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新頭故羅国新頭故羅國

往五天竺国伝(五天竺めぐりの記) 往五天竺國傳 · 慧超(ヘチョ) · 727年(新羅・聖徳王26年) · 段落 1 · 漢字 157字 · 朗読 0.6分

往五天竺国伝(五天竺めぐりの記) 全一巻 新羅の僧・慧超が二十歳の頃にインドと西域の四十か国を自ら歩いて書いた旅行記。千年以上失われていたが、1908年に敦煌の石窟で巻物の残本として見つかった。故郷を思う五言詩五首が併せて収められている。

1酔った人がいない

又從此吒國西行一月。至新頭故羅國。衣著風俗。節氣寒暖。與北天相似。言音稍別。此國極足駱駝。國人取乳酪喫也。王及百姓等。大敬三寶足寺足僧。即造順正理論。眾賢論師。是此國人也。此國大小乘俱行。見今大𥦽侵半國損也。即從此國乃至五天。不多飲酒。遍歷五天。不見有醉人相打之者。縱有飲者。得色得力而已。不見有歌舞作劇飲宴之者。

またこの社吒国から西へ一か月行って新頭故羅国に至った。衣装と風俗、季節の寒暖は北天竺と似ているが、言葉が少し異なる。この国には駱駝がたいへん多く、国の人は乳と酪を取って食べる。

王と民たちは三宝を大いに敬って、寺も多く僧も多い。『順正理論』を著した衆賢論師は、この国の人である。この国は大乗と小乗がともに行われている。

今は大寔の侵入を受けて、国の半ばが損なわれている。

この国から五天竺に至るまで、酒を多く飲まない。五天竺をあまねく巡っても、酔った人が互いに打ち合うのを見なかった。飲む者がいても、顔色と力を得るだけで、歌い舞い芝居をして宴を開く者を見なかった。

夾注 1

⿱穴是

「穴」の下に「是」を書いた字である。