梵衍那国梵衍那國
梵衍那國。東西二千餘里。南北三百餘里。在雪山之中也。人依山谷逐勢邑居。國大都城據崖跨谷。長六七里。北背高巖。有宿麥少花果。宜畜牧多羊馬。氣序寒烈風俗剛獷。多衣皮褐亦其所宜。文字風教貨幣之用。同都貨邏國。語言少異。儀貌大同。淳信之心特甚隣國。上自三寶下至百神。莫不輸誠竭心宗敬。商估往來者。天神現徵祥。示祟變求福德。伽藍數十所。僧徒數千人。宗學小乘說出世部。
梵衍那国は東西二千余里、南北三百余里である。雪山の中にある。人は山と谷に依り、勢いに従って邑をなして居る。国の大都城は崖に拠り谷に跨って、長さは六、七里である。北は高い巖を背にする。宿麦があり、花と果は少ない。畜牧に宜しく、羊と馬が多い。気候は寒く烈しく、風俗は剛く獷い。皮と褐を衣ることが多く、これもまたその地に宜しいところである。文字と風の教え、貨幣の用いかたは都貨邏国と同じで、言葉が少し異なり、儀と貌はおおむね同じである。淳く信ずる心は隣国よりとりわけ甚しい。上は三宝から下は百の神に至るまで、誠を輸し心を竭して宗び敬わないものがない。商いの估が往き来するときには、天の神が徴しい祥を現して、崇りを示し変じ、福と徳を求めさせる。伽藍は数十ヶ所、僧徒は数千人で、小乗の説出世部を宗として学ぶ。
2立った石の仏と鍮石の仏像
王城東北山阿有立佛石像。高百四五十尺。金色晃曜寶飾煥爛。東有伽藍。此國先王之所建也。伽藍東有鍮石釋迦佛立像高百餘尺。分身別鑄總合成立。
王城の東北の山の阿に、立った仏の石像がある。高さは百四、五十尺である。金の色が晃り曜き、宝の飾りが煥り爛やかである。東に伽藍があり、この国の先の王が建てたものである。伽藍の東に鍮石の釈迦仏の立像があり、高さは百余尺である。身を分けて別々に鋳て、すべて合わせて成し立てたものである。
3臥た仏と無遮の大会
城東二三里伽藍中有佛入涅槃臥像。長千餘尺。其王每此設無遮大會。上自妻子下至國珍。府庫既傾復以身施。羣官僚佐就僧酬贖。若此者以爲所務矣。
城の東二、三里の伽藍の中に、仏が涅槃に入った臥像がある。長さは千余尺である。その王は毎年ここで無遮の大会を設ける。上は妻と子から下は国の珍宝まで出して、府と庫がすでに傾くと、さらに身をもって施す。群の官と僚の佐が僧のもとへ就いて酬い贖う。このようなことを務めとしているのである。
4仏の歯と商諾迦縛娑の袈裟
臥像伽藍東南行二百餘里。度大雪山。東至小川澤。泉池澄鏡林樹青葱。有僧伽藍。中有佛齒及劫初時獨覺齒。長餘五寸。廣減四寸。復有金輪王齒。長三寸廣二寸。商諾迦縛娑大阿羅漢所持鐵鉢量可八九升。凡三賢聖遺物。並以黃金緘封。又有商諾迦縛娑九條僧伽胝衣。絳赤色設諾迦草皮之所績成也。商諾迦縛娑者。阿難弟子也。在先身中以設諾迦草衣。於解安居日持施衆僧。承茲福力於五百身中陰生陰恒服此衣。以最後身從胎俱出。身既漸長。衣亦隨廣。及阿難之度出家也。其衣變爲法服。及受具戒。更變爲九條僧伽胝。將證寂滅入邊際定。發智願力留此袈裟。盡釋迦遺法。法盡之後方乃變壞。今已少損信有徵矣。
臥像の伽藍から東南へ二百余里行き、大雪山を度り、東へ行くと小さな川と沢に至る。泉と池は澄んで鏡のようであり、林の樹は青く葱い。僧伽藍があり、中に仏の歯と、劫の初めの時の独覚の歯がある。長さは五寸余り、広さは四寸に減りる。さらに金輪王の歯があり、長さは三寸、広さは二寸である。商諾迦縛娑の大阿羅漢が持っていた鉄の鉢があり、量は八、九升ほどである。およそ三人の賢聖の遺した物は、みな黄金で緘じ封じてある。また商諾迦縛娑の九条の僧伽胝の衣がある。絳く赤い色で、設諾迦草の皮を績んで成したものである。商諾迦縛娑は阿難の弟子である。先の身にあったとき、設諾迦草の衣を、安居を解く日に衆僧に持って施した。この福の力を承けて、五百の身のあいだ、中陰に生まれ陰にあっても、常にこの衣を服した。最後の身では胎から共に出た。身がだんだん長じると、衣もそれに随って広がった。阿難に度されて出家すると、その衣は法服に変わり、具足戒を受けると、さらに九条の僧伽胝に変わった。寂滅を証して辺際の定に入ろうとするとき、智と願の力を発して、この袈裟を留め、釈迦の遺した法が尽きるまで置くようにした。法が尽きた後にこそ、ようやく変じ壊れるのである。いますでに少し損じているので、その徴を信じるに足る。
夾注 1
舊曰商那和修訛也
旧くは商那和修といったが、誤りである。
從此東行入雪山。踰越黑嶺至迦畢試國。
ここから東へ行って雪山に入り、黒嶺を踰え越えると迦畢試国に至る。