瞿薩旦那国瞿薩旦那國
瞿薩旦那國周四千餘里,沙磧太半,壤土隘狹。宜穀稼,多眾果。出氍毹細氈,工紡績絁紬,又產白玉、黳玉。氣序和暢,飄風飛埃。俗知禮義,人性溫恭。好學典藝,博達伎能。眾庶富樂,編戶安業。國尚樂音,人好歌舞。少服毛褐氈裘,多衣絁紬白氎。儀形有體,風則有紀。文字憲章,聿遵印度,微改體勢,粗有沿革。語異諸國,崇尚佛法。伽藍百有餘所,僧徒五千餘人,並多習學大乘法教。
瞿薩旦那国は周り四千余里で、沙磧が大半を占め、壌の土は隘く狭い。穀の稼に宜しく、衆の果が多い。氍毹や細い氈を出し、絁や紬を紡ぎ績むことに巧みで、また白玉・黳玉を産する。気候は和らぎ暢びているが、飄る風が埃を飛ばす。風俗は礼義を知り、人の性質は温かく恭しい。典と芸を学ぶことを好み、伎と能に博く達している。衆の庶は富み楽しみ、編戸は業に安んじている。国は楽の音を尚び、人は歌と舞を好む。毛の褐や氈の裘を服ることは少なく、多くは絁や紬、白い氎を衣る。儀しい形に体があり、風の則に紀がある。文字と憲章はインドに遵っているが、わずかに体勢を改め、おおむね沿い革めたところがある。語は諸国と異なり、仏法を崇め尚んでいる。伽藍は百余ヶ所、僧徒は五千余人で、ともに多く大乗の法教を習い学ぶ。
2二人の王が獵り場で会って争う
王甚驍武,敬重佛法,自云毗沙門天之祚胤也。昔者,此國虛曠無人,毗沙門天子此棲止。無憂王太子在呾叉始羅國被抉目,已無憂王怒譴輔佐,遷其豪族,出雪山北,居荒谷間。遷人逐牧,至此西界,推舉酋豪,尊立為王。當是時也,東土帝子蒙譴流徙,居此東界,群下勸進,又自稱王。歲月已積,風教不通。各因田獵,遇會荒澤,便問宗緒,因而爭長。忿形辭語,便欲交兵。或有諫曰:「今可遽乎?因獵決戰,未盡兵鋒。宜歸治兵,期而後集。」
王は甚だ驍しく武く、仏法を敬い重んじているが、自ら毗沙門天の祚の胤であるという。昔、この国は虚しく曠くて人がなく、毗沙門天子がここに棲み止まっていた。無憂王の太子が呾叉始羅国で目を抉られると、無憂王は怒って輔け佐ける者たちを譴め、その豪族を遷して雪の山の北へ出し、荒れた谷の間に居らせた。遷された人たちは牧を逐って、この西の界に至り、酋い豪を推し挙げて、尊んで王に立てた。このときに当たって、東の土の帝の子が譴めを蒙って流され徙され、この東の界に居ったが、群の下が勧め進めたので、また自ら王と称した。歳と月がすでに積もったが、風と教は通わなかった。それぞれ田り獵ることによって、荒れた澤で遇い会い、そこで宗の緒を問い、それによって長を争った。忿りが辞と語に形れて、すぐに兵を交えようとしたが、ある者が諫めて言った、「今、遽かにすべきでしょうか。獵りのついでに戦を決すれば、兵の鋒を尽くすことができません。帰って兵を治め、期を定めてから後に集まるべきです」。
3水の跡に沿って城の基を定める
於是回駕而返,各歸其國,校習戎馬,督勵士卒。至期兵會,旗鼓相望。旦日合戰,西主不利,因而逐北,遂斬其首。東主乘勝,撫集亡國。遷都中地,方建城郭,憂其無土,恐難成功,宣告遠近,誰識地理。時有塗炭外道,負大瓠,盛滿水而自進曰:「我知地理。」遂以其水屈曲遺流,周而復始,因即疾驅,忽而不見。依彼水跡,峙其基堵,遂得興工,即斯國治,今王所都於此城也。城非崇峻,攻擊難克,自古已來,未能有勝。
そこで駕を回して返り、それぞれその国に帰って、戎と馬を校べ習わせ、士と卒を督し励ました。期に至って兵が会い、旗と鼓が相い望んだ。旦の日に戦を合わせると、西の主が利あらず、それによって北げるのを逐い、ついにその首を斬った。東の主は勝ちに乗じて、亡んだ国を撫し集めた。都を中の地に遷し、まさに城郭を建てようとしたが、その土のないことを憂え、功を成し難いことを恐れて、遠近に宣べ告げ、誰が地の理を識っているかを問うた。そのとき塗炭の外道がいて、大きな瓠を負い、水を盛り満たして自ら進み出て言った、「私は地の理を知っています」。そしてその水を屈り曲げて遺し流し、周って再び始めに復らせ、それによってすぐに疾く驅けて、忽ちに見えなくなった。その水の跡に依ってその基と堵を峙てると、ついに工を興すことができた。すなわちこの国の治める所、今の王がこの城に都しているところである。城は崇く峻しくはないが、攻め撃っても克ち難く、古より以来、勝つことのできた者はない。
