第181〜200段181~200단
1「降れ降れ粉雪」という歌
「降れ〳〵粉雪、たんばの粉雪といふ事、米搗き篩ひたるに似たれば粉雪といふ。たまれ粉雪といふべきを、誤りて『たんばの』とは言ふなり。垣や木の股にとうたふべし。」と或ものしり申しき。昔よりいひけることにや。鳥羽院をさなくおはしまして、雪の降るにかく仰せられけるよし、讚岐典侍が日記に書きたり。
「『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』ということは、米を搗いて篩にかけたものに似ているので粉雪と言うのです。『たまれ粉雪』と言うべきところを、誤って『たんばの』と言うのです。『垣や木の股に』と歌うべきです」と、ある物知りが申しました。
昔から言っていたことでしょうか。鳥羽院が幼くいらしたとき、雪が降るのにこうおっしゃったということが、讃岐典侍の日記に書かれています。
2乾鮭を差し上げたこと
四條大納言隆親卿、乾鮭といふものを供御に參らせられたりけるを、「かく怪しきもの參るやうあらじ。」と人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚まゐらぬことにてあらむにこそあれ。鮭の素干なでふことかあらむ。鮎の素干はまゐらぬかは。」と申されけり。
四条大納言隆親卿が、乾鮭(からざけ)というものを供御(くご)に差し上げられました。「このような怪しいものを差し上げる作法はありません」と人が申すのをお聞きになって、大納言は「鮭という魚を差し上げないというのならともかく、鮭の素干しに何の差し支えがあろうか。鮎の素干しは差し上げないのか」と申されました。
3角を切り耳を切る印
人突く牛をば角を切り、人くふ馬をば耳を切りてそのしるしとす。しるしをつけずして人をやぶらせぬるは、主の科なり。人くふ犬をば養ひ飼ふべからず。これみな科あり、律の禁なり。
人を突く牛は角を切り、人を食う馬は耳を切って、その印とします。印をつけずに人を傷つけさせたのは、持ち主の罪です。
人を食う犬は養い飼ってはなりません。これらはみな罪があり、律の禁じるところです。
4松下禅尼が障子を手ずから張る
相模守時頼の母は、松下禪尼とぞ申しける。守を入れ申さるゝことありけるに、煤けたるあかり障子の破ればかりを、禪尼手づから小刀して切りまはしつゝ張られければ、兄の城介義景、その日の經營して候ひけるが、「たまはりて、なにがし男に張らせ候はむ。さやうの事に心得たるものに候。」と申されければ、「その男、尼が細工によも勝り侍らじ。」とてなほ一間づゝ張られけるを、義景、「皆を張りかへ候はむは、遙かにたやすく候べし。斑に候も見苦しくや。」と、重ねて申されければ、「尼も後はさわ〳〵と張りかへむと思へども、今日ばかりはわざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理して用ゐることぞと、若き人に見ならはせて、心づけむ爲なり。」と申されける、いと有り難かりけり。世を治むる道、儉約を本とす。女性なれども聖人の心に通へり。天下をたもつほどの人を子にて持たれける、誠にたゞ人にはあらざりけるとぞ。
相模守時頼の母は、松下禅尼と申しました。守をお招き入れになることがありましたが、煤けた明かり障子の破れた所だけを、禅尼が手ずから小刀で切り回しながら張られました。
兄の城介義景(じょうのすけよしかげ)が、その日の世話をしておりましたが、「私が承って、誰それという男に張らせましょう。そういうことに心得のある者です」と申されました。
「その男が、尼の細工にまさることは、よもやありますまい」とおっしゃって、なお一間ずつ張られました。
義景が「全部を張り替えますほうが、はるかにたやすうございましょう。斑(まだら)なのも見苦しくはありませんか」と重ねて申されると、「尼も後にはさっぱりと張り替えようと思いますが、今日だけはわざとこうしておくべきなのです。物は破れた所だけを修理して用いるものだと、若い人に見ならわせて、気づかせるためです」と申されました。まことに尊いことでした。
世を治める道は、倹約を本とします。女性ではあっても、聖人の心に通じていました。天下を保つほどの人を子にお持ちになったのは、まことにただ人ではなかったのだということです。
