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仲尼仲尼篇

列子(列禦寇の書) 列子 · 列禦寇の名で伝わる · 今の版本は4世紀頃 · 段落 15 · 漢字 3,571字 · 朗読 14.3分

列子(列禦寇の書) 仲尼篇 道徳経・荘子とともに道家の三書に数えられるが、読む味わいがかなり違う。論じるよりも話を聞かせ、その話が後の世に言葉となって残った。天が崩れるのではないかと眠れなかった杞の国の人(杞憂)、山を移すと言って子孫を数えた愚公(愚公移山)、どんぐりを朝に三つ夕に四つ与えると怒った猿たち(朝三暮四)、琴の音から泰山と川の流れを聞き分けた鍾子期(知音)はみなこの書から出た。 八編の肌合いがそれぞれ違う。天瑞・黄帝は生まれることと変わることを説き、周穆王は夢と目覚めの境を揺さぶり、湯問はこの書架で最も大きな想像を広げる — 底のない谷の帰墟と五つの山を背に負って立つ大亀、人とまったく同じに歩き歌い、割って見れば革と木であった偃師の人形。力命は力と命を向かい合わせて争わせ、楊朱は「我が身の毛一本で天下を利することはしない」という言葉が出たところであり、説符は短い話三十四片で締めくくる。

仲尼閒居,子貢入侍,而有憂色。子貢不敢問,出告顏回,顏回援琴而歌。孔子聞之,果召回入,問曰:「若奚獨樂?」回曰:「夫子奚獨憂?」孔子曰:「先言爾志。」曰:「吾昔聞之夫子曰:『樂天知命故不憂。』回所以樂也。」孔子愀然有閒,曰:「有是言哉?汝之意失矣。此吾昔日之言爾,請以今言爲正也。汝徒知樂天知命之無憂,未知樂天知命有憂之大也。今告若其實:修一身,任窮達,知去來之非我,亡變亂於心慮,爾之所謂樂天知命之無憂也。曩吾修《詩》《書》,正禮樂,將以治天下,遺來世,非但修一身,治魯國而已,而魯之君臣日失其序,仁義益衰,情性益薄。此道不行一國與當年,其如天下與來世矣?吾始知《詩》《書》、禮樂無救於治亂,而未知所以革之之方,此樂天知命者之所憂。雖然,吾得之矣。夫樂而知者,非古人之所謂樂知也。無樂無知,是真樂真知,故無所不樂,無所不知,無所不憂,無所不爲。《詩》《書》、禮樂,何棄之有?革之何爲?」顏回北面拜手曰:「回亦得之矣。」出告子貢。子貢茫然自失,歸家淫思七日,不寢不食,以至骨立。顏回重往喻之,乃反丘門,弦歌誦書,終身不輟。

仲尼が閑居していると、子貢が入って侍ったが、憂いの色があった。子貢は敢えて問わず、出て顔回に告げた。顔回は琴を取って歌った。

孔子はそれを聞いて、やはり顔回を呼び入れ、問うた。「お前はなぜ独り楽しいのか。」

顔回が言った。「先生はなぜ独り憂えておられるのですか。」

孔子が言った。「まずお前の志を言え。」

言った。「私は昔、先生から『天を楽しみ命を知るから憂えない』と聞きました。それが私の楽しい理由です。」

孔子は哀しげにしばらくあって、言った。

「そういう言葉があったか。お前の意は外れている。それは私が昔言った言葉にすぎない。いま言う言葉で正すことを願う。

お前はただ、天を楽しみ命を知る者に憂いがないことだけを知って、天を楽しみ命を知る者に憂いの大きいことを知らない。いまお前にその実を告げよう。

一身を修め、窮と達を任せ、去り来ることが自分によるのではないと知り、心と思いに変わり乱れることがない。それがお前のいう、天を楽しみ命を知る者に憂いがないということである。

かつて私は『詩』『書』を修め、礼と楽を正して、天下を治め、来る世に遺そうとした。ただ一身を修め、魯の国を治めるだけではなかった。しかし魯の君臣は日ごとにその序を失い、仁義はいよいよ衰え、情と性はいよいよ薄くなった。この道が一国と当代にすら行われないのに、天下と来る世においてはどうであろうか。

