いにしえの文 › 徒然草(所在なきままに書きつけた草) › 全一巻

第181〜200段181~200단

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 徒然草 · 吉田兼好 · 元弘元年〜2年(1331年頃)成立 · 段落 20 · 漢字 4,690字 · 朗読 11.7分

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 全一巻 「つれづれなるままに、一日中硯に向かって、心に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてどなく書きつけていきますと」 — この一文で始まる243編の短い文章。兼好法師が世を背いた後、無常と人のあり方、花と月、古い法度と当世の風俗を行き来しながら書いた。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」(137段)のように長く引かれる箇所が随所にあり、鼎をかぶった法師や出雲の獅子の像の話のように笑いを誘う断章も混じる。方丈記とともに日本の随筆の二本の柱に数えられる。

1「降れ降れ粉雪」という歌

「降れ〳〵粉雪、たんばの粉雪といふ事、米搗き篩ひたるに似たれば粉雪といふ。たまれ粉雪といふべきを、誤りて『たんばの』とは言ふなり。垣や木の股にとうたふべし。」と或ものしり申しき。昔よりいひけることにや。鳥羽院をさなくおはしまして、雪の降るにかく仰せられけるよし、讚岐典侍が日記に書きたり。

「『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』ということは、米を搗いて篩にかけたものに似ているので粉雪と言うのです。『たまれ粉雪』と言うべきところを、誤って『たんばの』と言うのです。『垣や木の股に』と歌うべきです」と、ある物知りが申しました。

昔から言っていたことでしょうか。鳥羽院が幼くいらしたとき、雪が降るのにこうおっしゃったということが、讃岐典侍の日記に書かれています。

2乾鮭を差し上げたこと

四條大納言隆親卿、乾鮭といふものを供御に參らせられたりけるを、「かく怪しきもの參るやうあらじ。」と人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚まゐらぬことにてあらむにこそあれ。鮭の素干なでふことかあらむ。鮎の素干はまゐらぬかは。」と申されけり。

四条大納言隆親卿が、乾鮭(からざけ)というものを供御(くご)に差し上げられました。「このような怪しいものを差し上げる作法はありません」と人が申すのをお聞きになって、大納言は「鮭という魚を差し上げないというのならともかく、鮭の素干しに何の差し支えがあろうか。鮎の素干しは差し上げないのか」と申されました。

3角を切り耳を切る印

人突く牛をば角を切り、人くふ馬をば耳を切りてそのしるしとす。しるしをつけずして人をやぶらせぬるは、主の科なり。人くふ犬をば養ひ飼ふべからず。これみな科あり、律の禁なり。

人を突く牛は角を切り、人を食う馬は耳を切って、その印とします。印をつけずに人を傷つけさせたのは、持ち主の罪です。

人を食う犬は養い飼ってはなりません。これらはみな罪があり、律の禁じるところです。

4松下禅尼が障子を手ずから張る

相模守時頼の母は、松下禪尼とぞ申しける。守を入れ申さるゝことありけるに、煤けたるあかり障子の破ればかりを、禪尼手づから小刀して切りまはしつゝ張られければ、兄の城介義景、その日の經營して候ひけるが、「たまはりて、なにがし男に張らせ候はむ。さやうの事に心得たるものに候。」と申されければ、「その男、尼が細工によも勝り侍らじ。」とてなほ一間づゝ張られけるを、義景、「皆を張りかへ候はむは、遙かにたやすく候べし。斑に候も見苦しくや。」と、重ねて申されければ、「尼も後はさわ〳〵と張りかへむと思へども、今日ばかりはわざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理して用ゐることぞと、若き人に見ならはせて、心づけむ爲なり。」と申されける、いと有り難かりけり。世を治むる道、儉約を本とす。女性なれども聖人の心に通へり。天下をたもつほどの人を子にて持たれける、誠にたゞ人にはあらざりけるとぞ。

相模守時頼の母は、松下禅尼と申しました。守をお招き入れになることがありましたが、煤けた明かり障子の破れた所だけを、禅尼が手ずから小刀で切り回しながら張られました。

兄の城介義景(じょうのすけよしかげ)が、その日の世話をしておりましたが、「私が承って、誰それという男に張らせましょう。そういうことに心得のある者です」と申されました。

「その男が、尼の細工にまさることは、よもやありますまい」とおっしゃって、なお一間ずつ張られました。

義景が「全部を張り替えますほうが、はるかにたやすうございましょう。斑(まだら)なのも見苦しくはありませんか」と重ねて申されると、「尼も後にはさっぱりと張り替えようと思いますが、今日だけはわざとこうしておくべきなのです。物は破れた所だけを修理して用いるものだと、若い人に見ならわせて、気づかせるためです」と申されました。まことに尊いことでした。

