王舎城と耆闍崛山
1帝釈が四十二の事を尋ねた石室
從此東南行九由延,至一小孤石山。山頭有石室,石室南向。佛坐其中,天帝釋將天樂般遮彈琴樂佛處。帝釋以四十二事問佛,佛一一以指畫石,畫跡故在。此中亦有僧伽藍。
ここから東南へ九由延行くと、小さな一つだけの岩山に至る。山の頂に石室があり、南を向いている。仏がその中に座っておられたとき、天帝釈が天の楽人般遮を連れてきて、琴を弾いて仏を楽しませた所である。帝釈が四十二の事を仏に尋ねると、仏は一つ一つ指で石に書いて示したが、その書いた跡が今も残っている。この所にも僧伽藍がある。
2舎利弗が生まれ、涅槃に入った村
從此西南行一由延,到那羅聚落,是舍利弗本生村。舍利弗還於此村中般泥洹。即此處起塔,今亦現在。
ここから西南へ一由延行くと、那羅の集落に至る。舎利弗が生まれた村である。舎利弗はこの村に戻って涅槃に入ったので、すぐにこの所に塔が建てられ、今も残っている。
3王舎の新城
從此西行一由延,到王舍新城。新城者,是阿闍世王所造,中有二僧伽藍。出城西門三百步,阿闍世王得佛一分舍利起塔,高大嚴麗。
ここから西へ一由延行って、王舎の新城に至った。新城は阿闍世王が造ったもので、中に僧伽藍が二つある。城の西門を出て三百歩のところに、阿闍世王が仏の舎利の一分を得て建てた塔があり、高く大きく、厳かで麗しい。
4萍沙王の旧い城
出城南四里,南向入谷,至五山裏。五山周圍,狀若城郭,即是䓑沙王舊城。城東西可五六里,南北七八里。舍利弗、目連初見頞鞞處,尼犍子作火坑、毒飯請佛處,阿闍世王酒飲黑象欲害佛處,城東北角曲中,耆舊於菴婆羅園中起精舍請佛及千二百五十弟子供養處,今故在。其城中空荒,無人住。
城を出て南へ四里、南に向いて谷に入ると、五つの山の中に至る。五つの山がぐるりと取り巻いて、形は城郭のようである。これがすなわち萍沙王の旧い城である。城は東西五、六里、南北七、八里ほどである。舎利弗と目連が初めて頞鞞に会った所、尼犍子が火の坑を造り、毒を入れた飯で仏を招いた所、阿闍世王が黒い象に酒を飲ませて仏を害そうとした所がある。城の東北の隅の曲がったあたりで、耆旧が菴婆羅の園に精舎を建てて、仏と千二百五十人の弟子を招いて供養した所は、今もそのまま残っている。その城の中は空しく荒れて、住む人がない。
5耆闍崛山 — 鷲の窟
入谷,搏山東南上十五里,到耆闍崛山。未至頭三里,有石窟南向,佛本於此坐禪。西北三十步,復有一石窟,阿難於中坐禪,天魔波旬化作雕鷲,住窟前恐阿難,佛以神足力隔石舒手摩阿難肩,怖即得止。鳥跡、手孔今悉在,故曰雕鷲窟山。窟前有四佛坐處。又諸羅漢各各有石窟坐禪處,動有數百。佛在石室前,東西經行。調達於山北嶮巇間橫擲石傷佛足指處,石猶在。佛說法堂已毀壞,止有塼壁基在。其山峯秀端嚴,是五山中最高。
谷に入り、山に沿って東南へ十五里登ると、耆闍崛山に至る。頂に至らない三里のところに南向きの石窟があり、仏がもともとこの中で坐禅された。西北三十歩のところに、もう一つ石窟があり、阿難がその中で坐禅していたとき、天魔波旬が鷲に姿を変えて窟の前にとどまり、阿難を脅かした。仏は神足力によって石を隔てて手を伸ばし、阿難の肩をなでると、恐れはすぐにおさまった。鳥の足跡と手の穴が今もみな残っているので、鷲の窟の山と呼ぶ。窟の前には四仏が座った所がある。また羅漢たちそれぞれに坐禅した石窟があって、数百を数える。仏が石室の前を東西に歩き回っておられたとき、調達が山の北の険しい隙間から石を横に投げて、仏の足の指を傷つけた所があり、その石が今も残っている。仏が法を説かれた堂はすでに崩れ落ちて、煉瓦の壁の基だけが残っている。その山は峰が秀でて端正で厳かであり、五つの山の中でもっとも高い。
