いにしえの文 › 徒然草(所在なきままに書きつけた草) › 全一巻

第201〜220段201~220단

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 徒然草 · 吉田兼好 · 元弘元年〜2年(1331年頃)成立 · 段落 20 · 漢字 4,398字 · 朗読 11.0分

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 全一巻 「つれづれなるままに、一日中硯に向かって、心に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてどなく書きつけていきますと」 — この一文で始まる243編の短い文章。兼好法師が世を背いた後、無常と人のあり方、花と月、古い法度と当世の風俗を行き来しながら書いた。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」(137段)のように長く引かれる箇所が随所にあり、鼎をかぶった法師や出雲の獅子の像の話のように笑いを誘う断章も混じる。方丈記とともに日本の随筆の二本の柱に数えられる。

1退凡と下乗の卒塔婆

退凡下乘の卒塔婆、外なるは下乘、内なるは退凡なり。

退凡下乗(たいぼんげじょう)の卒塔婆は、外にあるのが下乗、内にあるのが退凡です。

2十月を神無月という理由

十月をかみなづきといひて、神事に憚るべき由は、記したるものなし。本文も見えず。たゞし、當月諸社の祭なきゆゑに、この名あるか。この月萬の神たち、太神宮へ集り給ふなどいふ説あれども、その本説なし。さる事ならば、伊勢には殊に祭月とすべきに、その例もなし。十月、諸社の行幸、その例も多し。但し多くは不吉の例なり。

十月を神無月(かんなづき)と言って、神事を憚るべきだという理由は、記したものがありません。本文も見当たりません。

ただ、この月は諸社の祭りがないので、この名があるのでしょうか。

この月、あらゆる神々が太神宮へお集まりになるなどという説もありますが、その根拠がありません。そういうことであれば、伊勢では特に祭りの月とすべきなのに、その例もありません。

十月に諸社へ行幸された例は多くあります。ただし多くは不吉の例です。

3勅勘の家に靫を掛ける作法

敕勘の所に靫かくる作法、今は絶えて知れる人なし。主上の御惱、大かた世の中のさわがしき時は、五條の天神に靫をかけらる。鞍馬に靫の明神といふも、靫かけられたりける神なり。看督長の負ひたる靫を、その家にかけられぬれば、人出で入らず。この事絶えて後、今の世には、封をつくることになりにけり。

勅勘(ちょっかん)を受けた家に靫(うつぼ)を掛ける作法は、今は絶えて知る人がいません。

主上がご病気のとき、だいたい世の中が騒がしいときには、五条の天神に靫を掛けられます。鞍馬に靫の明神というのも、靫を掛けられた神です。

看督長(かんどちょう)が背負っていた靫を、その家に掛けられると、人が出入りしません。

このことが絶えた後、今の世では封をつけることになりました。

4罪人を打つときの拷器

犯人を笞にて打つ時は、拷器によせて結ひつくるなり。拷器のやうも、よする作法も今はわきまへ知れる人なしとぞ。

犯人を笞(しもと)で打つときは、拷器(こうき)に寄せて結びつけるのです。拷器の形も、寄せて結ぶ作法も、今はわきまえ知る人がいないとのことです。

5起請文ということ

比叡山に、大師勸請の起請文といふ事は、慈惠僧正書きはじめ給ひけるなり。起請文といふ事、法曹にはその沙汰なし。古の聖代、すべて起請文につきて行はるゝ政はなきを、近代このこと流布したるなり。また法令には、水火に穢れをたてず、入物にはけがれあるべし。

比叡山で、大師を勧請して書く起請文(きしょうもん)ということは、慈恵僧正が書きはじめられたものです。

起請文ということは、法曹では取り沙汰しません。昔の聖代には、およそ起請文によって行われる政はなかったのに、近代になってこのことが広まったのです。

また法令では、水と火には穢れを立てず、入れ物には穢れがあるものとします。

6牛が別当の座に上がったこと

徳大寺右大臣殿檢非違使の別當のとき、中門にて使廳の評定行はれけるほどに、官人章兼が牛はなれて、廳のうちへ入りて、大理の座の濱床の上にのぼりて、にれうち噛みて臥したりけり。重き怪異なりとて、牛を陰陽師のもとへ遣すべきよし、おの〳〵申しけるを、父の相國聞きたまひて、「牛に分別なし、足あらばいづくへかのぼらざらむ。尫弱の官人、たま〳〵出仕の微牛をとらるべきやうなし。」とて、牛をば主にかへして、臥したりける疊をばかへられにけり。あへて凶事なかりけるとなむ。怪しみを見て怪しまざる時は、怪しみかへりてやぶるといへり。