私ははじめて、『詩』『書』や礼楽が治と乱を救えないことを知ったが、それを革める方をまだ知らない。これが天を楽しみ命を知る者の憂えるところである。

とはいえ、私はそれを得た。およそ楽しんで知るというのは、昔の人のいう楽しみ知ることではない。楽しむこともなく知ることもないのが、まことの楽しみ、まことの知である。だから楽しまないところがなく、知らないところがなく、憂えないところがなく、しないところがない。『詩』『書』や礼楽を、どうして棄てることがあろうか。革めて何になろうか。」

顔回は北に向かって手を合わせて拝し、言った。「私もそれを得ました。」

出て子貢に告げた。子貢は呆然として我を失い、家に帰って七日のあいだ思いに溺れ、寝も食もせず、骨ばかりになった。顔回が重ねて行って諭したので、ようやく孔子の門に戻り、弦に歌い書を誦じて、終生やめなかった。

陳大夫聘魯,私見叔孫氏。叔孫氏曰:「吾國有聖人。」曰:「非孔丘邪?」曰:「是也。」「何以知其聖乎?」叔孫氏曰:「吾常聞之顏回曰:『孔丘能廢心而用形。』」陳大夫曰:「吾國亦有聖人,子弗知乎?」曰:「聖人孰謂?」曰:「老聃之弟子有亢倉子者,得聃之道,能以耳視而目聽。」魯侯聞之大驚,使上卿厚禮而致之。亢倉子應聘而至,魯侯卑辭請問之。亢倉子曰:「傳之者妄。我能視聽不用耳目,不能易耳目之用。」魯侯曰:「此增異矣。其道奈何?寡人終願聞之。」亢倉子曰:「我體合於心,心合於氣,氣合於神,神合於無。其有介然之有,唯然之音,雖遠在八荒之外,近在眉睫之內,來干我者,我必知之。乃不知是我七孔四支之所覺,心腹六藏之所知,其自知而已矣。」魯侯大悅。他日以告仲尼,仲尼笑而不答。

陳の大夫が魯に使いして、私かに叔孫氏に会った。叔孫氏が言った。「わが国に聖人がいる。」

言った。「孔丘ではないか。」

言った。「そうだ。」

「何によって彼が聖だと分かるのか。」

叔孫氏が言った。「私はつねに顔回から『孔丘は心を廃して形を用いることができる』と聞いている。」

陳の大夫が言った。「わが国にも聖人がいるが、あなたは知らないのか。」

言った。「聖人とは誰をいうのか。」

言った。「老聃の弟子に亢倉子という者がいて、聃の道を得て、耳で見、目で聞くことができる。」

魯の侯はこれを聞いて大いに驚き、上卿を遣わして厚い礼で彼を招いた。亢倉子は招きに応じて至り、魯の侯は言葉を低くしてこれを問うた。

亢倉子が言った。「伝えた者がみだりに言ったのです。私は耳と目を用いずに見聞きすることはできますが、耳と目の用を易えることはできません。」

魯の侯が言った。「それはいよいよ異なことだ。その道はどのようなものか。寡人はぜひそれを聞きたい。」

亢倉子が言った。「私は体が心に合い、心が気に合い、気が神に合い、神が無に合っています。ほんのかすかに在るもの、ほんのわずかな音でも、遠く八荒の外にあろうと、近く眉と睫の内にあろうと、私に干るものは必ず知ります。それが私の七つの孔と四つの肢で覚えるものか、心や腹や六つの蔵で知るものかは分かりません。おのずから知るだけです。」

魯の侯は大いに悦んだ。別の日に仲尼に告げたが、仲尼は笑って答えなかった。

商太宰見孔子曰:「丘聖者歟?」孔子曰:「聖則丘何敢,然則丘博學多識者也。」商太宰曰:「三王聖者歟?」孔子曰:「三王善任智勇者,聖則丘弗知。」曰:「五帝聖者歟?」孔子曰:「五帝善任仁義者,聖則丘弗知。」曰:「三皇聖者歟?」孔子曰:「三皇善任因時者,聖則丘弗知。」商太宰大駭,曰:「然則孰者爲聖?」孔子動容有閒,曰:「西方之人有聖者焉,不治而不亂,不言而自信,不化而自行,蕩蕩乎民無能名焉。丘疑其爲聖,弗知真爲聖歟?真不聖歟?」商太宰嘿然心計曰:「孔丘欺我哉!」