4地の乳が育てた子
其王遷都作邑,建國安人,功績已成,齒耋云暮,未有胤嗣,恐絕宗緒。乃往毗沙門天神所,祈禱請嗣。神像額上,剖出嬰孩,捧以回駕,國人稱慶。既不飲乳,恐其不壽,錄詣神祠,重請育養。神前之地忽然隆起,其狀如乳,神童飲吮,遂至成立。智勇光前,風教遐被,遂營神祠,宗先祖也。自茲已降,奕世相承,傳國君臨,不失其緒。故今神廟多諸珍寶,拜祠享祭,無替於時。地乳所育,因為國號。
その王は都を遷して邑を作り、国を建てて人を安んじ、功と績がすでに成ったが、齒は耋いて暮れようとするのに胤の嗣がなく、宗の緒が絶えることを恐れた。そこで毗沙門天神の所に往き、嗣を祈り禱って請うた。神の像の額の上が剖れて嬰い孩が出たので、捧げて駕を回すと、国の人は慶びを称えた。しかし乳を飲まないので、その寿からぬことを恐れ、改めて神の祠に詣って、重ねて育み養うことを請うた。神の前の地が忽然として隆り起こり、その状は乳のようであった。神しい童が飲み吮って、ついに成り立つに至った。智と勇は前の者を光らせ、風と教は遐く被ったので、ついに神の祠を営み、先の祖を宗とした。これより以降、奕しく世を相い承け、国を伝え君として臨み、その緒を失うことがなかった。だから今、神の廟には諸々の珍しい宝が多く、拝み祠り享け祭ることを、時に替えることがない。地の乳が育てたところであるから、それによって国の号とした。
5毗盧折那阿羅漢
王城南十餘里有大伽藍,此國先王為毗盧折那阿羅漢建也。昔者,此國佛法未被,而阿羅漢自迦濕彌羅國至此林中,宴坐習定。時有見者,駭其容服,具以其狀上白於王。王遂躬往,觀其容止,曰:「爾何人乎,獨在幽林?」羅漢曰:「我,如來弟子,閑居習定。王宜樹福,弘贊佛教,建伽藍,召僧眾。」王曰:「如來者,有何德,有何神,而汝鳥棲,勤苦奉教?」曰:「如來慈湣四生,誘導三界,或顯或隱,示生示滅。遵其法者,出離生死,迷其教者,羈纏愛網。」王曰:「誠如所說,事高言議。既云大聖,為我現形。若得瞻仰,當為建立,罄心歸信,弘揚教法。」羅漢曰:「王建伽藍,功成感應。」王茍從其請,建僧伽藍,遠近咸集,法會稱慶,而未有犍椎扣擊召集。王謂羅漢曰:「伽藍已成,佛在何所?」羅漢曰:「王當至誠,聖鑒不遠。」王遂禮請,忽見空中佛像下降,授王揵椎,因即誠信,弘揚佛教。
王城の南十余里に大きな伽藍があり、この国の先の王が毗盧折那阿羅漢のために建てたものである。昔、この国に仏法がまだ被らなかったころ、阿羅漢が迦濕弥羅国からこの林の中に至り、宴かに坐って定を習っていた。そのとき見た者があり、その容と服に駭いて、その状を具えて王に上り白した。王はついに躬ら往き、その容止を観て言った、「お前は何という人か、独りで幽かな林にいるとは」。羅漢は言った、「私は如来の弟子で、閑かに居って定を習っています。王は福を樹て、仏の教を弘く賛え、伽藍を建てて僧の衆を召すべきです」。王は言った、「如来とは、どんな徳があり、どんな神があって、お前は鳥のように棲み、勤め苦しんで教を奉じているのか」。言った、「如来は四つの生を慈しみ湣れみ、三界を誘い導かれ、あるいは顕れあるいは隠れ、生を示し滅を示されます。その法に遵う者は生死を出で離れ、その教に迷う者は愛の網に羈られ纏われます」。王は言った、「まことに説くところのようであれば、事は言と議より高い。すでに大いなる聖というのなら、私のために形を現させよ。もし瞻ぎ仰ぐことができれば、必ず建立し、心を罄くして帰き信じ、教と法を弘め揚げよう」。羅漢は言った、「王が伽藍を建てれば、功が成って感応があるでしょう」。王はかりにその請に従って僧伽藍を建てると、遠近からみな集まり、法の会で慶びを称えたが、まだ犍椎を扣き撃って召し集めるものがなかった。王は羅漢に言った、「伽藍はすでに成ったが、仏はどこにおられるのか」。羅漢は言った、「王が至誠を尽くせば、聖の鑒は遠くありません」。王がついに礼をもって請うと、忽ちに空の中から仏像が下り降りて、王に揵椎を授けるのが見えた。それによってすぐに誠に信じ、仏の教を弘め揚げた。
夾注 1