世を治める道は、倹約を本とします。女性ではあっても、聖人の心に通じていました。天下を保つほどの人を子にお持ちになったのは、まことにただ人ではなかったのだということです。

5泰盛 — 馬を見る眼

城陸奧守泰盛は雙なき馬乘なりけり。馬を引き出でさせけるに、足をそろへて閾をゆらりと超ゆるを見ては、「これは勇める馬なり。」とて鞍を置きかへさせけり。また足を伸べて閾に蹴あてぬれば、「これは鈍くして過ちあるべし。」とて乘らざりけり。道を知らざらむ人、かばかり恐れなむや。

城陸奥守泰盛(じょうのむつのかみやすもり)は、並ぶ者のない馬乗りでした。馬を引き出させて、足をそろえて敷居をゆらりと越えるのを見ては、「これは勇む馬である」と言って、鞍を別の馬に置き替えさせました。

また足を伸ばして敷居に蹴り当てると、「これは鈍くて過ちがあるだろう」と言って乗りませんでした。

その道を知らない人が、これほど恐れるでしょうか。

6吉田という馬乗りの秘伝

吉田と申す馬乘の申し侍りしは、「馬毎にこはきものなり。人の力爭ふべからずと知るべし。乘るべき馬をばまづよく見て、強き所弱き所を知るべし。次に轡鞍の具に危きことやあると見て、心にかゝる事あらば、その馬を馳すべからず。この用意を忘れざるを馬乘とは申すなり、これ秘藏のことなり。」と申しき。

吉田と申す馬乗りが申しましたのは、こうです。「馬はどれも強情なものです。人の力で争うべきではないと知るべきです。乗る馬をまずよく見て、強い所と弱い所を知るべきです。次に轡(くつわ)や鞍の具に危ういことはないかと見て、心にかかることがあれば、その馬を走らせてはなりません。この用意を忘れないのを馬乗りと申すのです。これが秘蔵のことです」

7慎む不得手が、気ままな上手に勝つ

萬の道の人、たとひ不堪なりといへども、堪能の非家の人にならぶ時、必ずまさることは、たゆみなく愼みて輕々しくせぬと、偏に自由なるとの等しからぬなり。藝能所作のみにあらず、大方の振舞、心づかひも、愚かにして謹めるは得の本なり、巧みにしてほしきまゝなるは失の本なり。

あらゆる道の人が、たとえ不得手であっても、その道の者でない人のうちの上手な者と並ぶとき、必ずまさるのは、たゆむことなく慎んで軽々しくしないことと、ひたすら気ままであることとが、同じでないからです。

