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缽邏耶伽国缽邏耶伽國

大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 大唐西域記 · 玄奘 著 · 辯機 編 · 646年(唐・貞観20年) · 段落 6 · 漢字 1,119字 · 朗読 4.5分

大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 第5巻 玄奘が十七年のあいだ西域とインドの百三十八か国を踏んで帰り、唐の太宗に奉った記録。西遊記のもとになった書だが、ここにあるのは妖怪ではなく、国ごとの広さと気候と言葉と信仰である。法顕より二百年後、慧超より八十年前の道である。

缽邏耶伽國周五千餘里。國大都城據兩河交,周二十餘里,稼穡滋盛,果木扶疏。氣序和暢,風俗善順。好學藝,信外道。伽藍兩所,僧徒寡少,並皆習學小乘法教。天祠數百,異道寔多。

缽邏耶伽国は周囲五千余里である。国の大都城は二つの河が交わるところに拠り、周囲二十余里である。種え収めるものは豊かに盛んで、果樹が生い茂っている。気候は和やかにのびやかで、風俗は善良で素直である。学問と技芸を好み、外道を信じている。寺は二か所で僧は少なく、みな小乗の法と教えを学び習っている。天神をまつる祠が数百あり、外道がまことに多い。

2外道を降された所

大城西南瞻博迦花林中,有窣堵波,無憂王之所建也。基雖傾陷,尚百餘尺。在昔如來於此處降伏外道。其側則有髮爪窣堵波、經行遺跡。

大きな城の西南、瞻博迦の花の林の中に塔がある。無憂王が建てたものである。基は傾き落ちくぼんでいるが、なお百余尺ある。昔、如来がこの所で外道を降された。その傍らには髪と爪をおさめた塔と、経行された跡がある。

3提婆菩薩と婆羅門の問答

髮爪窣堵波側,有故伽藍,是提婆。菩薩作《廣百論》挫小乘、伏外道處。初,提婆菩薩自南印度至此伽藍,城中有外道婆羅門,高論有聞,辯才無礙,循名責實,反質窮辭。雅知提婆博究玄奧,欲挫其鋒,乃循名問曰:「汝為何名?」提婆曰:「名天。」外道曰:「天是誰?」提婆曰:「我。」外道曰:「我是誰?」提婆曰:「狗。」外道曰:「狗是誰?」提婆曰:「汝。」外道曰:「汝是誰?」提婆曰:「天。」外道曰:「天是誰?」提婆曰:「我。」外道曰:「我是誰?」提婆曰:「狗。」外道曰:「誰是狗?」提婆曰:「汝。」外道曰:「汝是誰?」提婆曰:「天。」如是循環,外道方悟。自時厥後,深敬風猷。

髪と爪をおさめた塔の傍らに古い寺がある。これは提婆菩薩が『広百論』を著して小乗を挫き、外道を降した所である。はじめ提婆菩薩が南印度からこの寺に至ったとき、城の中に外道の婆羅門がいて、高い論で名が聞こえ、弁舌はよどみなく、名を追って実を問いつめ、問い返して相手の言葉を尽きさせていた。提婆が玄妙で奥深いものを広く究めていることをよく知っていたので、その鋭さを挫こうとして、名を追って問うた。「お前の名は何か。」提婆は言った。「名は天である。」外道は言った。「天とは誰か。」提婆は言った。「私である。」外道は言った。「私とは誰か。」提婆は言った。「犬である。」外道は言った。「犬とは誰か。」提婆は言った。「お前である。」外道は言った。「お前とは誰か。」提婆は言った。「天である。」外道は言った。「天とは誰か。」提婆は言った。「私である。」外道は言った。「私とは誰か。」提婆は言った。「犬である。」外道は言った。「誰が犬か。」提婆は言った。「お前である。」外道は言った。「お前とは誰か。」提婆は言った。「天である。」このように巡り回ると、外道はようやく悟った。その時から後、その人がらと志を深く敬った。