唐言遍照。
唐の言葉では遍照である。
6瞿室𩜁伽山 — 牛の角の山
王城西南二十餘里,有瞿室𩜁伽山。山峰兩起,巖隒四絕。於崖谷間建一伽藍,其中佛像時燭光明。昔如來曾至此處,為諸天人略說法要,懸記此地當建國土,敬崇遺法,遵習大乘。
王城の西南二十余里に、瞿室𩜁伽山がある。山の峰が二つ起こり、巖の隒が四方に絶えている。崖と谷の間に一つの伽藍を建てたが、その中の仏像は時おり光明を燭す。昔、如来がかつてこの処に至り、諸々の天と人のために法の要を略して説き、この地に必ず国土が建てられ、遺された法を敬い崇め、大乗を遵い習うであろうと、懸けて記された。
夾注 1
唐言牛角。
唐の言葉では牛の角である。
7慈氏仏を待つ阿羅漢
牛角山巖有大石室,中有阿羅漢,入滅心定,待慈氏佛,數百年間,供養無替。近者崖崩,掩塞門徑。國王興兵欲除崩石,即黑峰群飛,毒螫人眾,以故至今石門不開。
牛角山の巖に大きな石の室があり、その中に阿羅漢がいて、滅心定に入り、慈氏仏を待っている。数百年の間、供養に替わることがなかった。近ごろ崖が崩れて、門の径を掩い塞いだ。国の王が兵を興して崩れた石を除こうとすると、たちまち黒い蜂が群れ飛んで、人々を毒しく螫した。そのために今に至るまで石の門は開かれていない。
8屈支国から自ら来た仏像
王城西南十餘里,有地迦婆縛那伽藍。中有夾纻立佛像,本從屈支國而來至止。昔此國中有臣被譴,寓居屈支,恒禮此像。後蒙還國,傾心遙敬,夜分之後,像忽自至,其人舍宅,建此伽藍。
王城の西南十余里に、地迦婆縛那伽藍がある。中に夾纻で作った立った仏像があり、もとは屈支国から来てここに止まったものである。昔、この国の中にある臣が譴めを被り、屈支に寓り居って、恒にこの像に礼をしていた。後に国に還ることを蒙ると、心を傾けて遥かに敬っていたが、夜が分かれた後、像が忽ちに自ら至った。その人は宅を舎てて、この伽藍を建てた。
9勃伽夷城の宝の冠を戴いた仏像
王城西行三百餘里,至勃伽夷城。中有佛坐像,高七尺餘,相好允備,威肅嶷然,首戴寶冠,光明對照。聞諸土俗曰:本在迦濕彌羅國,請移至此。昔有羅漢,其沙彌弟子臨命終時,求酢米餅。羅漢以天眼觀,見瞿薩旦那國有此味焉,運神通力,至此求獲。沙彌啖已,願生其國。果遂宿心,得為王子。既嗣位已,威攝遐邇,遂逾雪山,伐迦濕彌羅國。迦濕彌羅國王整集戎馬,欲禦邊冠。時阿羅漢諫王:「勿鬥兵也,我能退之。」尋為瞿薩旦那王說諸法要。王初未信,尚欲興兵。羅漢遂取此王先身沙彌時衣,而以示之。王既見衣,得宿命智,與迦濕彌羅王謝咎交歡,釋兵而返,奉迎沙彌時所供養佛像,隨軍禮請。像至此地,不可轉移,環建伽藍,式招僧侶,舍寶冠置像頂。今所冠者,即先王所施也。
王城を西へ三百余里行くと、勃伽夷城に至る。中に仏の坐った像があり、高さは七尺余り、相好はまことに備わり、威しく肅かで嶷然としている。首に宝の冠を戴き、光明が対い照らしている。その土地の俗に聞くと、もとは迦濕弥羅国にあったのを、請うてここに移したという。昔、ある羅漢がいて、その沙弥の弟子が命を終えようとするとき、酢い米の餅を求めた。羅漢は天の眼で観て、瞿薩旦那国にこの味があるのを見、神通の力を運んで、ここに至って求め獲た。沙弥は啖べ終えると、その国に生まれることを願った。果たして宿りの心を遂げ、王の子となることができた。位を嗣いでからは、威が遐くにも邇くにも摂り、ついに雪の山を踰えて迦濕弥羅国を伐った。迦濕弥羅国の王は戎と馬を整え集め、辺りの冠を禦ごうとした。そのとき阿羅漢が王を諫めた、「兵を鬥わせてはなりません。私がこれを退けることができます」。ついで瞿薩旦那王のために諸々の法の要を説いた。王は初め信じず、なお兵を興そうとした。羅漢はついにこの王の先の身の沙弥であったときの衣を取って、これを示した。王は衣を見ると、宿りの命を知る智を得、迦濕弥羅王と咎を謝して交わり歓び、兵を釋いて返った。沙弥であったときに供養していた仏像を奉じ迎え、軍に随わせて礼をもって請うて来たが、像はこの地に至ると、転じ移すことができなくなった。環って伽藍を建て、法式のとおりに僧の侶を招き、宝の冠を舎てて像の頂に置いた。今、冠っているものは、すなわち先の王が施したものである。
