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雑芸 — さまざまな技雜藝

顔氏家訓(顔氏の家の教え) 顏氏家訓 · 顔之推 · 6世紀末 · 段落 13 · 漢字 1,657字 · 朗読 6.6分

顔氏家訓(顔氏の家の教え) 全一巻 南北朝末の学者・顔之推が子孫に残した二十篇の家訓。梁に生まれ、西魏・北斉・北周・隋の四つの国をさすらって生き延びた人が「家をそろえ、子孫を目覚めさせるために」書いた文章なので、子の教え方・兄弟・再婚・家の暮らし・身のふるまいと言葉づかい・学び・文章・名と実・足るを知ることから、字と書物の考証、言葉の音、書・絵・弓・占い・琴・碁といった諸芸、そして自分の葬いをどう行えという遺言にまで至る。「車から落ちなければ著作郎」と言われていた梁の貴族の子弟が、乱の後に畑を耕し馬を飼うようになったのを見て「身に持った小さな技は財千万に勝る」と言った箇所、「幼くして学ぶ者は日の昇るときの光のようであり、老いて学ぶ者は蠟燭を持って夜道を行くようなものだ」という箇所がここから出た。後の世の家訓はみなこの書を先祖とする。

1書には少し心を留めよ、ただし精しすぎることはない

真草書迹,微須留意。江南諺云:「尺牘書疏,千里面目也。」承晉、宋餘俗,相與事之,故無頓狼狽者。吾幼承門業,加性愛重,所見法書亦多,而翫習功夫頗至,遂不能佳者,良由無分故也。然而此藝不須過精。夫巧者勞而智者憂,常爲人所役使,更覺爲累;韋仲將遺戒,深有以也。

楷書と草書の書きぶりには、少しは心を留めるべきです。江南のことわざに「手紙や書きつけは、千里の彼方の顔かたちだ」といいます。晋・宋の残った習わしを受け継いで、互いにこれを事としていたので、急に不作法を見せる者はいませんでした。わたしは幼くして家の業を受け継ぎ、そのうえ性として愛し重んじたので、見た法書も多く、習い込んだ工夫もかなりのところまで行きましたが、ついに上手にならなかったのは、まことに分がないからです。しかしこの技は、精しすぎることはありません。巧みな者は労し、智のある者は憂え、いつも人に使われて、かえって累わしく感じます。韋仲将の遺した戒めには、深いわけがあったのです。

2「わたしが書を知らなかったら、今日には至らなかったろうに」

王逸少風流才士,蕭散名人,舉世惟知其書,翻以能自蔽也。蕭子云每嘆曰:「吾着齊書,勒成一典,文章弘義,自謂可觀;唯以筆迹得名,亦異事也。」王褒地胄清華,才學優敏,後雖入關,亦被禮遇。猶以書工,崎嶇碑碣之間,辛苦筆硯之役,嘗悔恨曰:「假使吾不知書,可不至今日邪?」以此觀之,慎勿以書自命。雖然,廝猥之人,以能書拔擢者多矣。故道不同不相爲謀也。

王逸少は風流な才士、蕭散な名人でしたが、世の中はただその書だけを知り、かえってその能によってみずからを覆い隠されました。蕭子雲はいつも嘆いて言いました。「わたしは『斉書』を著して一つの典籍にまとめ上げ、文章も大きな意も、みずから見るべきものと思っている。それなのにただ筆跡で名を得たのは、やはり不思議なことだ。」王褒は家柄が清らかで華やかであり、才も学も優れて敏く、のちに関中に入ってからも礼遇を受けました。それでも書の腕のために、碑や碣の間をさまよい、筆と硯の使い走りに苦しみ、かつて悔いて恨み、「もしわたしが書を知らなかったなら、今日には至らなかったのではないか」と言いました。これで見れば、慎んで書でみずからを立てようとしてはなりません。とはいえ、卑しく低い身分の人で、書が上手なために抜擢された者は多いのです。ですから道が同じでなければ、互いに謀らないというのです。