5泰盛 — 馬を見る眼
城陸奧守泰盛は雙なき馬乘なりけり。馬を引き出でさせけるに、足をそろへて閾をゆらりと超ゆるを見ては、「これは勇める馬なり。」とて鞍を置きかへさせけり。また足を伸べて閾に蹴あてぬれば、「これは鈍くして過ちあるべし。」とて乘らざりけり。道を知らざらむ人、かばかり恐れなむや。
城陸奥守泰盛(じょうのむつのかみやすもり)は、並ぶ者のない馬乗りでした。馬を引き出させて、足をそろえて敷居をゆらりと越えるのを見ては、「これは勇む馬である」と言って、鞍を別の馬に置き替えさせました。
また足を伸ばして敷居に蹴り当てると、「これは鈍くて過ちがあるだろう」と言って乗りませんでした。
その道を知らない人が、これほど恐れるでしょうか。
6吉田という馬乗りの秘伝
吉田と申す馬乘の申し侍りしは、「馬毎にこはきものなり。人の力爭ふべからずと知るべし。乘るべき馬をばまづよく見て、強き所弱き所を知るべし。次に轡鞍の具に危きことやあると見て、心にかゝる事あらば、その馬を馳すべからず。この用意を忘れざるを馬乘とは申すなり、これ秘藏のことなり。」と申しき。
吉田と申す馬乗りが申しましたのは、こうです。「馬はどれも強情なものです。人の力で争うべきではないと知るべきです。乗る馬をまずよく見て、強い所と弱い所を知るべきです。次に轡(くつわ)や鞍の具に危ういことはないかと見て、心にかかることがあれば、その馬を走らせてはなりません。この用意を忘れないのを馬乗りと申すのです。これが秘蔵のことです」
7慎む不得手が、気ままな上手に勝つ
萬の道の人、たとひ不堪なりといへども、堪能の非家の人にならぶ時、必ずまさることは、たゆみなく愼みて輕々しくせぬと、偏に自由なるとの等しからぬなり。藝能所作のみにあらず、大方の振舞、心づかひも、愚かにして謹めるは得の本なり、巧みにしてほしきまゝなるは失の本なり。
あらゆる道の人が、たとえ不得手であっても、その道の者でない人のうちの上手な者と並ぶとき、必ずまさるのは、たゆむことなく慎んで軽々しくしないことと、ひたすら気ままであることとが、同じでないからです。
芸能や所作だけではありません。ひととおりの振る舞いや心づかいも、愚かであっても慎んでいるのは得の本であり、巧みであっても気ままなのは失の本です。
8馬乗りと早歌を習って説経を学べなかった法師
ある者、子を法師になして、「學問して因果の理をも知り、説經などして世渡るたづきともせよ。」といひければ、教のまゝに説經師にならむ爲に、まづ馬に乘りならひけり。「輿、車もたぬ身の、導師に請ぜられむ時、馬など迎へにおこせたらむに、桃尻にて落ちなむは心憂かるべし。」と思ひけり。次に、「佛事の後、酒など勸むることあらむに、法師のむげに能なきは、檀那すさまじく思ふべし。」とて、早歌といふ事をならひけり。二つのわざやう〳〵境に入りければ、愈よくしたく覺えて嗜みける程に、説經習ふべき暇なくて年よりにけり。この法師のみにもあらず、世間の人なべてこの事あり。若きほどは諸事につけて、身をたて、大きなる道をも成し、能をもつき、學問をもせむと、行末久しくあらます事ども、心にはかけながら、世をのどかに思ひてうち怠りつゝ、まづさしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日をおくれば、事毎になすことなくして身は老いぬ。つひにものの上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれどもとり返さるゝ齡ならねば、走りて坂をくだる輪の如くに衰へゆく。されば一生のうち、むねとあらまほしからむことの中に、いづれか勝ると、よく思ひくらべて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひすてて、一事を勵むべし。一日の中一時のうちにも、數多のことの來らむ中に、すこしも益のまさらむことを營みて、その外をばうち捨てて、大事をいそぐべきなり。いづかたをも捨てじと心にとりもちては、一事も成るべからず。たとへば棊をうつ人、一手もいたづらにせず、人にさきだちて、小をすて大につくが如し。それにとりて、三つの石をすてて、十の石につくことは易し。十をすてて十一につくことは、かたし。