10鼠の墳 — 匈奴を退けた鼠
王城西百五六十里,大沙磧正路中,有堆阜,並鼠壤墳也。聞之土俗曰:此沙磧中,鼠大如猬,其毛則金銀異色,為其群之酋長,每出穴遊止,則群鼠為從。昔者,匈奴率數十萬眾,冠略邊城,至鼠墳側屯軍,時瞿薩旦那王率數萬兵,恐力不敵,素知磧中鼠奇,而未神也。洎乎冠至,無所求救,君臣震恐,莫知圖計,茍復設祭,焚香請鼠,冀其有靈,少加軍力。其夜瞿薩旦那王夢見大鼠曰:「敬欲相助,願早治兵。旦日合戰,必當克勝。」瞿薩旦那王知有靈祐,遂整戎馬,申令將士,未明而行,長驅掩襲。匈奴之聞也,莫不懼焉,方欲駕乘被鎧,而諸馬鞍、人服、弓弦、甲縺,凡厥帶系,鼠皆嚙斷。兵寇既臨,面縛受戮。於是殺其將,虜其兵,匈奴震懾,以為神靈所祐也。瞿薩旦那王感鼠厚恩,建祠設祭,奕世遵敬,特深珍異。故上自君王,下至黎庶,咸修祀祭,以求福祐。行次其穴,下乘而趨,拜以致敬,祭以祈福。或衣服弓矢,或香花肴膳,亦既輸誠,多蒙福利。若無享祭,則逢災變。
王城の西百五、六十里、大きな沙磧の正しい路の中に堆と阜があり、みな鼠が壌を積んだ墳である。土地の俗に聞くと、こう言う。この沙磧の中に鼠がいて、猬ほどの大きさで、その毛は金と銀の異なる色をしており、その群れの酋長となっていて、穴を出て遊び止まるたびに、群れの鼠が従いとなる。昔、匈奴が数十万の衆を率い、辺りの城を冠し略して、鼠の墳の側に至って軍を屯した。そのとき瞿薩旦那王は数万の兵を率いていたが、力が敵わないことを恐れた。もとより磧の中の鼠が奇しいことは知っていたが、まだ神しいとは思っていなかった。冠が至るに及んで、救いを求める所もなく、君も臣も震え恐れて、図り計ることを知らなかったので、かりに重ねて祭を設け、香を焚いて鼠に請い、その霊しさがあって、少しでも軍の力を加えてくれることを冀った。その夜、瞿薩旦那王は夢に大きな鼠を見た。鼠は言った、「敬んで相い助けようと思う。願わくは早く兵を治めよ。旦の日に戦を合わせれば、必ず克ち勝つであろう」。瞿薩旦那王は霊しい祐けのあることを知り、ついに戎と馬を整え、将と士に令を申べ、まだ明けないうちに行き、長く驅けて掩い襲った。匈奴はこれを聞いて、懼れない者はなかった。まさに駕り乗って鎧を被ろうとしたが、諸々の馬の鞍、人の服、弓の弦、甲の縺、およそその帯び系ぶものは、鼠がみな嚙み断っていた。兵の寇がすでに臨むと、面を縛られて戮を受けた。そこでその将を殺し、その兵を虜にすると、匈奴は震え懾れて、神しい霊が祐けたのだと思った。瞿薩旦那王は鼠の厚い恩に感じ、祠を建て祭を設け、奕しく世を遵い敬い、特に深く珍しく異なるものとした。だから上は君王から、下は黎い庶まで、みな祀り祭ることを修めて、福と祐けを求める。行きがてらその穴に次るときは、乗り物を下りて趨り、拝んで敬いを致し、祭って福を祈る。あるいは衣服や弓矢、あるいは香花や肴と膳をもってするが、すでに誠を輸せば、多く福と利を蒙る。もし享け祭ることがなければ、災いと変に逢う。
11娑摩若伽藍 — 窣堵波を掌に載せた阿羅漢
王城西五六里,有娑摩若僧伽藍。中有窣堵波,高百餘尺,甚多靈瑞,時燭神光。昔有羅漢自遠方來,止此林中,以神通力,放大光明。時王夜在重閣,遙見林中光明照曜,於是歷問,僉曰:「有一沙門自遠而至,宴坐林中,示現神通。」王遂命駕,躬註觀察。既睹明賢,心乃祗敬,欽風不已,請至中宮。沙門曰:「物有所宜,志有所在。幽林藪澤,情之所賞,嵩堂邃宇,非我攸聞。」王益敬仰,深加宗重,為建伽藍,起窣堵波。沙門受請,遂止其中。頃之,王感獲舍利數百粒,甚慶悅,竊自念曰:「舍利來應,何其晚歟?早得置之窣堵波下,豈非勝跡?」尋詣伽藍,具白沙門。羅漢曰:「王無憂也,今為置之。宜以金銀銅鐵大石函等,以次周盛。」王命匠人,不日功畢,載諸寶輿,送至伽藍。是時也,王宮導從、庶僚凡百,觀送舍利者,動以萬計。羅漢乃以右手舉窣堵波,置諸掌中,謂王曰:「可以藏下也。」遂坎地安函,其功斯畢,於是下窣堵波,無所傾損。觀睹之徒,嘆未曾有,信佛之心彌篤,敬法之志斯堅。王謂群官曰:「我嘗聞佛力難思,神通難究。或分身百億,或應跡人天。舉世界於掌內,眾生無動靜之想,演法性於常音,眾生有隨類之悟。斯則神力不共,智慧絕言。其靈已隱,其教猶傳。餐和飲澤,味道欽風,尚獲斯靈,深賴其福。勉哉凡百,宜深崇敬,佛法函深,於是明矣。」