商の太宰が孔子に会って言った。「丘は聖者ですか。」

孔子が言った。「聖など、私がどうして敢えて。しかし私は広く学び多く識る者です。」

商の太宰が言った。「三王は聖者ですか。」

孔子が言った。「三王は智と勇をよく用いた者です。聖かどうかは私には分かりません。」

言った。「五帝は聖者ですか。」

孔子が言った。「五帝は仁と義をよく用いた者です。聖かどうかは私には分かりません。」

言った。「三皇は聖者ですか。」

孔子が言った。「三皇は時に因ることをよくした者です。聖かどうかは私には分かりません。」

商の太宰は大いに驚いて言った。「それでは誰が聖なのですか。」

孔子は顔色を動かしてしばらくあって、言った。「西方の人に聖者がいます。治めなくても乱れず、言わなくてもおのずから信じられ、化さなくてもおのずから行われ、広々として民はそれを名づけることができません。私は彼が聖であろうと疑いますが、まことに聖なのか、まことに聖でないのかは分かりません。」

商の太宰は黙って心のうちに計った。「孔丘は私を欺いているな。」

子夏問孔子曰:「顏回之爲人奚若?」子曰:「回之仁賢於丘也。」曰:「子貢之爲人奚若?」子曰:「賜之辯賢於丘也。」曰:「子路之爲人奚若?」子曰:「由之勇賢於丘也。」曰:「子張之爲人奚若?」子曰:「師之莊賢於丘也。」子夏避席而問曰:「然則四子者何爲事夫子?」曰:「居!吾語汝。夫回能仁而不能反,賜能辯而不能訥,由能勇而不能怯,師能莊而不能同。兼四子之有以易吾,吾弗許也。此其所以事吾而不貳也。」

子夏が孔子に問うた。「顔回の人となりはどのようですか。」

言った。「回の仁は私より勝れている。」

「子貢の人となりはどのようですか。」

言った。「賜の弁は私より勝れている。」

「子路の人となりはどのようですか。」

言った。「由の勇は私より勝れている。」

「子張の人となりはどのようですか。」

言った。「師の荘は私より勝れている。」

子夏は席を避けて問うた。「それでは四人はなぜ先生に仕えているのですか。」

言った。「座れ。お前に語ろう。回は仁でありえても引き返すことができず、賜は弁でありえても訥でいられず、由は勇でありえても怯でいられず、師は荘でありえても和することができない。四人の持つものを兼ねて私と替えようとしても、私は許さない。これが彼らが私に仕えて二心のない理由である。」

子列子既師壺丘子林,友伯昏瞀人,乃居南郭。從之處者,日數而不及。雖然,子列子亦微焉。朝朝相與辯,無不聞。而與南郭子連牆二十年,不相謁請;相遇於道,目若不相見者。門之徒役以爲子列子與南郭子有敵不疑。有自楚來者,問子列子曰:「先生與南郭子奚敵?」子列子曰:「南郭子貌充心虛,耳無聞,目無見,口無言,心無知,形無惕。往將奚爲?雖然,試與汝偕往。」閱弟子四十人同行。見南郭子,果若欺魄焉,而不可與接。顧視子列子,形神不相偶,而不可與羣。南郭子俄而指子列子之弟子末行者與言,衎衎然若專直而在雄者。子列子之徒駭之,反舍,咸有疑色。子列子曰:「得意者無言,進知者亦無言。用無言爲言亦言,無知爲知亦知。無言與不言,無知與不知,亦言亦知。亦無所不言,亦無所不知;亦無所言,亦無所知。如斯而已,汝奚妄駭哉?」

子列子は壺丘子林を師とし、伯昏瞀人を友としてから、南の郭に住んだ。彼に従って住む者は、日ごとに数えても数えきれなかった。とはいえ、子列子もまた目立たなかった。朝ごとに互いに弁じ、聞かれないことはなかった。

南郭子と壁を接して二十年住みながら、互いに訪ねて請うことがなく、道で出会っても目が互いを見ていない者のようであった。門下の徒役は、子列子と南郭子に敵対があることを疑わなかった。

楚から来た者が子列子に問うた。「先生は南郭子とどうして敵なのですか。」

子列子が言った。「南郭子は貌が充ちて心が虚ろである。耳に聞くことがなく、目に見ることがなく、口に言うことがなく、心に知ることがなく、形におののくことがない。行って何をしようか。とはいえ、試みにお前とともに行ってみよう。」

