第五十三章 — 益証益證
1ただ施し為すことを畏れる
使我介然有知,行於大道,唯施是畏。
私にわずかでも知るところがあって大いなる道を行くなら、ただ施し為すことを畏れるだろう。
注 3
言若使我可介然有知,行大道於天下,唯施為之是畏也。
もし私にわずかでも知るところがあって、大いなる道を天下に行うなら、ただ施し為すことを畏れるだろうという意味である。
介,大也。老子疾時王不行大道,故設此言。使我介然有知於政事,我則行於大道,躬行無為之化。
介とは大きいことである。老子は当時の王が大いなる道を行かないことを憎み、それでこの言葉を立てた。私に政(まつりごと)の事(こと)について大きく知るところがあれば、私は大いなる道を行き、為すことのない化(か)を身をもって行うだろう、というのである。
唯,獨也。獨畏有所施為,恐失道意。欲賞善,恐偽善生;欲信忠,恐詐忠起。
唯とは、ただということである。ただ施し為すところがあることを畏れるのであり、道の意(こころ)を失うことを恐れるのである。善に賞を与えようとすれば偽りの善が生まれることを恐れ、忠を信じようとすれば偽りの忠が起こることを恐れる。
2大いなる道はたいへん平らかなのに、民は小道を好む
大道甚夷,而民好徑。
大いなる道はたいへん平らかなのに、民は小道(こみち)を好む。
注 2
言大道蕩然正平,而民猶尚舍之而不由,好從邪徑,況復施為以塞大道之中乎。故曰,大道甚夷,而民好徑。
大いなる道が広々として正しく平らかであるのに、民はかえってそれを捨てて由(よ)らず、邪(よこしま)な小道に従うことを好むという意味である。まして、その上に施し為して大いなる道の中を塞ぐとすればどうであろうか。だから、大いなる道はたいへん平らかなのに民は小道を好む、といったのである。
夷,平易也。徑,邪、不平正也。大道甚平易,而民好從邪徑也。
夷とは平らかなことである。径とは邪(よこしま)で、平らかでも正しくもないことである。大いなる道はたいへん平らかなのに、民は邪な小道に従うことを好むのである。
3朝廷はたいへん清らかに整っているのに
朝甚除,
朝廷はたいへん清らかに整っているのに、
注 2
朝,宮室也。除,潔好也。
朝とは宮室である。除とは清らかで美しいことである。
高台榭,宮室修。
高い台(うてな)や榭(あずまや)を建て、宮室を飾るのである。
4田はたいへん荒れ、倉はたいへん空である
田甚蕪,倉甚虛;
田はたいへん荒れ、倉はたいへん空である。
注 3
朝甚除,則田甚蕪,倉甚虛,設一而眾害生也。
朝廷がたいへん清らかに整っていれば、田はたいへん荒れ、倉はたいへん空になる。一つを設ければ多くの害が生まれるのである。
農事廢,不耕治。
農事が捨てられ、耕し治めないのである。
五穀傷害,國無儲也。
五穀が損なわれ、国に蓄えがないのである。
5これを盗びとの奢りという
服文綵,帶利劍,厭飲食,財貨有餘;是為盜夸。非道也哉!
模様のある綾(あや)を着て、鋭い剣を帯び、飲み食いに飽きて、財(たから)と貨(かね)が余っている。これを盗(ぬす)びとの奢(おご)りという。道ではないことだ。
注 6
凡物不以其道得之,則皆邪也,邪則盜也。夸而不以其道得之,竊位也,故舉非道以明非道,則皆盜夸也。
およそ物をその道によって得ないのであれば、どれも邪(よこしま)であり、邪であれば盗びとである。奢っていて、しかもその道によって得たのでなければ、位を盗んだのである。だから、道でないものを挙げて道でないことを明らかにしたのであり、どれも盗びとの奢りなのである。
好飾偽,貴外華。
偽り飾ることを好み、外側の華やかさを貴ぶのである。
尚剛強,武且奢。
剛く強いものを尊ぶので、武を用い、その上に奢るのである。
多嗜欲,無足時。
嗜(たの)しみ欲しがることが多く、足りるときがないのである。
百姓而君有餘者,是由劫盜以為服飾,持行誇人,不知身死家破,親戚並隨也。
民がいるのに君主に余りがあるのは、奪い盗んだものを衣服や飾りにしたのであり、それを身につけて歩き人に誇りながら、身が死に家が破れ、親戚までもろともに従って滅びることを知らないのである。
人君所行如是,此非道也。復言也哉者,痛傷之辭。
君主の行うところがこのようであり、これは道ではない。重ねて「ことだ」といったのは、痛み傷む心の言葉である。