王城の西五、六里に、娑摩若僧伽藍がある。中に窣堵波があり、高さは百余尺で、霊しい瑞が甚だ多く、時おり神しい光を燭す。昔、ある羅漢が遠い方から来て、この林の中に止まり、神通の力で大きな光明を放った。そのとき王は夜、重ねた閣にいて、遥かに林の中に光明が照り曜くのを見、そこで歴ねて問うと、みなが言った、「一人の沙門が遠くから至り、林の中に宴かに坐って、神通を示し現しています」。王はついに駕を命じ、躬ら註いて観察した。明らかに賢い者を睹ると、心は祗み敬い、風を欽うことが止まず、中宮に至ることを請うた。沙門は言った、「物には宜しい所があり、志には在る所があります。幽かな林や藪と澤は情の賞ずる所、嵩い堂や邃い宇は、私の聞くところではありません」。王はいよいよ敬い仰ぎ、深く宗び重んじて、そのために伽藍を建て、窣堵波を起てた。沙門は請を受け、ついにその中に止まった。しばらくして、王は感じて舎利数百粒を獲、甚だ慶び悦んだが、竊かに自ら念じて言った、「舎利が来り応じたのが、どうしてこんなに晩いのだろう。早く得て窣堵波の下に置いていたら、勝れた跡ではなかったろうか」。ついで伽藍に詣って、具えて沙門に白した。羅漢は言った、「王は憂うることはありません。今これを置きましょう。金・銀・銅・鉄・大きな石の函などをもって、次々に周く盛るべきです」。王は匠の人に命じ、日を経ずして功を畢え、諸々の宝の輿に載せて、伽藍に送り至らせた。このとき、王の宮の導き従う者、庶い僚およそ百、舎利を送るのを観る者は、動もすれば万を以て計えられた。羅漢はそこで右の手で窣堵波を挙げ、これを掌の中に置いて、王に言った、「下に蔵めることができます」。ついに地を坎って函を安んじ、その功をここに畢えると、そこで窣堵波を下ろしたが、傾き損なう所はなかった。観て睹た徒は、未だ曾てないことだと嘆き、仏を信ずる心はいよいよ篤く、法を敬う志はここに堅くなった。王は群の官に言った、「私はかつて聞いた、仏の力は思い難く、神通は究め難いと。あるいは身を百億に分け、あるいは跡を人と天に応じられる。世界を掌の内に挙げても、衆生に動き静まる想いはなく、法の性を常の音に演べても、衆生には類に随う悟りがある。これすなわち神しい力は共にするものがなく、智慧は言を絶している。その霊はすでに隠れたが、その教はなお伝わっている。和を餐べ澤を飲み、道を味わい風を欽うだけでも、なおこの霊しさを獲るのは、深くその福に賴ったのである。勉めよ、およそ百の者たち。深く崇め敬うべきである。仏法の函く深いことは、ここに明らかである」。
12麻射伽藍 — 帽の中に隠して来た蠶の種
王城東南五六里,有麻射僧伽藍,此國先王妃所立也。昔者,在國未知桑蠶,聞東國有之,命使以求。時東國君秘而不賜,嚴敕關防,無令桑蠶種出也。瞿薩旦那王乃卑辭下禮,求婚東國。國君有懷遠之志,遂允其請。瞿薩旦那王命使迎婦,而誡曰:「爾致辭東國君女,我國素無絲綿桑蠶之種,可以持來,自為裳服。」女聞其言,密求其種,以桑蠶之子置帽絮中,既至關防,主者遍索。唯王女帽不敢以檢。遂入瞿薩旦那國,止麻射伽藍故地,方備儀禮,奉迎入宮,以桑蠶種留於此地。陽春告始,乃植其桑,蠶月既臨,復事采養。初至也,尚以雜葉飼之,自時厥後,桑樹連蔭。王妃乃刻石為制,不令傷殺,蠶蛾飛盡,乃得治繭,敢有犯違,明神不祐。遂為先蠶建此伽藍。數株枯桑,云是本種之樹也。故今此國有蠶不殺,竊有取絲者,來年輒不宜蠶。
