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堊醯掣呾邏国堊醯掣呾邏國

大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 大唐西域記 · 玄奘 著 · 辯機 編 · 646年(唐・貞観20年) · 段落 3 · 漢字 172字 · 朗読 0.7分

大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 第4巻 玄奘が十七年のあいだ西域とインドの百三十八か国を踏んで帰り、唐の太宗に奉った記録。西遊記のもとになった書だが、ここにあるのは妖怪ではなく、国ごとの広さと気候と言葉と信仰である。法顕より二百年後、慧超より八十年前の道である。

堊醯掣呾邏國周三千餘里。國大都城周十七八里,依據險固。宜穀麥,多林泉。氣序和暢,風俗淳質。玩道篤學,多才博識。伽藍十餘所,僧徒千餘人,習學小乘正量部法。天祠九所,異道三百餘人,事自在天,塗灰之侶也。

堊醯掣呾邏国は周囲三千余里である。国の大都城は周囲十七、八里で、険しく堅固な地に拠っている。穀物と麦に適し、林や泉が多い。気候はのどかで、風俗は素朴で質素である。道を楽しみ学問に篤く、才が多く知識が広い。伽藍は十余か所、僧は千余人で、小乗の正量部の法を学び修めている。天祠は九か所、外道は三百余人で、自在天を祀る、灰を身に塗る者たちである。

2竜池のかたわらの塔

城外龍池側有窣堵波,無憂王之所建也。是如來在昔為龍王,七日於此說法。其側有四小窣堵波,是過去四佛坐及經行遺跡之所。

城の外の竜池のかたわらに窣堵波があり、無憂王が建てたものである。これは如来が昔、竜王となって七日のあいだここで法を説かれた所である。そのかたわらに四つの小さな窣堵波があり、過去の四仏が坐し、また歩まれた遺跡の所である。

自此南行二百六七十里,渡殑伽河,西南至毗羅刪拿國。

ここから南へ二百六、七十里行き、殑伽河を渡って西南へ行くと、毗羅刪拿国に至る。

夾注 1

中印度境。

中インドの境である。