一つなりとも勝らむかたへこそつくべきを、十までなりぬれば惜しく覺えて、多くまさらぬ石には換へにくし。これをも捨てず、かれをも取らむと思ふこゝろに、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。京に住む人、急ぎて東山に用ありて既に行きつきたりとも、西山に行きてその益まさるべきを思ひえたらば、門よりかへりて西山へゆくべきなり。「こゝまで來著きぬれば、この事をばまづいひてむ、日をささぬことなれば、西山の事はかへりてまたこそ思ひたためと思ふ故に、一時の懈怠すなはち一生の懈怠となる。これをおそるべし。一事を必ず成さむと思はば、他の事の破るゝをも痛むべからず。人のあざけりをも恥づべからず。萬事にかへずしては一の大事成るべからず。人のあまたありける中にて、あるもの、「ますほの薄まそほの薄などいふことあり。渡邊のひじり、この事を傳へ知りたり。」と語りけるを、登蓮法師その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑笠やある、貸したまへ。かの薄のことならひに、渡邊の聖のがり尋ねまからむ。」といひけるを、「あまりに物さわがし。雨やみてこそ。」と人のいひければ、「無下の事をも仰せらるゝものかな。人の命は雨の晴間を待つものかは、我も死に、聖もうせなば、尋ね聞きてむや。」とて、はしり出でて行きつゝ、習ひ侍りにけりと申し傳へたるこそ、ゆゝしくありがたう覺ゆれ。「敏きときは則ち功あり。」とぞ、論語といふ文にも侍るなる。この薄をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁をぞ思ふべかりける。
ある者が、子を法師にして、「学問して因果の理も知り、説経などで世を渡る手だてともせよ」と言いました。
教えのとおり説経師になるために、まず馬乗りを習いました。「輿も車も持たない身で、導師に招かれるとき、馬などを迎えに寄こされたなら、桃尻で落ちるのは情けないことだろう」と思ったのです。
次に、「仏事の後、酒などを勧めることがあるときに、法師にまったく芸がないのでは、檀那が興をさますだろう」と言って、早歌(そうか)というものを習いました。
二つの芸がようやく境に入ると、いよいようまくなりたく思って嗜んでいるうちに、説経を習う暇がなくて年を取ってしまいました。
この法師だけではなく、世間の人はおおむねこういうことがあります。若いうちは、あらゆることについて身を立て、大きな道も成し、芸も身につけ、学問もしようと、行く末長くやるつもりのことを心にかけながら、世をのどかに思って怠りつつ、まず差し当たった目の前のことにばかり紛れて月日を送ります。そうして事ごとに成すところなく、身は老いてしまいます。ついに物の上手にもならず、思ったように身を保つこともできません。悔いても取り返せる齢ではないので、走って坂を下る輪のように衰えていきます。
ですから一生のうち、主にやりたいと思うことの中で、どれが勝るかをよく思い比べて、第一のことを考え定め、そのほかは思い捨てて、一事に励むべきです。
一日のうち、一時のうちにも数多くのことが来るでしょうが、その中で少しでも益の勝ることを営んで、そのほかは打ち捨てて、大事を急ぐべきです。どちらも捨てまいと心に持っていては、一事も成りません。
たとえば碁を打つ人が、一手も無駄にせず、人に先んじて小を捨て大につくのと同じです。ただそのうちでも、三つの石を捨てて十の石につくことはたやすいのです。十を捨てて十一につくことは難しいのです。一つでも勝るほうへつくべきなのに、十までになると惜しく思われて、大きく勝らない石とは換えにくいのです。これも捨てず、あれも取ろうと思う心では、あれも得ず、これも失う道です。
京に住む人が、急いで東山に用があって、すでに行き着いたとしても、西山へ行ってその益が勝ると思い至ったなら、門から帰って西山へ行くべきです。「ここまで来着いたのだから、このことをまず言ってしまおう。日を決めたことではないから、西山のことは帰ってまた考えよう」と思うために、一時の怠りがそのまま一生の怠りとなります。これを恐れるべきです。
一事を必ず成そうと思うなら、ほかの事が破れるのを痛むべきではありません。人のあざけりを恥じるべきでもありません。万事と引き換えにしなければ、一つの大事は成りません。