徳大寺右大臣殿が検非違使の別当であったとき、中門で使庁の評定が行われていたところ、官人章兼(あきかね)の牛が放れて庁の内へ入り、大理の座である浜床の上に上がって、反芻しながら臥していました。

重い怪異であるとして、牛を陰陽師のもとへ遣わすべきだと、それぞれが申しました。

父である相国がお聞きになって、「牛に分別はない。足があればどこへでも上がるだろう。力のない官人が、たまたま出仕した粗末な牛を取られるべき理由はない」とおっしゃって、牛は持ち主に返し、臥していた畳だけを替えられました。

まったく凶事はなかったということです。

怪しいものを見て怪しまないときは、怪しみがかえって破れると言われています。

7蛇の塚を崩させた大臣

龜山殿建てられむとて、地を引かれけるに、大きなる蛇數もしらず凝り集りたる塚ありけり。この所の神なりといひて、事の由申しければ、「いかゞあるべき。」と敕問ありけるに、「ふるくよりこの地を占めたるものならば、さうなく掘り捨てられがたし。」とみな人申されけるに、この大臣一人、「王土に居らむ蟲、皇居を建てられむに、何の祟りをかなすべき。鬼神は邪なし。咎むべからず。唯皆掘りすつべし。」と申されたりければ、塚をくづして、蛇をば大井川に流してけり。更にたゝりなかりけり。

亀山殿をお建てになろうとして地ならしをされたところ、大きな蛇が数も知れず凝り集まっている塚がありました。

この場所の神であると言って、そのわけを申し上げると、「どうすべきか」とご下問がありました。「古くからこの地を占めているものならば、たやすく掘り捨てがたいことです」と、みな申されました。

ところがこの大臣お一人が、「王土に住む虫が、皇居をお建てになるのに、何の祟りをなすでしょうか。鬼神には邪がありません。咎めるべきではありません。ただみな掘り捨てるべきです」と申されました。

そこで塚を崩し、蛇は大井川に流しました。まったく祟りはありませんでした。

8経文の紐の結び方

經文などの紐を結ふに、上下より襷にちがへて、二すぢの中より、わなの頭を横ざまにひき出すことは、常のことなり。さやうにしたるをば、華嚴院の弘舜僧正解きて直させけり。「これはこの頃やうのことなり。いと見にくし。うるはしくは、たゞくるくると捲きて上より下へ、わなの先を挿むべし。」と申されけり。ふるき人にて、かやうのこと知れる人になむ侍りける。

経文などの紐を結ぶのに、上下から襷(たすき)に交差させて、二筋の間から輪の頭を横に引き出すことは、よくあることです。

そのようにしたものを、華厳院の弘舜僧正が解いて直させました。「これは近ごろ風のことだ。ひどく見にくい。きちんとするには、ただくるくると巻いて、上から下へ輪の先を挟むべきだ」と申されました。

古い人で、こういうことを知っている方でいらっしゃいました。

9田を争って人の田まで刈った話

人の田を論ずるもの、訟へにまけて嫉さに、その田を刈りて取れとて、人をつかはしけるに、まづ道すがらの田をさへ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは。」といひければ、刈るものども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻事せむとてまかるものなれば、いづくをか刈らざらむ。」とぞいひける。ことわりいとをかしかりけり。

人の田を争っていた者が、訴訟に負けた悔しさに、その田を刈って取ってこいと言って、人を遣わしました。

ところが、まず道すがらの田まで刈っていくので、「これは争っておられた所ではない。どうしてこうするのか」と言うと、刈る者たちは、「その所とて刈るべき理はないが、不正をしに行く者だから、どこを刈らないことがあろうか」と言いました。

その言い分が、ひどくおかしいことでした。

10喚子鳥という鳥

喚子鳥は春のものなりと許りいひて、いかなる鳥ともさだかに記せる物なし。ある眞言書の中に、喚子鳥なくとき招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺なり。萬葉集の長歌に、「霞たつ永き春日の。」など續けたり。鵺鳥も喚子鳥の事樣に通ひて聞ゆ。

