第二十章 — 異俗異俗
1学を絶てば憂いがない
絕學無憂,唯之與阿,相去幾何?善之與惡,相去若何?人之所畏,不可不畏。
学を絶てば憂いがない。はいと丁寧に答えるのと、ああと無造作に答えるのとは、どれほど隔たっているのか。善と悪とは、どれほど違うのか。人が畏れるものは、畏れないわけにはいかない。
注 6
下篇,為學者日益,為道者日損。然則學求益所能,而進其智者也,若將無欲而足,何求於益。不知而中,何求於進。夫燕雀有匹,鳩鴿有仇,寒鄉之民,必知旃裘,自然已足,益之則憂。故續鳧之足,何異截鶴之脛,畏譽而進,何異畏刑。唯阿美惡,相去何若?故人之所畏,吾亦畏焉,未敢恃之以為用也。
下篇に「学をする者は日ごとに増し、道をする者は日ごとに減らす」とある。とすれば学とは、できることを増やそうと求め、その知恵を進ませることである。もし欲がなくて足りているなら、何を増やそうと求めるだろうか。知らずに的に当たるなら、何を進めようと求めるだろうか。そもそも燕や雀にも連れがあり、鳩にも連れがあり、寒い土地の民は必ず毛皮を見分ける。おのずからそうであって既に足りているのだから、増やせば憂いになる。だから、鴨の足を継ぎ足すことが鶴の脛を切ることと何の違いがあろうか。ほめられるのを畏れて進むことが、刑罰を畏れることと何の違いがあろうか。はいと答えるのとああと答えるの、美と悪とは、どれほど隔たっているのか。だから人が畏れるものを私も畏れるのであり、あえてそれを頼みにして用いはしない。
絕學不真,不合道文。
絶つとは、真実でなく道に合わない学を絶つことである。
除浮華則無憂患也。
浮いた飾りを取り除けば、憂いや患いがない。
同為應對而相去幾何。疾時賤質而貴文。
どちらも応答の言葉であるのに、どれほど隔たっているだろうか。当時の人が質朴を軽んじて飾りを重んじるのを憎んだのである。
善者稱譽,惡者諫諍,能相去何如。疾時惡忠直,用邪佞也。
善とはほめることであり、悪とは諫めて争うことであるから、互いにどれほど違うだろうか。当時の人が忠実で真っ直ぐな者を嫌い、よこしまに取り入る者を用いるのを憎んだのである。
人謂道人也。人所畏者,畏不絕學之君也。不可不畏,近令色,殺仁賢。
人とは道を修める者をいう。人が畏れるものとは、学を絶てない君主を畏れるのである。畏れないわけにはいかないのは、そういう君主が顔色のよい者を近づけ、仁あるすぐれた者を殺すからである。
2果てしないことよ、終わりがない
荒兮其未央哉﹗
果てしないことよ、まだ終わりがない。
注 2
歎與俗相返之遠也。
世俗と背を向け合うことの遠さを嘆いたのである。
或言世俗人荒亂,欲進學為文,未央止也。
世俗の人が荒れ乱れて、学に進み飾りをなそうとし、やめるところがないという意味でもある。
3多くの人は浮かれ楽しむ
眾人熙熙,如享太牢,如春登臺。
多くの人は浮かれ楽しんで、盛大な宴を味わうようであり、春に高殿に登るようである。
注 5
眾人迷於美進,惑於榮利,欲進心競,故熙熙如享太牢,如春登臺也。
多くの人は美しく進み出ることに惑い、栄誉と利得に迷って、進もうと心で競う。だから、浮かれ楽しんで盛大な宴を味わうようであり、春に高殿に登るようである、といった。
熙熙,放淫多情欲也。
熙熙とは、ほしいままに溢れて情と欲が多いことである。
如飢思太牢之具,意無足時也。
飢えた者が盛大な宴の料理を思うようであり、心に満ち足りるときがない。
春,陰陽交通,萬物感動,登台觀之,意志淫淫然。
春には陰と陽が通い合い、万物が感じて動くので、高殿に登ってこれを見れば、心が浮き立つ。
我獨怕然安靜,未有情慾之形兆也。
私だけはひとり淡々として静かで、情と欲の兆しがまだない。
4私だけはひとり淡々として何の兆しもない
我獨泊兮其未兆,如嬰兒之未孩;
私だけはひとり淡々として、何の兆しもない。まだ笑うことを知らない赤子のようである。
注 3
言我廓然無形之可名、無兆之可舉,如嬰兒之未能孩也。
私はからりと開けて、名づけられる形もなく、挙げられる兆しもない。赤子がまだ笑えないのと同じだ、という意味である。
如小兒未能答偶人時也。
幼子がまだ人の言葉に合わせて答えられないときのようである。
