高昌国高昌國
1高昌の王統
高昌國,闞氏爲主,其後爲河西王沮渠茂虔弟無諱襲破之,其王闞爽奔于芮芮。無諱據之稱王,一世而滅。國人又立麹氏爲王,名嘉,元魏授車騎將軍、司空公、都督秦州諸軍事、秦州刺史、金城郡開國公。在位二十四年卒,諡曰昭武王。子子堅,使持節、驃騎大將軍、散騎常侍、都督瓜州諸軍事、瓜州刺史、河西郡開國公、儀同三司高昌王嗣位。
高昌国は闞氏が主であったが、その後、河西王の沮渠茂虔の弟の無諱に襲い破られ、その王の闞爽は芮芮へ逃げた。無諱はここに拠って王と称したが、一代で滅びた。国の人はまた麹氏を立てて王としたが、名は嘉で、元魏は車騎将軍・司空公・都督秦州諸軍事・秦州刺史・金城郡開国公を授けた。位にあること二十四年で卒し、諡を昭武王とした。子の子堅が、使持節・驃騎大将軍・散騎常侍・都督瓜州諸軍事・瓜州刺史・河西郡開国公・儀同三司・高昌王として位を嗣いだ。
2高昌の風俗
其國蓋車師之故地也。南接河南,東連燉煌,西次龜茲,北鄰敕勒。置四十六鎮,交河、田地、高寧、臨川、橫截、柳婆、洿林、新興、由寧、始昌、篤進、白力等,皆其鎮名。官有四鎮將軍及雜號將軍、長史、司馬、門下校郎、中兵校郎、通事舍人、通事令史、諮議、校尉、主簿。國人言語與中國略同。有《五經》、歷代史、諸子集。面貌類高驪,辮髮垂之於背,著長身小袖袍、縵襠袴。女子頭髮辮而不垂,著錦纈纓珞環釧。姻有六禮。其地高燥,築土爲城,架木爲屋,土覆其上。寒暑與益州相似。備植九穀,人多噉麨及羊牛肉。出良馬、蒲陶酒、石鹽。多草木,草實如繭,繭中絲如細纑,名爲白疊子,國人多取織以爲布。布甚軟白,交市用焉。有朝烏者,旦旦集王殿前,爲行列,不畏人,日出然後散去。
その国はおおむね車師の故の地である。南は河南に接し、東は燉煌に連なり、西は亀茲に次ぎ、北は敕勒に鄰る。四十六の鎮を置くが、交河・田地・高寧・臨川・横截・柳婆・洿林・新興・由寧・始昌・篤進・白力などが、みなその鎮の名である。官には四鎮将軍および雑号将軍・長史・司馬・門下校郎・中兵校郎・通事舎人・通事令史・諮議・校尉・主簿がある。国の人の言葉は中国とおおむね同じである。『五経』や歴代の史、諸子の集がある。顔の貌は高驪に類し、髪を辮んでこれを背に垂れ、長い身で小袖の袍、縵襠の袴を着る。女子は髪を辮んでも垂らさず、錦の纈や纓珞、環や釧をつける。婚姻には六礼がある。その地は高く燥いていて、土を築いて城とし、木を架けて屋とし、土でその上を覆う。寒さ暑さは益州と似ている。九つの穀をそろえて植え、人は麨や羊・牛の肉を多く食べる。良い馬・蒲陶の酒・石の塩を産する。草や木が多く、草の実が繭のようで、繭の中の糸が細い纑のようであるものがあって、名を白疊子という。国の人は多くこれを取って織って布とする。布はきわめて軟らかく白いので、市の交易に用いる。朝烏というものがあって、朝ごとに王の殿の前に集まり、行列をなして人を畏れず、日が出てから後に散り去る。
3子堅の朝貢
大同中,子堅遣使獻鳴鹽枕、蒲陶、良馬、氍毹等物。
大同年間、子堅が使者を遣わして鳴塩の枕・蒲陶・良い馬・氍毹などの物を献じた。