人が多くいた中で、ある者が「『ますほの薄』『まそほの薄』などということがあります。渡辺の聖が、このことを伝え知っています」と語りました。登蓮法師がその座におりましたが、これを聞いて、雨が降っているのに「蓑と笠はありますか、お貸しください。あの薄のことを習いに、渡辺の聖のもとへ尋ねて参りましょう」と言いました。
「あまりに気ぜわしいことです。雨がやんでから」と人が言うと、「とんでもないことをおっしゃるものだ。人の命は雨の晴れ間を待ってくれるものか。私も死に、聖も亡くなったら、尋ねて聞くことができようか」と言って、走り出て行き、習ったのだと言い伝えているのは、立派で尊く思われます。
「敏きときは則ち功あり」と、『論語』という文にもあるそうです。この薄をいぶかしく思ったように、一大事の因縁を思うべきであったのです。
9今日はそのことをしようと思ったけれど
今日はその事をなさむと思へど、あらぬ急ぎまづ出で來て紛れ暮し、待つ人は障りありて、頼めぬ人はきたり、頼みたる方のことはたがひて、思ひよらぬ道ばかりはかなひぬ。煩はしかりつる事はことなくて、安かるべき事はいと心苦し。日々に過ぎゆくさま、かねて思ひつるに似ず。一年のこともかくの如し。一生の間もまたしかなり。かねてのあらまし、皆違ひゆくかと思ふに、おのづから違はぬ事もあれば、いよ〳〵ものは定めがたし。不定と心得ぬるのみ、誠にて違はず。
今日はそのことをしようと思っても、思わぬ急用がまず出てきてそれに紛れて日を過ごし、待っている人は差し支えがあって来ず、頼みにしない人が来て、頼んだ方のことは食い違い、思いもよらない方だけがかないます。
煩わしそうだったことは何事もなく、たやすいはずのことが、ひどく心を苦しめます。
日々に過ぎていく様子は、あらかじめ思っていたのと似ていません。一年のこともこのとおりです。一生の間もまた同じです。
あらかじめの見込みがみな食い違っていくかと思うと、自然に食い違わないこともあるので、いよいよ物は定めがたいのです。
定まらないものと心得ておくことだけが、まことであって食い違いません。
10妻というもの
妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。「いつも獨り住みにて。」など聞くこそ心憎けれ。「たれがしが婿になりぬ。」とも、又、「いかなる女をとりすゑて相住む。」など聞きつれば、無下に心劣りせらるゝわざなり。「異なることなき女を、よしと思ひ定めてこそ、添ひ居たらめ。」と、賤しくもおし測られ、よき女ならば、「この男こそらうたくして、あが佛と守りゐたらめ。たとへば、さばかりにこそ。」と覺えぬべし。まして家の内を行ひをさめたる女、いと口惜し。子など出できて、かしづき愛したる、心憂し。男なくなりて後、尼になりて年よりたる有樣、亡きあとまで淺まし。いかなる女なりとも、明暮そひ見むには、いと心づきなく憎かりなむ。女のためも、半空にこそならめ。よそながら時々通ひ住まむこそ、年月へても絶えぬなからひともならめ。あからさまに來て、泊り居などせむは、めづらしかりぬべし。
妻というものこそ、男が持つべきでないものです。「いつも独り住みで」などと聞くのが奥ゆかしいのです。
「誰それの婿になった」とも、また「どんな女を迎えて一緒に住んでいる」などと聞けば、まったく見劣りさせられることです。
大したことのない女を、よいと思い定めて連れ添っているのだろうと、賤しくも推し量られ、よい女であれば、「この男こそかわいがられて、我が仏と守られているのだろう。まあ、その程度のものだろう」と思われるでしょう。
まして家の内を取りしきっている女は、まったく残念なことです。子などが出てきて、かしずき愛しているのは情けないものです。男が亡くなった後、尼になって年を取った有様は、死んだ後まであさましいものです。
どんな女であっても、明け暮れ添って見ていれば、まったく気に入らず憎くなるでしょう。女のためにも、中途半端なことになるでしょう。
離れたまま時々通って住むのこそ、年月を経ても絶えない仲ともなるでしょう。ふいに来て泊まったりするのは、珍しく思われるでしょう。
11夜は映えがないという言葉