弟子四十人を選んでともに行った。南郭子を見ると、果たして土の人形のようで、ともに接することができなかった。子列子を振り返って見ると、形と神が互いに連れ合わず、ともに群れることができなかった。

南郭子はほどなく子列子の弟子のうち最後の列に立つ者を指して語りかけたが、その和やかさは、まるでもっぱら直く雄々しい者のようであった。

子列子の徒は驚き、宿に帰ってもみな疑う顔色であった。子列子が言った。

「意を得た者は言わず、知に進んだ者もまた言わない。言わないことを言とするのもまた言であり、知らないことを知とするのもまた知である。言うことと言わないこと、知ることと知らないことも、また言であり、また知である。また言わないところがなく、また知らないところがない。また言うところもなく、また知るところもない。ただそれだけのことだ。お前たちはなぜみだりに驚くのか。」

子列子學也,三年之後,心不敢念是非,口不敢言利害,始得老商一眄而已。五年之後,心更念是非,口更言利害,老商始一解顏而笑。七年之後,從心之所念,更無是非;從口之所言,更無利害,夫子始一引吾並席而坐。九年之後,橫心之所念,橫口之所言,亦不知我之是非利害歟,亦不知彼之是非利害歟,外內進矣。而後眼如耳,耳如鼻,鼻如口,口無不同。心凝形釋,骨肉都融,不覺形之所倚,足之所履,心之所念,言之所藏。如斯而已,則理無所隱矣。

子列子が学んだとき、三年の後には、心は是非を思うことを敢えてせず、口は利害を言うことを敢えてしなくなり、はじめて老商が一度だけ目を向けてくれただけであった。

五年の後には、心はまた是非を思い、口はまた利害を言ったが、老商ははじめて一度だけ顔をゆるめて笑った。

七年の後には、心の思うままに従っても是非がなく、口の言うままに従っても利害がなくなり、先生ははじめて私を引いて同じ席に並んで座らせた。

九年の後には、心の思うままに放ち、口の言うままに放って、私の是非も利害も分からず、他人の是非も利害も分からなくなった。外と内とが尽きたのである。

その後は、目は耳のようであり、耳は鼻のようであり、鼻は口のようであって、口に同じでないものがなかった。心は凝り形は解け、骨も肉もすべて融けた。形が何に寄っているのか、足が何を踏んでいるのか、心が何を思っているのか、言葉が何を蔵しているのかも感じられなかった。ただそれだけのことで、そうなれば理に隠れるところがない。

初,子列子好游。壺丘子曰:「禦寇好游,游何所好?」列子曰:「游之樂所玩無故。人之游也,觀其所見;我之游也,觀其所變。游乎游乎!未有能辨其游者。」壺丘子曰:「禦寇之游固與人同歟,而曰固與人異歟?凡所見,亦恆見其變。玩彼物之無故,不知我亦無故。務外游,不知務內觀。外游者,求備於物;內觀者,取足於身。取足於身,游之至也;求備於物,游之不至也。」於是列子終身不出,自以爲不知游。壺丘子曰:「游其至乎!至游者,不知所適;至觀者,不知所眂。物物皆游矣,物物皆觀矣,是我之所謂游,是我之所謂觀也。故曰:游其至矣乎,游其至矣乎!」

はじめ、子列子は遊ぶことを好んだ。壺丘子が言った。「禦寇は遊ぶことを好むが、遊びの何を好むのか。」

列子が言った。「遊びの楽しみは、弄ぶものに古いままのものがないことにあります。人の遊びはその見えるものを観るのであり、私の遊びはその変わるものを観るのです。遊びよ、遊びよ。その遊びを弁じられる者はまだいません。」

壺丘子が言った。「禦寇の遊びは、まことに人と同じなのか。それでもまことに人と異なるというのか。およそ見えるものにも、つねにその変わることが見える。あの物の古いままでないことを弄びながら、自分もまた古いままでないことを知らない。外の遊びに務めて、内を観ることに務めるのを知らない。外に遊ぶ者は物に備わることを求め、内を観る者は身に足ることを取る。身に足ることを取るのが遊びの至りであり、物に備わることを求めるのは遊びの至りでない。」