我乘乘如窮鄙,無所歸就。
私は運ばれていくようで、辺境の田舎者のようであり、帰り着くところがない。
5疲れ果てて帰るところがないようだ
儽儽兮若無所歸。
疲れ果てて、帰るところがないようである。
注 1
若無所宅。
身を寄せる家がないようである。
6多くの人は余りがあるのに私だけは失ったようだ
眾人皆有餘,而我獨若遺。
多くの人はみな余りがあるのに、私だけはひとり失ったようである。
注 3
眾人無不有懷有志,盈溢胸心,故曰,皆有餘也。我獨廓然無為無欲,若遺失之也。
多くの人は抱くものと志すものがないわけではなく、胸の内に満ち溢れている。だから、みな余りがある、といった。私だけはひとりからりと開けて、為すこともなく欲することもないので、失ってしまったようである。
眾人餘財以為奢,餘智以為詐。
多くの人は余った財で奢り、余った知恵で欺く。
我獨如遺棄,似於不足也。
私だけはひとり捨てられたようで、足りないように見える。
7私は愚かな人の心であることよ
我愚人之心也哉﹗
私は愚かな人の心であることよ。
注 2
絕愚之人,心無所別析,意無所好欲,猶然其情不可覩我頹然若此也。
愚かさの極まった人は、心に分け隔てるものがなく、志に好み求めるものがない。それでもその内はうかがえず、私は崩れ落ちたようにこのとおりである。
不與俗人相隨,守一不移,如愚人之心也。
世俗の人に付き従わず、一つを守って動かないので、愚かな人の心と同じである。
8混じり合っていることよ
沌沌兮,
混じり合っていることよ。
注 2
無所別析,不可為明。
分け隔てるものがないので、明るいとはいえない。
無所分別。
分け隔てることがない。
9世俗の人は明るく輝いている
俗人昭昭,
世俗の人は明るく輝いているのに、
注 3
耀其光也。
その光をひらめかせる。
明且達也。
明るく、そのうえ通じている。
如闇昧也。
暗くおぼろげなようである。
10私だけはひとり暗い
我獨昏昏。俗人察察,
私だけはひとり暗い。世俗の人は細かく見張るのに、
注 2
分別別析也。
切り分け、分け隔てるのである。
察察,急且疾也。
察察とは、せわしく、そのうえ素早いことである。
11私だけはひとりふさがっている
我獨悶悶。澹兮其若海,
私だけはひとりふさがっている。静かなことよ、海のようである。
注 4
情不可覩。
内をうかがうことができない。
悶悶,無所割截。
悶悶とは、切り分けるものがないことである。
我獨忽忽,如江海之流,莫知其所窮極也。
私だけはひとりおぼろげで、川や海の流れのようであり、その果てがどこなのか誰も知らない。
我獨漂漂,若飛若揚,無所止也,志意在神域也。
私だけはひとり漂って、飛ぶようにひらめくようにやむところがなく、志は神妙な境にある。
12風がやまないようである
飂兮若無止。
吹きすさぶことよ、やまないようである。
注 1
無所繫縶。
つながれているところがない。
13多くの人はみな用いるところがある
眾人皆有以,
多くの人はみな用いるところがあるのに、
注 2
以,用也。皆欲有所施用也。
以とは用いることである。みな施し用いるところを持とうとする。
以,有為也。
以とは、為すことがあることである。
14私だけはひとり鈍く野卑である
而我獨頑似鄙。
私だけはひとり鈍く、野卑なようである。
注 3
無所欲為,悶悶昏昏,若無所識,故曰頑且鄙也。
為そうとするものがないので、ふさがり暗く、何も知らないようである。だから、鈍く、そのうえ野卑である、といった。
我獨無為。
私だけはひとり為すことがない。
鄙,似若不逮也。
鄙とは、及ばないようであることである。
15私だけはひとり乳を与える母を貴ぶ
我獨異於人,而貴食母。
私だけはひとり人と異なり、乳を与える母を貴ぶ。
注 3
食母,生之本也。人者皆棄生民之本,貴末飾之華,故曰我獨欲異於人。
食母とは、生み育てる根である。人はみな民を生かす根を捨てて、末を飾る花を貴ぶ。だから、私だけはひとり人と異なろうとする、といった。
我獨與人異也。
私だけはひとり人と異なる。
食,用也。母,道也。我獨貴用道也。
食とは用いることであり、母とは道である。私だけはひとり道を用いることを貴ぶ。