夾注 1

王逸少

逸少は王羲之(おうぎし)の字(あざな)です。底本にない本名が本文に挟まれていましたが、朗読で一人が二つの名に聞こえるため、脇注に移しました。― 訳者

3二人の王の書、十巻

梁氏秘閣散逸以來,吾見二王真草多矣,家中嘗得十卷;方知陶隱居、阮交州、蕭祭酒諸書,莫不得羲之之體,故是書之淵源。蕭晚節所變,乃右軍年少時法也。

梁の秘閣が散り失せてから、わたしは二人の王の楷書と草書を多く見ましたし、家でもかつて十巻を手に入れました。そこではじめて、陶隠居・阮交州・蕭祭酒のいろいろな書が、どれも王羲之の体を得ていることが分かりました。だから書の源なのです。蕭子雲が晩年に変えたものは、つまり右軍の若いころの法でした。

夾注 1

右軍

右軍は、王羲之が務めた官による呼び名です。底本にない本名が本文に挟まれていましたが、朗読で一人が二つの名に聞こえるため、脇注に移しました。― 訳者

4「百念」を「憂」とした北朝の字

晉、宋以來,多能書者。故其時俗,遞相染尚,所有部帙,楷正可觀,不無俗字,非爲大損。至梁天監之間,斯風未變;大同之末,訛替滋生。蕭子云改易字體,邵陵王頗行偽字;朝野翕然,以爲楷式,畫虎不成,多所傷敗。至爲一字,唯見數點,或妄斟酌,逐便轉移。爾後墳籍,略不可看。北朝喪亂之餘,書迹鄙陋,加以專輒造字,猥拙甚於江南。乃以百念爲憂,言反爲變,不用爲罷,追來爲歸,更生爲蘇,先人爲老,如此非一,遍滿經傳。唯有姚元標工於楷隸,留心小學,後生師之者眾。洎於齊末,秘書繕寫,賢於往日多矣。

晋・宋以来、書の上手な者が多くいました。ですからその時代の習わしは、互いに染まり合って尊び、あらゆる書物が楷書で正しく、見るに堪えるものでした。俗字がないわけではありませんが、大きな損というほどではありません。梁の天監のころまでは、この風は変わりませんでした。大同の末になって、誤りが増えて生じました。蕭子雲が字の体を改め変え、邵陵王がかなり偽りの字を行ったので、朝廷も在野もこぞってこれを手本とし、虎を描いて描き上げられないように、損ない損じたものが多くなりました。ひどいのは、一字を書くのに点がいくつか見えるだけであったり、みだりに見当をつけて都合のよいように移し変えたりしました。その後の書物は、ほとんど見るに堪えません。北朝は喪乱のあとで書きぶりが卑しく拙く、そのうえ勝手に字を作るので、その拙さは江南よりもひどいものです。そこで「百念」を「憂」とし、「言反」を「変」とし、「不用」を「罷」とし、「追来」を「帰」とし、「更生」を「蘇」とし、「先人」を「老」とするなど、こうしたものが一つ二つではなく、経や伝に満ちあふれています。ただ姚元標だけが楷書と隷書に巧みで、小学に心を留め、後の世の者で彼を師とする者が多くいました。斉の末になって、秘書の写し書きは、以前よりずっとよくなりました。

5「画書賦」は道士が作ったもの

江南閭里間有畫書賦,乃陶隱居弟子杜道士所爲;其人未甚識字,輕爲軌則,托名貴師,世俗傳信,後生頗爲所誤也。

江南の村里の間に「画書賦」というものがあります。これは陶隠居の弟子の杜という道士が作ったものです。その人は字をたいして知らないのに、軽々しく決まりを立て、尊い師の名に託したので、世間が伝えて信じ、後の世の者がかなり誤らされました。