そこで列子は終生出かけず、みずから遊びを知らないと言った。壺丘子が言った。「遊びは至ったな。至りの遊びをする者は、行く先を知らない。至りの観をする者は、見るものを知らない。物も物もみな遊びであり、物も物もみな観である。これが私のいう遊びであり、これが私のいう観である。だから言う、遊びは至ったな、遊びは至ったな。」

龍叔謂文摯曰:「子之術微矣。吾有疾,子能已乎?」文摯曰:「唯命所聽。然先言子所病之證。」龍叔曰:「吾鄉譽不以爲榮,國毀不以爲辱;得而不喜,失而弗憂;視生如死,視富如貧;視人如豕,視吾如人。處吾之家,如逆旅之舍;觀吾之鄉,如戎蠻之國。凡此衆疾,爵賞不能勸,刑罰不能威,盛衰、利害不能易,哀樂不能移。固不可事國君,交親友,御妻子,制僕隸。此奚疾哉?奚方能已之乎?」文摯乃命龍叔背明而立,文摯自後向明而望之。既而曰:「嘻!吾見子之心矣,方寸之地虛矣。幾聖人也!子心六孔流通,一孔不達。今以聖智爲疾者,或由此乎!非吾淺術所能已也。」

龍叔が文摯に言った。「あなたの術は妙だ。私に病があるが、あなたは已ませられるか。」

文摯が言った。「お言いつけのとおりに承ります。しかしまず、あなたの病む症をお話しください。」

龍叔が言った。「私は郷が讃えても栄とせず、国が毀っても辱としない。得ても喜ばず、失っても憂えない。生を見ることは死のようであり、富を見ることは貧のようである。人を見ることは豕のようであり、自分を見ることは人のようである。自分の家に居ることは旅の宿のようであり、自分の郷を観ることは戎や蛮の国のようである。

およそこれら多くの病は、爵や賞でも勧めることができず、刑や罰でも威すことができず、盛衰や利害でも易えることができず、哀楽でも移すことができない。もとより国の君に仕え、親や友と交わり、妻や子を御し、僕や隷を制することができない。これは何の病か。どんな方がこれを已ませられるか。」

文摯はそこで龍叔に明かりを背にして立たせ、文摯はその後ろから明かりに向かって彼を望んだ。やがて言った。

「ああ、私はあなたの心を見た。方寸の地が虚ろである。ほとんど聖人だ。あなたの心は六つの孔が流れ通じ、一つの孔が通じていない。いま聖の智を病とされるのは、あるいはこれによるのだろう。私の浅い術では已ませられない。」

無所由而常生者,道也。由生而生,故雖終而不亡,常也。由生而亡,不幸也。有所由而常死者,亦道也。由死而死,故雖未終而自亡者,亦常也。由死而生,幸也。故無用而生謂之道,用道得終謂之常;有所用而死者亦謂之道,用道而得死者亦謂之常。季梁之死,楊朱望其門而歌;隨梧之死,楊朱撫其尸而哭。隸人之生,隸人之死,衆人且歌,衆人且哭。

拠るところがなくて常に生きるのが道である。生に拠って生きるので、終わっても亡びない。これが常である。生に拠って亡びるのは、不幸である。

拠るところがあって常に死ぬのも道である。死に拠って死ぬので、まだ終わらないままおのずから亡びるのも、常である。死に拠って生きるのは、幸いである。

だから、用いるところがなくて生きるのを道といい、道を用いて終わりを得るのを常という。用いるところがあって死ぬのもまた道といい、道を用いて死を得るのもまた常という。

季梁が死ぬと、楊朱はその門を望んで歌い、随梧が死ぬと、楊朱はその屍を撫でて哭した。隷の人の生、隷の人の死にも、並みの人は歌い、並みの人は哭するのである。

目將眇者,先睹秋毫;耳將聾者,先聞蚋飛;口將爽者,先辨淄澠;鼻將窒者,先覺焦朽;體將僵者,先亟犇佚,心將迷者,先識是非,故物不至者則不反。

目がやがて眇くなる者は、まず秋の毛を見分ける。耳がやがて聾くなる者は、まず蚋の飛ぶ音を聞く。口がやがて味を失う者は、まず淄水と澠水を弁じる。鼻がやがて塞がる者は、まず焦げや朽ちの匂いを覚える。体がやがて強ばる者は、まずしきりに走り跳ねる。心がやがて惑う者は、まず是非を識る。だから物は極みに至らなければ返らないのである。