芸能や所作だけではありません。ひととおりの振る舞いや心づかいも、愚かであっても慎んでいるのは得の本であり、巧みであっても気ままなのは失の本です。

8馬乗りと早歌を習って説経を学べなかった法師

ある者、子を法師になして、「學問して因果の理をも知り、説經などして世渡るたづきともせよ。」といひければ、教のまゝに説經師にならむ爲に、まづ馬に乘りならひけり。「輿、車もたぬ身の、導師に請ぜられむ時、馬など迎へにおこせたらむに、桃尻にて落ちなむは心憂かるべし。」と思ひけり。次に、「佛事の後、酒など勸むることあらむに、法師のむげに能なきは、檀那すさまじく思ふべし。」とて、早歌といふ事をならひけり。二つのわざやう〳〵境に入りければ、愈よくしたく覺えて嗜みける程に、説經習ふべき暇なくて年よりにけり。この法師のみにもあらず、世間の人なべてこの事あり。若きほどは諸事につけて、身をたて、大きなる道をも成し、能をもつき、學問をもせむと、行末久しくあらます事ども、心にはかけながら、世をのどかに思ひてうち怠りつゝ、まづさしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日をおくれば、事毎になすことなくして身は老いぬ。つひにものの上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれどもとり返さるゝ齡ならねば、走りて坂をくだる輪の如くに衰へゆく。されば一生のうち、むねとあらまほしからむことの中に、いづれか勝ると、よく思ひくらべて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひすてて、一事を勵むべし。一日の中一時のうちにも、數多のことの來らむ中に、すこしも益のまさらむことを營みて、その外をばうち捨てて、大事をいそぐべきなり。いづかたをも捨てじと心にとりもちては、一事も成るべからず。たとへば棊をうつ人、一手もいたづらにせず、人にさきだちて、小をすて大につくが如し。それにとりて、三つの石をすてて、十の石につくことは易し。十をすてて十一につくことは、かたし。一つなりとも勝らむかたへこそつくべきを、十までなりぬれば惜しく覺えて、多くまさらぬ石には換へにくし。これをも捨てず、かれをも取らむと思ふこゝろに、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。京に住む人、急ぎて東山に用ありて既に行きつきたりとも、西山に行きてその益まさるべきを思ひえたらば、門よりかへりて西山へゆくべきなり。「こゝまで來著きぬれば、この事をばまづいひてむ、日をささぬことなれば、西山の事はかへりてまたこそ思ひたためと思ふ故に、一時の懈怠すなはち一生の懈怠となる。これをおそるべし。一事を必ず成さむと思はば、他の事の破るゝをも痛むべからず。人のあざけりをも恥づべからず。萬事にかへずしては一の大事成るべからず。人のあまたありける中にて、あるもの、「ますほの薄まそほの薄などいふことあり。渡邊のひじり、この事を傳へ知りたり。」と語りけるを、登蓮法師その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑笠やある、貸したまへ。かの薄のことならひに、渡邊の聖のがり尋ねまからむ。」といひけるを、「あまりに物さわがし。雨やみてこそ。」と人のいひければ、「無下の事をも仰せらるゝものかな。人の命は雨の晴間を待つものかは、我も死に、聖もうせなば、尋ね聞きてむや。」とて、はしり出でて行きつゝ、習ひ侍りにけりと申し傳へたるこそ、ゆゝしくありがたう覺ゆれ。「敏きときは則ち功あり。」とぞ、論語といふ文にも侍るなる。この薄をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁をぞ思ふべかりける。

ある者が、子を法師にして、「学問して因果の理も知り、説経などで世を渡る手だてともせよ」と言いました。

教えのとおり説経師になるために、まず馬乗りを習いました。「輿も車も持たない身で、導師に招かれるとき、馬などを迎えに寄こされたなら、桃尻で落ちるのは情けないことだろう」と思ったのです。

次に、「仏事の後、酒などを勧めることがあるときに、法師にまったく芸がないのでは、檀那が興をさますだろう」と言って、早歌(そうか)というものを習いました。

二つの芸がようやく境に入ると、いよいようまくなりたく思って嗜んでいるうちに、説経を習う暇がなくて年を取ってしまいました。

この法師だけではなく、世間の人はおおむねこういうことがあります。若いうちは、あらゆることについて身を立て、大きな道も成し、芸も身につけ、学問もしようと、行く末長くやるつもりのことを心にかけながら、世をのどかに思って怠りつつ、まず差し当たった目の前のことにばかり紛れて月日を送ります。そうして事ごとに成すところなく、身は老いてしまいます。ついに物の上手にもならず、思ったように身を保つこともできません。悔いても取り返せる齢ではないので、走って坂を下る輪のように衰えていきます。

ですから一生のうち、主にやりたいと思うことの中で、どれが勝るかをよく思い比べて、第一のことを考え定め、そのほかは思い捨てて、一事に励むべきです。

一日のうち、一時のうちにも数多くのことが来るでしょうが、その中で少しでも益の勝ることを営んで、そのほかは打ち捨てて、大事を急ぐべきです。どちらも捨てまいと心に持っていては、一事も成りません。

たとえば碁を打つ人が、一手も無駄にせず、人に先んじて小を捨て大につくのと同じです。ただそのうちでも、三つの石を捨てて十の石につくことはたやすいのです。十を捨てて十一につくことは難しいのです。一つでも勝るほうへつくべきなのに、十までになると惜しく思われて、大きく勝らない石とは換えにくいのです。これも捨てず、あれも取ろうと思う心では、あれも得ず、これも失う道です。

京に住む人が、急いで東山に用があって、すでに行き着いたとしても、西山へ行ってその益が勝ると思い至ったなら、門から帰って西山へ行くべきです。「ここまで来着いたのだから、このことをまず言ってしまおう。日を決めたことではないから、西山のことは帰ってまた考えよう」と思うために、一時の怠りがそのまま一生の怠りとなります。これを恐れるべきです。

一事を必ず成そうと思うなら、ほかの事が破れるのを痛むべきではありません。人のあざけりを恥じるべきでもありません。万事と引き換えにしなければ、一つの大事は成りません。

