴〵なる日、思ひの外に友の入り來て、取り行ひたるも心慰む。なれ〳〵しからぬあたりの御簾のうちより、御菓子、御酒など、よきやうなるけはひしてさし出されたる、いとよし。冬せばき所にて、火にて物いりなどして、隔てなきどちさし向ひて多く飮みたる、いとをかし。旅の假屋、野山などにて、「御肴何。」などいひて、芝の上にて飮みたるもをかし。いたういたむ人の、強ひられて少し飮みたるもいとよし。よき人のとりわきて、「今一つ、上すくなし。」などのたまはせたるも嬉し。近づかまほしき人の上戸にて、ひし〳〵と馴れぬる、また嬉し。さはいへど、上戸はをかしく罪許さるゝものなり。醉ひくたびれて朝寐したる所を、主人の引きあけたるに、まどひて、ほれたる顔ながら、細き髻さしいだし、物も著あへず抱きもち、引きしろひて逃ぐるかいどり姿のうしろ手、毛おひたる細脛のほど、をかしくつき〴〵し。

世の中には納得できないことが多いものです。友がいるたびにまず酒を勧め、無理に飲ませるのを興とすることは、どういうわけなのかわかりません。

飲む人の顔はひどく堪えがたそうに眉をひそめ、人目をうかがって捨てようとし、逃げようとするのを捕らえ、引き留めて、むやみに飲ませます。すると端正な人もたちまち狂人のようになって愚かしく、無病の人も目の前で大病人となって、前後もわからず倒れ伏します。

祝うべき日などには、あきれるほかありません。翌日まで頭が痛み、物も食べられずうなって寝込み、生を隔てたようになって昨日のことを覚えておらず、公私の大事を欠いて災いとなります。

人にこういう目を見せることは、慈悲もなく、礼儀にも背いています。こんなつらい目に遭った人が、憎く悔しいと思わないでしょうか。

ほかの国にこういう習わしがあるそうだと、自分たちにないこととして伝え聞いたなら、怪しく不思議に思われたでしょう。

人の身の上として見てさえ、情けないものです。思慮深い様子で奥深く見えた人も、何の考えもなく笑いののしって言葉が多くなり、烏帽子(えぼし)が傾き、紐が解け、脛を高くまくり上げて、用意のない姿は、日ごろのその人とも思えません。

女は額髪をあらわにかき上げ、恥ずかしがりもせず顔を上げて笑い、杯を持つ手に取りつきます。品のない人は、肴を取って人の口にあてがい、自分でも食べるので、みっともありません。

声の限りを出してそれぞれ謡い舞い、年老いた法師を呼び出して、黒く汚れた身を肩まで脱がせ、目も当てられない身ぶりでねじるのを、おもしろがって見る人までもが疎ましく憎いものです。

ある人はまた自分の自慢話を、傍が痛くなるほど言って聞かせ、ある人は酔い泣きし、下の者たちは罵り合って争い、あきれ、恐ろしく、恥ずかしく、情けないことばかりあって、果ては許しも得ない物を奪い取り、縁から落ち、馬や車から落ちて怪我をします。

乗り物にも乗れない者は、大路をよろめき歩いて、築地(ついじ)や門の下などに向かって、言うに堪えないことをし散らします。年老いて袈裟をかけた法師が、小さな童の肩を押さえて、聞き取れないことを言いながらよろめいているのは、まったく気の毒です。

こういうことをしても、この世も後の世も益のある行いであるならどうしようもありませんが、この世では過ちが多く、財を失い、病を得ます。百薬の長とは言いますが、あらゆる病は酒から起こります。憂いを忘れると言いますが、酔った人こそ、過ぎ去った憂さまで思い出して泣くようです。

後の世では、人の知恵を失わせ、善根を焼くことが火のようで、悪を増し、あらゆる戒を破って地獄に落ちるでしょう。「酒を取って人に飲ませた人は、五百生の間、手のない者に生まれる」と、仏はお説きになったそうです。

これほど疎ましいと思うものですが、自然に捨てがたいときもあるでしょう。

月の夜、雪の朝、花の下で、心のどかに語りながら杯を出すのは、あらゆる興を添える行いです。退屈な日に、思いのほか友が入って来て一献用意したのも、心が慰みます。

馴れ馴れしくもない家の御簾の内から、御菓子や御酒などを、よい風情で差し出されるのも、とてもよいものです。冬、狭いところで火にものを炙りなどして、隔てのない者同士が向かい合って多く飲むのも、とてもおもしろいものです。

旅の仮屋や野山などで、「御肴は何に」などと言って、芝の上で飲むのもおもしろいものです。ひどく苦しがる人が、無理に勧められて少し飲むのも、とてもよいものです。

よい方が格別に「もう一つ、杯が少ないようだ」などとおっしゃるのも嬉しいものです。近づきたいと思う人が上戸(じょうご)で、すぐに打ち解けるのも、また嬉しいものです。