王城の東南五、六里に、麻射僧伽藍があり、この国の先の王の妃が立てたものである。昔、国にはまだ桑と蠶を知らなかったが、東の国にそれがあると聞いて、使いに命じてこれを求めた。そのとき東の国の君は秘して賜わず、関と防を厳しく敕して、桑と蠶の種を出させないようにした。瞿薩旦那王はそこで辞を卑しくし礼を下して、東の国に婚を求めた。国の君は遠きを懐う志があったので、ついにその請を允した。瞿薩旦那王は使いに命じて婦を迎えさせたが、誡めて言った、「お前は東の国の君の女に辞を致せ。わが国にはもとより絲綿も桑も蠶の種もない。持って来て、自ら裳と服を作られるとよいと」。女はその言を聞いて、密かにその種を求め、桑と蠶の子を帽の絮の中に置いた。関と防に至ると、主る者が遍く索めたが、ただ王の女の帽だけは敢えて検めなかった。ついに瞿薩旦那国に入り、麻射伽藍の故い地に止まって、まさに儀と礼を備え、奉じ迎えて宮に入れ、桑と蠶の種をこの地に留めた。陽の春が始まりを告げると、そこでその桑を植え、蠶の月が臨むと、また采り養うことを事とした。初めて至ったころは、まだ雑えた葉をこれに飼っていたが、その時から後は、桑の樹が蔭を連ねた。王の妃はそこで石に刻んで制を為し、傷つけ殺させないようにし、蠶の蛾が飛び尽くしてから繭を治めることを得させ、敢えて犯し違う者があれば、明らかな神が祐けないとした。ついに先に蠶を飼った者のためにこの伽藍を建てた。数株の枯れた桑があり、これがもとの種の樹であるという。だから今この国では蠶がいても殺さず、竊かに絲を取る者があれば、来る年には途端に蠶が宜しくならない。
13河の水が絶え、大臣が龍のもとへ行く
城東南百餘里有大河,西北流,國人利之,以用溉田。其後斷流,王深怪異。於是命駕問羅漢僧曰:「大河之水,國人取給,今忽斷流,其咎安在?為政有不平,德有不洽乎?不然,垂譴何重也?」羅漢曰:「大王治國,政化清和。河水斷流,龍所為耳。宜速祠求,當復昔利。」王因回駕,祠祭河龍。忽有一女淩波而至,曰:「我夫早喪,主命無從。所以河水絕流,農人失利。王於國內選一貴臣,配我為夫,水流如昔。」王曰:「敬聞,任所欲耳。」龍遂目悅國之大臣。王既回駕,謂群下曰:「大臣者,國之重鎮;農務者,人之命食。國失鎮則危,人絕食則死。危、死之事,何所宜行?」大臣越席,跪而對曰:「久已虛薄,謬當重任。常思報國,未遇其時。今而預選,敢塞深責。茍利萬姓,何吝一臣?臣者國之佐,人者國之本,願大王不再思也。幸為修福,建僧伽藍。」王允所求,功成不日。其臣又請早入龍宮,於是舉國僚庶,鼓樂飲餞。其臣乃衣素服,乘白馬,與王辭訣,敬謝國人。驅馬入河,履水不溺,濟乎中流,麾鞭畫水,水為中開,自茲沒矣。頃之,白馬浮出,負一旃檀大鼓,封一函書。其書大略曰:「大王不遺細微,謬參神選,願多營福,益國滋臣。以此大鼓,懸城東南,若有寇至,鼓先聲震。」河水遂流,至今利月。歲月浸遠,龍鼓久無。舊懸之處,今仍有鼓。池側伽藍,荒圮無僧。
城の東南百余里に大きな河があり、西北へ流れているので、国の人はこれを利として、田に灌ぐのに用いている。その後、流れが断たれたので、王は深く怪しみ異しんだ。そこで駕を命じて羅漢の僧に問うた、「大きな河の水を国の人が取って給っていたが、今忽ちに流れが断たれた。その咎はどこにあるのか。政に平らかでないことがあり、徳に洽らないことがあるのか。そうでないなら、譴めを垂れることがどうしてこれほど重いのか」。羅漢は言った、「大王が国を治め、政と化は清く和らいでいます。河の水が流れを断ったのは、龍のしたことに過ぎません。速やかに祠って求めるべきです。昔の利に復るでしょう」。王はそれによって駕を回し、河の龍を祠り祭った。忽ちに一人の女が波を淩いで至って言った、「私の夫は早くに喪われ、主の命に従う所がありません。そのために河の水が流れを絶ち、農の人が利を失いました。王が国の内で一人の貴い臣を選び、私に配して夫としてくだされば、水は昔のように流れましょう」。王は言った、「敬んで聞いた。欲する所に任せよう」。龍はついに国の大臣を目して悦んだ。王は駕を回してから、群の下に言った、「大臣は国の重い鎮めであり、農の務めは人の命の食である。国が鎮めを失えば危うく、人が食を絶てば死ぬ。危うきと死の事、何を行うのが宜しいか」。大臣は席を越え、跪いて対えて言った、「久しく虚しく薄い身で、謬って重い任に当たってまいりました。常に国に報いることを思いながら、その時に遇いませんでした。今、選びに預かるのですから、敢えて深い責めを塞ぎましょう。まことに万の姓に利があるなら、どうして一人の臣を吝しみましょう。臣は国の佐け、人は国の本です。願わくは大王、再び思われますな。幸いに私のために福を修め、僧伽藍を建ててください」。王は求める所を允し、功は日を経ずして成った。