6法顕、首楞厳を誦して一夜を過ごす
法顯於新城中買香、華、油、燈,倩二舊比丘送法顯上耆闍崛山。華、香供養,然燈續明。慨然悲傷,收淚而言︰「佛昔於此住,說《首楞嚴》。法顯生不值佛,但見遺跡處所而已。」既於石窟前誦《首楞嚴》。停止一宿,還向新城。
法顕は新城で香と花と油と灯を買い、長くここにいる二人の比丘に頼んで、自分を耆闍崛山に送り上げてもらった。花と香で供養し、灯をともして明かりを絶やさぬようにすると、悲しみがこみ上げ、涙をおさえて言った。「仏は昔ここにとどまって、首楞厳を説かれた。法顕は仏の世に生まれ合わせることができず、ただ遺された跡の所を見るばかりである。」そして石窟の前で首楞厳を誦した。一晩とどまって、新城へ帰った。
7五百の羅漢が経を結集した窟
出舊城北行三百餘步,道西,迦蘭陀竹園精舍今現在,衆僧掃灑。精舍北二三里有尸摩賒那。尸摩賒那者,漢言棄死人墓田。搏南山西行三百步,有一石室,名賓波羅窟,佛食後常於此坐禪。又西行五六里,山北陰中有一石室,名車帝。佛泥洹後,五百阿羅漢結集經處。出經時,鋪三空座,莊嚴校餝,舍利弗在左,目連在右。五百數中少一阿羅漢。大迦葉爲上座。時阿難在門外不得入。其處起塔,今亦在。搏山亦有諸羅漢坐禪石窟甚多。
旧い城を出て北へ三百歩あまり、道の西に、迦蘭陀竹園の精舎が今も残っていて、僧たちが掃いて水をまいている。精舎の北二、三里に尸摩賒那がある。尸摩賒那とは、漢の言葉で死人を捨てる墓地のことである。南の山に沿って西へ三百歩行くと、石室が一つあり、賓波羅窟という名である。仏は食事のあと、いつもこの中で坐禅された。さらに西へ五、六里行くと、山の北の日陰に石室が一つあり、車帝という名である。仏が涅槃に入られたのち、五百人の阿羅漢が経を結集した所である。経を出すときには、空の座を三つ敷き、厳かに飾り立て、舎利弗が左に、目連が右に座をとった。五百の数のうち阿羅漢が一人足りず、大迦葉が上座となった。そのとき阿難は門の外にいて、中に入ることができなかった。その所に塔が建てられ、今も残っている。山に沿って、羅漢たちが坐禅した石窟もまたたいへん多い。
8刀で自らの首を切った比丘
出舊城北,東下三里,有調達石窟。離此五十步,有大方黑石。昔有比丘在上經行,思惟是身無常、苦、空,得不淨觀,猒患是身,即捉刀欲自殺。復念世尊制戒,不得自殺。又念雖爾,我今但欲殺三毒賊。便以刀自刎。始傷,再得須陀洹,既半得阿那含,斷已成阿羅漢果,般泥洹。
旧い城を出て北へ、東へ三里下ると、調達の石窟がある。ここから五十歩離れて、大きな四角い黒い石がある。昔、一人の比丘がその上を歩き回りながら、この身は無常であり苦であり空であると思いつめて不浄観を得、この身が厭わしくなって、すぐに刀を取って自ら命を絶とうとした。しかし、世尊が戒を定めて、自ら死んではならないと説かれたことを思い出した。また、それでもわたしは今、ただ三つの毒の賊を殺そうとするだけだと思い、そのまま刀で自分の首を切った。切りはじめて肉を傷つけたところで須陀洹を得、半ばまで切ったところで阿那含を得、切り終えて阿羅漢果を成じ、涅槃に入った。