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罽饒夷から沙祇まで
仏国記(仏の国々をめぐる記) 全一巻 六十五歳の僧・法顕が戒律を求めて長安を離れ、砂漠と葱嶺を越えて天竺まで行き、獅子国を経て海路で帰ってきた十五年の記録。訪ねた国は三十。韓国・中国・日本が互いを書き記していた時代に、東アジアの人がインドを自らの目で見て残した最も早い紀行文である。
1罽饒夷城
坐訖,東南行七由延,到罽饒夷城。城接恒水,有二僧伽藍,盡小乘學。
安居を終えて東南へ七由延行き、罽饒夷城に至った。城は恒水に接していて、僧伽藍が二つあり、どちらも小乗を学ぶ。
2身は泡沫のようだと説いた所
去城西六七里,恒水北岸,佛爲諸弟子說法處。傳云︰說無常、苦,說身如泡沫等。此處起塔猶在。
城から西へ六、七里離れた恒水の北の岸は、仏が弟子たちのために法を説いた所である。伝えによれば、無常と苦を説き、身は泡沫のようなものだと説いたという。この所に建てられた塔が今も残っている。
3呵梨村
度恒水,南行三由延,到一村,名呵梨。佛於此中說法、經行、坐處,盡起塔。
恒水を渡って南へ三由延行くと、呵梨という村に至る。仏がこの中で法を説き、歩き回り、座った所には、どこにも塔が建てられている。
4沙祇大国
從此東南行十由延,到沙祇大國。
ここから東南へ十由延行って、沙祇大国に至った。
5楊の枝が育った木
出沙祇城南門,道東,佛本在此嚼楊枝,刺土中,即生長七尺,不增不減。諸外道婆羅門嫉妬,或斫或拔,遠棄之,其處續生如故。此中亦有四佛經行、坐處,起塔故在。
沙祇城の南門を出ると、道の東に、仏がもともとここで楊の枝を噛み、土の中に挿したところ、すぐに七尺に伸びて、それ以上増えも減りもしなくなった木がある。外道の婆羅門たちが妬んで、切ったり抜いたりして遠くへ捨てたが、その所にまた元のとおりに生えてきた。この中にはまた四仏が歩き回り、座った所があり、建てられた塔が今も残っている。