夾注 1

唐言天

唐の言葉では天である。

4身を捨てさせる天神をまつる祠

城中有天祠,瑩飾輪煥,靈異多端。依其典籍,此處是眾生植福之勝地也。能於此祠捐舍一錢,功逾他所惠施千金。復能輕生,祠中斷命,受天福樂,悠永無窮。天祠堂前有一大樹,樹葉扶疏,陰影蒙密。有食人鬼依而棲宅,故其左右多有遺骸。若人至此祠中,無不輕舍身命,既怵邪說,又為神誘,自古迄今,習謬無替。近有婆羅門,族姓子也,闊達多智,明敏高才,來至祠中,謂眾人曰:「夫曲俗鄙志,難以導誘,吾方同事,然後攝化。」亦既登臨,俯謂友曰:「吾有死矣!昔謂詭妄,今驗其實,天仙伎樂依空接引,當從勝境捐此鄙形。」尋欲投身,自取殞絕,親友諫諭,其志不移。遂布衣服,遍周樹下,及其自投,得全軀命。久而醒曰:「惟見空中諸天召命,斯乃邪雅神所引,非得天樂也。」

城の中に天神をまつる祠がある。輝くように飾られて大きく明るく、霊しき不思議がさまざまである。その書物によれば、この所は生きとしいけるものが福を植える勝れた地だという。この祠に一銭を捨てることができれば、その功は他の所で千金を施すのにまさり、また命を軽んじて祠の中で命を絶てば、天の福楽を受けて遥かに尽きることがないという。天神をまつる祠の堂の前に大きな木が一本あり、葉が茂って影が濃く暗い。人を食う鬼がそれに寄って棲みついているので、その左右には残された骸が多い。もし人がこの祠に至れば、身と命を軽く捨てない者はない。すでに邪な説に惑わされ、また鬼に誘われて、昔から今に至るまで、誤った習わしが改まらない。近ごろ一人の婆羅門があった。家柄のある家の子で、度量が広く知恵が多く、明敏で才が高かった。祠に来て人々に言った。「およそ曲がった風俗と卑しい志は、導き諭すことが難しい。私はまず同じようにしてみて、その後に摂めて教化しよう。」そして登って見下ろし、友に言った。「私は死ぬことにする。昔は偽りだと思っていたが、今その実を目にした。天の仙の伎楽が虚空に寄って迎え導いているので、勝れた境に従ってこの卑しい形を捨てよう。」そしてすぐ身を投げて自ら死のうとした。親しい友たちが諫めたが、その志は動かなかった。そこで人々は衣服を広げて木の下にあまねく敷いたので、彼が自ら身を投げたとき、身も命も全うすることができた。しばらくして目を覚まして言った。「ただ空中で諸天が呼ぶのを見ただけである。あれは邪な鬼が導いたもので、天の楽しみを得たのではなかった。」

5五年ごとに開かれる大きな施しの場

大城東,兩河交,廣十餘里,土地爽塏,細沙彌漫。自古至今,諸王豪族,凡有舍施,莫不至止,周給不計,號大施場。今戒日王者,聿修前緒,篤述惠施,五年積財,一旦傾舍,於其施場,多聚珍貨。初第一日,置大佛像,眾寶莊嚴,即持上妙奇珍,而以奉施。次常住僧,次見前眾,次高才碩學、博物多能,次外道學徒、隱淪肥遁,次鰥寡孤獨、貧窮乞人。備極珍玩,窮諸上饌,如是節級,莫不周施。府庫既傾,肥玩都盡,髻中明珠,身諸瓔珞,次第施與,初無所悔。既舍施已,稱曰:「樂哉!凡吾所有,已入金剛堅固藏矣。」從此之後,諸國君王各獻珍服。嘗不逾旬,府庫充仞。

