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第二十四章 — 苦恩苦恩

道徳経(道と徳を説く経典) 道德經 · 老子、注釈 王弼・河上公 · 紀元前4〜3世紀(王弼の注は3世紀) · 段落 3 · 漢字 47字 · 朗読 0.2分

道徳経(道と徳を説く経典) 道経 八十一章、五千字。墓から出た帛書本は今日用いる版本と字が異なり、同じ句をめぐって読みの分かれる箇所が多い。王弼は哲学として、河上公は治めと養生として読む。

1つま先で立てば長く立っていられない

企者不立,

つま先で立つ者は長く立っていられず、

注 2
王弼

物尚進則失安,故曰,企者不立。

物が進むことばかりに努めれば安らかさを失う。だから、つま先で立つ者は長く立っていられない、といった。

河上公

跂,進也。謂貪權慕名,進取功榮,則不可久立身行道也。

跂とは進むことである。権勢を貪り名を慕って、功と栄誉を得ようと進めば、身を立てて長く道を行うことはできないという意味である。

2残り飯であり余計な瘤である

跨者不行,自見者不明,自是者不彰,自伐者無功,自矜者不長。其在道也,曰餘食贅行。

大股で歩く者は遠くまで行けない。みずから見せる者は明るくなく、みずから正しいとする者は際立たず、みずから誇る者は功がなく、みずからおごる者は長く続かない。これを道に当てて言えば、残り飯であり、余計な瘤であるという。

注 7
王弼

其唯於道而論之,若郤至之行,盛饌之餘也。本雖美,更可薉也。本雖有功而自伐之,故更為肬贅者也。

ただ道に当てて論じれば、郤至のふるまいのように、立派な膳の残りものである。もとが美しくても、かえって汚れることがある。もとに功があっても、みずからそれを誇れば、かえって余計な瘤になる。

河上公

自以為貴而跨於人,眾共蔽之,使不得行。

みずから貴いとして人を乗り越えれば、多くの人がそろってこれを遮り、進めなくする。

河上公

人自見其形容以為好,自見其所行以為應道,殊不知其形醜,操行之鄙。

人は自分の姿を見てよいとし、自分の行いを見て道に合っているとするが、その姿が醜く、身の持ち方が卑しいことには一向に気づかない。

河上公

自以為是而非人,眾共蔽之,使不得彰明。

みずから正しいとして人を誤りとすれば、多くの人がそろってこれを遮り、現れ出られなくする。

河上公

所謂輒自伐取其功美,即失有功於人也。

そのたびにみずからその功と美しさを自分のものとして取れば、たちまち人に功があったものを失うという意味である。

河上公

好自矜大者,不可以長久。

みずからおごり大きいとすることを好む者は、長く続くことができない。

河上公

贅,貪也。使此自矜伐之人,在治國之道,日賦歛餘祿食以為貪行。

贅とは貪ることである。このようにみずからおごり誇る人を国を治める地位に置けば、日ごとに税を取り立てて余った禄と食を積むので、貪る行いになる。

3道を持つ者はそこに身を置かない

物或惡之,故有道者不處。

物はこれを嫌うことがあるので、だから道を持つ者はそこに身を置かない。

注 2
河上公

此人在位,動欲傷害,故物無有不畏惡之者。

このような人が位にあれば、動くたびに傷つけ害そうとするので、これを畏れ嫌わないものはない。

河上公

言有道之人不居其國也。

道を持つ人はそのような国に住まないという意味である。