その臣はまた早く龍の宮に入ることを請うたので、そこで国を挙げての僚と庶が、鼓と楽で飲み餞した。その臣はそこで素い服を衣、白い馬に乗り、王と辞し訣れ、国の人に敬んで謝した。馬を驅って河に入ると、水を履んでも溺れず、中の流れを濟り、鞭を麾って水を画くと、水は中から開き、それより没した。しばらくして、白い馬が浮かび出て、一つの旃檀の大きな鼓を負い、封じた一函の書があった。その書の大略に言う、「大王が細かく微かな者を遺てず、謬って神の選びに参らせてくださいました。願わくは多く福を営み、国を益し臣を滋してください。この大きな鼓を城の東南に懸け、もし寇が至れば、鼓が先に声を震わせるようにしてください」。河の水はついに流れ、今に至るまで利している。歳月が浸く遠くなって、龍の鼓は久しく無い。旧く懸けていた処に、今もなお鼓がある。池の側の伽藍は、荒れ圮れて僧がいない。
14軍が敗れた赤い土地
王城東三百餘里大荒澤中,數十頃地,絕無蘗草,其土赤黑。聞諸耆舊曰:「敗軍之地也。昔者,東國軍師百萬西伐,此時瞿薩旦那王亦整齊戎馬數十萬眾,東禦強敵,至於此地,兩軍相遇,因即合戰。西兵失利,乘勝殘殺,虜其王殺其將,誅戮士卒,無復孑遺。流血染地,其跡斯在。
王城の東三百余里の大きな荒れた澤の中、数十頃の地に、蘖も草も絶えて無く、その土は赤く黒い。耆く旧い人たちに聞くと、「軍が敗れた地である」という。昔、東の国の軍師百万が西を伐ったとき、瞿薩旦那王もまた戎と馬の数十万の衆を整え齊えて、東に強い敵を禦ごうとしてこの地に至った。両の軍が相い遇い、それによってすぐに戦を合わせたが、西の兵が利を失った。勝ちに乗じて残り殺し、その王を虜にしその将を殺し、士と卒を誅し戮して、再び孑り遺る者はなかった。流れた血が地を染め、その跡がここにある。
15媲摩城の檀の仏像と沙に埋もれた城
戰地東行三十餘里,至媲摩城。有雕檀立佛像,高二丈餘,甚多靈應,時燭光明。凡在疾病,隨其痛處,金薄貼像,即時痊復。虛心請願,多亦遂求。聞之土俗曰:此像,昔佛在世憍賞彌國鄔陁衍那王所作也。佛去世後,自彼淩空至此國北曷勞落迦城中。初,此城人安樂富饒,深著邪見,而不珍敬,傳其自來,神而不貴。後有羅漢禮拜此像,國人驚駭,異其容服,馳以白王。王乃下令,宜以沙土坌此異人。時阿羅漢身蒙沙土,糊口絕糧。時有一人,心甚不忍,昔常恭敬尊禮此像,及見羅漢,密以饌之。羅漢將去,謂其人曰:「卻後七天,當雨沙土,填滿此城,略無遺類。爾宜知之,早圖出計。由其坌我,獲斯殃耳。」語已便去,忽然不見。其人入城,具告親故,或有聞者,莫不嗤笑。至第二日,大風忽發,吹去穢壤,雨雜寶滿衢路。人更罵所告者。此人心知必然,竊開孔道,出城外而穴之。第七日夜,宵分之後,雨沙土滿城中。其人從孔道出,東趣此國,止媲摩城。其人才至,其像亦來,即此供養,不敢遷移。聞諸先記曰:釋迦法盡,像入龍宮。今曷勞落迦城為大堆阜,諸國君王、異方豪右,多欲發掘,取其寶物。適至其側,猛風暴發,煙雲四合,道路迷失。
戦った地を東へ三十余里行くと、媲摩城に至る。檀を雕った立った仏像があり、高さは二丈余り、霊しい応えが甚だ多く、時おり光明を燭す。およそ疾や病があれば、その痛む処に随って金の薄を像に貼ると、即時に痊え復る。心を虚しくして願を請えば、多くはまた求めを遂げる。土地の俗に聞くと、こう言う。この像は、昔、仏が世におられたとき、憍賞弥国の鄔陀衍那王が作ったものである。仏が世を去られた後、あちらから空を淩いでこの国の北の曷勞落迦城の中に至った。初め、この城の人は安らかに楽しみ富み饒かであったが、邪な見に深く著いて珍しみ敬わず、それが自ら来たことを伝えながらも、神しいとするだけで貴ばなかった。後にある羅漢がこの像を礼拝すると、国の人は驚き駭いて、その容と服を異しみ、馳せて王に白した。王はそこで令を下し、沙と土でこの異しい人を坌うべしとした。そのとき阿羅漢は身に沙と土を蒙り、口を糊する糧も絶えた。そのとき一人の人がいて、心に甚だ忍びなかった。昔から常にこの像を恭しく敬い尊び礼していた者で、羅漢を見ると、密かにこれに饌べさせた。羅漢は去ろうとして、その人に言った、「これより後七つの日に、沙と土が雨り、この城を填め満たして、遺る類はほとんどないであろう。