鄭之圃澤多賢,東里多才。圃澤之役有伯豐子者,行過東里,遇鄧析。鄧析顧其徒而笑曰:「爲若舞,彼來者奚若?」其徒曰:「所願知也。」鄧析謂伯豐子曰:「汝知養養之義乎?受人養而不能自養者,犬豕之類也;養物而物爲我用者,人之力也。使汝之徒食而飽,衣而息,執政之功也。長幼羣聚而爲牢藉庖廚之物,奚異犬豕之類乎?」伯豐子不應。伯豐子之從者越次而進曰:「大夫不聞齊魯之多機乎?有善治土木者,有善治金革者,有善治聲樂者,有善治書數者,有善治軍旅者,有善治宗廟者,羣才備也。而無相位者,無能相使者。而位之者無知,使之者無能,而知之與能爲之使焉。執政者,迺吾之所使,子奚矜焉?」鄧析無以應,目其徒而退。

鄭の圃澤には賢者が多く、東里には才のある者が多かった。圃澤の徒に伯豐子という者がいて、道で東里を過ぎ、鄧析に出会った。

鄧析はその徒を振り返って笑い、言った。「お前たちのために弄んでやろう。あそこへ来る者はどうだ。」

その徒が言った。「ぜひ知りたいものです。」

鄧析が伯豐子に言った。「あなたは養い養われることの義を知っているか。人に養われてみずから養えないものは、犬や豕の類である。物を養って物が我のために用いられるのは、人の力である。お前の徒が食べて飽き、着て休めるのは、政を執る者の功だ。老いも若きも群れ集まって、牢や庖や厨の物となるのは、犬や豕の類と何が異なるのか。」

伯豐子は応えなかった。伯豐子に従っていた者が、順を越えて進み出て言った。

「大夫は、斉や魯に巧みな者が多いのをお聞きでないのですか。土と木をよく治める者があり、金と革をよく治める者があり、声と楽をよく治める者があり、書と数をよく治める者があり、軍と旅をよく治める者があり、宗廟をよく治める者があって、さまざまの才が備わっています。しかし互いを位につける者はなく、互いを使える者もいません。位につける者には知がなく、使う者には能がなく、知る者と能くする者がそれに使われるのです。政を執る者は、すなわち私たちに使われる者です。あなたは何を誇るのですか。」

鄧析は応える言葉がなく、その徒に目で合図して退いた。

公儀伯以力聞諸侯,堂谿公言之於周宣王,王備禮以聘之。公儀伯至,觀形,懦夫也。宣王心惑而疑曰:「女之力何如?」公儀伯曰:「臣之力能折春螽之股,堪秋蟬之翼。」王作色曰:「吾之力能裂犀兕之革,曳九牛之尾,猶憾其弱。女折春螽之股,堪秋蟬之翼,而力聞天下,何也?」公儀伯長息退席,曰:「善哉王之問也!臣敢以實對。臣之師有商丘子者,力無敵於天下,而六親不知,以未嘗用其力故也。臣以死事之。乃告臣曰:『人欲見其所不見,視人所不窺;欲得其所不得,修人所不爲。故學眎者先見輿薪,學聽者先聞撞鐘。夫有易於內者無難於外。於外無難,故名不出其一家。』今臣之名聞於諸侯,是臣違師之教,顯臣之能者也。然則臣之名不以負其力者也,以能用其力者也,不猶愈於負其力者乎?」

公儀伯が力で諸侯に名を知られた。堂谿公がそれを周の宣王に言うと、王は礼を備えて彼を招いた。

公儀伯が至ったが、姿を見れば懦弱な男であった。宣王は心に惑い、疑って言った。「お前の力はどれほどか。」

公儀伯が言った。「臣の力は、春の螽の股を折り、秋の蝉の翅を支えるほどです。」

王は顔色を変えて言った。「私の力は、犀や兕の革を裂き、九頭の牛の尾を引いても、なおその弱さを恨む。お前は春の螽の股を折り、秋の蝉の翅を支えるだけで、力が天下に聞こえている。どういうことか。」