大きな城の東、二つの河が交わるところは広さが十余里で、土地は高く爽やかで、細かい砂が一面に広がっている。昔から今まで、諸王や豪族がおよそ施しをすることがあれば、ここに来ない者はなく、あまねく分け与えることは数えきれないので、大施場と呼ばれる。今の戒日王は先の緒を継ぎ修め、施しに篤く、五年のあいだ財を積んで一朝のうちにすべて傾け捨て、その施しの場に珍しい貨財を多く集めた。はじめの第一日には大きな仏像を安置し、多くの宝で厳かに飾ってから、最も妙なる珍しい宝を持って奉り施した。次は常住の僧、次はその場に集まった衆、次は才が高く学の大きな者、物を広く知り能の多い者、次は外道の学ぶ徒や世を隠れて住む者、次は鰥夫と寡婦と孤児と独り身の老人、貧しく乞う人であった。珍しく愛でるべき物を極めて備え、上等な食をことごとく尽くし、このように段を追って、あまねく施さないことがなかった。蔵がすでに傾き、愛玩の品がみな尽きると、髻の中の明るい珠や身につけた瓔珞を次々に施し与えて、はじめから悔いるところがなかった。施し終えると、称えて言った。「楽しいことだ。およそ私の持っていたものは、すでに金剛の堅固な蔵に入ったのだ。」この後、諸国の君王がそれぞれ珍しい服を献じたので、十日も経たずに蔵は満ちあふれた。

6二つの河が交わる所

大施場東合流口,日數百人自溺而死。彼俗以為欲求生天,當於此處絕粒自沈,沐浴中流,罪垢消滅。是以異國遠方,相趨萃止,七日斷食,然後絕命。至於山猿、野鹿,群遊水濱,或濯流而返,或絕食而死。當戒日王之大施也,有一彌猴,居河之濱,獨在樹下屏跡絕食,經數日後自餓而死。故諸外道修苦行者,於河中立高柱,日將旦也,便即升之,一手一足執柱端,躡傍杙,一手一足虛懸外申,臨空不屈,延頸張目,視日右轉,逮乎曛暮,方乃下焉。若此者,其徒數十,冀斯勤苦,出離生死,或數十年未嘗懈息。從此西南入大林中,惡獸野象,群暴行旅,非多徒黨,難以經涉。行五百餘里,至憍賞彌國。

大施場の東、二つの河が合わさる口では、日ごとに数百人が自ら溺れて死ぬ。その地の習わしでは、天に生まれることを求めるなら、まさにこの所で穀物を断って自ら沈み、流れの中で沐浴すれば、罪と垢が消え滅びると考えている。それゆえ異国の遠い所からも互いに走り集まり、七日のあいだ食を断ってから命を絶つ。山の猿や野の鹿までも、群れて水辺に遊び、あるものは流れに浴びて帰り、あるものは食を断って死ぬ。戒日王が大きな施しをしたとき、一匹の猿が河の岸に住んでいたが、ひとり木の下で姿を隠して食を断ち、数日の後に自ら餓えて死んだ。そこで外道で苦行を修める者たちは、河の中に高い柱を立て、日が昇ろうとするころにすぐそれに登り、片手と片足で柱の端をつかんで傍らの杙を踏み、もう片方の手と足は空に懸けて外へ伸ばし、空に臨んで屈めず、首を伸ばし目を張って日を見ながら右へ回り、日が暮れてからようやく下りてくる。このような者がその徒に数十人おり、この勤めの苦しみによって生と死を離れることを願い、あるものは数十年のあいだ一度も怠って休むことがない。ここから西南へ大きな林の中に入ると、荒い獣や野の象が群れて旅人を襲うので、仲間が多くなければ通り抜けることが難しい。五百余里行くと、憍賞彌国に至る。

夾注 1

舊曰拘睒彌國,訛也。中印度境。

旧くは拘睒彌国といったが、誤りである。中印度の境である。