6絵の技は人を使い走りにする

畫繪之工,亦爲妙矣;自古名士,多或能之。吾家嘗有梁元帝手畫蟬雀白團扇及馬圖,亦難及也。武烈太子偏能寫真,坐上賓客,隨宜點染,即成數人,以問童孺,皆知姓名矣。蕭賁、劉孝先、劉靈,並文學已外,復佳此法。翫閲古今,特可寶愛。若官未通顯,每被公私使令,亦爲猥役。吳縣顧士端出身湘東王國侍郎,後爲鎮南府刑獄參軍,有子曰庭,西朝中書舍人,父子並有琴書之藝,尤妙丹青,常被元帝所使,每懷羞恨。彭城劉岳,橐之子也,仕爲驃騎府管記、平氏縣令,才學快士,而畫絶倫。後隨武陵王入蜀,下牢之敗,遂爲陸護軍畫支江寺壁,與諸工巧雜處。向使三賢都不曉畫,直運素業,豈見此恥乎?

絵を描く腕もまた妙なものです。古くから名士で、これに能く者が多くいました。わが家にはかつて梁の元帝が手ずから描いた蝉と雀の白い団扇と馬の絵があり、これも及びがたいものでした。武烈太子はとくに似姿を描くのが巧みで、座にいる客を、ほどよく点じ染めると、たちまち何人もの姿になり、子どもに尋ねてもみな名が分かりました。蕭賁・劉孝先・劉霊は、みな文学のほかに、またこの法に優れていました。古今のものを見て楽しむと、とくに宝として愛すべきものです。ただ官位がまだ高く通らないと、いつも公私の用を言いつけられるので、これも卑しい使い役になります。呉県の顧士端は湘東王国の侍郎から身を起こし、のちに鎮南府の刑獄参軍となりました。子に庭という者があり、西朝の中書舎人でした。父子ともに琴と書の技があり、とくに絵に妙であったので、いつも元帝に使われて、そのたびに恥と恨みを抱きました。彭城の劉岳は劉橐の子で、官は驃騎府の管記・平氏県令となり、才も学も優れた人であったうえ、絵は並ぶものがありませんでした。のちに武陵王に従って蜀に入り、下牢の敗戦のあと、ついに陸護軍のために支江寺の壁に絵を描き、いろいろな職人と交じって過ごしました。もしこの三人の賢人が絵をまったく知らず、ただ本来の業だけを行っていたら、どうしてこんな恥を見ることがあったでしょうか。

7弓射 — 兵射と博射

弧矢之利,以威天下,先王所以觀德擇賢,亦濟身之急務也。江南謂世之常射,以爲兵射,冠冕儒生,多不習此;別有博射,弱弓長箭,施於準的,揖讓升降,以行禮焉。防禦寇難,了無所益。亂離之後,此術遂亡。河北文士,率曉兵射,非直葛洪一箭,已解追兵,三九燕集,常縻榮賜。雖然要輕禽,截狡獸,不願汝輩爲之。

弓と矢の利によって天下に威を示すのは、先王が徳を見て賢い者を選んだところであり、また身を救う急ぎの務めでもあります。江南では世間の普通の弓射を兵射といい、冠をかぶった儒生は多くこれを習いません。別に博射というものがあって、弱い弓と長い矢で的に射かけ、揖して譲り、昇り降りして礼を行います。これは賊や難を防ぐのには、まったく役に立ちません。乱れ離れたあと、この術はついに絶えました。河北の文士はおおむね兵射を知っており、葛洪が一矢で追う兵を退けたというだけでなく、三九の宴では、いつも名誉ある賜りものを受けます。とはいえ、素早い鳥を射落とし、こざかしい獣を仕留めることは、お前たちにしてほしくありません。