人が多くいた中で、ある者が「『ますほの薄』『まそほの薄』などということがあります。渡辺の聖が、このことを伝え知っています」と語りました。登蓮法師がその座におりましたが、これを聞いて、雨が降っているのに「蓑と笠はありますか、お貸しください。あの薄のことを習いに、渡辺の聖のもとへ尋ねて参りましょう」と言いました。

「あまりに気ぜわしいことです。雨がやんでから」と人が言うと、「とんでもないことをおっしゃるものだ。人の命は雨の晴れ間を待ってくれるものか。私も死に、聖も亡くなったら、尋ねて聞くことができようか」と言って、走り出て行き、習ったのだと言い伝えているのは、立派で尊く思われます。

「敏きときは則ち功あり」と、『論語』という文にもあるそうです。この薄をいぶかしく思ったように、一大事の因縁を思うべきであったのです。

9今日はそのことをしようと思ったけれど

今日はその事をなさむと思へど、あらぬ急ぎまづ出で來て紛れ暮し、待つ人は障りありて、頼めぬ人はきたり、頼みたる方のことはたがひて、思ひよらぬ道ばかりはかなひぬ。煩はしかりつる事はことなくて、安かるべき事はいと心苦し。日々に過ぎゆくさま、かねて思ひつるに似ず。一年のこともかくの如し。一生の間もまたしかなり。かねてのあらまし、皆違ひゆくかと思ふに、おのづから違はぬ事もあれば、いよ〳〵ものは定めがたし。不定と心得ぬるのみ、誠にて違はず。

今日はそのことをしようと思っても、思わぬ急用がまず出てきてそれに紛れて日を過ごし、待っている人は差し支えがあって来ず、頼みにしない人が来て、頼んだ方のことは食い違い、思いもよらない方だけがかないます。

煩わしそうだったことは何事もなく、たやすいはずのことが、ひどく心を苦しめます。

日々に過ぎていく様子は、あらかじめ思っていたのと似ていません。一年のこともこのとおりです。一生の間もまた同じです。

あらかじめの見込みがみな食い違っていくかと思うと、自然に食い違わないこともあるので、いよいよ物は定めがたいのです。

定まらないものと心得ておくことだけが、まことであって食い違いません。

10妻というもの

妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。「いつも獨り住みにて。」など聞くこそ心憎けれ。「たれがしが婿になりぬ。」とも、又、「いかなる女をとりすゑて相住む。」など聞きつれば、無下に心劣りせらるゝわざなり。「異なることなき女を、よしと思ひ定めてこそ、添ひ居たらめ。」と、賤しくもおし測られ、よき女ならば、「この男こそらうたくして、あが佛と守りゐたらめ。たとへば、さばかりにこそ。」と覺えぬべし。まして家の内を行ひをさめたる女、いと口惜し。子など出できて、かしづき愛したる、心憂し。男なくなりて後、尼になりて年よりたる有樣、亡きあとまで淺まし。いかなる女なりとも、明暮そひ見むには、いと心づきなく憎かりなむ。女のためも、半空にこそならめ。よそながら時々通ひ住まむこそ、年月へても絶えぬなからひともならめ。あからさまに來て、泊り居などせむは、めづらしかりぬべし。

妻というものこそ、男が持つべきでないものです。「いつも独り住みで」などと聞くのが奥ゆかしいのです。

「誰それの婿になった」とも、また「どんな女を迎えて一緒に住んでいる」などと聞けば、まったく見劣りさせられることです。

大したことのない女を、よいと思い定めて連れ添っているのだろうと、賤しくも推し量られ、よい女であれば、「この男こそかわいがられて、我が仏と守られているのだろう。まあ、その程度のものだろう」と思われるでしょう。

まして家の内を取りしきっている女は、まったく残念なことです。子などが出てきて、かしずき愛しているのは情けないものです。男が亡くなった後、尼になって年を取った有様は、死んだ後まであさましいものです。

どんな女であっても、明け暮れ添って見ていれば、まったく気に入らず憎くなるでしょう。女のためにも、中途半端なことになるでしょう。

離れたまま時々通って住むのこそ、年月を経ても絶えない仲ともなるでしょう。ふいに来て泊まったりするのは、珍しく思われるでしょう。

11夜は映えがないという言葉

夜に入りて物のはえ無しといふ人、いと口惜し。萬の物のきら、飾り、色ふしも、夜のみこそめでたけれ。晝は事そぎ、およすげたる〈ママ〉姿にてもありなむ。夜はきらゝかに花やかなる裝束いとよし。人のけしきも、夜の火影ぞよきはよく、物いひたる聲も、暗くて聞きたる、用意ある、心憎し。匂ひも物の音も、たゞ夜ぞひときはめでたき。さして異なる事なき夜、うち更けて參れる人の、清げなる樣したる、いとよし。若きどち心とどめて見る人は、時をも分かぬものなれば、殊にうちとけぬべき折節ぞ、褻晴れなく引きつくろはまほしき。よき男の、日くれてゆするし、女も夜更くる程に、すべりつゝ、鏡とりて顔などつくろひ出づるこそをかしけれ。