喚子鳥(よぶこどり)は春のものだとだけ言って、どのような鳥とも確かに記したものがありません。

ある真言書の中に、喚子鳥が鳴くとき招魂の法を行う次第があります。これは鵺(ぬえ)です。

『万葉集』の長歌に、「霞立つ永き春日の」などと続けています。鵺鳥も喚子鳥の使われ方に通じて聞こえます。

11何事も頼みにするな

萬の事は頼むべからず。愚かなる人は、深くものを頼むゆゑに、うらみ怒ることあり。勢ひありとて頼むべからず、こはき者まづ滅ぶ。財多しとて頼むべからず、時の間に失ひやすし。才ありとて頼むべからず、孔子も時に遇はず。徳ありとてたのむべからず、顔囘も不幸なりき。君の寵をも頼むべからず、誅をうくる事速かなり。奴したがへりとて頼むべからず、そむき走ることあり。人の志をも頼むべからず、かならず變ず。約をも頼むべからず、信あることすくなし。身をも人をも頼まざれば、是なる時はよろこび、非なる時はうらみず、左右廣ければさはらず、前後遠ければふさがらず、せばき時はひしげくだく。心を用ゐること少しきにしてきびしき時は、物に逆ひ爭ひてやぶる。寛くして柔かなるときは、一毛も損ぜず。人は天地の靈なり。天地はかぎるところなし。人の性何ぞ異ならむ。寛大にして窮らざるときは、喜怒これにさはらずして、物のためにわづらはず。

あらゆることは頼みにすべきではありません。愚かな人は深く物を頼みにするために、恨み怒ることがあります。

勢いがあるといって頼みにすべきではありません。強い者がまず滅びます。財が多いといって頼みにすべきではありません。たちまちのうちに失いやすいのです。才があるといって頼みにすべきではありません。孔子も時に遇いませんでした。徳があるといって頼みにすべきではありません。顔回も不幸でした。君の寵愛も頼みにすべきではありません。誅を受けることが速いのです。奴僕が従うといって頼みにすべきではありません。背いて逃げることがあります。人の志も頼みにすべきではありません。必ず変わります。約束も頼みにすべきではありません。信のあることが少ないのです。

自分も人も頼みにしなければ、よいときには喜び、悪いときにも恨みません。左右が広ければ障らず、前後が遠ければ塞がりません。狭いときは押しつぶされて砕けます。

心を用いることが狭くて厳しいときは、物に逆らい争って破れます。寛くて柔らかなときは、毛一本も損じません。

人は天地の霊です。天地には限りがありません。人の性がどうして異なるでしょうか。寛大で窮まらないときは、喜びも怒りもこれに障らず、物のために煩うことがありません。

12秋の月は限りなくすばらしい

秋の月は限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらむ人は、無下に心うかるべきことなり。

秋の月は限りなくすばらしいものです。いつであっても月はこういうものだと言って、見分けられない人は、まったく情けないことです。

13御前の火炉に炭を入れるとき

御前の火爐に火おくときは、火箸して挾む事なし。土器より直ちにうつすべし。されば轉び落ちぬやうに心得て、炭を積むべきなり。八幡の御幸に、供奉の人淨衣を著て、手にて炭をさされければ、ある有職の人、「白き物を著たる日は、火箸を用ゐる、苦しからず。」と申されけり。

御前の火炉に火を入れるときは、火箸で挟むことがありません。土器から直接移すべきです。ですから転び落ちないように心得て、炭を積むべきなのです。

八幡の御幸のとき、供奉の人が浄衣を着て手で炭を挟んだので、ある有職(ゆうそく)の人が、「白い物を着ている日は、火箸を用いても差し支えない」と申されました。

14想夫恋という楽

想夫戀といふ樂は、女、男を戀ふる故の名にはあらず。もとは相府蓮、文字のかよへるなり。晉の王儉、大臣として、家に蓮を植ゑて愛せしときの樂なり。これより大臣を蓮府といふ。廻忽も廻鶻なり。廻鶻國とて夷の強き國あり、その夷、漢に伏して後にきたりて、おのれが國の樂を奏せしなり。