8占いは十のうち六つ七つ当てれば上手という

卜筮者,聖人之業也;但近世無復佳師,多不能中。古者,卜以決疑,今人生疑於卜;何者?守道信謀,欲行一事,卜得惡卦,反令□〔心式〕□〔心式〕,此之謂乎!且十中六七,以爲上手,粗知大意,又不委曲。凡射奇偶,自然半收,何足賴也。世傳云:「解陰陽者,爲鬼所嫉,坎壈貧窮,多不稱泰。」吾觀近古以來,尤精妙者,唯京房、管輅、郭璞耳,皆無官位,多或罹災,此言令人益信。儻值世網嚴密,強負此名,便有詿誤,亦禍源也。及星文風氣,率不勞爲之。吾嘗學六壬式,亦值世閒好匠,聚得龍首、金匱、玉軨變、玉曆十許種書,討求無驗,尋亦悔罷。凡陰陽之術,與天地俱生,亦吉凶德刑,不可不信;但去聖既遠,世傳術書,皆出流俗,言辭鄙淺,驗少妄多。至如反支不行,竟以遇害;歸忌寄宿,不免凶終:拘而多忌,亦無益也。

卜筮は聖人の業ですが、近ごろは良い師がもういないので、当てられない者が多いのです。昔は占いで疑いを決めましたが、今の人は占いから疑いが生じます。どうしてでしょうか。道を守り、謀りごとを信じて一つの事を行おうとしたのに、占いで悪い卦を得ると、かえって□〔心式〕□〔心式〕となってしまう。これを言うのでしょう。そのうえ十のうち六つ七つ当てれば上手だとされますが、だいたいの大意を知るだけで、細かいところまでは行き届きません。そもそも奇数か偶数かを当てれば、自然に半分は当たります。どうして頼りにできるでしょうか。世に伝えて「陰陽を解く者は鬼に嫉まれ、つまずいて貧しく、安らかな者が少ない」といいます。わたしが近い昔からを見ますと、とりわけ精妙であったのは、ただ京房・管輅・郭璞だけですが、みな官位がなく、多くは災いに遭いました。この言葉はますます信じられます。もし世の網が厳しく密なときに、無理にこの名を背負えば、たちまち巻き込まれて誤るので、これも禍の源です。星の文や風の気などは、おおむね労を費やすことはありません。わたしはかつて六壬式を学び、また世間の良い師に出会って、『龍首』『金匱』『玉軨変』『玉暦』など十種あまりの書を集めましたが、尋ね求めても験がなく、すぐに悔いてやめました。およそ陰陽の術は天地とともに生まれ、また吉凶と徳刑のことですから、信じないわけにはいきません。ただ聖人から遠く離れてしまったので、世に伝わる術の書はみな俗間から出て、言葉は卑しく浅く、験は少なく、でたらめが多いのです。反支に出歩かなかったのに、結局は害に遭い、帰忌に宿を借りたのに、凶い死を免れませんでした。縛られて忌むことが多くても、やはり役に立ちません。

9算術は兼ねて明らかにするもの

算術亦是六藝要事;自古儒士論天道,定律歷者,皆學通之。然可以兼明,不可以專業。江南此學殊少,唯范陽祖晅精之,位至南康太守。河北多曉此術。

算術もまた六芸の要となる事です。古くから儒者が天の道を論じ、律暦を定めるときには、みなこれを学んで通じていました。しかし兼ねて明らかにすることはできても、専門の業とすることはできません。江南ではこの学がきわめて少なく、ただ范陽の祖晅だけが精通して、位は南康太守に至りました。河北にはこの術を知る者が多くいます。

10医術で身を立てようとするな

醫方之事,取妙極難,不勸汝曹以自命也。微解藥性,小小和合,居家得以救急,亦爲勝事,皇甫謐、殷仲堪則其人也。

医方の事は、妙を得るのがきわめて難しいので、お前たちにこれで身を立てることは勧めません。薬の性を少し解して、ちょっとした調合をし、家で急なときに救えるなら、それもよい事です。皇甫謐・殷仲堪がその人でした。

11琴 — ただし褒められてはならない

禮曰:「君子無故不徹琴瑟。」古來名士,多所愛好。洎於梁初,衣冠子孫,不知琴者,號有所闕;大同以末,斯風頓盡。然而此樂愔愔雅致,有深味哉!今世曲解,雖變於古,猶足以暢神情也。唯不可令有稱譽,見役勛貴,處之下坐,以取殘杯冷炙之辱。戴安道猶遭之,況爾曹乎!

