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小雪山を越えて中天竺へ

仏国記(仏の国々をめぐる記) 佛國記 · 法顕 · 東晋・義熙年間(416年頃) · 段落 10 · 漢字 940字 · 朗読 3.8分

仏国記(仏の国々をめぐる記) 全一巻 六十五歳の僧・法顕が戒律を求めて長安を離れ、砂漠と葱嶺を越えて天竺まで行き、獅子国を経て海路で帰ってきた十五年の記録。訪ねた国は三十。韓国・中国・日本が互いを書き記していた時代に、東アジアの人がインドを自らの目で見て残した最も早い紀行文である。

1小雪山 — 慧景、雪の中に果てる

住此冬三月,法顯等三人南度小雪山。雪山冬夏積雪。山北陰中遇寒風暴起,人皆噤戰。慧景一人不堪復進,口出白沫,語法顯云︰「我亦不復活,便可時去,勿得俱死。」於是遂終。法顯撫之悲號:「本圖不果,命也奈何!」復自力前,得過嶺。

ここで冬の三月をとどまり、法顕ら三人は南へ小雪山を越えた。雪山は冬も夏も雪が積もっている。山の北の日陰で冷たい風が急に起こり、人はみな歯を鳴らして震えた。慧景ひとりはそれ以上進むのに耐えられず、口から白い泡を出して、法顕に言った。「わたしはもう生きられない。あなたたちは早く行きなさい。ともに死んではならない。」そうしてついに息を引き取った。法顕はその身をなでて悲しく泣き叫んだ。「もとの志を果たせないとは、これが命というものか。どうしようもない。」そして自ら力を出して進み、嶺を越えることができた。

2羅夷国

南到羅夷國。近有三千僧,兼大小乘學。住此夏坐。

南へ行って羅夷国に至った。近くに僧が三千人いて、大乗と小乗をあわせて学ぶ。ここにとどまって夏の安居を過ごした。

3跋那国

坐訖,南下,行十日,到跋那國。亦有三千許僧,皆小乘學。

安居を終えて南へ下り、十日行って跋那国に至った。ここにも僧が三千人ほどいて、みな小乗を学ぶ。

4「辺地の人がここまで来るとは」 — 毗荼国

從此東行三日,復渡新頭河,兩岸皆平地。過河有國,名毗荼。佛法興盛,兼大小乘學。見秦道人往,乃大憐愍,作是言:「如何邊地人,能知出家爲道,遠求佛法?」悉供給所須,待之如法。

ここから東へ三日行って、ふたたび新頭河を渡ったが、両岸はどちらも平地であった。川を越えると毗荼という国がある。仏法が盛んで、大乗と小乗をあわせて学ぶ。秦の道人が来たのを見ると、たいそう憐れんで、こう言った。「どうして辺地の人が、出家して道を修めることを知り、こんな遠くまで仏法を求めて来られたのか。」必要なものをすべて供給し、法のとおりにもてなした。

5寺の連なる道

從此東南行減八十由延,經歷諸寺甚多,僧衆萬數。

ここから東南へ八十由延に足りないほど行くあいだ、通りすぎた寺はたいへん多く、僧は万を数えた。

6摩頭羅国

過是諸處已,到一國,國名摩頭羅。有遙捕那河,河邊左右有二十僧伽藍,可有三千僧,佛法轉盛。

これらの所を過ぎて、一つの国に至った。国の名は摩頭羅である。遥捕那河があり、川のほとりの左右に僧伽藍が二十あって、僧は三千人ほどで、仏法はいよいよ盛んである。

7王が自ら食を配る

凡沙河已西,天竺諸國,國王皆篤信佛法。供養衆僧時,則脫天冠,共諸宗親、羣臣手自行食。行食已,鋪氊於地,對上座前坐,於衆僧前不敢坐床。佛在世時諸王供養法式,相傳至今。

おおよそ沙河より西、天竺の諸国では、国王がみな仏法を篤く信じている。僧たちに供養するときには天冠を脱ぎ、宗親や群臣とともに自分の手で食を配る。食を配り終えると、地に毛氈を敷いて上座の前に向かって座り、僧たちの前では決して床に座らない。仏が在世のころ王たちが供養した法式が、今まで伝えられてきたのである。

8中国 — 刑罰のない国

從是以南,名爲中國。中國寒暑調和,無霜、雪。人民殷樂,無戶籍官法,唯耕王地者乃輸地利,欲去便去,欲住便住。王治不用刑罔,有罪者但罰其錢,隨事輕重,雖復謀爲惡逆,不過截右手而已。王之侍衛、左右皆有供禄。舉國人民悉不殺生,不飲酒,不食葱䔉,唯除旃荼羅。旃荼羅名爲惡人,與人別居,若入城市則擊木以自異,人則識而避之,不相唐突。國中不養猪、雞,不賣生口,市無屠、酤及估酒者,貨易則用貝齒,唯旃荼羅、獵師賣肉耳。

