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養生

顔氏家訓(顔氏の家の教え) 顏氏家訓 · 顔之推 · 6世紀末 · 段落 3 · 漢字 582字 · 朗読 2.3分

顔氏家訓(顔氏の家の教え) 全一巻 南北朝末の学者・顔之推が子孫に残した二十篇の家訓。梁に生まれ、西魏・北斉・北周・隋の四つの国をさすらって生き延びた人が「家をそろえ、子孫を目覚めさせるために」書いた文章なので、子の教え方・兄弟・再婚・家の暮らし・身のふるまいと言葉づかい・学び・文章・名と実・足るを知ることから、字と書物の考証、言葉の音、書・絵・弓・占い・琴・碁といった諸芸、そして自分の葬いをどう行えという遺言にまで至る。「車から落ちなければ著作郎」と言われていた梁の貴族の子弟が、乱の後に畑を耕し馬を飼うようになったのを見て「身に持った小さな技は財千万に勝る」と言った箇所、「幼くして学ぶ者は日の昇るときの光のようであり、老いて学ぶ者は蠟燭を持って夜道を行くようなものだ」という箇所がここから出た。後の世の家訓はみなこの書を先祖とする。

1仙を求めず、身をよく養え

神仙之事,未可全誣;但性命在天,或難鐘值。人生居世,觸途牽縶:幼少之日,既有供養之勤;成立之年,便增妻孥之累。衣食資須,公私驅役;而望遁跡山林,超然塵滓,千萬不遇一爾。加以金玉之費,爐器所須,益非貧士所辦。學如牛毛,成如麟角。華山之下,白骨如莽,何有可遂之理?考之內教,縱使得仙,終當有死,不能出世,不願汝曹專精於此。若其愛養神明,調護氣息,慎節起臥,均適寒暄,禁忌食飲,將餌藥物,遂其所稟,不為夭折者,吾無間然。諸藥餌法,不廢世務也。庾肩吾常服槐實,年七十餘,目看細字,鬚髮猶黑。鄴中朝士,有單服杏仁、枸杞、黃精、朮、車前得益者甚多,不能一一說爾。吾嘗患齒,搖動欲落,飲食熱冷,皆苦疼痛。見抱樸子牢齒之法,早朝叩齒三百下為良;行之數日,即便平愈,今恒持之。此輩小術,無損於事,亦可修也。凡欲餌藥,陶隱居太清方中總錄甚備,但須精審,不可輕脫。近有王愛州在鄴學服松脂,不得節度,腸塞而死,為藥所誤者甚多。

神仙のことを、すべて偽りだとは言えない。ただ性と命は天にあって、巡り合うのは難しい。人が世に生きていれば、どこへ行っても縛られる。幼いうちは養いの労があり、大人になれば妻子の重みが加わる。衣も食も要り、公にも私にも駆り使われる。それで山林に跡を隠し、塵の外に超然としていたいと願っても、千万に一つも叶わない。そのうえ金や玉の費え、炉や器の必要は、まして貧しい士が調えられるものではない。学ぶ者は牛の毛のように多く、成す者は麒麟の角のようにまれである。華山の下には白骨が草むらのようであるのに、どうして成る道理があろうか。仏の教えで照らせば、たとえ仙になれても、ついに死があって世を出られないのだから、お前たちがここに心を注ぐことを願わない。ただ精神を愛しんで養い、息を整え守り、寝起きを慎んで節し、寒さと暖かさを均しくし、飲み食いを慎み、薬を服して、生まれ持ったものを尽くして早死にしないというのなら、私は文句はない。いろいろな服薬の法は、世の務めを妨げない。庾肩吾はいつも槐の実を服して、七十あまりで細い字を目で読み、髭と髪はまだ黒かった。鄴の朝廷の士の中には、杏仁・枸杞・黄精・朮・車前を一つだけ服して効を得た者がとても多く、一つ一つ挙げきれない。私はかつて歯を病んで、揺れて抜けそうになり、飲み食いが熱くても冷たくても、どれも痛んだ。『抱朴子』の歯を固める法を見ると、早朝に歯を三百回打ち合わせるのがよいとあったので、数日行うとすぐに治り、今も常に続けている。こうした小さな術は、事に害がないので、修めてよい。薬を服そうとするなら、陶隠居の『太清方』にすべて備わって載っているが、必ず精しく調べるべきで、軽々しくしてはならない。近ごろ王愛州が鄴で松脂を服す法を学んだが、度合いを守れず、腸が詰まって死んだ。薬に誤らされた者はとても多い。

2養生はまず禍を慮ること

夫養生者先須慮禍,全身保性,有此生然後養之,勿徒養其無生也。單豹養於內而喪外,張毅養於外而喪內,前賢所戒也。嵇康著養生之論,而以傲物受刑;石崇冀服餌之征,而以貪溺取禍,往世之所迷也。

養生する者は、まず禍を慮って身を全うし性を保つべきである。この生があってはじめて養うのであり、生きてもいないものをむなしく養ってはならない。単豹は内を養って外を失い、張毅は外を養って内を失った。前の賢人が戒めたところである。嵆康は養生の論を著したのに、人を侮って刑を受け、石崇は服薬の効を願ったのに、貪りに溺れて禍を得た。過ぎた世が迷ったところである。

3命は惜しむべきだが、なまじ惜しんではならない

夫生不可不惜,不可茍惜。涉險畏之途,幹禍難之事,貪欲以傷生,讒慝而致死,此君子之所惜哉;行誠孝而見賊,履仁義而得罪,喪身以全家,泯軀而濟國,君子不咎也。自亂離已來,吾見名臣賢士,臨難求生,終為不救,徒取窘辱,令人憤懣。侯景之亂,王公將相,多被戮辱,妃主姬妾,略無全者。唯吳郡太守張嵊,建義不捷,為賊所害,辭色不撓;及鄱陽王世子謝夫人,登屋詬怒,見射而斃。夫人,謝遵女也。何賢智操行若此之難?婢妾引決若此之易?悲夫!

命は惜しまないわけにはいかないが、なまじ惜しんではならない。険しく恐ろしい道を行き、禍と難を犯し、貪りで命を損ない、讒言と奸しさで死に至るのは、君子が惜しむところである。誠と孝を行って害を受け、仁義を踏んで罪を得、身を失って家を全うし、体を滅して国を救うのは、君子が咎めない。乱れ離れて以来、名ある臣や賢い士が、難に臨んで生きようとして、ついに救われず、むなしく窮して辱めだけを受けるのを見てきた。人を憤らせる。侯景の乱では、王公や将相が多く殺され辱められ、妃や公主や妾たちに無事な者はほとんどなかった。ただ呉郡太守の張嵊は、義兵を起こして勝てず、賊に害されながらも、言葉も顔つきも屈しなかった。また鄱陽王の世子の謝夫人は、屋根に登って罵り怒り、射られて死んだ。夫人は謝遵の娘である。どうして賢く智ある者の節操はこれほど難しく、召使いや妾の覚悟はこれほど易しいのか。悲しいことだ。