夜に入りて物のはえ無しといふ人、いと口惜し。萬の物のきら、飾り、色ふしも、夜のみこそめでたけれ。晝は事そぎ、およすげたる〈ママ〉姿にてもありなむ。夜はきらゝかに花やかなる裝束いとよし。人のけしきも、夜の火影ぞよきはよく、物いひたる聲も、暗くて聞きたる、用意ある、心憎し。匂ひも物の音も、たゞ夜ぞひときはめでたき。さして異なる事なき夜、うち更けて參れる人の、清げなる樣したる、いとよし。若きどち心とどめて見る人は、時をも分かぬものなれば、殊にうちとけぬべき折節ぞ、褻晴れなく引きつくろはまほしき。よき男の、日くれてゆするし、女も夜更くる程に、すべりつゝ、鏡とりて顔などつくろひ出づるこそをかしけれ。
夜になると映えがないと言う人は、まったく残念です。あらゆる物の輝きや飾り、色あいも、夜こそすばらしいのです。
昼は簡素で地味な姿でもよいでしょう。夜はきらきらと華やかな装束が、とてもよいのです。
人の様子も、夜の火影でよい人はよく、物を言う声も、暗いところで聞くのは、心づかいがあって奥ゆかしいものです。匂いも物の音も、ただ夜こそひときわすばらしいのです。
これといったこともない夜、更けてから参った人が、こざっぱりとした様子をしているのは、とてもよいものです。
若い者同士、心をとめて見る人は時を分けないものですから、特に気を許しやすい折こそ、ふだんも晴れも分けずに身を整えたいものです。
よい男が日が暮れてから髪を洗い、女も夜が更けるころに、そっと抜け出して鏡を取り、顔などを整えて出てくるのこそ、おもしろいものです。
12神仏にも、人のいない日、夜に参るのがよい
神佛にも、人の詣でぬ日、夜まゐりたる、よし。
神仏にも、人が参らない日、夜に参るのがよいのです。
13自分の境界でないことで争うな
くらき人の、人をはかりて、その智を知れりと思はむ、更に當るべからず。拙き人の、棊うつことばかりに敏くたくみなるは、賢き人のこの藝におろかなるを見て、おのれが智に及ばずと定めて、萬の道のたくみ、わが道を人の知らざるを見て、おのれ勝れたりと思はむこと、大きなるあやまりなるべし。文字の法師、暗證の禪師、互にはかりて、おのれに如かずと思へる、共にあたらず。己が境界にあらざるものをば、爭ふべからず、是非すべからず。
暗い人が人を推し量って、その知恵を知ったと思うのは、決して当たるはずがありません。
拙い人が碁を打つことだけは敏く巧みで、賢い人がこの芸に疎いのを見て、自分の知恵に及ばないと決めてしまうことがあります。あらゆる道の巧者が、自分の道を人が知らないのを見て、自分が優れていると思うのは、大きな誤りでしょう。
文字の法師と暗証の禅師とが互いに推し量って、自分に及ばないと思っているのは、どちらも当たっていません。
自分の境界でないものについては、争うべきではなく、是非を定めるべきでもありません。
14達人が人を見る眼
達人の人を見る眼は、少しも誤る處あるべからず。たとへば、ある人の、世に虚言を構へ出して、人をはかることあらむに、素直に眞と思ひて、いふ儘にはからるゝ人あり。あまりに深く信をおこして、なほ煩はしく虚言を心得添ふる人あり。また何としも思はで、心をつけぬ人あり。又いさゝかおぼつかなく覺えて、たのむにもあらずたのまずもあらで、案じ居たる人あり。又まことしくは覺えねども、人のいふことなれば、さもあらむとて止みぬる人もあり。又さま〴〵に推し心得たるよしして、かしこげに打ちうなづき、ほゝゑみて居たれど、つや〳〵知らぬ人あり。また推し出して、あはれさるめりと思ひながら、なほ誤りもこそあれと怪しむ人あり。又異なるやうも無かりけりと、手を打ちて笑ふ人あり。また心得たれども、知れりともいはず、おぼつかなからぬは、とかくの事なく、知らぬ人と同じ樣にて過ぐる人あり。またこの虚言の本意を、初めより心得て、すこしも欺かず、構へいだしたる人とおなじ心になりて、力をあはする人あり。愚者の中のたはぶれだに、知りたる人の前にては、このさま〴〵の得たる所、詞にても顔にても、かくれなく知られぬべし。ましてあきらかならむ人の、惑へるわれらを見むこと、掌の上のものを見むがごとし。たゞしかやうのおしはかりにて、佛法までをなずらへ言ふべきにはあらず。
達人が人を見る眼は、少しも誤るところがないはずです。