想夫恋(そうふれん)という楽は、女が男を恋うゆえの名ではありません。もとは相府蓮で、文字が通じたのです。

晋の王倹が大臣として、家に蓮を植えて愛したときの楽です。これより大臣を蓮府と言います。

廻忽(かいこつ)も廻鶻です。廻鶻国といって夷の強い国があり、その夷が漢に服した後に来て、自分の国の楽を奏したのです。

15味噌少しで興じた酒の席

平宣時朝臣、老いの後昔語に、「最明寺入道、ある宵の間によばるゝ事ありしに、『やがて。』と申しながら、直垂のなくて、とかくせし程に、また使きたりて、『直垂などのさふらはぬにや。夜なれば異樣なりとも疾く。』とありしかば、なえたる直垂、うち〳〵の儘にて罷りたりしに、銚子にかはらけ取りそへてもて出でて、『この酒をひとりたうべむがさう〴〵しければ申しつるなり。肴こそなけれ、人はしづまりぬらむ。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ。』とありしかば、紙燭さしてくま〴〵を求めしほどに、臺所の棚に、小土器に味噌の少しつきたるを見出でて、『これぞ求め得て候。』と申ししかば、『事足りなむ。』とて、心よく數獻に及びて興に入られはべりき。その世にはかくこそ侍りしか。」と申されき。

平宣時朝臣が、老いた後の昔語りにおっしゃいました。

「最明寺入道が、ある宵の間にお呼びになることがありました。『すぐに参ります』と申しながら、直垂(ひたたれ)がなくてあれこれしているうちに、また使いが来て、『直垂などがおありでないのですか。夜なので異様な姿でもかまいません、早く』ということでした。

そこで、なえた直垂に、家で着ていたままで参りますと、銚子に杯を添えて持ち出されて、『この酒を一人で飲むのが寂しいのでお呼びしたのです。肴がありません。人は寝静まっているでしょう。それらしい物があるかどうか、どこまでもお探しください』とのことでした。

そこで紙燭をつけて隅々まで探すうちに、台所の棚に、小さな土器に味噌が少しついているのを見つけて、『これを探し得てまいりました』と申し上げました。『それで事足りる』とおっしゃって、心よく数献に及び、興に入られました。

その時代には、こうでした」と申されました。

16最明寺入道と足利の染物

最明寺入道、鶴岡の社參の序に、足利左馬入道の許へ、まづ使を遣して、立ちいられたりけるに、あるじまうけられたりけるやう、一獻に打鮑、二獻にえび、三獻にかい餅にて止みぬ。その座には、亭主夫婦、隆辨僧正、あるじ方の人にて坐せられけり。さて、「年ごとに賜はる足利の染物心もとなく候。」と申されければ、「用意し候。」とて、いろいろの染物三十、前にて、女房どもに小袖に調ぜさせて、後につかはされけり。その時見たる人のちかくまで侍りしが、かたり侍りしなり。

最明寺入道が、鶴岡への社参のついでに、足利左馬入道のもとへまず使いを遣わして、お立ち寄りになりました。

主人が設けられたのは、一献に打鮑(うちあわび)、二献に海老、三献にかい餅で終わりました。その座には、亭主夫婦と隆弁僧正が主人方の人として座っておられました。

そうして、「年ごとに賜る足利の染物が待ち遠しく存じます」と申されると、「用意しております」と言って、いろいろの染物三十を、前で女房たちに小袖に仕立てさせて、後にお贈りになりました。

そのとき見た人が近いころまでおりましたが、その人が語ったことです。

17大金持ちが語った財の築き方

ある大福長者の曰く、「人は萬をさしおきて、一向に徳をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳をつかむとおもはば、すべからくまづその心づかひを修行すべし。その心といふは他の事にあらず。人間常住の思ひに住して、假にも無常を觀ずる事なかれ。これ第一の用心なり。次に萬事の用をかなふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量なり。欲に從ひて志を遂げむと思はば、百萬の錢ありといふとも、しばらくも住すべからず。所願は止むときなし。財は盡くる期あり。かぎりある財をもちてかぎりなき願ひに從ふこと、得べからず。所願心に兆すことあらば、われを亡すべき惡念きたれりと、かたく愼みおそれて、小用をもなすべからず。次に、錢を奴の如くしてつかひ用ゐるものと知らば、長く貧苦を免るべからず。君の如く神のごとくおそれ尊みて、從へ用ゐることなかれ。次に恥にのぞむといふとも、怒り怨むる事なかれ。次に正直にして、約をかたくすべし。この義を守りて利をもとめむ人は、富の來ること、火の乾けるに就き、水の下れるに從ふが如くなるべし。錢つもりて盡きざるときは、宴飮聲色を事とせず、居所をかざらず、所願を成ぜざれども、心とこしなへに安く樂し。」と申しき。そも〳〵人は所願を成ぜむがために財をもとむ。錢を財とする事は、願ひをかなふるが故なり。所願あれどもかなへず、錢あれども用ゐざらむは、全く貧者とおなじ。何をか樂しびとせむ。このおきてはたゞ人間の望みを絶ちて、貧を憂ふべからずと聞えたり。欲をなして樂しびとせむよりは、しかじ財なからむには。癰疽を病む者、水に洗ひて樂しびとせむよりは、病まざらむには如かじ。こゝに至りては、貧富分くところなし。究竟は理即にひとし。大欲は無欲に似たり。