夜になると映えがないと言う人は、まったく残念です。あらゆる物の輝きや飾り、色あいも、夜こそすばらしいのです。

昼は簡素で地味な姿でもよいでしょう。夜はきらきらと華やかな装束が、とてもよいのです。

人の様子も、夜の火影でよい人はよく、物を言う声も、暗いところで聞くのは、心づかいがあって奥ゆかしいものです。匂いも物の音も、ただ夜こそひときわすばらしいのです。

これといったこともない夜、更けてから参った人が、こざっぱりとした様子をしているのは、とてもよいものです。

若い者同士、心をとめて見る人は時を分けないものですから、特に気を許しやすい折こそ、ふだんも晴れも分けずに身を整えたいものです。

よい男が日が暮れてから髪を洗い、女も夜が更けるころに、そっと抜け出して鏡を取り、顔などを整えて出てくるのこそ、おもしろいものです。

12神仏にも、人のいない日、夜に参るのがよい

神佛にも、人の詣でぬ日、夜まゐりたる、よし。

神仏にも、人が参らない日、夜に参るのがよいのです。

13自分の境界でないことで争うな

くらき人の、人をはかりて、その智を知れりと思はむ、更に當るべからず。拙き人の、棊うつことばかりに敏くたくみなるは、賢き人のこの藝におろかなるを見て、おのれが智に及ばずと定めて、萬の道のたくみ、わが道を人の知らざるを見て、おのれ勝れたりと思はむこと、大きなるあやまりなるべし。文字の法師、暗證の禪師、互にはかりて、おのれに如かずと思へる、共にあたらず。己が境界にあらざるものをば、爭ふべからず、是非すべからず。

暗い人が人を推し量って、その知恵を知ったと思うのは、決して当たるはずがありません。

拙い人が碁を打つことだけは敏く巧みで、賢い人がこの芸に疎いのを見て、自分の知恵に及ばないと決めてしまうことがあります。あらゆる道の巧者が、自分の道を人が知らないのを見て、自分が優れていると思うのは、大きな誤りでしょう。

文字の法師と暗証の禅師とが互いに推し量って、自分に及ばないと思っているのは、どちらも当たっていません。

自分の境界でないものについては、争うべきではなく、是非を定めるべきでもありません。

14達人が人を見る眼

達人の人を見る眼は、少しも誤る處あるべからず。たとへば、ある人の、世に虚言を構へ出して、人をはかることあらむに、素直に眞と思ひて、いふ儘にはからるゝ人あり。あまりに深く信をおこして、なほ煩はしく虚言を心得添ふる人あり。また何としも思はで、心をつけぬ人あり。又いさゝかおぼつかなく覺えて、たのむにもあらずたのまずもあらで、案じ居たる人あり。又まことしくは覺えねども、人のいふことなれば、さもあらむとて止みぬる人もあり。又さま〴〵に推し心得たるよしして、かしこげに打ちうなづき、ほゝゑみて居たれど、つや〳〵知らぬ人あり。また推し出して、あはれさるめりと思ひながら、なほ誤りもこそあれと怪しむ人あり。又異なるやうも無かりけりと、手を打ちて笑ふ人あり。また心得たれども、知れりともいはず、おぼつかなからぬは、とかくの事なく、知らぬ人と同じ樣にて過ぐる人あり。またこの虚言の本意を、初めより心得て、すこしも欺かず、構へいだしたる人とおなじ心になりて、力をあはする人あり。愚者の中のたはぶれだに、知りたる人の前にては、このさま〴〵の得たる所、詞にても顔にても、かくれなく知られぬべし。ましてあきらかならむ人の、惑へるわれらを見むこと、掌の上のものを見むがごとし。たゞしかやうのおしはかりにて、佛法までをなずらへ言ふべきにはあらず。