そうは言っても、上戸はおかしく、罪が許されるものです。

酔い疲れて朝寝しているところを主人が引き開けると、慌てて、ぼんやりした顔のまま細い髻(もとどり)を差し出し、着物も着ないまま抱え持ち、引っ張り合って逃げる、裾をたくし上げた後ろ姿、毛の生えた細い脛のあたりは、おかしくも似つかわしいものです。

16黒戸(くろど)という部屋

黑戸は、小松の御門位に即かせ給ひて、昔唯人に坐しし時、まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで常に營ませ給ひける間なり。御薪に煤けたれば黑戸といふとぞ。

黒戸は、小松の帝が御位にお就きになって、昔ただの人でいらしたときになさっていた不器用な仕事をお忘れにならず、常になさっていた部屋です。御薪(みかまぎ)の煤がついたので黒戸と言うのだそうです。

17鋸の屑と乾いた砂

鎌倉の中書王にて御鞠ありけるに、雨ふりて後未だ庭の乾かざりければ、いかゞせむと沙汰ありけるに、佐々木隱岐入道、鋸の屑を車に積みておほく奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土のわづらひ無かりけり。「とりためけむ用意ありがたし。」と人感じあへりけり。この事をある者の語り出でたりしに、吉田中納言の、「乾き砂子の用意やはなかりける。」とのたまひたりしかば、恥しかりき。いみじと思ひける鋸の屑、賤しく異樣のことなり。庭の儀を奉行する人、乾き砂子をまうくるは、故實なりとぞ。

鎌倉の中書王のお邸で蹴鞠がありましたが、雨が降った後でまだ庭が乾いていませんでした。どうしようかと相談していたところ、佐々木隠岐入道が鋸(のこぎり)の屑を車に積んで多く差し上げたので、庭一面に敷かれて、泥土の煩いがありませんでした。

「取りためておいた用意がありがたい」と、人々が感じ入りました。

このことをある者が語り出したところ、吉田中納言が「乾いた砂の用意はなかったのか」とおっしゃったので、恥ずかしいことでした。

立派だと思っていた鋸の屑は、賤しく風変わりなことだったのです。庭のことを奉行する人が乾いた砂を用意するのが、故実(こじつ)なのだそうです。

18宝剣を持つのは誰か

ある所の侍ども、内侍所の御神樂を見て人に語るとて、「寶劒をばその人ぞ持ち給へる。」などいふを聞きて、内裏なる女房の中に、「別殿の行幸には、晝御座の御劒にてこそあれ。」と忍びやかにいひたりし、心憎かりき。その人、ふるき典侍なりけるとかや。

ある所の侍たちが、内侍所(ないしどころ)の御神楽を見て人に語るというので、「宝剣はあの方がお持ちになっていた」などと言うのを聞きました。

内裏にいた女房たちの中で、「別殿への行幸には、昼の御座の御剣でするものですよ」と忍びやかに言ったのが、奥深く感じられました。

その人は、古参の典侍(ないしのすけ)だったとかいうことです。

19那蘭陀寺の大門の向き

入宋の沙門道眼上人、一切經を持來して、六波羅のあたり、燒野といふ所に安置して、殊に首楞嚴經を講じて、那蘭陀寺と號す。その聖の申されしは、「那蘭陀寺は大門北むきなりと、江帥の説とていひ傳へたれど、西域傳、法顯傳などにも見えず、更に所見なし。江帥はいかなる才覺にてか申されけむ、おぼつかなし。唐土の西明寺は北向き勿論なり。」と申しき。

宋に渡った沙門道眼上人が一切経を持ち帰り、六波羅のあたり、焼野というところに安置して、特に『首楞厳経(しゅりょうごんきょう)』を講じ、那蘭陀寺(ならんだじ)と名づけました。

その聖がおっしゃったのは、「那蘭陀寺は大門が北向きだと、江帥(ごうのそち)の説として言い伝えていますが、『西域伝』や『法顕伝』などにも見えず、まったく根拠がありません。江帥はどのような考えで申されたのか、心もとないことです。唐土の西明寺が北向きであるのは、もちろんです」ということでした。

20左義長(さぎちょう)ということ

さぎちやうは、正月に打ちたる毬杖を、真言院より神泉苑へ出して燒きあぐるなり。法成就の池にこそと囃すは、神泉苑の池をいふなり。

さぎちょうは、正月に打った毬杖(ぎっちょう)を、真言院から神泉苑へ出して焼き上げるものです。

「法成就(ほうじょうじゅ)の池にこそ」と囃すのは、神泉苑の池のことを言います。