公儀伯は長く息をついて席を退き、言った。

「善いことです、王のお尋ねは。臣はあえて実のままお答えします。

臣の師に商丘子という者がいて、力は天下に敵するものがありませんでしたが、六親もそれを知りませんでした。その力を用いたことがなかったからです。臣は死ぬ覚悟で彼に仕えました。そこで臣に告げて言いました。

『人が見えないものを見ようとするなら、人が覗かないものを視よ。人が得られないものを得ようとするなら、人がしないことを修めよ。だから見ることを学ぶ者はまず輿の薪を見、聞くことを学ぶ者はまず鐘を撞く音を聞く。およそ内に易いことがあれば、外に難いことがない。外に難いことがないので、名はその一家の外に出ない。』

いま臣の名が諸侯に聞こえているのは、臣が師の教えに違い、臣の能を顕わにしたからです。とはいえ、臣の名は自分の力を恃んだことによるのではなく、自分の力をよく用いたことによるのです。力を恃む者よりは、なお勝っているのではありませんか。」

中山公子牟者,魏國之賢公子也,好與賢人游,不恤國事,而悅趙人公孫龍。樂正子輿之徒笑之。公子牟曰:「子何笑牟之悅公孫龍也?」子輿曰:「公孫龍之爲人也,行無師,學無友,佞給而不中,漫衍而無家,好怪而妄言,欲惑人之心,屈人之口,與韓檀等肄之。」公子牟變容曰:「何子狀公孫龍之過歟?請聞其實。」子輿曰:「吾笑龍之詒孔穿,言『善射者能令後鏃中前括,發發相及,矢矢相屬,前矢造準而無絕落,後矢之括猶銜弦,視之若一焉。』孔穿駭之。龍曰:『此未其妙者。逢蒙之弟子曰鴻超,怒其妻而怖之。引烏號之弓,綦衛之箭,射其目。矢來注眸子而眶不睫,矢隧地而塵不揚。』是豈智者之言與?」公子牟曰:「智者之言固非愚者之所曉。後鏃中前括,鈞後於前。矢注眸子而眶不睫,盡矢之勢也。子何疑焉?」樂正子輿曰:「子,龍之徒,焉得不飾其闕?吾又言其尤者。龍誑魏王曰:『有意不心。有指不至。有物不盡。有影不移。髮引千鈞。白馬非馬。孤犢未嘗有母。』其負類反倫,不可勝言也。」公子牟曰:「子不諭至言而以爲尤也,尤其在子矣。夫無意則心同;無指則皆至;盡物者常有;影不移者,說在改也;髮引千鈞,勢至等也;白馬非馬,形名離也;孤犢未嘗有母,非孤犢也。」樂正子輿曰:「子以公孫龍之鳴皆條也。設令發於餘竅,子亦將承之。」公子牟默然良久,告退,曰:「請待餘日,更謁子論。」

中山の公子牟は、魏の国の賢い公子であった。賢者と遊ぶことを好み、国の事を顧みず、趙の人の公孫龍を悦んでいた。楽正子輿の徒はこれを笑った。

公子牟が言った。「あなたはなぜ、牟が公孫龍を悦ぶのを笑うのか。」

子輿が言った。「公孫龍の人となりは、行いに師がなく、学びに友がなく、弁は足りても中らず、散り広がって家がなく、怪しいことを好んでみだりに言い、人の心を惑わし人の口を屈しようとして、韓檀らとそれを習っている。」

公子牟は顔色を変えて言った。「どうしてあなたは公孫龍の過ちをそのように言うのか。その実を聞かせてほしい。」

子輿が言った。

「私が笑うのは、龍が孔穿を騙したことだ。『よく射る者は、後の矢の鏃を前の矢の括に中らせ、放つにつれて次々に及び、矢と矢が互いに連なり、前の矢は的に当たって絶え落ちることなく、後の矢の括はなお弦を銜えていて、見れば一つのもののようだ』と言った。孔穿はそれに驚いた。

龍が言った。『これはまだ妙なものではない。逢蒙の弟子に鴻超という者がいて、妻に怒って怖がらせようとした。烏号の弓を引き、綦衛の矢をつがえて、その目を射た。矢は来て眸子に注いだが、眶は睫一つ動かさず、矢は地に落ちたが塵も揚がらなかった。』これがどうして智者の言葉であろうか。」