ある大福長者が言いました。「人はあらゆることをさしおいて、ひたすら財を築くべきです。貧しくては生きる甲斐がありません。富んでいる者だけを人とします。

財を築こうと思うなら、まずその心づかいを修めるべきです。その心とは、ほかのことではありません。人はいつまでも生きているという思いにとどまり、仮にも無常を観じてはなりません。これが第一の心がけです。

次に、あらゆる用を満たそうとしてはなりません。人が世にある以上、自分にも他人にも願うところは無量です。欲に従って志を遂げようと思うなら、百万の銭があっても、しばらくも保つことはできません。願うところは止むときがなく、財には尽きるときがあります。限りある財で限りない願いに従うことは、できないのです。

願うところが心に芽ばえたなら、我が身を亡ぼす悪念が来たのだと固く慎み恐れて、小さな用も為すべきではありません。

次に、銭を奴僕のように使い用いるものと思うなら、長く貧苦を免れることはできません。君のように神のように恐れ尊んで、従わせて用いてはなりません。

次に、恥に臨むことがあっても、怒り恨んではなりません。

次に、正直であって、約束を固く守るべきです。

この義を守って利を求める人は、富が来ることが、火が乾いたものにつき、水が低いほうへ流れるようなものでしょう。

銭が積もって尽きないときは、宴飲や声色を事とせず、住まいを飾らず、願うところを成さなくても、心が常に安らかで楽しいのです」

そもそも人は、願うところを成すために財を求めます。銭を財とするのは、願いをかなえるためです。願うところがあってもかなえず、銭があっても用いないのであれば、まったく貧者と同じです。何を楽しみとするのでしょうか。

この掟は、ただ人の望みを絶って、貧を憂えるべきではないという意味に聞こえます。欲を起こして楽しみとするよりは、財がないほうがましです。癰疽(ようそ)を病む者が、水で洗って楽しみとするよりは、病まないほうがましなのです。

ここに至っては、貧と富とに分かれるところがありません。究竟は理即に等しく、大欲は無欲に似ているのです。

18狐は人に食いつく

狐は人に食ひつく者なり。堀河殿にて、舍人が寢たる足を、狐にくはる。仁和寺にて、夜、本寺の前を通る下法師に、狐三つ飛びかゝりて食ひつきければ、刀を拔きてこれを拒ぐ間、狐二疋を突く。一つはつき殺しぬ。二は遁げぬ。法師はあまた所くはれながら、ことゆゑなかりけり。

狐は人に食いつくものです。

堀河殿で、舎人(とねり)が寝ている足を狐に食われました。

仁和寺で、夜、本寺の前を通る下法師に狐が三匹飛びかかって食いついたので、刀を抜いてこれを防ぐ間に、狐二匹を突きました。一匹は突き殺し、二匹は逃げました。法師は幾か所も食われましたが、大したことはありませんでした。

