滑国滑國
1滑国の朝貢
滑國者,車師之別種也。漢永建元年,八滑從班勇擊北虜有功,勇上八滑爲後部親漢侯。自魏、晉以來,不通中國。至天監十五年,其王厭帶夷栗陁始遣使獻方物。普通元年,又遣使獻黃師子、白貂裘、波斯錦等物。七年,又奉表貢獻。
滑国は車師の別種である。漢の永建元年、八滑が班勇に従って北虜を撃って功があったので、勇は八滑を後部親漢侯に上した。魏・晋以来、中国と通じなかったが、天監十五年に至って、その王の厭帯夷栗陁がはじめて使者を遣わして方物を献じた。普通元年、また使者を遣わして黄い師子・白い貂の裘・波斯の錦などの物を献じ、七年、また表を奉じて貢り献じた。
2滑国の風俗
元魏之居桑乾也,滑猶爲小國,屬芮芮。後稍強大,征其旁國波斯、盤盤、罽賓、焉耆、龜茲、疏勒、姑墨、于闐、句盤等國,開地千餘里。土地溫暖,多山川樹木,有五穀。國人以罝及羊肉爲糧。其獸有師子、兩腳駱駝,野驢有角。人皆善射,著小袖長身袍,用金玉爲帶。女人被裘,頭上刻木爲角,長六尺,以金銀飾之。少女子,兄弟共妻。無城郭,氊屋爲居,東向開戶。其王坐金床,隨太歲轉,與妻並坐接客。無文字,以木爲契。與旁國通,則使旁國胡爲胡書,羊皮爲紙。無職官。事天神、火神,每日則出戶祀神而後食。其跪一拜而止。葬以木爲槨。父母死,其子截一耳,葬訖卽吉。其言語待河南人譯然後通。
元魏が桑乾に居たころ、滑はまだ小さな国で、芮芮に属していた。後にやや強く大きくなり、その傍らの国、波斯・盤盤・罽賓・焉耆・亀茲・疏勒・姑墨・于闐・句盤などの国を征って、地を千余里開いた。土地は温かく暖かく、山川と樹木が多く、五穀がある。国の人は狩った獣と羊の肉を糧とする。その獣には師子と二つの瘤の駱駝があり、野の驢に角がある。人はみな射ることを善くし、小袖で長い身の袍を着て、金と玉を帯とする。女人は裘をまとい、頭の上に木を刻んで角とするが、長さは六尺で、金銀でこれを飾る。女子が少なく、兄弟が妻を共にする。城郭がなく、氊の屋を住まいとし、東に向けて戸を開く。その王は金の床に坐るが、太歳に随って座を転じ、妻と並び坐って客に接する。文字がなく、木をもって契とする。傍らの国と通じるときは、傍らの国の胡に胡の書を書かせ、羊の皮を紙とする。職官がない。天の神と火の神を祭り、毎日、戸を出て神を祀ってから後に食べる。跪いて一度拝んでやめる。葬りは木で槨を作る。父母が死ぬと、その子は一方の耳を截り、葬りが終わるとすぐ吉に復る。その言葉は河南の人を待って訳してから後に通じる。
夾注 1
兩腳駱駝
兩腳駱駝 — 底本は「兩腳」(脚が二つ)である。二つの瘤の駱駝と見て訳した。 ― 訳者