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那竭国の仏頂骨

仏国記(仏の国々をめぐる記) 佛國記 · 法顕 · 東晋・義熙年間(416年頃) · 段落 4 · 漢字 567字 · 朗読 2.3分

仏国記(仏の国々をめぐる記) 全一巻 六十五歳の僧・法顕が戒律を求めて長安を離れ、砂漠と葱嶺を越えて天竺まで行き、獅子国を経て海路で帰ってきた十五年の記録。訪ねた国は三十。韓国・中国・日本が互いを書き記していた時代に、東アジアの人がインドを自らの目で見て残した最も早い紀行文である。

1醯羅城の仏頂骨 — 八家の八つの印

西行十六由延,便至那竭國界醯羅城。城中有佛頂骨精舍,盡以金薄、七寶校餝。國王敬重頂骨,慮人抄奪,乃取國中豪姓八人,人持一印,印封守護。清晨,八人俱到,各視其印,然後開戶。開戶已,以香汁洗手,出佛頂骨,置精舍外高座上,以七寶圓椹椹下,琉璃鍾覆上,皆珠璣校餝。骨黃白色,方圓四寸,其上隆起。每日出後,精舍人則登高樓,擊大鼓,吹螺,敲銅鈸。王聞已,則詣精舍,以華香供養。供養已,次第頂戴而去。從東門入,西門出。王朝朝如是供養、禮拜,然後聽國政。居士、長者亦先供養,乃修家事。日日如是,初無懈惓。供養都訖,乃還頂骨於精舍。中有七寶解脫塔,或開或閇,高五尺許,以盛之。精舍門前,朝朝恒有賣華香人,凡欲供養者,種種買焉。諸國王亦恒遣使供養。精舍處方四十步,雖復天震地裂,此處不動。

西へ十六由延行って、那竭国の境の醯羅城に至った。城の中に仏の頂骨を安置した精舎があり、すべて金箔と七宝で飾ってある。国王は頂骨を敬い重んじ、人が奪い取ることを心配して、国中の有力な家から八人を選び、一人に一つずつ印を持たせ、封印して守らせている。早朝に八人がそろって来て、それぞれ自分の印を確かめてから戸を開ける。戸を開けると、香の汁で手を洗い、仏の頂骨を取り出して精舎の外の高座の上に置く。七宝で作った丸い台を下に据え、瑠璃の鍾を上に覆い、どれも珠玉で飾ってある。骨は黄みがかった白い色で、四方四寸、その上が盛り上がっている。毎日、日が出たあと、精舎の者が高い楼に登って大きな太鼓を打ち、法螺を吹き、銅の鈸を打ち鳴らす。王はそれを聞くと精舎に赴き、花と香で供養する。供養を終えると、順に頭上にいただいて退く。東の門から入り、西の門から出る。王は朝ごとにこうして供養し礼拝したのちに、国の政を聞く。居士や長者もまず供養してから家の事をする。日ごとにこのようであって、はじめから怠ることがない。供養がすべて終わると、頂骨を精舎の中に戻す。その中に七宝の解脱塔があり、開いたり閉じたりするもので、高さは五尺ほどで、それに納める。精舎の門の前には、朝ごとにいつも花と香を売る人がいて、供養しようとする者は種々に買い求める。諸国の王もいつも使者を遣わして供養する。精舎の場所は四方四十歩で、たとえ天が震え地が裂けても、この所だけは動かないという。

2定光仏に花を供養した所

從此北行一由延,到那揭國城。是菩薩本以銀錢𧵍五莖華,供養定光佛處。城中亦有佛齒塔,供養如頂骨法。

ここから北へ一由延行って、那揭国の城に至った。菩薩がもともと銀の銭で五茎の花を買い、定光仏に供養した所である。城の中にはまた仏歯の塔があり、頂骨と同じ法式で供養する。

3仏の錫杖と僧伽梨

城東北一由延,到一谷口。有佛錫杖,亦起精舍供養,杖以牛頭旃檀作,長丈六七許,以木筒盛之,正復百千人,舉不能移。入谷口四日西行,有佛僧伽梨精舍供養。彼國土亢旱時,國人相率出衣,禮拜供養,天即大雨。

城の東北一由延行くと、一つの谷の口に至る。仏の錫杖があり、ここにも精舎を建てて供養している。杖は牛頭栴檀で作られ、長さは一丈六、七尺ほどで、木の筒に納めてある。たとえ百人千人がかりで持ち上げようとしても、動かすことができない。谷の口に入って西へ四日行くと、仏の僧伽梨を安置した精舎があって供養している。その国の地に干ばつがあるときは、国の人々が連れ立って出てきて衣を取り出し、礼拝し供養すると、天はすぐに大雨を降らせる。

4石室の仏影 — 近づくと薄れる影

那竭城南半由延,有石室,搏山西南向,佛留影此中。去十餘步觀之,如佛真形,金色相好,光明炳著,轉近轉微,髣髴如有。諸方國王遣工畫師模寫,莫能及。彼國人傳云,千佛盡當於此留影。影西四百步許,佛在時剃髮剪爪。佛自與諸弟子共造塔,高七八丈,以爲將來塔法,今猶在。邊有寺,寺中有七百餘僧。此處有諸羅漢、辟支佛塔乃千數。

那竭城の南、半由延のところに石室がある。山に寄りそって西南を向いており、仏がその中に影を留めた。十歩あまり離れて見れば仏の真の姿のようで、金色の相好が明らかに輝いているが、近づくほどに薄れて、あるかないかのようである。諸方の国王が絵師を遣わして写し取らせたが、誰も及ばなかった。その国の人は、千仏がみなこの所に影を留めるであろうと伝えている。影の西、四百歩ほどのところに、仏が在世のとき髪を剃り爪を切った所がある。仏がみずから弟子たちとともに塔を建て、高さは七、八丈で、のちの世の塔の手本としたものであり、今もなお残っている。かたわらに寺があり、寺には七百人あまりの僧がいる。この所には羅漢や辟支仏の塔が千を数えるほどある。