19横笛の五の穴

四條黄門命ぜられて曰く、「龍秋は道にとりてはやんごとなき者なり。先日來りて曰く、『短慮の至り、極めて荒涼の事なれども、横笛の五の穴は、聊か訝かしき所の侍るかと、ひそかにこれを存ず。そのゆゑは、干の穴は平調、五の穴は下無調なり。その間に勝絶調をへだてたり。上の穴雙調、次に鳧鐘調をおきて、夕の穴黄鐘調なり。その次に鸞鏡調をおきて、中の穴盤渉調、中と六との間に神仙調あり。かやうに間々にみな一律をぬすめるに、五の穴のみ上の間に調子をもたずして、しかも間をくばる事ひとしきゆゑに、その聲不快なり。さればこの穴を吹くときは、かならずのく。のけあへぬときは物にあはず。吹き得る人難し。』と申しき。料簡のいたり、まことに興あり。先達後生を恐るといふ事、この事なり。」と侍りき。他日に景茂が申し侍りしは、「笙は調べおほせてもちたれば、たゞ吹くばかりなり。笛はふきながら、息のうちにて、かつ調べもてゆく物なれば、穴ごとに口傳の上に、性骨を加へて心を入るゝ事、五の穴のみにかぎらず。偏にのくとばかりも定むべからず。あしく吹けば、いづれの穴も快からず。上手はいづれをも吹きあはす。呂律のものにかなはざるは、人の咎なり、器の失にあらず。」と申しき。

四条黄門がおっしゃいました。「竜秋はその道においては尊い者です。先日来て言うには、『短慮の至りで、きわめて粗略なことですが、横笛の五の穴は、いささか訝しいところがあるのではないかと、ひそかに存じております。その理由は、干の穴は平調、五の穴は下無調(しもむじょう)で、その間に勝絶調(しょうぜつじょう)を隔てています。上の穴は双調、次に鳧鐘調(ふしょうじょう)を置いて、夕の穴が黄鐘調(おうしきじょう)です。その次に鸞鏡調(らんけいじょう)を置いて、中の穴が盤渉調(ばんしきじょう)、中と六との間に神仙調があります。このように間々にみな一律を隠しているのに、五の穴だけは上との間に調子を持たず、しかも間の配り方は等しいので、その声が快くありません。ですからこの穴を吹くときは、必ず退きます。退きそろえられないときは、ほかと合いません。吹き得る人は少ないのです』と申しました。料簡の至り、まことに興があります。先達が後生を恐れるということは、このことです」とのことでした。

後の日に景茂が申しましたのは、「笙は調律をすませて持っているので、ただ吹くばかりです。笛は吹きながら、息のうちで調律もしていくものですから、穴ごとに口伝の上に生まれつきの資質を加えて心を入れることは、五の穴だけに限りません。ひたすら退くとだけ定めるべきでもありません。悪く吹けば、どの穴も快くありません。上手はどれをも吹き合わせます。呂律がほかと合わないのは人の咎であって、器の失ではありません」ということでした。

20天王寺の楽と黄鐘調

「何事も、邊土は卑しく頑なれども、天王寺の舞樂のみ、都に恥ぢず。」といへば、天王寺の伶人の申し侍りしは、「當寺の樂は、よく圖をしらべ合せて、物の音のめでたく整ほり侍ること、外よりも勝れたり。ゆゑは太子の御時の圖、今にはべる博士とす。いはゆる六時堂の前の鐘なり。そのこゑ黄鐘調の最中なり。寒暑に從ひて上り下りあるべきゆゑに、二月涅槃會より聖靈會までの中間を指南とす。秘藏のことなり。この一調子をもちて、いづれの聲をもとゝのへ侍るなり。」と申しき。およそ鐘のこゑは黄鐘調なるべし。これ無常の調子、祇園精舍の無常院の聲なり。西園寺の鐘、黄鐘調に鑄らるべしとて、あまたたび鑄替へられけれども、かなはざりけるを、遠國よりたづね出されけり。法金剛院の鐘の聲、また黄鐘調なり。

「何事も辺土は卑しく頑ななものですが、天王寺の舞楽だけは都に恥じません」と言うと、天王寺の伶人(れいじん)が申しましたのは、こうです。

「当寺の楽は、よく図を調べ合わせて、物の音がすばらしく整っていることが、ほかよりも勝れています。その理由は、太子の御時の図が今もあって、よりどころとするからです。いわゆる六時堂の前の鐘です。その声が黄鐘調のまさに中ほどです。寒暑に従って上がり下がりがあるので、二月の涅槃会から聖霊会までの中間をよりどころとします。秘蔵のことです。この一調子で、どの声も整えるのです」

およそ鐘の声は黄鐘調であるべきです。これが無常の調子であり、祇園精舎の無常院の声です。

西園寺の鐘は黄鐘調に鋳るべきだとして、幾度も鋳替えられましたが、かなわなかったのを、遠国から探し出されました。

法金剛院の鐘の声も、また黄鐘調です。