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阿耶穆佉国阿耶穆佉國
大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 第5巻 玄奘が十七年のあいだ西域とインドの百三十八か国を踏んで帰り、唐の太宗に奉った記録。西遊記のもとになった書だが、ここにあるのは妖怪ではなく、国ごとの広さと気候と言葉と信仰である。法顕より二百年後、慧超より八十年前の道である。
阿耶穆佉國周二千四五百里。國大都城臨殑伽河,周二十餘里。其氣序土宜,同阿逾陁國。人淳俗質,勤學好福。伽藍五所,僧徒千餘人,習學小乘正量部法。天祠十餘所,異道雜居。
阿耶穆佉国は周囲二千四、五百里である。国の大都城は殑伽河に臨み、周囲二十余里である。その気候と土地に適するものは阿逾陀国と同じである。人は淳朴で風俗は質素であり、よく学んで福を好む。寺が五つ、僧が千余人おり、小乗正量部の法を学び習っている。天神をまつる祠が十余か所あり、外道が入りまじって住んでいる。
2大毗婆沙論を著した所
城東南不遠,臨殑伽河岸,有窣堵波,無憂王之所建也,高二百餘尺,是如來昔於此處三月說法。其側則有過去四佛座有經行遺跡之所。復有如來髮爪青石窣堵波。其側伽藍,僧徒二百餘人,佛像莊飾,威嚴如在。臺閣宏麗,奇制郁起,是昔佛陀馱娑論師於此制說一切有部《大毗婆沙論》。
城の東南の遠くないところ、殑伽河の岸に臨んで塔がある。無憂王が建てたもので、高さは二百余尺である。これは如来が昔この所で三か月のあいだ法を説かれた跡である。その傍らには、過去の四仏が座られ、また経行された跡の残る所がある。さらに如来の髪と爪をおさめた青石の塔がある。その傍らの寺には僧が二百余人おり、仏像の飾りは厳かで、威厳はまるで在すかのようである。台閣は大きく麗しく、珍しい造りが高くそびえている。これは昔、仏陀駄娑論師がここで説一切有部の『大毗婆沙論』を著した所である。
夾注 1
唐言覺使。
唐の言葉では覚使である。
從此東南行七百餘里,渡殑伽河南、閻牟那河北,至缽鑼耶伽國。
ここから東南へ七百余里行き、殑伽河の南と閻牟那河の北を渡ると、缽鑼耶伽国に至る。
夾注 1
中印度境。
中印度の境である。