たとえば、ある人が世に偽りを構え出して人を欺くことがあるとき、素直に真実と思って、言うままに欺かれる人がいます。あまりに深く信じて、さらに煩わしく偽りを心得添える人がいます。また何とも思わず、心にとめない人がいます。
また少し心もとなく思われて、信じるでもなく信じないでもなく、考えこんでいる人がいます。また真実らしくは思われないけれども、人の言うことだから、そうもあろうと言ってやめてしまう人もいます。
またさまざまに推し量って心得た風を見せ、賢そうにうなずき、ほほえんでいながら、まったく知らない人がいます。また推し量って、おそらくそうらしいと思いながら、なお誤りもあろうかと怪しむ人がいます。
また格別のこともなかったと、手を打って笑う人がいます。また心得ていながら、知っているとも言わず、心もとなくないところは、とやかく言わず、知らない人と同じ様子で過ごす人がいます。
またこの偽りの本意を初めから心得て、少しも欺かれず、構え出した人と同じ心になって力を合わせる人がいます。
愚か者の中の戯れでさえ、知っている人の前では、このさまざまな心得の程度が、言葉にも顔にも隠れなく知られてしまうでしょう。まして明らかな人が、迷っている私たちを見るのは、掌の上の物を見るようなものでしょう。
ただ、このような推し量りで、仏法までをなぞらえて言うべきではありません。
15田の水に地蔵を洗っていた人
ある人、久我畷を通りけるに、小袖に大口きたる人、木造の地藏を田の中の水におしひたして、ねんごろに洗ひけり。心得がたく見るほどに、狩衣の男二人三人出で來て、「こゝにおはしましけり。」とて、この人を具して往にけり。久我内大臣殿にてぞおはしける。尋常におはしましける時は、神妙にやんごとなき人にておはしけり。
ある人が久我畷(こがなわて)を通ったところ、小袖に大口を着た人が、木造の地蔵を田の中の水に押し浸して、念入りに洗っていました。
訳がわからず見ているうちに、狩衣の男が二人三人出てきて、「ここにおいででした」と言って、この人を連れて行きました。
久我内大臣殿でいらっしゃったのです。ふだんでいらっしゃるときは、神妙で尊い方でいらっしゃいました。
16神社の前で警蹕をすること
東大寺の神輿、東寺の若宮より歸座のとき、源氏の公卿參られけるに、この殿大將にて、先を追はれけるを、土御門相國、「社頭にて警蹕いかゞはべるべからむ。」と申されければ、「隨身のふるまひは、兵仗の家が知る事に候。」とばかり答へ給ひけり。さて後に仰せられけるは、「この相國、北山抄を見て、西宮の説をこそ知られざりけれ。眷属の惡鬼惡神を恐るゝゆゑに、神社にて殊に先を追ふべき理あり。」とぞ仰せられける。
東大寺の神輿が東寺の若宮からお帰りになるとき、源氏の公卿がお供をなさいました。この殿が大将として先を追われたので、土御門相国が「社頭で警蹕(けいひつ)はいかがなものでしょうか」と申されました。
「随身の振る舞いは、兵仗(へいじょう)の家が知ることでございます」とだけお答えになりました。
そうして後におっしゃったのは、「この相国は『北山抄』を見て、西宮の説を知られなかったのだ。眷属の悪鬼悪神を恐れるゆえに、神社では特に先を追うべき理がある」ということでした。
17定額という言葉
諸寺の僧のみにもあらず、定額の女嬬といふこと、延喜式に見えたり。すべて數さだまりたる公人の通號にこそ。
諸寺の僧だけではなく、定額(じょうがく)の女嬬(にょじゅ)ということが『延喜式』に見えます。すべて数の定まった公人の通称なのでしょう。
18揚名介と揚名目
揚名介に限らず、揚名目といふものあり。政事要畧にあり。
揚名介(ようめいのすけ)だけではなく、揚名目というものがあります。『政事要略』にあります。
19唐土は呂の国、我が国は律の国
横川の行宣法印が申しはべりしは、「唐土は呂の國なり、律の音なし。和國は單律の國にて呂の音なし。」と申しき。
横川(よかわ)の行宣法印が申しましたのは、「唐土は呂の国であり、律の音がない。我が国は単律の国で、呂の音がない」ということでした。
20呉竹と河竹
呉竹は葉ほそく、河竹は葉ひろし。御溝にちかきは河竹、仁壽殿の方に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。
呉竹は葉が細く、河竹は葉が広いのです。御溝に近いのが河竹で、仁寿殿の方に寄せて植えられたのが呉竹です。