『礼記』に「君子はわけもなく琴と瑟を片づけない」とあります。古くから名士が多く愛し好みました。梁の初めになると、衣冠の子孫で琴を知らない者は、欠けたところがあるといわれました。大同の末に、この風はにわかに絶えました。しかしこの楽は、しめやかで雅びた趣があり、深い味わいがあります。今の世の曲や調子は、古のものと変わりましたが、それでも心を晴らすには十分です。ただ、褒められて勲功ある貴人に使われ、下の座に置かれて、残りの杯と冷えた肉の辱めを受けることはないようにしなさい。戴安道でさえそれに遭ったのです。まして、お前たちならなおさらです。

12博と囲碁

家語曰:「君子不博,爲其兼行惡道故也。」論語云:「不有博弈者乎?爲之,猶賢乎已。」然則聖人不用博弈爲教;但以學者不可常精,有時疲倦,則儻爲之,猶勝飽食昏睡,兀然端坐耳。至如吳太子以爲無益,命韋昭論之;王肅、葛洪、陶侃之徒,不許目觀手執,此並勤篤之志也。能爾爲佳。古爲大博則六箸,小博則二煢,今無曉者。比世所行,一煢十二棋,數術淺短,不足可翫。圍棋有手談、坐隱之目,頗爲雅戲;但令人耽憒,廢喪實多,不可常也。

『家語』に「君子は博をしない。それは悪い道を兼ねて行うことになるからだ」とあり、『論語』に「博や弈というものがあるではないか。それをするのでも、やめているよりはまだよい」とあります。それなら聖人は博や弈を教えとして用いたのではありません。ただ学ぶ者はいつも精しくしていられず、時に疲れることがあるので、それでもするほうが、腹いっぱい食べて暗く眠り、ぼんやりと端座しているよりはましだというだけのことです。呉の太子が無益だとして韋昭に論じさせ、王粛・葛洪・陶侃の輩が目で見ることも手に取ることも許さなかったのは、みな勤め励む篤い志です。そうできれば立派です。昔は大博には六本の箸を用い、小博には二つの煢を用いましたが、今は知る者がありません。近ごろ行われているのは、一つの煢に十二の駒で、術数が浅く短く、楽しむに足りません。囲碁には手談・坐隠という呼び名があって、かなり雅びた遊びです。ただ人を溺れさせ惑わせ、失い損なうものが実に多いので、いつもしてはなりません。

13投壺と弾棋

投壺之禮,近世愈精。古者,實以小豆,爲其矢之躍也。今則唯欲其驍,益多益喜,乃有倚竿、帶劍、狼壺、豹尾、龍首之名。其尤妙者,有蓮花驍。汝南周□〔王貴〕,弘正之子,會稽賀徽,賀革之子,並能一箭四十餘驍。賀又嘗爲小障,置壺其外,隔障投之,無所失也。至鄴以來,亦見廣寧、蘭陵諸王,有此校具,舉國遂無投得一驍者。彈棋亦近世雅戲,消愁釋憒,時可爲之。

投壺の礼は、近ごろますます精しくなりました。昔は小豆を詰めて、矢が跳ね返らないようにしました。今はただ驍、つまり跳ね返りだけを望み、多ければ多いほど喜ぶので、倚竿・帯剣・狼壺・豹尾・龍首といった名があります。そのなかでとくに妙なものに、蓮花驍があります。汝南の周□〔王貴〕は周弘正の子、会稽の賀徽は賀革の子で、どちらも一矢で四十回あまり跳ね返らせることができました。賀徽はまたかつて小さな衝立を作り、壺をその外に置いて、衝立越しに投げ入れ、外すことがありませんでした。鄴に来てから、広寧王・蘭陵王といった王たちにこの道具があるのを見ましたが、国中でついに一度も跳ね返らせる者がありませんでした。弾棋もまた近ごろの雅びた遊びで、憂いを消し、ふさぎを晴らすので、ときにはしてよいものです。