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拘尸那国拘尸那國
往五天竺国伝(五天竺めぐりの記) 全一巻 新羅の僧・慧超が二十歳の頃にインドと西域の四十か国を自ら歩いて書いた旅行記。千年以上失われていたが、1908年に敦煌の石窟で巻物の残本として見つかった。故郷を思う五言詩五首が併せて収められている。
1仏が涅槃に入られた所
一月至拘尸那國。佛入涅槃處。其城荒廢。無人住也。佛入涅槃處置塔。有禪師在彼掃灑。每年八月八日。僧尼道俗。就彼大設供養於其空中有幡現。不知其數。眾人同見。當此日之發心非一此塔西有一河。伊羅鉢底。水南流二千里外方入洹河。彼塔四絕無人往也。極荒林木。往彼禮拜者。□犀牛大虫所損也。此塔東南三十里。有一寺。名娑般檀寺有□餘□□□□□□常供養彼禪師衣食令在塔所供養〈下缺〉。
一月行って拘尸那国(クシナガラ)に至った。仏が涅槃に入られた所である。その城は荒れ果てて、住む人がいない。
仏が涅槃に入られた所に塔を建て、一人の禅師がそこで掃き清めている。毎年八月八日になると、僧と尼、道俗がその地に行って盛大に供養を設けるが、その虚空に幡が現れ、その数を知ることができない。人々がともにそれを見て、この日に発心する者は一人や二人ではない。
この塔の西に川が一つあり、伊羅鉢底(イラーヴァティー)である。水は南へ二千里流れてはじめてガンジス川(洹河)に入る。塔の四方は人跡がまったく絶えて行く人がなく、林木がひどく荒れているので、礼拝に行く者は□犀や大虎に害される。
この塔の東南三十里に寺が一つあり、名は娑般檀寺である。□あまり□□□□□□があって、常にその禅師に衣と食を供養し、塔のそばで供養を続けさせている 〈ここで原文が切れている。後の部分は伝わらない。〉