お前はこれを知って、早く出る計を図るとよい。私を坌ったことによって、この殃いを獲たのだ」。語り終えるとすぐに去り、忽然として見えなくなった。その人は城に入り、具えて親しい者や故い者に告げたが、聞いた者があっても、嗤い笑わない者はなかった。第二の日に至って、大きな風が忽ちに発ち、穢れた壌を吹き去り、雑えた宝が雨って衢と路に満ちたので、人はさらに告げた者を罵った。この人は心に必ずそうなると知り、竊かに孔の道を開け、城の外に出てそこに穴を穿った。第七の日の夜、宵が分かれた後、沙と土が雨って城の中に満ちた。その人は孔の道から出て、東へこの国に趣き、媲摩城に止まった。その人がやっと至ると、その像もまた来たので、すなわちここで供養し、敢えて遷し移すことはしない。先の記に聞くと、釈迦の法が尽きれば、像は龍の宮に入るという。今、曷勞落迦城は大きな堆と阜となっており、諸国の君王や異なる方の豪い右が、発き掘ってその宝の物を取ろうとする者が多い。たまたまその側に至ると、猛しい風が暴かに発ち、煙と雲が四方から合わさって、道と路を迷い失う。
16尼壌城
媲摩川東入沙磧,行二百餘里,至尼壤城,周三四里,在大澤中。澤地熱濕,難以履涉。蘆草荒茂,無復途徑,唯趣城路,僅得通行,故往來者莫不由此城焉。而瞿薩旦那以為東境之關防也。
媲摩川から東へ沙磧に入り、二百余里行くと尼壌城に至る。周り三、四里で、大きな澤の中にある。澤の地は熱く湿っており、履み渉ることが難しい。蘆と草が荒れ茂って、再び途も径もなく、ただ城へ趣く路だけが、わずかに通り行くことができる。だから往き来する者は、この城を由らない者がない。そして瞿薩旦那は、ここを東の境の関と防としている。
17大きな流れる沙
從此東行,入大流沙。沙則流漫,聚散隨風,人行無跡,遂多迷路。四遠茫茫,莫知所指,是以往來者聚遺骸以記之。乏水草,多熱風。風起則人畜昏迷,因以成病。時聞歌嘯,或聞號哭,視聽之間,恍然不知所至,由此屢有喪亡,蓋鬼魅之所致也。
ここから東へ行くと、大きな流れる沙に入る。沙は流れ漫り、風に随って聚まり散るので、人が行っても跡がなく、ついに路に迷うことが多い。四方の遠くは茫々として、指す所を知ることができないので、往き来する者は遺された骸を聚めて、それで記しとしている。水と草に乏しく、熱い風が多い。風が起きると人も畜も昏れ迷い、それによって病となる。時おり歌や嘯きが聞こえ、あるいは号び哭く声が聞こえるが、視て聴く間に、恍然として至った所も知れなくなる。これによってしばしば喪われ亡ぶことがあるが、思うに鬼や魅の致すところである。
18睹貨邏の故い国
行四百餘里,至睹貨邏故國。國久空曠,城皆荒蕪。
四百余里行くと睹貨邏の故い国に至る。国は久しく空しく曠れて、城はみな荒れ蕪れている。
19折摩馱那の故い国
從此東行六百餘里,至折摩馱那故國,即沮末地也。城郭巋然,人煙斷絕。
ここから東へ六百余里行くと折摩馱那の故い国に至る。すなわち沮末の地である。城郭は巋然としているが、人の煙は断え絶えている。
20納縛波の故い国 — 楼蘭の地
復此東行千餘里,至納縛波故國,即樓蘭地也。
またここから東へ千余里行くと納縛波の故い国に至る。すなわち楼蘭の地である。
21結び
推表山川,考采境壤,詳國俗之剛柔,系水土之風氣。動靜無常,取舍不同,事難窮驗,非可仰說。隨所遊至,略書梗概,舉其聞見,記諸慕化。斯固日入以來,咸沐惠澤,風行所及,皆仰至德。混同天下,一之宇內,豈徒單車出使,通驛萬里者哉!
山と川を推し表し、境の壌を考え采り、国の俗の剛さと柔らかさを詳らかにし、水と土の風と気を系けた。動と静は常がなく、取ると舎てるとは同じでなく、事は窮め験めることが難しく、仰いで説けるものではない。遊び至った所に随って、略して梗概を書き、その聞き見たものを挙げて、化を慕う者たちに記しておく。これはまことに日の入る方より以来、みな恵みと澤に沐し、風の行く所に及んで、みな至れる徳を仰いだのである。天下を混ぜ同じくし、宇の内を一つにしたのであって、どうしてただ単りの車で使いに出て、万里に驛を通したことだけであろうか。