ここから南を中国と呼ぶ。中国は寒さ暑さがほどよく、霜も雪もない。人民は豊かで楽しく、戸籍も官の法もなく、ただ王の地を耕す者だけが地の利を納める。去りたければ去り、とどまりたければとどまる。王は治めるのに刑罰を用いず、罪のある者はただ銭で罰するだけで、事の重さ軽さに従う。たとえ悪逆を謀った者でも、右手を切るにとどまる。王の護衛や左右の臣には、みな俸禄がある。国中の人民はことごとく生き物を殺さず、酒を飲まず、葱や蒜を食べない。ただ旃荼羅だけは別である。旃荼羅とは悪人を指す呼び名で、人と別に住み、城や市に入るときには木を打って自分を知らせるので、人は見分けて避け、ぶつかり合うことがない。国の中では豚も鶏も飼わず、生きた家畜を売らず、市には肉屋も酒屋も酒を売る者もない。売り買いには貝の銭を用いる。ただ旃荼羅と猟師だけが肉を売るのである。

9僧伽藍の法度

自佛般泥洹後,諸國王、長者、居士爲衆僧起精舍供養,供給田宅、園圃、民戶、牛犢,鐵券書録,後王王相傳,無敢廢者,至今不絶。衆僧住止房舍、床褥、飲食、衣服,都無缺乏,處處皆爾。衆僧常以作功德爲業,及誦經、坐禪。客僧往到,舊僧迎逆,代檐衣鉢,給洗足水,塗足油,與非時漿,須臾,息已,復問其臘數,次第得房舍、卧具,種種如法。衆僧住處,作舍利弗塔、目連、阿難塔,并阿毗曇、律、經塔。安居後一月,諸希福之家勸化供養僧,作非時漿。衆僧大會說法。說法已,供養舍利弗塔,種種香華,通夜然燈。使彼人作舍利弗本婆羅門時詣佛求出家。大目連、大迦葉亦如是。諸比丘尼多供養阿難塔,以阿難請世尊聽女人出家故。諸沙彌多供養羅云。阿毗曇師者,供養阿毗曇。律師者,供養律。年年一供養,各自有日。摩訶衍人則供養般若波羅蜜、文殊師利、觀世音等。衆僧受歲竟,長者、居士、婆羅門等各持種種衣物、沙門所須,以布施僧,衆僧亦自各各布施。佛泥洹已來,聖衆所行威儀法則,相承不紀。

仏が涅槃に入ってのちは、諸国の王・長者・居士が僧たちのために精舎を建てて供養し、田や家、園圃、民戸、牛を供給した。それを鉄の券に書き記して、王から王へ代々伝え、あえて廃する者がなく、今まで絶えていない。僧たちの住む房舎や寝具、飲食、衣服は何一つ欠けることがなく、どこでもみなそのとおりである。僧たちはいつも功徳を積むことを務めとし、経を誦し、坐禅する。客僧が来ると、もとからいる僧が出迎えて、衣と鉢を代わって担ぎ、足を洗う水と足に塗る油を与え、時ならぬときの飲み物を出す。しばらく休ませたのちに、その法臘の数を尋ね、順序に従って房舎と寝具を与える。何もかも法のとおりである。僧たちの住む所には、舎利弗の塔、目連の塔、阿難の塔、あわせて阿毗曇・律・経の塔を建てる。安居の後の一月、福を願う家々が互いに勧めて僧に供養し、時ならぬときの飲み物を作る。僧たちは大きく集まって法を説く。法を説き終えると、舎利弗の塔に種々の香と花で供養し、夜を通して灯をともす。そして役者に、舎利弗がもと婆羅門であったとき仏のもとへ赴いて出家を願ったさまを演じさせる。大目連・大迦葉についても同じようにする。比丘尼たちは多く阿難の塔に供養する。阿難が世尊に女人の出家を許すよう願ったからである。沙弥たちは多く羅云に供養する。阿毗曇の師は阿毗曇に供養し、律の師は律に供養する。年に一度の供養で、それぞれに決まった日がある。摩訶衍を学ぶ人は、般若波羅蜜・文殊師利・観世音などに供養する。僧たちが受歳を終えると、長者・居士・婆羅門らがそれぞれ種々の衣類や品物、沙門に必要なものを持ってきて僧に布施し、僧たちもまた互いに布施する。仏が涅槃に入ってこのかた、聖衆が行ってきた威儀と法則が、こうして受け継がれて絶えていない。

10南天竺まで平坦な地

自渡新頭河,至南天竺,迄於南海,四五萬里,皆平坦,無大山川,正有河水耳。

新頭河を渡ってからは、南天竺に至り、南海に行き着くまで四、五万里が、どこも平坦で、大きな山も川もなく、ただ河の水があるだけである。