達人が人を見る眼は、少しも誤るところがないはずです。

たとえば、ある人が世に偽りを構え出して人を欺くことがあるとき、素直に真実と思って、言うままに欺かれる人がいます。あまりに深く信じて、さらに煩わしく偽りを心得添える人がいます。また何とも思わず、心にとめない人がいます。

また少し心もとなく思われて、信じるでもなく信じないでもなく、考えこんでいる人がいます。また真実らしくは思われないけれども、人の言うことだから、そうもあろうと言ってやめてしまう人もいます。

またさまざまに推し量って心得た風を見せ、賢そうにうなずき、ほほえんでいながら、まったく知らない人がいます。また推し量って、おそらくそうらしいと思いながら、なお誤りもあろうかと怪しむ人がいます。

また格別のこともなかったと、手を打って笑う人がいます。また心得ていながら、知っているとも言わず、心もとなくないところは、とやかく言わず、知らない人と同じ様子で過ごす人がいます。

またこの偽りの本意を初めから心得て、少しも欺かれず、構え出した人と同じ心になって力を合わせる人がいます。

愚か者の中の戯れでさえ、知っている人の前では、このさまざまな心得の程度が、言葉にも顔にも隠れなく知られてしまうでしょう。まして明らかな人が、迷っている私たちを見るのは、掌の上の物を見るようなものでしょう。

ただ、このような推し量りで、仏法までをなぞらえて言うべきではありません。

15田の水に地蔵を洗っていた人

ある人、久我畷を通りけるに、小袖に大口きたる人、木造の地藏を田の中の水におしひたして、ねんごろに洗ひけり。心得がたく見るほどに、狩衣の男二人三人出で來て、「こゝにおはしましけり。」とて、この人を具して往にけり。久我内大臣殿にてぞおはしける。尋常におはしましける時は、神妙にやんごとなき人にておはしけり。

ある人が久我畷(こがなわて)を通ったところ、小袖に大口を着た人が、木造の地蔵を田の中の水に押し浸して、念入りに洗っていました。

訳がわからず見ているうちに、狩衣の男が二人三人出てきて、「ここにおいででした」と言って、この人を連れて行きました。

久我内大臣殿でいらっしゃったのです。ふだんでいらっしゃるときは、神妙で尊い方でいらっしゃいました。

16神社の前で警蹕をすること

東大寺の神輿、東寺の若宮より歸座のとき、源氏の公卿參られけるに、この殿大將にて、先を追はれけるを、土御門相國、「社頭にて警蹕いかゞはべるべからむ。」と申されければ、「隨身のふるまひは、兵仗の家が知る事に候。」とばかり答へ給ひけり。さて後に仰せられけるは、「この相國、北山抄を見て、西宮の説をこそ知られざりけれ。眷属の惡鬼惡神を恐るゝゆゑに、神社にて殊に先を追ふべき理あり。」とぞ仰せられける。

東大寺の神輿が東寺の若宮からお帰りになるとき、源氏の公卿がお供をなさいました。この殿が大将として先を追われたので、土御門相国が「社頭で警蹕(けいひつ)はいかがなものでしょうか」と申されました。

「随身の振る舞いは、兵仗(へいじょう)の家が知ることでございます」とだけお答えになりました。

そうして後におっしゃったのは、「この相国は『北山抄』を見て、西宮の説を知られなかったのだ。眷属の悪鬼悪神を恐れるゆえに、神社では特に先を追うべき理がある」ということでした。

17定額という言葉

諸寺の僧のみにもあらず、定額の女嬬といふこと、延喜式に見えたり。すべて數さだまりたる公人の通號にこそ。

諸寺の僧だけではなく、定額(じょうがく)の女嬬(にょじゅ)ということが『延喜式』に見えます。すべて数の定まった公人の通称なのでしょう。

18揚名介と揚名目

揚名介に限らず、揚名目といふものあり。政事要畧にあり。

揚名介(ようめいのすけ)だけではなく、揚名目というものがあります。『政事要略』にあります。

19唐土は呂の国、我が国は律の国

横川の行宣法印が申しはべりしは、「唐土は呂の國なり、律の音なし。和國は單律の國にて呂の音なし。」と申しき。

横川(よかわ)の行宣法印が申しましたのは、「唐土は呂の国であり、律の音がない。我が国は単律の国で、呂の音がない」ということでした。

20呉竹と河竹

呉竹は葉ほそく、河竹は葉ひろし。御溝にちかきは河竹、仁壽殿の方に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。

呉竹は葉が細く、河竹は葉が広いのです。御溝に近いのが河竹で、仁寿殿の方に寄せて植えられたのが呉竹です。