公子牟が言った。「智者の言葉は、もとより愚者の晓るところではない。後の矢の鏃が前の矢の括に中るのは、後を前と等しくするからだ。矢が眸子に注いで眶が睫一つ動かさないのは、矢の勢いを尽くしたからだ。あなたは何を疑うのか。」

楽正子輿が言った。「あなたは龍の徒だ。どうしてその欠けを飾らないでいられようか。私はさらにひどいものを言おう。龍は魏の王を誑して言った。『意があって心がない。指があって至らない。物があって尽きない。影があって移らない。髪が千鈞を引く。白馬は馬でない。孤犢にはいまだ母があったことがない。』その類に背き倫に反することは、言い尽くせない。」

公子牟が言った。「あなたが至りの言葉を諭らずにひどいとするのだから、ひどいのはあなたにある。およそ意がなければ心は同じであり、指がなければみな至り、物を尽くすものは常に在る。影が移らないのは、説は改まることにある。髪が千鈞を引くのは、勢いが至って等しいからである。白馬が馬でないのは、形と名が離れているからである。孤犢にいまだ母があったことがないのは、母があったならもはや孤犢でないからである。」

楽正子輿が言った。「あなたは公孫龍の鳴く声がみな条理だとしている。たとえそれが他の竅から発せられたとしても、あなたはやはりそれを承るだろう。」

公子牟は黙ってしばらくあって、退くことを告げて言った。「幾日かお待ちいただき、あらためてあなたを訪ねて論じたい。」

堯治天下五十年,不知天下治歟、不治歟,不知億兆之願戴己歟、不願戴己歟,顧問左右,左右不知;問外朝,外朝不知;問在野,在野不知。堯乃微服游於康衢,聞兒童謠曰:「立我蒸民,莫匪爾極。不識不知,順帝之則。」堯喜問曰:「誰教爾爲此言?」童兒曰:「我聞之大夫。」問大夫,大夫曰:「古詩也。」堯還宮,召舜,因禪以天下。舜不辭而受之。

堯が天下を治めて五十年、天下が治まっているのか治まっていないのか分からず、億兆の民が自分を戴くことを願っているのか願っていないのかも分からなかった。

傍の者に問うと傍の者は知らず、外の朝に問うと外の朝も知らず、野に在る者に問うと野に在る者も知らなかった。

堯はそこで微服で康衢に遊び、児童の謡を聞いた。「我ら蒸民を立たせたまうは、あなたの極みでないものはない。識らず知らず、帝の則に順う。」

堯は喜んで問うた。「誰がお前たちにこの言葉を教えたのか。」

童児が言った。「私たちは大夫から聞きました。」

大夫に問うと、大夫が言った。「古い詩です。」

堯は宮に還り、舜を呼んで、そこで天下を譲った。舜は辞せずにそれを受けた。

關尹喜曰:「在己無居,形物其箸。其動若水,其靜若鏡,其應若響。故其道若物者也,物自違道,道不違物。善若道者,亦不用耳,亦不用目,亦不用力,亦不用心。欲若道而用視聽形智以求之,弗當矣。瞻之在前,忽焉在後;用之彌滿六虛,廢之莫知其所;亦非有心者所能得遠,亦非無心者所能得近。唯默而得之而性成之者得之。知而亡情,能而不爲,真知真能也。發無知,何能情?發不能,何能爲?聚塊也,積塵也,雖無爲而非理也。」

関尹喜が言った。

「己に居るところがなければ、形ある物はおのずから著われる。その動きは水のようであり、その静かさは鏡のようであり、その応えは響きのようである。だからその道は物に随うものである。物はおのずから道に違うが、道は物に違わない。

道によく随う者は、耳も用いず、目も用いず、力も用いず、心も用いない。道に随おうとして、見ることや聞くこと、形や智でそれを求めるのは、当たっていない。

望めば前に在ると思えば、ふと後ろに在る。用いれば六つの虚に満ち満ち、廃てればその在るところも分からない。心ある者が遠くから得られるものでもなく、心なき者が近くで得られるものでもない。ただ黙してそれを得て、性がそれを成した者だけが得る。

知りながら情がなく、能くしながら為さないのが、まことの知、まことの能である。知がないところから発するなら、どうして情がありえようか。能くしえないところから発するなら、どうして為しえようか。塊を集めたもの、塵を積んだものは、為すことがなくとも理ではない。」